山の怪 3
新潟県南魚沼市域 関越自動車道
大和PAを越えて私の運転するクラウンは関越道を猛スピードで駆け抜けて行く。
元々夜間ということもあり交通量は多くない上に、それぞれのICではNEXCOの職員に偽装した新潟支部の調査員が車両の流入を防いでくれている。
加えて覆面パトカー仕様のこの車両である。
皆道を譲ってくれるので他の交通を気にする必要が無いのは非常に有難い。
とはいえ、だからといってがっさんの様に限界走行なんて私の技量では出来やしない。
路面がガタガタの関越道であれば尚更だ。
それでも200km/h近い速度で走っている以上、目的地まではもうすぐだ。
「諏訪先生、梓ちゃんの容態は?」
「この場で出来る応急処置はやっていますが……一刻も早く手術しなければ危険です!」
『ヤマノケ』に寄生された場合、現地で行いうる応急処置はあまり多くない。
非現実耐性薬の大量投与と拡張AEDによる頭部への侵襲性パルスを用いて症状の進行を遅らせる事くらいしか出来ないのだ。
設備の整った施設であれば脳に直接『ヤマノケ』の逆位相信号を打ち込む事での治療が可能だが、諏訪先生の言う通りその為には一刻も早く医療センターに到着せねばならない。
医療センター側からも長岡南越路スマートICまで高度遮蔽高規格救急車を派遣してくれるとの事だが、油断は出来ない。
何しろがっさん達から『ジェット婆』接近の報が届いている。
『ジェット婆』対策の取れていない車両にペーパードライバー……追いつかれてしまったら……終わりだ。
スピードを維持したまま青浦トンネルに突入すると、前方に低速の大型トラックが見えた。
おそらく降りそこなった車両だろう。
それでも流石はプロドライバーだ。速度を維持しつつも、車体を車線の左側に寄せてこちらが通りやすいように配慮してくれている。
心中に感謝しながら追い抜く。
丁度小出トンネルの入り口辺りだ。
この先は道路の起伏やトンネル、カーブが連続する私にとっては最後の難関である。
ふとバックミラーを見ると、なんだろう……火花のようなモノが……
バランスを崩して横転するトラック……その意味を察して私は反射的に視線を右に向けた。
が、それが間違いだった。
極端なまでの前傾姿勢
とてつもなく大きなストライドは、しかし人の域を遥かに凌駕する回転数をもって大地を蹴る。
結われた髪も、着物も、必要以上に乱れる事なく安定感と絶対的な実力を感じさせるフォームはある種息を呑むほどの美しささえ感じさせる。
だが、不自然な角度で曲げられた首、そしてその先に付いているニタニタとした笑みを張り付けた顔面は、美しさなど程遠い……不快極まり無いものだ。
『ジェットばばあ』その顔貌を視認してしまった。
私は小さく舌打ちを打つ
トンネルの天井を走るとか……出鱈目すぎるだろう。
「二人とも、右を見ないで!」
「分かりました。アクセルを!」
「……?」
諏訪先生の指示にとりあえず従う。
次の瞬間、轟音とともに私の視界が暗転する。
なるほど、そういうことかと納得しつつ、アクセルは極力一定になるようにしておく。
ハンドルは……諏訪先生がどうにかしてくれている様だ。
頭が元に戻ると、車内が私の血で真っ赤に染まっていた。
うん、非常に運転しにくい……だが
「ありがとう、助かった」
「いえ、気をつけて」
私の様子からすぐに察して対処してくれた諏訪先生のお陰で先程のトラックの二の舞にはならずに済んだようだ。
散弾銃で私の頭を吹き飛ばして『ジェットばばあ』の影響下から離脱
よい子は真似しちゃダメな手法だ。
修くんは事態が飲み込めないのか目を白黒させている。
私の体の事を知らないのだから無理もないだろう。
極力視界を下に落としながら走行していると、ふと周囲が真っ白に染まっている事に気が付く。
『……ウ00 リンドウ60 送れ』
今まで沈黙していた無線機から片切くんの声
「60 00 送れ」
なるほど、概ね事情は察した。
『は、博士! UAVのし、し、識別灯につ……続いて下さい。それと、あの……タブレットにレーダーイメージを送信します』
