国際会議 8
環境科学研究機構 海洋移動拠点
会議場区画 幹部職員食堂
テロの脅威、各国の軋轢、種々の不審な出来事があるとはいえ、今まで私が知り得なかった超常に関する知見を得られるこの会議は正直なところ楽しくて仕方ない。
『機構』にとっても国内の『事案』とは異なる海外の『事案』に対する知見を深める事は非常に優先度の高い事柄でもある。
複雑かつ高度に絡み合う現代の相互依存経済社会において物理的な『事案』の流入は不可避といっても過言では無い。
加えてネットワークを通じた情報性事案に距離的制約は無いようなものだし、あらゆる地域の情報に自由にアクセス出来る現代においては今まで神格としての力を振るい得なかった海外の神格性事案がその事案的特性を国内で発揮しうる事も危惧されて久しい。
空港検疫や税関への職員の浸透やネットワーク上の巡回、無宗教を是とする価値観の醸成等の対策によってそれらの危機は今のところ顕在化こそしていない。
それでも水際対策が絶対的なモノでは無い以上、対処の為に必要な知識はいくらあっても多すぎる事は無いのだ。
そのため今回の首脳会議に伴う下部会議や作業部会にはそれぞれの所掌のエキスパートが参加する事になっている。
私も珍しく専門の分野ばかりに触れていられるわけだ。
ほんと、いつもこうならいいのにね!
「博士、午後から別行動をしてもいいですか?」
そんなわけで『統一規格推進会議』で西洋人と激論を交わし終えた私は静代さん、安曇兄妹、川島くん、小県調査員とともに遅い昼食を食べていた。
「別に構わないけど……なんかあるの?」
どのみち私が参加する会議は今日はもう残っていないので、興味のある会議があれば見学させてもらう様に勧める予定だった。
そんな中での梓ちゃんの言葉である。
今日の午後と言えば……あれか?
「『ARRV向上化作業部会』にマーシー教授がいらっしゃるので一緒に来ないかって諏訪先生から誘われてまして」
あらら、やっぱり
頬を赤くしちゃってまぁ!
「枯れ専」
「修?! 博士、違いますからね! 純粋に超常医学に興味があってその、マーシー教授はとても凄い方なのでですね! だから……」
「大丈夫分かってるって! デート楽しんできなね?」
「だから違いますってば!」
天才安曇梓がまるで中学生の様にへどもどだ。
うーん、実にフレッシュな恋ばなである。私も若返る様な気持ちになってしまう。
「マーシー教授かぁ……班長もいるんで平気だとは思いますが、念のため壇上でトラブルがあったときの避難経路の確認をしておきましょう。図面あります?」
「はい!」
川島くんと小県調査員は早速警護のプランを話し合っている。
自慢じゃ無いが……いや、正直なところ大分自慢だが、うちの調査員の皆はKSSOF所属の調査員からも一目置かれるほどの精鋭揃いだ。
川島くんもその例に漏れず非常に優秀だし、田島くん亡き後のうちの調査員のNo.2兼狙撃担当を担ってくれている。
わりと不器用でイケイケドンドンな大嶋くんがトップなので彼や田島くんの様な器用で思慮深いタイプが付いてくれるのはバランスがいい。
加えて後輩の面倒見も良い。
梓ちゃんの警護については特に心配しなくて良さそうだ。
「いいですねぇ……皆さん青春してますねぇ……」
「急に婆臭い事言ってどうしたの?」
私が感慨深い心持ちで皆を眺めていると静代さんが嬉しそうな口調で言う。
顔はニヤニヤしていて締まりが無い。実にだらしない表情だ。
「言葉か考えか、どっちかはもう少し優しい言い方出来ません?」
「裏表が無いタイプだからね!」
「あぁ……単純なタイプなんですね」
「失敬な!」
とりあえず、修くんには好きなところを見学してもらうにしても、私はどうするか……
のほほんと平和な空気に浸りながら午後の予定を考える。
会議に付随する報告書の作成は面倒くさいので後回しにするとして、片切くんのところになんか甘いものでも差し入れしに行くか!
