祭祀 3
千年という時も、思い返してみれば瞬きの間の如く短いものだ。
それであってもこの千年は輝きに満ちていた。
出会いがあり、別れがあり、また誰かと出会う。
世界は一日また一日と大きく拡がり、拡がった先で新たな出会いと新たな別れを孕んでいる。
斯くも驚きに満ちた日々はあったろうか?
斯くも笑った日々はあったろうか?
斯くも泣いた日々はあったろうか?
「どうしたんで?」
「ん……いや済まないね、少しばかり考え事をしていた様だ」
茂吉親分の声で思索の海から引き戻された私は体一杯に息を吸った。
夜ともなると流石に冷たい長月の風は否応無しに私の思考を澄み渡らせていく。
「はっはっは、こいつぁ妙な事を言いやる! 俺の前で学者ぶったって一文にもなりゃぁしませんぜ?」
「親分、君も大概だね……私はこれでも立派な学者さ」
「ついこの間まで尼で、その前は大道芸人……事情はわかっとりますがね……いやはや学者たあ……くっくっくっ……」
茂吉親分は代々続くこの江戸の町のヤクザ者で博徒の元締めである。
義理人情に厚く口が堅い彼の曾祖父が天文方番所にて目明かしの様な役割を担う様になったのは確か享保年間、吉宗公の治世の頃だったからもう百年以上は昔の事だ。
彼等とはそれ以来の付き合いになる。
「一応言っておくけど四谷の舟山先生といやあここ最近滅法評判が良いんだぜ?」
「あー、知ってまさあ……色白で線が細くて役者みてえな学者先生がいるってんで町娘達から大層評判だそうで……ぷっ……あーっはっは!」
「勘弁しておくれよ、そのあたりは私も気にしているんだから……」
こんななりをしてはいるが私も女だ。
そりゃ男衆と較べりゃ線も細かろうし色白は生まれつきだ。
無駄に上背はあるのでその辺りも娘さん達の琴線に触れたんだろうが……
「ここ最近じゃあおまんま食えてない様な細っこいのが色男と言われるんだから分からないもんだよ……怪我して包帯巻いてるのが好きって娘さんもいるそうだ……世も末だね」
「あんまりそういう事を言ってたんじゃ年寄りだってばれちまいますぜ?」
「そいつは良くないね、また玄蕃殿に苦労をかけてしまう」
「幕閣のお歴々も気の毒なもんで……」
「そうだね、それでなくともここ最近は頭の痛い問題が多いだろうしね……いやはや本当に気の毒な事だよ」
「何を他人事みたいに……」
「うーん……こう言ってはなんだけど生まれた以上はいつかは滅びるのが世の理さ、そのあたり大御所様はよく分かっていたみたいだしね」
「皮肉ですかい?」
「いや、ただの憧れさ」
徳川の治世は過去の支配構造と較べるととんでもなく安定しているし、完成度が段違いだ。それは間違いない。
ただそれでもここ最近綻びが目立つようにはなってきた。
私も政は畑違いなのでハッキリとした事は言えないが、過去に見てきた経験から言わせて貰えばあと二百年保てば御の字といったところだろう。
「そいつぁ……」
「もちろん稀代の名君が産まれ出でて諸藩を再び纏め上げて種々の問題もその辣腕で捌ききるという可能性も無いでは無いとは思うけれどね」
「俺ぁ公方様には感謝しとりますし渋川の大旦那や舟山先生の付いてる御公儀がどうこうってのは想像も出来やせんが……」
「買い被り過ぎだよ、私たちだって単に妙なモノに詳しいってだけの学者だ。それに御公儀って言ったって所詮数多ある武家政権の一つに過ぎないよ」
それでも過去知っている限りでは最高のモノではあるけど、と付け足す。
