不完全な不死 2
甲信研究所 当直司令室
「あ…そういうことか!!」
思い至ったのは一つの可能性だ。
思い起こせば、雨傘製薬はソヴィエトと関係の深かった企業である。そう考えれば辻褄は合う。
「どうしたんですか?」
「このウイルスの正体分かっちゃったかも!」
「ほんとですか?!」
早速諏訪先生に相談しなくては!
「諏訪先生!!」
『博士!!』
私が諏訪先生に呼びかけたのと、諏訪先生が私に呼びかけたのはほぼ同時だった。
「あ、どうしたの?」
『あ、いえ…博士からどうぞ』
「ああ、うん…私このウイルスの正体わかったっぽい」
『ああ、やはり博士も思い至りましたか』
口ぶりから察するに、諏訪先生も私と同じ答えに辿り着いた様だ。
『兵器としてデザインされたウイルス…我々は前提から間違っていたようですね』
「うん…静代さんの時と一緒だね」
「えっと…どういう事なんですか?」
ついて来れていない様子の静代さんが聞いてくる。
「このウイルス、多分私の細胞使って作られてるっぽいってこと」
「博士の細胞…ですか?」
『正確には博士のDNAを不完全な形で複写するウイルスと言ったところでしょう』
「なるほど、さっぱり分からないので大人しく解決を待ちます!」
潔い!流石は明治を生き抜いた女性だ。
「てことは無差別に活性化してるって事?」
『その通りです。押収品コンテナの残留物内から博士の物と同じ細胞を発見しました。恐らくはそこからのDNAを取り込んで変異を起こすものの様です』
私の体細胞は外的要因以外において不死だ。しかし不足が生じた場合、どういう原理か質量保存則を無視して増殖する。しかも俗に言う完全細胞の様なもので、全身の大部分が吹き飛ばされても本体であると認識した部位から全身が再生される。
加えて私の身体以外では不活性化して、一切の機能が停止するが、私の身体に戻ればまた活性化して機能を発揮する。
細胞の一つ一つが意識と感覚を有しているかのように作用するが、諏訪先生によれば今回のウイルスは不完全ながら私のDNAをコピーして特性を一部発揮するものなのだという。
代謝の促進は自己修復機能のエラー、異常なウイルスの増殖は身体形成のエラー、感染能力は抑制機能のエラー、食欲増進は代謝による消費を超常的特性で賄い切れていないが故の対症療法だろう。
「ならウイルスの総量は40兆個位?」
『恐らくそうでしょう。無軌道に増えているように見えますが、数量は恐らく一定に保たれています』
ウイルス達が私の身体を形作ろうとしているということか…
「うー…やだやだ!気持ち悪い!」
ウイルス製の自分など、気色悪くて仕方ない
『ですが、恐ろしい技術です。不完全とはいえ博士の細胞を他人の身体で活性化させているようなものですからね』
「五木さんが泣いて悔しがりそうだね」
『そうでしょうね』
しかし…だ。
「制御出来ないんじゃただの病原体だよねぇ…」
『だから兵器に転用したのでしょう』
「皮肉なもんだね…」
時代の権力者達が求めた不老不死…その為に生み出された技術が人を殺す兵器になっているのだから…
「そんで、なんか対処法は思いついた?」
『アイデア自体はあります。博士は今感染されていますか?』
「うん、ばっちり感染してる。慣れては来たけど気持ち悪くて仕方ないよ」
『素晴らしい!』
「酷くない?!」
『いやいや、博士のその犠牲のお陰で事態が良い方に向かうかも知れませんから』
甲信研究所 温水プール
突然ですが皆さんは血風呂と言うのをご存じでしょうか?
そう、かのエリザベート・バートリや楊貴妃が嗜んだと言われるあれです。
効能は永遠の若さ(自社調べ)だとかなんとか…しかしあれはうら若き乙女の血液でやるもんであってアラサー(アラウンドハンドレッドサウザンド)の血でやるのは違うと思うんだ!
