寒村 6
岩手県遠野市 環境科学大学校 遠野分校舎
最大限の警戒と準備で臨んだフィールドワークだったが、拍子抜けするほどに恙なく終了した。それはいい。トラブルが無いに越したことはない。
ただ、トラブルだけではなく成果すら全くないというのは困ったものだ。
もちろんこの類の研究が一回のフィールドワーク程度でどうにかなるものではないということは重々承知してはいるものの、基本的に味方しか存在しない状況である。
なんかこう、うまいことトントン拍子でスピード解決!! みたいな期待をしてしまうのも仕方のないことではないだろうか?
「博士! 何味食べます?」
「色々ありますよ!」
そういうわけで私たちは遅い夕食、もとい早めの朝食の時間だ。
『巨頭村』で振舞われた得体の知れない食事ではなく、文明の味カップラーメンである。
研究職種がいる職場だけあってカップラーメンの備蓄は潤沢なようで色々な味、色々な銘柄が揃っているのは実にありがたい。
「あー……じゃあ味噌で……一番味の濃そうなやつでおねがい」
今回大学校での仕事を引き受けたのは偏に岩手の地のものを堪能するためであったのだが、流石にマニアックが過ぎるゲテモノは想定外だ。こうなってくるといつも通りの人類の智慧の結晶がとてもありがたく感じてしまう。
「あ、自販機に飲み物買いに行くけどみんなはなんかいる?」
「「緑茶で!」」
「自分が行きますよ?」
「いいって、大嶋君は武器の手入れおねがい」
念のためにと私が背負っていた散弾銃は銃口に泥は詰まるわ泥水の中に落とすわで結構大変なことになっている。
長物の扱いに慣れていないが故のことだと大嶋君は笑って許してくれたが、細かい点検も含めた整備はプロである大嶋君に任せる他ないのだ。
そんな余計な手間をかけてしまった部下に飲み物を買いに行かせるほど千人塚研究室はブラックではない!
「すいません……じゃあ自分も緑茶で」
「ほいほーい」
「うわぁ!!!」
ドアを開けると数人の人間が何やら機械を構えていた……見た目からして学生さんだろうか?
だいぶ慌てふためいているようだが、私は私で状況が飲み込めなくて言葉も出ない。
「博士! 下がって!!」
「うへぁ?!」
などと思っている間にとんでもない力で部屋の中に引き戻され、代わりに大嶋君の巨体が部屋の外に飛び出していく。
「やばっ……!!」
ドアの前で何やらやっている人間、飛び出していった大嶋君……こりゃ人死が出るぞぉ……
状況的に敵対勢力の諜報員という可能性もないではないが、それでも無用なトラブルはできるだけ避けたい状況である。
二代目大量破壊兵器オヤジとの呼び声も高い大嶋君の引き起こすだろう破局的大胸筋事態……そんな血みどろの惨劇を予測し恐る恐るドアを開けると地面に伏せて脚を大きく開き両手を頭の後ろにおいた三人の彼我不明人員と彼らを見下ろして立ち尽くす大嶋君の姿があった。
「えっと……どういう状況?」
「あ、博士……ちょっと自分もよくわかんないですね……」
聞くところでは大嶋君が飛び出した瞬間に彼らはこの態勢になったらしい。
「あー、苦しゅうない面を上げい」
でいいのかなぁ、こういう時って……
「「「ははぁ!!」」」
とりあえず三人はノリノリなので間違ってはいないのだろう。ピシッと正座に移るあたりこういう事態への慣れの様なものを感じる。
「そんで、君らは何をしてたのかな?」
件の三人は大学校の学生らしい。
猿橋専科学生、鳥沢専科学生、梁川医療専科学生、皆大学校四年次の学生である。
昨日決まった情報開示に伴い、夜通し色々な実験をしていたそうだ。
成果はイマイチだったようで、次の実験に備えて仮眠と準備をするため校舎内に戻っていたとのことで、その際に私たちが戻ってきたのを見つけたらしい。
「あの高名な千人塚博士はどの様にこの事態を考えているのかを知ればより実験の成果を挙げられるのではないかと思いまして!」
「あくまで広義のフィールドワークとして、もしくは学習の一環として!」
「偉大な先達のお考えを知るために観測実験を行なっておりました!」