「わかった。誘導は任せるね」
『北アルプス重要防護圈』の防空と対地航空火力を担うUAVユニット『SIDOU(捜索・情報・攻撃・観測ユニット)』
常時滞空状態にあるそれのうちの一つを此方に送り込んでくれたようだ。
有事において600機からなる無人機を投入可能な『北アルプス重要防護圈』であるが『SIDOU』はそれらの子機を統制する中核機である。
予備機との交替こそあれど、24時間365日稼働しているが故に即時の投入が可能だったのだろうが……その重要性を考えると良かったのだろうかという気もしてくる。
ちらりと見えた桃をモチーフにしたロゴマークは主として対地攻撃と低空域防空を統制する『WEST』だろう。
しかし、統制機『イサセリヒコ』は遠隔操縦機体だが大型の機体である。
そう考えると今私の目の前で煙覆と誘導を行っている機体は護衛と中継を担う『ワイルド・ドック』『ウィング・バード』『ウォーリー・エイプ』なのだろうが、ASMに大型の可変翼と武装を施し、AIによって制御されるそれらにここまで複雑な機動が行えるとも思えない。
普段は『イサセリヒコ』のウエポンベイに格納されて必要に応じて射出されるそれらはホットゾーンへ高級な『イサセリヒコ』を直接投入しなくても済むように配備されている。
お値段が控えめな分、性能もそれなりの筈なのだが……
「片切くん……もしかして『WEST』全部手動で操作してる?」
『え……あ、は、はい……す、すいません』
「ううん、お見事!」
流石はゲーマーだ。
前に八個のゲームを同時にプレイしているのを見たときは流石に少し引いたが……
二機で煙覆と誘導、残る一機の機銃をもって『ジェットばばあ』の牽制、その間も『イサセリヒコ』のコントロールを平行して行う……リアルタイムで操作の反映されるゲームとは異なり、通信によるラグまでも計算して行われるそれらは正に神業である。
『リンドウ00 リンドウ01 右車線を開放せよ!』
「リ、リンドウ00 了」
無線から聞こえたがっさんの声にしたがって慌てて左車線に入る。
爆音とともに右側をパスしていく何か……
『リンドウ10 リンドウ01 準備よいか 送れ』
『10 01 しばし待て!』
大嶋くんの声が聞こえてしばらくして、もう一度爆音とともに何かが右車線を抜けていく。
『10準備よし! ……本当にやるんですか?』
『腹を決めてください! 行きますよ!』
タブレットの方を見ると車両二台が並走している様子が映っている。
誘導のUAVと『ジェットばばあ』の間に立ち塞がる様な形だが、一体何を……
思う間に一台が加速していく。
遅れてもう一台が加速
先行車が『ジェットばばあ』をヒラリとかわして先頭に立つ
闘争心を刺激されたのか『ジェットばばあ』が先行車を抜かしにかかるが、執拗なブロックによって阻まれる。
『3、2、1、今!!』
先行車の急減速
後続車の急加速
二台のGTRと『ジェットばばあ』の位置関係は、直線
『ジェットばばあ』を狭窄する形で衝突するGTR
「がっさん?! 大嶋くん?! 何して……大丈夫?!」
『やったっ! 博士! 捕まえました!』
『マジかぁ……まさかうまく行くとは……』
『ジェットばばあ』の捕獲……ごりごりの力業で行われたそれに対して、聞きたいことは沢山ある
「あんまり無茶しないでよ……心臓に悪いなぁ……」
が、今言えるのはこれくらいだ。
主幹に昇格したがっさんは今後研究室を任される事になるだろうが、大分型破りな職場になりそうだ。
『は……博士、もうすぐ、その……長岡南越路です』
「うん、皆ありがとうね!」
これでひと安心だ。
『いえ、私達は『ジェットばばあ』の拘束にかかりますんで、梓さんをよろしくお願いします』
あとは多元座標固定杭で事案的特性を封じ込めれば単なるフィジカルエリートのばばあに過ぎなくなる。
煙覆していた機体が離れて視界が開けると、スマートインター周辺に輝く幾つもの赤色回転灯が目に入った。
新潟支部と医療センターの車両だろう。
「片切くんもエスコートありがとうね」
