寒村 7
岩手県宮古市 国道340号線封鎖地点
露見インシデントを最小限に食い止めるために既に多くの統制科職員が展開してはいるものの、当該地域周辺ではかなりの混乱が起きていた。
その場を収めるのは任務部隊『迷子センター』の任務では無いためこの地点に派遣された茅野博士のチーム自体は穏やかなものではあるが、統制任務にあたっている職員達は皆一様に忙しく立ち働いている。
「えっと……この先が影響範囲なんですか?」
「そうよ? バミってあるでしょう」
不思議そうな顔をして国道の先を眺める佐伯静世調査員に茅野博士は答えた。
「ばみ……?」
「ほら、そこのスズランテープのついたペグ。その線が暫定的に引かれた影響範囲の境界線」
「……普通に国道が続いてますけど」
佐伯調査員の言う通り異常なく国道は続いているように見える。
妙な事といえばペグの先には一切生きて動くものの姿が無いことくらいであろう。
「そうですね、そう見えることは確かですがアレの先にはどうやっても進めないんです。さらに言えば影響範囲の中心に近づくにつれ認識阻害影響もあるようです」
そう言った落合調査員は二人に地図を手渡した。
ゼンリンの住宅地図のコピーである。
「一応境界部分はこの赤線部分です。現在付近の住宅内に残っている住民がいないか支部と協力して検索しています」
「そうね、なるべく早く済ませるよう言っておいて」
「はい。それと東一からの仮設送電計画ですが……」
「無理そう?」
「はい。これ以上の露見インシデント拡大のリスクは許容できないと」
「困ったわね……どういう類の空間異常であれ力技でこじ開けるには電力が必要なのだけれど」
「あの……私が行ってみましょうか?」
何やら深刻な顔をしている二人に佐伯調査員が言う。
彼女は調査員であるが同時に研究員資格取得を目指す二毛作志願者であり、研究室長の千人塚博士の計らいで日々の研究に参加もしている。
それ故に二人の話の内容も概ね理解している。その上で自分の持つ力ならば或いはという提案であった。
その根底には目の前に広がる影響範囲に入れないと言うのをどうしても信じられないという疑念もある。見えていて道が通じているのだからたどり着けない訳が無い。
仮に辿り着けなかったとしてもそもそも報告にあったような遠野市消失の様な事態が発生するとはどうしても思えないのだ。
その旨を聞いた茅野博士は「折角だし試してみたら?」そう答えた。
「博士、何を……」
「大丈夫よ、ただ侵入を試みるだけならね? さっき試したでしょ?」
「それはそうですが……佐伯調査員は……」
そこまで言って落合研究員は言葉を呑んだ。
それは彼の上司が何を考えているのかを察したからだ。
単にこの場の事だけではなく、この案件に着手し始めてから彼がずっと感じていた違和感の答えと通ずる博士の思惑
『機構』である。『事案』や犯罪者、被験者に対しては精神を病みそうな程に悪辣な方法で接することが多々あるとはいえ、そのような思惑を持って仲間に接すると言うのは彼らにしても考えられない話である。
反面、長く茅野研究室のNo.2として働き、誰よりも茅野千鶴博士という人格に触れてきた彼は然もありなんとも感じている。
この超常世界において諏訪光司、篠崎藤十郎と並び称されるほどの狂科学者である彼女にとってはこの世界の全てが実験の対象である。
なんなら身内の情を持たないと言う面では諏訪光司以上に人格が破綻していると言っても過言では無いのだ。
「大丈夫です。茅野博士の考えは分かってますから!」
流石に他の研究室の職員を実験の被験者扱いなど許容できる筈が無いと博士を諌めようとした落合研究員を止めたのは他でもない佐伯調査員であった。
「あら、静世さんはゲール語は分からないと聞いていたのだけれど」
「うちの研究室とおんなじで博士のことをよく分かっているNo.2がいるじゃないですか」
それは佐伯調査員の強力なESPによって落合研究員の思考が読まれていたことを意味する言葉だ。
しかし、と彼は思う。
茅野博士の行動の意図に彼が気付いたのはつい今しがたのことであり、であればその事実が彼女らの行動に影響を与え得たとはどうしても考えられないからだ。
「心配事、不安、心のモヤモヤ……そう言った言語化できない漠然とした感情も私たちは言葉で考えているんです。言語化できないって考えているのはただ単に深い所にあるそれらをうまく覗き込めていないっていうだけの話です。だから私たちは大丈夫です。全て分かった上でみんなでここに来たんですから」