清和源氏の名門を名乗ってはいるが、その実として傍流家だと噂される徳川将軍家、戦国期に勃興した種々の家系の中では由緒ある方に入る。
それ故に古い価値観や古い家系に対しても冷静にその必要性を分析する事が出来たのだろう。
天文方を名乗り、渋川の家系を頭に頂いている辺り土御門家、ひいては帝への対抗心も多分にあったのだろう。
それでも私達天文方番所の運用にあたっては陰陽寮や蘭国から齎された知見や中華の体制を取り込んでいる。
個人的な感情は置いておいても旧体制を好まない織田氏やそもそも伝統に裏打ちされた価値観の希薄な豊臣氏ではこうはいかなかっただろう。
それでも昨今は海の外が妙に騒がしくなって来ている様に思う。
しばらく奥州出役やら蝦夷出役として北に行っていたので実感こそ無いが、同時期に長崎与力として出島に行っていた同僚達からは中々キナ臭い話を聞いている。
「南蛮人ですかい?」
「ああ、連中随分と進んでいる様だ。おそらく本気で向かってこられたら今の私達では太刀打ちのしようが無いだろうね」
それでも彼らの国は遥か海の果てだ。
蒙古よろしく軍を興して遥々ということもそうないだろうが、出島のカピタンからは注意するよう警告されているらしい。
「まあ、あまりにも大きな話だ。私達がどうこう出来るような事ではないよ」
「まあ……そうなんでしょうがね……いやはや……」
「それに悪いことばかりじゃない。これを見てくれ!」
「そいつぁ……短筒ですかい?」
「ああ、『りぼるばあ』というらしい。この間長崎土産で貰ったモノに私が手を加えたんだがこれは凄いよ! 何せ玉を五発連続で撃てるんだ!」
「いや……まあ切った張ったが苦手でよくわからねぇ道具を使ってるってのは知ってますが……あんまり見せびらかさねえ方がいいんじゃ無いですかね? 御禁制の品でしょう?」
呆れ顔の茂吉親分に言われて渋々懐に自慢の『りぼるばあ』をしまう。
町方役人にしょっぴかれるのは茶飯事とはいえ、仕事の最中にとなればあまりありがたい事でないのは事実だ。
「しようがない、帰ってからゆっくり自慢させて貰うから覚悟しておいてくれよ?」
「あ、そういや今日は久し振りに伯龍の野郎が辻に立つって話ですぜ?」
「何だって?! どうしてそんな大事な事を今まで黙ってたんだ! こうしちゃいられない、とっとと仕事を終わらせないと! 悪いが『りぼるばあ』については日を改めさせて貰うよ!」
「へいへい、そりゃあ残念ですこって……しっかし手前で見てきたってのにどうしてそんなに講釈に入れ込むんだか……」
「そういつは野暮ってもんだよ、語りの芸ってのは芝居にだって実際に見てきた事に勝る事だってある。それこそ家で芝居を観られるようになったって私は辻に講釈を聴きに行くだろうさ」
「俺ぁ芝居の方が好きですがね、やっぱり目で観てなんぼじゃありやせんか?」
「勿論芝居だって好きさ、でも聴くだけで楽しめる芸は……それこそ音曲のない語りの芸は百年、二百年経ったって絶対に残るしもっと面白くなる! これに関しちゃ断言したっていいよ!」
江戸っ子の茂吉親分だが、やはりまだ若い。粋っていうものがいまいち解っていないようだ。
ふと、親分が足を止めた。
「どうしたんだい?」
聞きつつ彼が睨み付ける方を見てみると、一人の侍が道を塞ぐように立っていた。
中々に仕立ての良い着物を着ている様だが、着崩さずかっちりしている辺り諸藩の江戸詰め藩士だろうか?