「そうは思いませんか?」
ハズマットスーツを着用した諏訪先生に問いかける。
「いやいや、全然十万歳には見えないです。とっても若々しいですよ」
「あらやだお上手なんですからぁ!…ていうかホントにやるの?」
「勿論ですとも!」
普段の紳士はどこへやら、完全にハイになっている様子の諏訪先生の姿に、私は聞こえよがしの溜息をついた。もう駄目だ…完全に本性が剥き出しになっている。
かつて諏訪先生が機構の敵だった頃、私達は彼をこう呼んでいた。
『マッドシーカー』
そう、狂った求道者と…
ストイックなまでの『未知』への飽くなき好奇心と他を厭わないその姿勢は数多くの犠牲者を生んだものだ。
なにせふと思い立った疑問の為に数百人を生きたまま解剖していたくらいだ。
結局彼の純粋な好奇心が企業の金儲けの道具にされ、彼の基準で無駄な殺人に使われていたことにショックを受けて私達の元に来ることになったのだが、好奇心を満たす快楽が彼の心に傷跡の様に残ってしまった。
今回のように大いなる未知が目の前に広がるとその傷跡が開き、未知への衝動が抑えきれなくなってしまう。
「…だから嫌だったんだよ、諏訪先生の好きそうなジャンル引き受けるのは…」
前回諏訪先生のスイッチが入ってしまった時は私と15人の特定調査員がばらばらにされて繋ぎ合わされてしまった程だ。
…まあお陰で特別管理事案を無害化出来たのは事実だが…
あの惨状を目にしたのに、ちょいちょいうちに諏訪先生の好きそうな事案を持ち込んでくるデリカシーの無い所長に今の私の怒りを向けるのは八つ当たりだろうか?
「博士、準備完了いつでもいけます!!」
エンジンカッターを手に、スーツ越しでも分かる満面の笑みを浮かべた諏訪先生が元気よく言う。うわぁ…ご丁寧に替え刃がカートンで用意されている…
「えっと…止めた方が良いんでしょうか…?」
困惑した様子の静代さんが尋ねてくる。
「うーん…ちょっと待って…本気でどうすべきか悩んでる…」
確かに諏訪先生の提案した作戦は有効そうではある。あるのだが、いくらなんでもこれはなぁ…いやでも今所内にいる皆を無事に外に出すにはこれしか無いだろうし…
「博士…」
「博士!!」
「静代さん」
「…はい」
「無事に解決したら皆で焼き肉行こう!」
「はい…?」
あーもう!女は度胸…!
「よっし!どんとこい!!」
長野県大町市 甲信研究所テロ対応仮設本部
信濃川水系高瀬川の支流である篭川は関西電力扇沢駅の真横を流れる一級河川だ。あまりメジャーな河川ではなく、地元民くらいにしか知られていないないだろうが、その左岸に地下陣地があることはもっと知られていないだろう。
ここを含めて長野県側に18箇所、富山県側に27箇所設けられた秘匿陣地は、甲信研究所及び黒部特別管理収容所に対する武力攻撃事態が迫った際の哨戒線及び前哨陣地として築かれている。
現在は雨傘製薬によるバイオテロ及びそれに付随して予期される武力攻撃の対処の為に周辺支部や研究所からQRF(即応部隊)が展開している。
また、運良く難を逃れた甲信研究所及び黒部特別管理収容所の研究員も事案の管理離脱事態に備えて待機している。
「…博士達、無事でしょうか?」
小笠原研究員が完全武装の大嶋調査員に問いかける。
「少なくとも、博士と静代さんは大丈夫でしょう。何しろほら、あれですから」
「…大嶋さんも知ってるんですか?」
意外だった。調査員はあまり大きな秘密を知ることは無い。
「昔、博士と一緒にかなりやばい事案の対応にあたったときに成り行きで」
「ああ…静代さんの時みたいに無茶した感じですか?」
「ですね」