「流石は千人塚博士がいつも自慢しているだけのことはあるわね」
「あはは、それほどでも! それに茅野博士の所の皆さんだって変な事してこれ以上博士の評判が下がらない様にって皆さん心配してますよ? 優しい人達じゃないですか」
「そうね、自慢の子達よ……まあお陰で私の考えもあなたに筒抜けになってしまっていたのだけれど」
そう言った茅野博士は自分の研究室の調査員に特定調査員を連れてくるように指示を出した。
「まあ、それならそれでちゃんと説明した上で協力してもらう方がいいわ」
岩手県遠野市 環境科学研究機構 環境科学大学校遠野分校舎
「それに関しては興味深いとは思うが……今はそんな悠長なことを言っている場合ではないだろう?」
「いやいや、もちろん校長のおっしゃることもわかります。この異常事態ならば事態の解決に直接的に資する部分にリソースを集中投入するべきだ。それ自体は真っ当な考えだと思います!」
「その上で、それを分かった上で! 私たちはそれでもこの調査がこの案件の解決に至る最短経路だと考えているんです!」
「というわけでこちらのデータをご覧ください! 千人塚博士から伺った仮称『巨頭村』の人口と地形データから計算した過去二千年程度の大まかな人口推移です!」
若者の情熱と行動力というのはとんでもないものだ。
あの後件の三馬鹿トリオから質問攻めにあったと思ったらとんでもない量の仮説を引っ提げて再び私たちの元に帰ってきたのだ。
玉石混交のそれらを双子ちゃんと共に精査してみると、いくつかこれはと思うものを見つけた。
その事を伝えると意見を再び纏めて持ってきた。
拙いところはあるものの、それは十分に検証に値するだけのものになっていたので彼らに付き添って蓬原主務の所にやってきたわけだが……いやぁ、押しが強いねぇ
「特に土中の有機物の量とカロリーベースで考えた集落の食糧生産量ですが、周辺に自生している原生林のうちで食用に適さないものを含めて考えた場合、どう考えても土壌が保つとは思えません!」
「そ、それに関しては野生動物の侵入や、場合によってはヒトであっても領域内に侵入することがあると……」
「そうです! そこです! 侵入しうるものとそうでないもの、その差異を見つける上で土壌の調査は必要不可欠なんです!」
「更に!! 予測の正確性を底上げするためには遺伝子レベルでの調査も急務!!」
「分かった! 分かったからちょっと待ってくれ!」
蓬原主務が助けを求めるようにこちらを見る。
あくまで私は付き添いなのでこのままにしておいても構わないような気もするが、まぁ焚き付けたのは私だしな……うん
「はいはい、一回落ち着いて! あんまり強引だとまとまる話も纏まんないでしょ」
蓬原主務の専門はアーティファクトである。こんなに専門外のことで捲し立てられても困ってしまうだろうことは想像に難くない。
何にでも首を突っ込まされる十部の基準で考えてはいけない。
「千人塚博士は彼らの提案をどう思われるのですか?」
「概ね賛成です。もちろん学生の立場で自由にとはいきませんが、然るべき立場の人間と一緒であれば問題ないでしょう」
彼らの提案というのは学生たちのフィールドワークへの参加である。
私たち大人が大苦戦を強いられている中、学生たちから寄せられた現状に関する種々の提言は現実味のあるものだけでも数百件にも登っている。
だが、普段の様に潤沢な人手と設備を駆使できる状況ではないため彼らから集められた優れた提言の数々も後回しにせざるを得ないというのが現実だ。
なぜそれで彼らが情熱的に自論を語り始めているのかといえばこんなにも優れたアイデアが眠っているのだ! という文脈だったのだが、途中から楽しくなってしまったのか完全に目的が入れ替わってしまっている。
なんなら本来の要求の部分を覚えているかも怪しいくらいだ。
「ふむ……然るべき立場の者が引率……それならば警備の所要もまとまっている分マシに……」
この大学校の教官は博士や先生と呼ばれていた『然るべき立場の人間』が揃っている。
もちろん多少手間は増えるだろうが、ついて行ってそれぞれが近くで実験できるのならば時間あたりで捌ける量も違ってくるだろうし、捌ける数が上がれば解決までのスピードも上がるというものだ。
「はっ! まさか千人塚博士……いや、しかし……」
「校長、そのまさかです。でなければここまで一緒に来てくださるはずがないです」
ん……なんの話だろう……?
