不完全な不死 1
甲信研究所 千人塚研究室
「それじゃあ、お疲れ様でした」
「はいお疲れ様、明日も宜しくねぇ」
がっさんを諏訪先生と静代さんと一緒に見送る。
「さてと、それじゃあ私も当直室に移ろうかな…静代さんはどうする?」
「あ、一緒に行きます!」
身体検査の結果静代さんは死体らしい。検査を担当した潟医研の研究者も首を捻っていたが、しかし同時に生存もしているそうだ。
訳の分からない状況だが、スタッフとして参加している以上そこまで急いで調べる必要も無いだろう。
とりあえず睡眠が必要が無いのを活かして勉学に励んでいる。現在は調査員としての雇用だが、ゆくゆくは研究者になりたいらしい。
私も睡眠をとらなくても死ぬことは無いが、眠気は人一倍どころか百倍くらいある。実に羨ましい。
「それじゃあ私も医務室に移ります、お疲れ様でした」
今週は私が研究所当直司令、諏訪先生が医務室当直に上番している。
当直司令とはいってもやることは特に無い。研究所及びくろ収での管理離脱が起きたときの初動対処要員…要するにお留守番だ。
「えっと…当直メンバーはどこの班だっけ?」
「真田博士のところの人達じゃなかったでしたっけ…?」
当直室に向けて静代さんと歩いていると、正面から今にも倒れそうな研究者が歩いてきた。
小諸主幹医療研究員…木曽博士のところの医療チームの責任者だ。
「あ、小諸先生…大丈夫ですか?」
「あ…どうも…いやここ最近まともに眠れていなくて…」
「あぁー…雨傘の…」
「はい…」
諏訪先生に代わって雨傘製薬からの押収品の担当をしているらしいが…
「そんなに沢山あるんですか?」
「ええ…あのアホ所長…ちょっとだからって言うから引き受けたのに…」
「あー…」
「とりあえずあと2件ですから…これから次のケースを開けに行くところです…」
「なんていうか…お疲れ様です」
小諸先生を見送る。うん、断っておいてよかった…
「大変ですね…ぶらっく企業って言うやつですか?」
静代さんは静代さんでどこでそんな言葉を覚えたのだろうか…?
甲信研究所 当直司令室
「博士、お茶飲みます?」
「ありがとう、お願い」
「えっと、煮詰めたのかってくらい濃いやつでしたっけ?」
静代さんにサムズアップで答える。
時刻は午前二時、草木も眠る丑三つ時だ。こんな時間に呪いのビデオの中の人と過ごすなんて中々に趣深い。
静代さんとともにお茶を啜りながらのんびり過ごしていると、内線電話が鳴った。
「はい当直司令室千人塚です」
『医務室の諏訪です。健康状態の確認です』
当直要員の健康チェックは2時間に一度だ
「難しい質問だね…体温20℃、血圧10前後は健康なのか…」
『ははは、その様子だと問題無さそうですね』
「当直班のみんなも大丈夫そう?」
『ええ、退屈で死にそうなので治療してほしいって言われましたよ』
「うん、平和だね!」
『そうですね…では、深夜ラジオがいいところなので失礼します』
「はーい、お疲れ様」
受話器を置く。こんな山奥の地下施設で全国のラジオ放送、テレビ放送を楽しめるとは便利になったものだ。
ふと監視カメラを見ると、小諸先生が低脅威事案残置所から出て来るのが見えた。恐らく最後の押収品だろう。
ほんとお疲れ様です…
甲信研究所 医務室
深夜ラジオを堪能していた諏訪光司医師の耳に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
管理コンソールにはバイオハザードマークが表示されている。
(まずい…!)