容易に想像がつくと、彼女は内心に思う。彼女の憧れの博士は妙なところで度胸がある。
「今回は無茶して無いといいですけど…」
「大丈夫ですよ、あの諏訪先生がついてるんですから」
「そうですよね…」
常に冷静で穏やかな紳士がついていると思えば、少し彼女の気分も軽くなるような気がした。
「それよりも俺は小笠原さんの方が心配ですよ…寝てないんでしょ?」
「あはは…ちょっと眠れる気がしなくて…」
「ちょっとは横になって休んで下さい。博士達が無事に戻ってきたとき心配させたくないでしょう?」
小さく肯いて彼女は仮眠所へと向かっていく。
事件発生からもうすぐ60時間が経過しようとしていた。
守矢所長は難しい決断を迫られていた。
事件発生から二日半…本来の規定に則れば、研究所の緊急除染システムを作動させるべきタイミングであろう。
幸いな事にくろ収までは被害が出ていない現状において、システム作動が管理離脱事態を引き起こす可能性は極めて低い。
超高温燃焼剤による施設内の加熱とγ線照射による徹底的な除染はこの様な事態に備えて各研究所に構築されたシステムである。
あらゆるバイオ兵器を無力化しうるが、しかしそれは生き残った者達にも容赦なく降り注ぐ事になる。
安全だが生存者を見捨てる道か、危険だが生存者を救う道か…
「こんなことで迷っていたら、また皆にへたれ所長って言われてしまうね…」
それでも、彼は信じたいと思っていた。甲信研究所の切り札である二人の部下を…
等と浸っていると、直轄班の調査員が駆け込んできた。
「所長!大変です!」
(駄目だったか…?)
「そうか…分かった」
「は…?」
「駄目だったんだろう?直ちに緊急除染システム起動の準備を」
悔しいが仕方ない。信念を貫く事も大事だが、引き際を見極めるのは指揮官の勤めだ。内心にそう言った彼は宙を、仰いだ…
「…なんかかっこつけてるとこ申し訳ないですけど、除染出来たみたいですよ?」
「へ…?」
「諏訪主幹から連絡があって、鳥海のチームが今最終確認してるそうです」
「あ…あー、そう…いや、よかったよかった!」
生存者が研究所から退出するのを許可されたのは事件発生から70時間後の事だった。
「博士!!」
両脇を支えられながら仮設本部に入ってきた千人塚博士に小笠原研究員が駆け寄る。
「ひっ…あ、ああ…がっさん…」
「ど…どうしたんですか?」
「何でもないっ…!そう…何でもない…なんも無かったなんもなかったなんも無かった…」
「今はちょっと休ませてあげてもらえるかな?」
妙な様子の千人塚博士と妙に活き活きとした諏訪医師を怪訝に思ったものの、恐らく苦労したのだろうと思った彼女はその言葉に従った。
「…なんだか変な感じではありましたけど、一応無事みたいですね」
「そうですね…」
大嶋調査員の言葉に彼女は安堵の表情で返す。
「安心したら、私も眠くなって来ちゃいました…ちょっと休んできますね」
「ええ、まだまだ長いですから…今のうちに休んでおいて下さい」
バイオテロは終わったら終わったで色々やることは多い。特に今回のような事案性のバイオ兵器であれば尚更だ。
後始末は潟医研が担当しその間私達はよその研究所に厄介になることになった。私はご近所くろ収だ。
施設内を徹底的に除染し、隅々までスキャニングする。特定調査員を施設内で生活させ、感染の兆候が無いか調べる。
そうこうしている間に潟医研が今回のウイルスの機能を停止させる予防薬の作成に成功し、漸く私が研究所に戻ったのは事件解決から一ヶ月後だった。
「ふぃーっ帰ってきたぞー!」
早速いつも寝床にしている応接スペースのソファにダイブする
「うわっ!薬くせぇ!!」
私の寝床が…なんてこったい!
