攻勢極限点
環境科学研究機構
海洋部洋上移動拠点 会議場区画
テレビで何度も見た顔の人物を人質にする。
なんとも現実離れした状況だと思いながら、彼は相棒の元に寄っていく。
「流石だね、計画通りだ」
そう言って微笑んでみせた相棒の姿に彼は眉をひそめた。
元々色白ではあるが健康的な色味を帯びていた肌は作り物であるかのようなブキミな白さを纏い、鳶色の宝石の様な瞳は凝った血を固めたかのように赤黒く変色している。
眼から、口の端から流れ出る血はまるで古代の呪いの如き紋様を成す。
それは彼女の本来の姿
しかし二人が斯く有ろうと定めたモノとは対極にある姿でもあった。
「何本使った?」
「三本……」
「無理するなよ」
「事が事さ、無理くらいするよ」
短い言葉は信頼の証
本意を汲んでくれるとお互いが思えばこそのやり取りである。
それでも言いたいことは山ほどあった。
「とにかく、とっとと終わらせて帰るぞ」
「ああ、エイト達も心配しているだろうしね」
だが今は仕事を終わらせるのが最優先である。
この仕事さえ終われば、彼女の……いや彼らの悲願は叶うのだからーー
見るからに強靱な2本の腕が敵の『チャッピー』を打ち据える様は格闘戦というよりも交通事故を見ている様な感覚を抱かせる。
純粋な筋力とウエイトが占める部分も大きいだろうが、それ以上に2本の脚部に加えて2本の腕で地面を確りと踏みしめているのが強力な衝撃力を生み出しているのだろう。
諏訪医師が持ち込んだ『チャッピー』は皮膜を持つ6本の腕を持っている。
『チャッピー』にしては巧みな格闘戦技、『チャッピー』にしても行き過ぎたパワーによって圧倒的数的優位を誇る敵の『チャッピー』を蹂躙していた。
「マースィィィイイ!! すっっっばらしい!!」
味方と分かった以上第8世代のコントロールを握っているマーシー教授を保護する必要がある。
そのため諏訪医師と共に纏めて藤森、大嶋両調査員が護衛しているのだが、あまりの騒々しさに『ニンゲン』の口の中に放り込んでしまいたい欲求を堪えて藤森伽耶は周囲を警戒する。
いつまた『ニンゲン』が船底を破ってくるか分からないからだ。
「これは各腕部の制御に脳を用いているのかね?」
「流石はミスター、その通りです! 並列にリンクさせた八つの脳をメインの拡張脳に接続しつつ運動制御に独立して使用しています。こうすることで身体操作能が格段に向上するのです!」
「マーシー……いや、理論的な部分も勿論だが実際に作り上げるとは……やはり君は天才だよ!」
調査員達の警戒をよそに当の二人は実に楽しげである。
お互いの作品を披露し合い讃え合う様は趣味人同士の理想的な有り様とも言えるだろう。
しかしその作品は中央倫理委員会が憤死しそうな程に非人道的享楽の賜物である。
現場というものをよく知る藤森をしてもなんとも言い切れない感覚を抱かざるを得ない光景である。
「では私の作品も皆に観て頂こう!」
マーシー教授が指をパチンと鳴らす
「いやだ……ここ、何処……」
「タスケテ……タスケテ……タスケテ……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「出してくれぇっ! 出せ! 出せ! 出せぇっ!」
「殺して……殺して……殺して……」
「お母さん……」
見た目は腕の長い屈強な『チャッピー』である。
特徴的な装飾の様に配された幾つもの口が一斉に言葉を発する。
「これは……まさか……!」
「その通り! 拡張脳以外の脳の自我を保存することで脳機能の萎縮を防いだのだよ! これによってそれぞれの補助脳が120%の性能向上を果たした! まさに神の僕に相応しい姿とは思わないかね!!」
「うわぁ……」
「聞かない方が良いぞ……? 気が滅入る」
彼女らの上司の千人塚博士はあまり生物系に強くないので忘れていたが、この業界はそういう連中まみれである。
その中においても悪趣味の煮凝りとでも呼ぶべき二人である。
まともに取り合っては身が持たない。
「そうか……! 機能は保存しつつも権限を拡張脳に置くことで機能不全を防いでいる!」
「マーシー! その通り! 補助脳をストレスフリーに保つことでこんな事も出来るようになるのだよ!」