彼は迷わず施設のロックダウンボタンを叩くように押し込んだ。
甲信研究所 当直司令室
誰かが持ち込んだ漫画を読んでいると警報音が耳に飛び込み、続いて『セキュリティロックダウンを開始します 対処要員は所定の手順に則って冷静に行動して下さい 対処要員以外の人員は指示があるまで待機して下さい』と無機質なアナウンスが響いた。
管理コンソールはバイオハザードの標示と『SecurityLockdown MedCo』の文字を示している。
恐らく空調システム内のセンサーが未知の細菌やウイルスを検知したのだろう。
「は…博士…」
「大丈夫、私達には影響無いから」
不安そうな視線を向けてくる静代さんに言う。何しろリビングデットとアンデットだ。
先ずは状況の確認の為に諏訪先生に電話する。
「諏訪先生、状況は?」
『空気中に正体不明のウイルスが検知されました。こちらから施設のロックダウンをしたので拡散は防げたはずです』
「分かった。通信をオンラインにして調査を始めて」
『分かりました。お気をつけて』
「それはこっちの台詞だよ」
続いて当直室に電話する。
『はい、こちら当直室』
「当直司令だよ、そっちの状況は?」
『今のところ異常はありませんが、一応全員レベルAハズマットスーツの着用を進めています』
「了解、通信をオンラインにしてそのまま進めて?着用が済んだら手順通りにロックダウンの確認と巡察をお願い」
『了解しました』
うむ、流石にみんな優秀だ。電話を切って息をつく。
「さてと…」
「あ、私も手伝います!」
「いやいや、私達に出来る事は何も無いよ?」
「へ?」
「あとやることは関係各所に通報するだけだし」
実際に調査をするのは諏訪先生だし、バイオテロの場合、後の本攻撃に備えるのは当直班の仕事だ。
静代さんへの説明と通報を終わらせて待機していると、当直班から連絡があった。
『博士、巡察中異常を発見しました』
「大丈夫だった?!」
『え…ええ…しかしなんというか…』
訓練された優秀な兵士である調査員が口ごもる。らしくない
『その…職員が人型の事案らしき物に襲撃されていたのでやむなく射殺したのですが…どうやらその事案が小諸主幹だった様で…』
「…分かった。ボディカメラの映像を確認してみる。そっちは周囲を警戒しながら現場の保存に努めて」
通信を終えて件の調査員のボディカメラの映像をチェックする。
「何これ…」
「人を…食べてる…?」
映っていたのは泣き叫ぶ研究員とそれを生きたまま喰らう小諸先生の姿…
「何やらやばげだね…」
カメラの映像を転送しつつ諏訪先生を呼び出す。
「諏訪先生、大丈夫?」
『ええ、どうしましたか…?』
「今そっちに一個映像を送ったから確認してみて」
『これは…いやそうか…そういうことか…』
何やら納得した様子で諏訪先生が唸る。
「何か分かったの?」
『ええ…当直班に連絡して小諸先生の遺体をこっちに運んでもらって下さい』
「分かった。手配する」
『恐らく今回の事は雨傘製薬の攻撃です』
当直班に連絡を終えた後に諏訪先生が説明を始める。
『連中の常套手段で、自分達の研究成果を奪わせてそこにバイオ兵器を仕込んでおくというものがあります。恐らく今回はそれを仕掛けられたのでしょう』
「じゃあ、このウイルスは雨傘製薬のウイルス兵器って事?」
『断言は出来ませんが恐らくは…それ以外にここにウイルスを持ち込む方法はありませんから』
「じゃあもしかして小諸先生がおかしくなったのは…」
『ウイルスの作用によるものの可能性があります。彼は一番長い時間押収品に接触していましたし、寝不足で抵抗力も落ちていましたから』
だとすれば…ウイルスが仕込まれていたのは最後の押収品か…いや決めつけはよくないな
「直前に小諸先生が調べていた押収品もそっちに運んでおこうか?」
『お願いします。発生源の究明に繋がりますから』
「了解、手配しておく」
甲信研究所 医務室 陰圧室
現在までで判明しているのは、当該のウイルスが非現実性変異を起こしたバクテリオファージであるということ
感染者は脳の前頭前野、室傍核、腹内側核が萎縮すると同時に外側野、大脳皮質が活性化して強烈な食欲に襲われる。実際の摂食後は満腹中枢が機能せず同時に側座核や腹側被蓋野の部位から過剰な快楽物質が分泌されるということ
全身の代謝が異常なまで増進されるということ
それによって外傷が瞬く間に治癒するということ
他種の抗原に対しては当該ウイルスが免疫としての働きを見せること
ウイルスの増殖速度が異常に速く、その増殖が質量保存則を完全に無視しているということだ。
八体目の検体の解剖を終えて、諏訪医師は小さく溜息をついた。
事態の発生から26時間が経った。研究所の外では鳥医研と潟医研からのQRFチームが封鎖と支援を行っているが、それでも事案性の兵器級ウイルスだけあって解析が遅々として進んでいない。
(考えろ…私ならどうデザインする…?どこに道を残す…?)