自分達の実験をもっと有意義に楽しむために盗み聞きをしていたと、ようやくするとそういった内容だ。
「……申し訳ございません、私の監督不行き届きです」
騒ぎを聞きつけてやってきた蓬原主務が頭を下げる。
「いや、構いませんけど……盗聴って厳しいんじゃない? ここも『機構』の施設だよ?」
表の官公庁やらではないのだ。
扉に直接集音マイクをくっつけたところで徹底的な防音処置とともに構造物内部が常に複数のランダムな周波数で振動する盗聴妨害装置が組み込まれた『機構』の建築物で盗聴などあまりに難易度が高い。
「流石は千人塚博士! もちろん通常の手法では困難……いや、現実的には不可能と言っても過言ではないです。が!! 私達の開発したこの装置を使えば内部の振動による干渉を計算、そのデータをこちらのアプリに通すことで既存の言語の語彙に補正し会話の内容を知ることができるんです!!」
わぁ……こういうタイプかぁ……
キラッキラの眼で語る猿橋学生とラムネみたいに胃薬を飲む蓬原主務、多分こういったことは初めてではないのだろう。
まあ現場配属したらすぐに馴染みそうなタイプではあるが……
「本当に申し訳ない。この三馬鹿には私の方からきつく指導しておきますので」
「いえ、本当に大丈夫ですから……それに大したものですよこの装置もアプリも」
振動からの単純な音声の復元に留まらない言語としての復元、真面目に工学やらに取り組んでいただけではこういった発想はなかなか浮かばないだろう。
悪戯のためのガジェットといえばそれまでだが、このような自由な発想こそ『機構』には必要なものである。
「ただし! 情報の保全は『機構』職員なら絶対に身につけなきゃいけない。それは業務の遂行のためっていうのももちろんだけど、自分達の身を守ることにも繋がるんだからね?」
「「「はい……」」」
私の言葉に項垂れる辺り、三人とも情報漏洩が最悪の場合どのような結果を招くのかといった部分の認識はあるようだ。であれば部外者の私がこれ以上とやかく言う筋合いは無い。
「もしこの後なんか気になることがあるんなら直接聞きにきなさい。絶対にとは言えないけど可能な限り時間は取る様にするから」
問題は多そうな若者たちだが、それに比例するように優秀なのだろう。であれば彼らを育むのは私達の役目だし、それ以上に私たちが彼らから得るものも大きいだろう。
どちらにせよここから出なければ始まらない話ではあるのだが……
その異常に最初に気付いたのは岩手支部の職員である。
明らかな事案性影響を確認した岩手支部はすぐに宮城県多賀城市の東北統合管理局に通報した。
「環境科学大学校遠野分校舎を含む遠野市全域及びその周辺地域の所在が不明である」
その内容を理解できなかった東北統合管理局の職員は通報者の被精神汚染の方を疑った。
だが通報者はとにかく当該地域上空に偵察機を飛ばすよう進言、統合管理局側も六医研への精神汚染対策チーム派遣要請と並行して宮城支部から観測ヘリコプターを進発させた。
目標地点は北緯39度19分55秒、東経141度31分58秒遠野市役所上空である。
地図もナビゲーションシステムも正確にその位置を指し示しており、到達できないはずがないと、パイロットは笑いながら出発した。
結果として観測ヘリコプターは遠野市及び周辺地域、面積にして概ね860㎢のエリアを発見することができなかった。
事態を確認した統合管理局長は東一研にQRF及び初動対処チームの派遣を要請すると共に周辺各県支部統制科及び情報科に出動命令を発し、事態の沈静化に向けた業務を開始させた。
同時に本部への緊急通報を行い、それを受けて臨時の執行部理事会が招集された。
状況にあまりにも不明瞭な部分が多く、本件が破局的終末事態を招きうる危険性さえどの程度のものかわからない。それを重くみた理事会は東二研、山陰研、西研、甲信研所属の研究室を基幹とし、三部の『無宗派教団』四部の『墓守』の両特殊部隊を加えた任務部隊『迷子センター』を編成して本案件の解決にあたらせることとした。