「博士ったら…はしゃぎすぎですよ?」
私に続いて到着したがっさんが笑顔で言う。
「おー!がっさん久しぶり!お帰り!」
「ただいまです」
「がっさんは南関東だっけ?」
「はい、ジェットババア捜索チームの手伝いをしてました」
「見つかった?」
「駄目ですね、手がかり無しです」
静代さんの一件が片付き、車両の準備も整って、さあ漸くというタイミングで突如姿を消したジェットババア…私達や南関東の専従チームの必死の捜索もむなしく、その行方は杳として知れない。
「そういえば…静代さんは?」
「大嶋君と東二研で妖怪ぶっ飛ばしてるらしいよ予定では明日帰って来るって」
「…規格外ですね」
「いやいや…それ程でもぉ~」
「うぉえっ!!ぎぼぢわりぃ…」
静代さんと大嶋君の声…あぁ、テレポート…大嶋君はアポートされた感じだろうか?
「二人ともお帰り、早かったね」
「佐伯静代ただいま戻りましたっ!」
「…本当は新幹線で帰ってくる予定だったんですけどね…あ、これ活動報告書です…」
「大嶋君…大丈夫?」
目が真っ赤に充血して、鼻血も出てる。
「割とだいじょばないです」
そう言って彼は向かいのソファにぐったりと座った。うん、どんなに急いでいても静代さんに送って貰うのはやめたほうがよさそうだ。
「おや、皆さんもう揃っているんですね」
ビクッと身体が跳ねる。やばいな、PTSDか?これ…
「あ、諏訪先生お帰りなさい」
「ええ、ただいま」
がっさんに穏やかな笑顔で返す諏訪先生だが…なんだろう、ギャップが凄い…DID(解離性同一性障害、旧称多重人格症)か何かだろうか?
「研究所復活のお祝いに市内でケーキ買ってきたのでよかったらどうぞ」
諏訪先生は潟医研のチームと共同で除染活動にあたっていた。
「わぁ…アン・マリーのケーキ!私大好きなんですよ!今コーヒー淹れてきますね」
無邪気に喜ぶがっさん…いや、アン・マリーは私も好きだけどさぁ…
そうこうしているうちにもどんどんメンバーが戻ってきて賑やかになってきた。
「…やっぱ、悪くないね」
「ええ、そうですね」
諏訪先生と短く言葉を交わす。
ただいま…心中に噛み締めるように、私は呟いた。
用語解説
『北アルプス重要防護圏』
甲信研究所及び黒部特定管理収容所を中心に設定された国際的な不可侵権を認められた地域及び空域
武装勢力による襲撃から当該地域を防護するために多数の秘匿陣地が築城され、域内におけるあらゆる活動が監視される。
超常戦、通常戦両面に対応する火力投射システムが配備されている。
世界で27カ所のみ存在するPgSLグループ5研究所であるため、国家間の如何なる紛争においても攻撃目標とする事が禁止されている。
『緊急除染システム』
『機構』の施設のうち、PgSLグループ3以上の施設に設置される除染システム
対生体と対科学剤に大別される。
対生体はγ線照射とテルミット系超高温燃焼剤による焼却、対科学剤は超高圧の中性洗浄剤による洗浄を行う。
どちらも超常及び通常両面での一定の効果が見込めるものの、施設内残余人員の生還は考慮されていない。
制御下に無い生物剤及び科学剤の漏洩が認められた場合、施設長もしくは次席者が60時間以内にシステムを稼働させるよう定められている。
『血風呂』
血液で満たされた浴槽
主に永遠の若さを得る目的で用いられる手法であり、処女の生き血を使用する事が好まれる傾向にある。
通常及び超常の医学・生理学において血風呂による老化の阻害効果は今のところ確認されていない。
また、不特定多数の血液を用いた血風呂は感染症のリスクが高く入浴は推奨されない。
『アン・マリー』
長野県大町温泉郷に所在する創業15年の洋菓子店
素朴な味わいながらも、パティシエの確かな技術を感じられる名店であると評される。
調査の結果、甲信研究所職員の約40%が過去に当該店舗を利用した事があり、更にその内の98%が複数回利用しているとされる。
フルーツをジャムやソースに加工して製品に利用する傾向が強く、その中でもラズベリーソースには未知の中毒性があるとの報告もある(新潟医療研究所による調査の結果、異常性は確認出来なかった)