事案とはいえ恐らくは雨傘製薬の『製品』だ。必ず自分達やクライアントの安全を確保するための方法があるだろう。
免疫の確保は不可能…だとすれば治療薬を作るための隙が必ずあるはずだ。
甲信研究所 当直司令室
よろしくない…非常によろしくない…
「大丈夫ですか?」
「無理ぃ…気持ち悪いぃ…」
満腹と空腹が軽やかに行ったり来たり…瞬時に感情的になったり落ち着いたり…
ウイルスの影響は諏訪先生から逐一報告を受けていたが、私の場合こういう形で影響が出るのか…しかし私の免疫でも排除しきれないとは、随分とやばいウイルスの様だ。
「静代さんは大丈夫?」
「今のところは特に…食欲って物が無いからでしょうか?」
「そっか…食欲増進させようにも脳自体が死んでるから増やしようが無いのかぁ…」
記憶や思考はどこに?というのは置いといても羨ましい限りだ。
「代謝も…して無さそうだね」
全身の細胞が機能を停止している強みがこんなところにまで…いいなぁ…
「むしろ博士がそんなに苦しんでいるのが驚きです」
「いや、私の場合死なないしすぐ治るってだけで辛い物は辛いのよ…」
食べなければひもじくて辛いし、寝なければ眠くて辛い。痛いのも苦しいのも全部感じる事になる。
寧ろ死なない分余計に辛い
ただウイルスに関しては私の身体の免疫機能的に侵入すら出来ないはずなのだが…
試しに何度か採血して調べて見たところ、血中のウイルスは一定量以上増えてはいないが…いや、むしろ考え方を変えるべきだろうか?
「生物は専門外なんだけどなぁ…」
甲信研究所 医務室
質量保存則を無視した増殖…だが空間がウイルスに埋め尽くされていないのはなぜだろうか…
諏訪光司医師は一つの疑問に行き当たっていた。
いくら小さいとはいえ、この増殖スピードであればこの研究所が飲み込まれていても不思議では無い。
代謝の促進…異常な増殖…免疫作用…食欲増進…理性の破壊…
兵器としての利用という面で考えると、無駄が多いようにも思えるこれらの特性だが、果たしてそこに込められた意味は…
(時間があまり無いな…)
現状職員の感染者は防護服の着用が間に合わなかった一部の者に限られてはいるが、それでももうすぐ40時間が経とうとしていた。機構のハズマットスーツは長期着用を念頭に設計されているものの、訓練を受けていない者がこれ程長時間着用するのは厳しいモノがある。
せめて何かヒントは無いものだろうかと、顕微鏡を覗き込んだ彼は押収品コンテナ内の残留物の中に見慣れた細胞を見つけた。
「まさか…そういうことか…」
用語解説
『当直』
夜間における『機構』施設の責任者及びその補助を行う要員
17時半~8時半までの間に施設内における事案の管理離脱事態、敵対要因による襲撃に対応する。
研究室長たる主務研究員または主幹研究員が当直司令として、医師免許を有する主幹医療研究員を医務室当直として、一個小隊ないしは二個小隊の調査員が警衛要因としてそれぞれ3日間上番する。
比較的安全な上に夜勤手当、当直手当が支給され、下番後は3日間の休暇が付与されるため、美味しい勤務であると評される。
『QRF』
緊急即応部隊、Quick Response Forceの略称
『機構』におけるQRFは各支部及び各研究施設、管理収容施設毎に編成される。
概ね増強二個小隊の直協職種調査員または中級超常戦課程を修了した全般職種調査員及び研究室長たる主幹研究員又は主務研究員を当直とは別に交代制で上番させ、担当区域内における事案及び敵対勢力の武力攻撃の初動対応にあたる。
出動命令下達後30分以内で出動する必要があるため上番中は泊まり込みになる。
『機構』の特別勤務で最も殉職率が高い
『広域情報収集システム』
『機構』の電波傍受システムの余剰リソースを用いて極東地域のテレビ及びラジオ全てをほぼリアルタイムで受信するシステムの名称
『事案』の兆候を広く捕捉するために構築されるが、平時は職員の娯楽の用に供されている。
施設の所在が厳重に秘匿されているためか、過去にNHKの受信料の徴収が訪れた事は無い。