もう一度マーシー教授が指を鳴らすとまるで器械体操の様に複雑な動作で『チャッピー』が敵に襲いかかる。
接敵挙動も攻撃動作も正確かつ繊細
あらゆる動作が大味な『チャッピー』とは思えないほどである。
グロテスクな製法を知ってなお、その動作には美しささえ感じてしまうほどだ。
「素晴らしい……なんと美しい……」
恐らく製法までも含めた上の感嘆として諏訪医師が言葉を漏らす。
「そうだろうとも! だが、主の僕たるモノとしては未だ不十分だ! なんとも素晴らしい事だとは思わないかね?」
「これでも足りないとは……流石です、ミスター!! 感服いたします!」
あくまで価値観の違いだ。
事実としてこの二人のマッドサイエンティストのお陰で避難は順調に進んでいるのである。
日々の過酷な訓練によって身につけた業として二人の調査員は感情の起伏を意図的に殺しておくことにした。
それは、どこか禅の境地にも似た心の運動であった。
指揮統制船 『みやじま丸』
「調定は適当で構わん! 兎に角落とせ!」
「アーセナルシップの離脱を急がせろ! 邪魔だ!!」
「南回りでアンノウン高速接近……200ノット?! む、無人機を急行させます!」
「方位0980、距離66800、深度800にアンノウン!」
「KP380起爆用意! 3、2……今!」
「第8艇隊を下がらせろ! 航空部の空爆来るぞ!」
正体不明のPSI能力者と『ニンゲン』による襲撃を受けていち早くメガフロートから離脱した『みやじま丸』は即座に対潜戦闘を開始した。
自衛用火器程度しか持たない『みやじま丸』ではあるが、海洋部の制式採用するRBU-6000『スメーチ2』対潜迫撃砲は装備している。
投射体こそ最新の90R1-Pではあるが、今や化石ともいうべき対潜迫撃砲である。
そこまで船足の速いわけでは無い指揮統制船に設計思想の古い沿岸部対潜兵器をもって戦闘の只中に突入したのは偏に状況があまりにも逼迫しているからだ。
数体の『ニンゲン』であればここまで焦る必要は無いし、襲撃の強度を鑑みてもそこまで大量の『ニンゲン』が海域に侵入しているとも思えない。
だが、問題は時期と海域である。
この時期の小笠原諸島は繁殖のために大量のザトウクジラが来遊する。
敵が潜水艦であれば問題にならないが、『ニンゲン』とクジラは非常に近しい大きさの上に、どうやらクジラの群れに紛れて海域に侵入しているらしい。
海上からの観測ではクジラと『ニンゲン』の区別など付けようが無いのである。
メガフロートに接近する生体目標の全てが潜在的な『ニンゲン』
そう想定すると尋常では無いほどの脅威がこの海域に集中している事になるのだ。
「福島船長! これは一体どういう事ですか?!」
そんな状況の只中にあって、呑気にヒステリーを起こした一団が福島船長こと六角理事に食って掛かる。
中央倫理委員会、PTAの一団であった。
海洋部の展開による環境負荷に対して勧告をしにきたタイミングでこの騒動に巻き込まれたせいでこの超常戦司令部たる『みやじま丸』に乗り合わせる事になった場違いな連中は先程から大騒ぎしている。
実に邪魔だと六角理事は彼らに向き直る。
「さっきっから喧しいな……何をそんなに目くじら立ててんだ? クジラだけに……ってか?」
本来ならば無視しても構わない程度の相手ではある。
それでも彼が対応をしようと思ったのは作戦行動のためである。
海域全体の戦闘を統括する『みやじま丸』の指揮所内で金切り声を立てられたのでは部下達の集中力が下がる。
関与する人数が格段に大きくなる海洋超常戦の場にあっては陸空以上に作戦単位それぞれが有機的に連携をとらねばならないし、この船はその最も枢要な役割を持っている。
幸いな事に作戦指揮自体は優秀な部下達のお陰で滞りなく進んでいるので、ユーモアの一つも交えながらお客さんの相手をするのも司令官たる器量だろうと彼は考えている。
「その通りです!」
「は……? その通りってのはどういう……」
「問題になっているのは『ニンゲン』でしょう!! 何故クジラまで無差別に虐殺しているのですか!! 直ちに攻撃を中止しなさい!!」
質はともかくとして、彼がクジラと言ったのはあくまでも場を和ませるためのユーモア、『おもしろ』である。