「なるほど……訓練中隊の人員の選抜はこれを見越しての事でしたか……いやはや恐れ入ります」
ああ、はいはい、そういうことね! これはあれだ、ちゃんと断っとかないと大変なことになるパターンのやつだ
「いえ、そうではなく……」
「ご安心ください! 博士のご懸念はわかっております。あくまでもこれは我々からの要請に応じてくださったという形にしておきます。越権にはあたらないようにこちらで手を打っておきますので!」
そんなこんなで押し切られて学生の引率を引き受けることになってしまったわけだが蓬原主務、あれ絶対わかっててやってるよなぁ……
三馬鹿トリオの方は完全に勘違いしてくれていやがったが、蓬原主務は海千山千の主務研究員である。
元々東一と西研の所長を歴任していたほどの人物である。中核研究所の所長という業務の特性から鑑みれば機微には人一倍聡いだろう。
それ故に三馬鹿の誤解にもいち早く気付いて私に面倒ごとを押し付けてきたのだとすればとんだ食わせ物だ。
善人面して実に悪質だ。全くもって残酷である。
本来であれば学生の扱いにも慣れた教官の誰かが当たってくれればよかったのに、こちとら『機構』設立以降特定管理事案の相手ばかりをしてきた筋金入りの十部職員であることを思えばミスマッチも甚だしいと言わざるをえない
もちろん、悪いことばかりではないのは確かである。雑務に回す人手がダース単位でやってくるのだ。その分私達が案件に集中することもできるだろう。
しかし現場なれしていない若者と指導者慣れしていない私達の組み合わせはそこで温存した隊力ですらカバーするのが容易ではないほどのリスクでもある。
「あぁ……博士が大嶋さんにした無茶振りがそのまま帰ってきちゃいましたね」
フィールドワークの準備をしながら事の顛末を梓ちゃんに愚痴っているとそんな答えが返ってきた。
「失敬な! 私は無茶振りなんて……あ、してた……」
訓練中隊の動員は大嶋くんからすれば今の私の状況に近いものがあるだろう。うーん、考えが甘かったな……悪いことしちゃった……
「博士もあんまりイケイケドンドンなのはやめた方がいいと思いますよ? 小笠原さんも諏訪先生もいないんですから。私と修じゃ止めきれませんからね?」
うーむ叱られてしまった。というかイケイケドンドンって随分古い言い回しな気がするが……弥生時代早期くらいの言葉だったかな……?
「うん、心します。ただまあゴリ押しは十部の職業病みたいなところあるからいざとなったらブレーキよろしくね?」
「はぁ……まあできる限りは頑張りますけど……あんまり期待はしないで下さいね?」
まあ私が突っ走ることになっても双子ちゃんはしっかりしているし、大嶋くんもマッチョだし問題はないだろう。
そんな話をしながら楽しくフィールドワークに必要な雑品を用意し終えて仮住まいの会議室に戻っていると前方に何やら喚きながら駆け回っている一団を見つけた。
「犬だー! 犬が来たぞー!!」
「三馬鹿さんですね……」
「うん。何やってんだろうね」
学校において廊下を走ることは重罪であるというのは私でも知っている。
というか……犬?