長野県大町市 環境科学研究機構 甲信研究所 茅野研究室
「現状はこんな感じ、理解できました?」
非常呼集で呼び戻された千人塚研究室の面々は茅野博士から現状の説明を受けていた。
環境科学大学校遠野分校舎を含む遠野市全域とは即ち彼らの研究室長である千人塚博士及び彼女に随行した大嶋潤二調査員、安曇両研究員もその中にいるということを示している。
研究チーム、調査員チームのトップが両方とも事実上の行方不明、加えて医療チームのトップは入院中、非常時に室長代行を行う権限を持つ小笠原主幹研究員は出向中の事態であり、本人たちの気持ちは抜きに案件対応に参加できるような状態の研究室ではない。
何故そんな自分達が詳細な状況説明を受けているのか、彼らは皆その疑問を感じていた。
「今回の任務部隊はその性質上非常に広大な地域での活動が予測されます。そのためうちの研究室単独での参加では明らかに人手が足りません」
茅野博士から説明を引き継いだ落合研究員が言う。その言葉に千人塚研究室の面々の顔つきが変わった。
「もちろん皆さんの置かれている状況も理解していますので強制的な人事権の発動を行うつもりはありませんが、可能であるなら茅野博士指揮下で任務部隊に加わってはいただけないものか--」
「「お引き受けします!」」
落合研究員の言葉の終わりを待たずに川島調査員と猪狩医療研究員が同時に言った。
「あ……えっと……みなさんで話し合ったりとか……」
「あっはっは、いいじゃない。みんなやる気になってくれてるみたいだし頼もしいわ!」
「いや、あくまで任意の参加なんですからその辺りはしっかり確認しないと!」
「あいかわらず固いんだから……じゃあ後でそれぞれの端末に任意業務同意確認書送っておくからそこで参加の確認しましょ? あれなら正式な決裁システムだしいいでしょ?」
「まあ、それなら……」
そのようなやり取りを経て、この場は準備のための解散となった。
同千人塚研究室
自分達の研究室に戻った千人塚研究室の面々は誰に命じられたわけでもなくフィールドワークの準備を始める。
特に調査員はつい数時間前まで痛飲していたこともあり、全員が酒抜き剤の副作用である強烈な頭痛と悪寒を抱いたままでだ。
データでの送信が禁止されている幾つかの資料を持ってきた落合研究員も彼らの体調については理解しており、そんな中でも粛々と準備を進める彼らの姿にどこか恐ろしさにも似た感覚を覚えていた。
彼自身千人塚研究室の結束力の固さは知っているし、不調を押してでも業務を遂行できるだけの精強さも理解しているつもりである。
しかし、現状のその姿から感じるのはその様な精鋭達に感じる頼もしさでもなく、熱狂する狂信者に感じる不安定さでもない。
言語化のしようもない奇妙な違和感であった。
「あ、落合さん! どうしました?」
そんな状況をただ呆然と見つめていた彼に声をかけたのは佐伯静世調査員である。
「ああ、資料をいくつか持ってきました」
「あ、すいません。言ってくれたらこちらから取りに行ったんですけど……」
「いえいえ、お気になさらず。それにしても皆さんすごいですね、士気の高さがそこらの研究室とは段違いです」
「博士達が取り残されてしまってますから……みんな早く助け出してあげたいと思ってるんだと思います」
探りを入れるつもりで放った言葉だったが、帰ってきたのは当たり障りのない普通の返答だ。
「そうですよね……まあ大丈夫でしょう。何せあの千人塚博士ですから」
「ええ、そうですよね……頭ではわかっているつもりなんですけど、私もなんだか落ち着かなくて」
「そうですね……私も準備があるのでこれで失礼します。くれぐれも気負いすぎないようにしてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
違和感の正体は分からない。もしかすると自分の考え過ぎかもしれない。
そう思っても彼は心中の違和感を拭い去ることが出来なかった。
せめてそれが事態を悪い方へ転がさないように……彼にできるのはそう祈ることくらいのものである。