少なくとも旗本御家人連中の様な小粋な感じは無い
顔こそ傘に隠れていて見えないが、明らかにこちらに用があるようだが生憎私達にそんな予定はない。
「足立舟山だな?」
やはり私をご指名だが……
「いかにも私が舟山ですが、如何なさいましたかな?」
それはそれで不審である。
天文方の足立殿の遠縁の学者『ということに』したのはつい先日の事だ。
それまでは特に姓について決めておらずあくまで『四谷の舟山先生』として暮らしていたのである。
そもそも足立姓も公の書状以外で名乗った事は無い。
「……お覚悟!」
問答無用で斬りかかってきた侍の刀をすんでのところで親方がなえし棒でもって受け止める。
剣の心得の無い私でも判るほどに洗練されて研ぎ澄まされた抜き打ち、とんでもない手練れだ。
「ご無事で?」
「あ、ああ……助かったよ」
博徒とはいえ代々公儀に仕える茂吉親分である。
幼い頃から捕物術やら柔に剣術、果てはお庭番衆の技まで仕込まれてきた彼は名うての剣豪といえど迂闊に手を出せないほどだ。
一合のうちに敵もそれに気付いた様で慎重に間合いを開ける。
居合いの使い手が初太刀を防がれたのだからそれも当然ではあろうが……
「人違いをするな! 私は単なる学者だ! いきなり斬りかかられる様な筋合いは無い!」
答える様子は無い。
確実に私の命を狙っている。
「……親分、私が隙を作る。君は人を呼んできてくれ」
「手はあるんで?」
「ああ、御禁制の品がね」
「なるほど……そいつぁいい」
戦う事を考えれば茂吉親分がいなくなるのは都合が悪い。
ただ、向こうの目的が私の命である以上その目的を果たすことは叶わない。
であれば確実に奴をどうにかするのであればこの方法が一番だろう。
親分が後ろに駆け出すのと同時に『りぼるばあ』を取り出して侍に向けて撃つ。
当たりこそしなかったが、流石に警戒はしてくれた様だ。
続けて玉を撃ち込む。
やはり当たらない。いや、それで構わない。連続して撃てるという事を示して攻めあぐねさせるのが目的である。
帰ったらもう少し手を加えよう……
それにしても、たった一つの短筒で手練れの足留めを出来るなんていい時代になったものだ。
昔だったらーー
感慨に浸っていた私の背を激痛と衝撃が襲う。
視線を落とすと胸から腹から幾つもの鏃が飛び出していた。
「若様、油断しすぎですぞ?」
「済まない、まさかあんなものを隠し持っているとは思わなかった」
「まあ仕方ありますまい。それで逃げた男の方は如何なさいますかな?」
「捨て置け、目的は果たしたのだ。無用の殺生はあの方の道ではあるまい」
「なればその様に」
もう一人いたのか……
油断は私の方だが、こういった場合も想定済みである。
手際よく私の首を切り落とした連中、さて驚く顔が楽しみだ。
「しかし幾らなんでも肥桶を持っていたのでは目立つのではないか? この格好だぞ?」
「御安心召されよ、我らで木戸の外まで運びます故」
「いつも苦労をかけるな」
「これも累代のお役目にござりまする」
「だが肥桶に入れられるのは御勘弁願いたいところだね、私はこれでも身なりには気を使う方なんだ」
私の首を置いたまま運び出す準備をしていた二人にしたりがおで声をかけた。
絶句してこちらを見る二人の顔、予想以上に驚いてくれた様で大満足である。
「若様、お下がりを……化生の類か! 徳川めはなんてモノを飼っておるのだ!」
「随分なご挨拶だ。だがそこまで私の事を知っていると教えてくれたのなら許してやってもいい。食い殺されたく無くば早々に立ち去れ!」
完全にハッタリだが、私をもののけの類と思ってくれているのならば効果はあろう。
「ええい! 若様はようお逃げくだされ!」
「はっはっは! 私のおやつになりたいと言うか! これはありがたい!」
楽しくなってきた。
とはいえ夜中に外で真っ裸というのは気まずいものがあるので早いところ逃げて欲しいが、『若様』とやらは放心してこちらを見ている。
驚かせ過ぎたかな?
「巫女……様……?」
「うぬぅ! かくなる上は……なぬっ?」
「せいぜい足掻いて見せるが……えっ?」
懐かしい響きの言葉に今度は私が絶句する。
であれば今私と向き合っているのは……
「隠善! この方は化生等ではない!」
「な……まさか……言い伝えだとばかり……」
やはり……
伊奈で別れて三百余年の時が過ぎ、伊賀者を用いても行方どころか風聞すら得られなかった彼等とこんなところで再び見える事になるとは……
「……まずい、少々騒ぎ過ぎた様です。隠善!!」
「はっ! 巫女様、しばし御辛抱下さりませ」
遠くで鳴り響く呼び子笛
様子を窺いに顔を出す人々
「え……ま、待って下さい……せめて何か着させて……」
「申し訳ありませんが……」
大勢の捕方やら博徒やらが駆けつけようとしている最中である。
仕方がないこととはいえ、相手が相手だ。
こんな格好のままというのは恥ずかしい。
冷える夜ではあったが、私の顔は火が出そうな程に恥じらいで熱くなってしまっていた。