「おや、千人塚博士」
カツカレーをに舌鼓を打ちながら考えていると、穏やかな顔をした老人が声をかけてきた。
山陰研究所の物部博士である。
先に述べた様な外来の神格性事案の脅威は日本だけの問題ではない。
むしろサブカルチャーの源流となっている日本文化とともに現代的信仰の種となりうる種々の価値観が輸出されている事の方が大きな危機になっている。
そういった日本文化及び信仰の専門家として会議に参加すると言うのは聞いていた。
全部で3つ、それぞれ日帰りというとんでもないスケジュールだ。
自国開催であるがゆえの利点といえば利点だろうが、老人を軍用飛行艇で島根県から空輸する回数は少ないに越したことはないだろう。突然死したら目も当てられない。
「物部博士、ようこそ」
「いやいや最近はよく会うね」
そういう面で言えば今回の会合の担当が甲信研だったのは幸いだっただろう。
この様な日帰り出張の被害に遭わずに済むのだ。
「「物部博士!」」
「おや、二人とも元気そうだね」
「博士も」
「お元気そうで」
「「何よりです!」」
そういえば双子ちゃんの最初の職場は山陰研だったか
まるで久しぶりに再会したお爺ちゃんと孫といった雰囲気だ。
実際双子ちゃんの山陰研配属は13才の頃の筈だったからそれに近い感覚もあるのかも知れない。
本来ならばもっと子供らしく生活するべき時期に『機構』という特殊な環境に放り込まれ、大人たちに混じって生活しなければならない状況下にあってこの穏やかな老博士が彼らの支えになっただろう事は想像に難くない。
「ほっこりしますね……私もお爺ちゃんとお婆ちゃんを思い出しちゃいました」
静代さんが優しげな、それでいて少し寂しそうな目をする。
「えっと……飴玉いる?」
「いや、いきなり何です? あー……博士は私にとってお姉さんみたいな人ですんで」
こちらの思考を読み取ったのか、そんなことを言う静代さん
うーむ、逆に気を使われてしまった。
「物部博士! 何してるんですか!」
駆けてきたのは物部博士と同じく山陰研の土御門博士
確か、彼の今回の役割は……
「急ぎでは無いので構いませんよ」
「うぇ……」
帝の介添えだ。
「みか……て、天皇陛下ですか?!」
流石は明治生まれ
皇室に対する畏敬は現代人の比ではないらしい。
「はかはか……博士! ぶぶぶ無礼ですよ!」
「そうは言ってもねぇ……」
大分狼狽えている静代さんは一先ず置いておくとして、新たに即位したこの帝も先帝と同じく穏やかそうな顔をしている。
資料から読みとく限り見た目通りの人柄であることは間違いない。
私のこの気分は彼個人の人格に関わるモノではないのだ。
どの過去を切り出しても、私と天孫の血筋はあまり良い出会いをしていないのである。
まあ、過去は過去と割り切ってしまえば良いのだ。
本来なら、この国の最も有力な超常研究の後ろ盾である皇室にはもっと敬意を払うべきだということは私も十分に分かっている。
「いえ、お気になさらず。千人塚博士の事は上皇陛下からもよく伺っております」
ではなぜかと言えば、純粋に苦手なのだ。
私と皇室の関わりが再び深くなった孝明帝の治世以降歴代の帝とは諏訪との間を取り持つ為に何度も顔を合わせてきている。
今上とは今回が初ではあるが、彼の父親である上皇とは皇太子時代から面識があるし一緒に仕事をした回数もなかなかのものだ。
その度に思うのは彼らの人柄の在りようについてである。
それは武家政権が続く中で皇統を絶やさぬように身につけた処世の業か、それとも永き時を国家安寧の祈りに捧げた賜物であるのかは私には分からない。
ただ、奇妙なほどに清らかに過ぎるのだ。
もちろん表の世界で認知されているような日本国民統合の象徴たる姿や、天孫として祭祀を司る宗教指導者としての姿から見れば違和感はない。
だが、実際は超常の世界に対して大きな影響力を持つ団体の長であり、旧陰陽寮と神宮という神格性及び伝承性事案性事物に対する組織を統括しているのだ。
確かに純粋という事で言えば、この業界の研究者はみな純粋だ。
それに善意という事で言えば、大多数の超常関係者の行動は『よかれと思って』成されていることを思えばそれも良い。
ただ、この業界に関わる人間であれば少なからず纏っている諦念にも似た狂気
高位の神格性事案ですら例外ないそれは隠そうとしても隠せるようなモノではないのだ。
立場を考えれば皇室とて例外では無いはずなのだが、彼らにそれは無い。
あくまで感覚的なものだが、それ故に不気味だ。
本来ならば美徳ではあるのだろうが、どうしても苦手に感じてしまう。
少し言葉を交わして貴賓室に去っていった帝とその一行……皇宮護衛官やらなにやらで随分と賑わってしまった。
「なんや、空いてるかとおもったら結構混んどるなぁ」
「いやぁ、お腹すいたぁ!」
「おや、千人塚博士!」
入れ替わるようにやって来たのは加西調査員達と所長、羽場主務だ。
彼らも昼食を後ろ倒しにしていたらしい。
所長の午前中の予定は個別の会談だった筈だ。