まさかそれが核心を突いていたとは思わなかった彼は一瞬言葉を失う。
「あー……え?」
「聞こえなかったのですか!? 攻撃を中止しなさい!! あなたにはこの命令を拒否する権限は無いはずです!」
表向き彼は海洋部の『船長』である。
制度上主幹研究員相当の階級であり、PTAの命令を留保する施設長権限は無い。
本来の業務であれば『船長』は研究室の指揮下に入ることが主なので、その上部の研究所長に頼るのだろうが、今回に関しては『事案』対応案件では無い。
そう思えばPTAの命令は制度に則ったモノである。
「いやいや、状況を考えてくれよ? 無茶だぜそれは」
それでも流石に従える様な話では無い。
最早事態は警備業務の枠を越えて超常戦の様相を呈している。
元々中央倫理委員会の設立は彼をはじめとした『機構』内における人道派と呼ばれる幹部達の働きかけによる物である。
本来として諏訪光司や茅野博士の様なマッドサイエンティストへの抑止力になればとの目的での設置だったのだが、ここ最近は専ら環境問題に御執心だと報告という名のクレームが理事会にも届いている。
独立性の高い組織構造にしてしまったせいで迂闊に解体というわけにもいかないし、理事会の強権発動による監察組織の解体となると組織運営上の反発も必至である。
施設長権限の拡大を含む緩やかな対応に留めて来た自分達の呑気さが今になって恨めしいと、彼は溜息をつく。
実際十河、五木両理事からはもっと抜本的な改革をそれとなく提言されてもいたのだ。
(しっかし……どうしてこういう連中はクジラだイルカだって話になると頭に血が上るかね……)
彼は副官として随行している秘書科隊員に目配せする。
「済みません、ここは危険なので防護区画へ御案内いたします」
どのみち、彼らが権限を行使すべき『福島船長』という人物は存在しないのだ。
防護区画で大人しくして貰って、後で書類上で『福島船長』を厳罰に処しておけば彼らの溜飲も下がるだろう。
「……無い」
そう考えた彼の中ではこの事態はもう終了だ。
この場の全員がそう考えた。
「どいつもこいつも……認めない! 強制執行!!」
海洋部職員の誰一人としてPTAが強硬手段に出るとは思っていなかったし、秘書科隊員ですらそれが銃を抜いての激しいモノだとは思ってもいなかった。
会議場区間
「『機構』職員にしては文化的だね、交渉をしたいのかい?」
立ち上がった私に女は言う。
複数の言語、最大まで加速した思考をもってしてもこちらの考えを読んでくる女
どうやらPKでこそ静代さんに及ばないが、ESPでは上回っているという事だろう。
交渉相手にするにはあまりありがたいタイプでは無さそうである。
「話が早いですね、てっきり問答無用かと思っていましたが」
「そうかい? 私はこれでも文化的な質だと思っているんだけれどね」
いきなり散弾銃をぶっ放しておいてよく言えたモノである。
あれが文化的であれば今頃中東はルネサンスや江戸の町民文化もかくやというほどに煌びやかな芸術が花開いていることだろう。
「ふふっ面白いことを言うね、勿論全てにおいて斯くあれるほど現実は甘くは無いだろう? 残念だが仕方の無い事さ……既に攻勢極限点は越えた。ここからは文化の時間だ」
「では単刀直入に言います。そちらの方を解放して下さい。この業界の人間ならば彼を害する事で何が起きるかくらい理解しているのでしょう?」
攻勢極限点は越えた……目的は達したという事だろう。
ならば破局的終末事態は敵の目指すモノでは無い筈だ。
「やはり理解が早いね、これ以上の戦果拡張は必要ないとも! 私達の目的は既に手の届く場所にあるのだから!」
「博士!」
私の前に飛び出した河西調査員の身体が大きく吹き飛ぶ
「河西ちゃん!!」
壁に叩き付けられその場に倒れる河西調査員……
その姿を見ていた筈の私の視界が激痛とともに宙を舞う。
「さあ、仕事は終わりだ! 邪魔者はお暇させていただくとしよう!」
そうか、目的は私か……
考えれば分かりそうな話だ。
『アゴ』の、四宮の意を受けているのであれば納得である。
実に不愉快だ
余裕の態度を崩さないこの女も
結局何も成せぬ己自身も……!