朝一が台湾総督府の超常対応部局との『事案』移送事業に関するもので、それに引き続きインドの超常管理組織『互助教団』との会談だった筈だ。
「会合盛り上がった感じですか?」
さも当然の様にテーブルを寄せて隣に座った所長に尋ねる。
「うん、インドの代表と映画の話で盛り上がっちゃってね、今度一緒に映画を観に行こうって約束しちゃったよ!」
「うん、仕事は?」
誰とでも仲良くなれるのは結構な事だ。
特にこういった場ではとても大事な能力だとも思うが、呑気が過ぎる彼の場合本来の役割を忘れてはいないかと心配になってしまう。
「もちろんバッチリだよ! 人材交流で上座部仏教とヒンドゥーの専門家を派遣してもらえる事になったし、日中印首脳会談の開催も前向きに考えて貰えたみたいだしね」
「へぇ、流石ですね」
本人の呑気さは生来のもので仕方がないし、随員が補助すれば良い部分でもある。
だが、表の世界と同様に対立することが多い中印の超常管理組織の首脳会談という環太平洋地域の超常安全保障にとって非常に重要な課題を前進させられる天性のバランス感覚による外交能力は彼の強みだ。
呑気さと同じく人柄に根差したものである。
人格に問題のある天才達の煮凝りとも言うべき『機構』において外交・外事担当の九重理事が最も頼りにする外交官の一人と呼ばれるだけのことはある。
「ほえぇ……実は凄い人なんですね、所長って……意外です」
私の考えを読んだ静代さんが感嘆の声をあげる。
「うーん……貶してる?」
「あ、いえそういうわけじゃ」
普段の姿と成果のギャップが凄すぎるので然もありなんといったところだろう。
「あれ……? 博士、あの人って……」
ふと、静代さんが食堂の入口を指差して言う。
そちらを見ると、昨日トイレで見かけた美人さんの姿があった。
「『機構』の人だったんだね」
見覚えこそ無いものの、そもそもが巨大な組織である。
「なんや、知り合いか?」
「いや、見かけた事があるだけだよ? どこの人なんだろ?」
「「凄い美人……」」
南の海でロングコートを羽織っているのは変わっている様にも思うが、お洒落は我慢だとマンガで読んだことがある。
事実凛とした雰囲気が際立っているので正しいコーデなのだろう……多分!
髪の毛で顔の右半分が隠れているものの、逆にそれがパリコレ感を醸し出している。
きっと歩き辛いのも我慢しているんだろう。
お洒落さんって凄いなぁ……
私たちの視線に気付いたのか、こちらに歩いて来る美人さん
ちょっと不躾だったかな?
「……川やん」
「ええ、小県さん」
「はい」
調査員の皆が立ち上がる。
「皆さん、こちらへ」
羽場主務が私たちにも離席を促す。
いつの間にやら静代さんが私と美人の直線上に立っている。
「え……? どうしたのーー」
私が疑問を口にしたのとほぼ同時に鳴り響く野太い炸裂音
「伏せて!」
静代さんの声と共に不可視の力で地面に引き倒される。
されるがままになりながら見ると、静代さんが美人の方に駆け出していくところだった。
敵の足元には川島くんと小県調査員が倒れている。
生きてはいるようだが、敵の手に握られているのは散弾銃……
「あかん!!」
無意識に彼らの元に向かおうとしていた私を加西調査員が引き留める。
「まだや! 静代さんが始末をつけてからや!」
彼女の言う通りだ。
静代さんが向かったのだから、敵を排除するのにそう時間はかからないだろう。
でも……どうか、なるべくはやく……
振り下ろされる力を己の力で相殺
基本中の基本の戦い方ではあるが、それでもあまりの圧倒的な力の差ゆえに眼と鼻の粘膜から勢いよく血が噴き出す。
(相変わらずの化け物だね……)
足元に敵の仲間が転がっているお陰で幾分か力をセーブしているようではあるが、それでもこれ程である。
(クスリの効果があるとはいえこれ程力の差があるとは恐ろしい)
あくまで牽制的な力の行使ではあるものの、いつまでも持ちこたえられる様なモノではない。
彼女と敵の間にはそれほどの力の差がある。
(だが、それは折り込み済みだ!)
敵のアドバンテージが圧倒的な力だとすれば、彼女のアドバンテージは情報と技術である。
全身を押し潰さんばかりの力の流れを、源たる怪物の思考を読み取り、少しでも抗力の少ない場所を辿って間合いを詰める。
振るうのは、不可視の力ではなく拳ーー
「静代さん!!」
ただ、殴られただけ……少なくとも私からはそう見えた。
死者である静代さんを打撃によって無力化するためにははっきりと見てとれる程に破壊しなければならない。
生者にバランスが傾いてきているとはいえ、生理学的機能依存しない彼女である。
弱点である肉体を守る為に全身に物理的干渉を引き起こす程の強大な精神エネルギーを纏わせている以上、諏訪先生やマーシー教授の作る第8世代のチャッピーですらダメージを与える事は不可能である。
そう、不可能なはずなのだ。
その場に崩れるように倒れた静代さん……ただの一撃の打撃で起きたあり得ない出来事
鳴り響く警報の中、こちらを見据えるあの女は眼と鼻から出血しつつも確りとした足取りでこちらに向かってくる。
一体この状況はなんなんだ……?