『いえ、か、歓迎会も……その、していないので』
中々に小粋な事を言って、護衛機も翼を振って高度を上げていった。
『お……おい……嘘だろ……』
『大嶋さん! アクセルを!』
『全開にしてます!』
『合図でフルブレーキします』
『了か……な……くそっ!!』
インターに向けて減速していた私の耳に入ってきたのはがっさんと大嶋くんの緊迫した通信
それに続く衝撃音
『大嶋さん!』
『博士!』
最悪のタイミングだった。
支部のパトカーによって誘導されていた私たちの元に高速で接近した『ジェットばばあ』
とっさに目を反らした私は無事だったが……
減速したとはいえ、時速は100km
その速度でコントロールを失ったパトカーが衝突する。
私の操作を無視したかのように暴れまわる車両
駄目だ……無理だ
そう判断した私はシートベルトを外して後部座席の三人に覆い被さる。
頼む……皆、無事で……
焦げ臭い香り
安曇修はその不快感とともに意識を取り戻した。
「修くん……大丈夫そう?」
「千人塚……博士……?」
彼ら三人を抱き締めるように庇っていた上司が彼の覚醒に気付いて優しい声をかけてくる。
「ほら、迎えが来たよ……行こう」
駆け付けて来た新潟支部の要員が大破したクラウンから彼らを引っ張り出す。
「諏訪先生は梓ちゃんの方をお願い」
「かしこまりました」
見るからにぼろぼろになっているのにも関わらず、彼の上司である千人塚博士は助け出されてすぐに現地の人員に指示を出していく。
場馴れ等というありがちな言葉では表せないほどに滑らかにこなされていくそれは、千人塚博士という人物が『機構』においてただの主幹研究員に似つかわしくない程の扱いを受けている理由の一端であるのだろうと彼はその姿を眺めながら思う。
「修くんは梓ちゃんについててあげて」
「い、いえ……俺も一緒に……」
「大丈夫だよ、私達もすぐに戻るから」
そう言って微笑んだ千人塚博士は遅れて到着した藤森調査員から無線機のレシーバーを受け取る。
「放送 放送 案件1010対応中の全『機構』職員へ こちらはリンドウ00 これより本案件の指揮はリンドウ00が執る」
その姿はいつも見ている怠惰で剽軽な上司の姿とは全く違っていた。
「主たる目的を1010の日本海側への誘引とし 捕獲または破壊は従たる目的とする 1010による被害極限化のため各員の奮励を期待する 終わり」
千人塚由紀恵博士『機構』の最終兵器とも評される人類最高の頭脳を持つ研究者の姿そのものであったー
新潟県長岡市 新潟医療センター
双子ちゃん妹こと、梓ちゃんの意識が戻ったのは『ヤマノケ』との遭遇の二週間後だった。
というわけで皆でお見舞いにやって来たのだが……
「まさかあの諏訪先生の執刀をこの目で見られるとは……いやぁ感動です」
「はぁ……そうですか……」
わざわざ出迎えに来てくれた医療センター長の楡原主務が非常に高い熱量をもって諏訪先生の事を称賛し続けているお陰でなんだか早速疲れてしまった。
あの後本来であればセンターの医療スタッフに梓ちゃんの処置を引き継ぐ予定だったが、彼等ではどう頑張っても脳に障害を残してしまうと言われて彼がメスを持つことになったそうだ。
その事を私に教えてくれた修くんも中々に熱量が高かったことを思えば諏訪先生が何か良くない薬でも撒いたのだろうか?
彼ならやりかねないとは思うが……まあ、だとしたら悪気は無いだろう。
うん、悪気だけは……
「楡原先生……凄い熱量でしたね……」
「なんだか最近の修主任を見てるみたいでした。ちょっと暑苦しいというか……」
がっさんと藤森ちゃんが言う。
本人の前で言ってやるなよとは思うが……
「いやいやいや、本当に凄かったんですってば! 諏訪先生も勿論ですけど、博士も格好良かったですし、小笠原主幹だって! いやぁ……皆さん本当に憧れます!!」
「やめてよ、痒いなぁ……」
若い憧れは熱を生む
熱はこの仕事に欠かせないものだ。
だがここまで真っ直ぐな憧れを向けられるのは中々に気恥ずかしい。
まあ、そこは先達の役割と耐えるしかないのだろうが……
「片切管理員も正にエースパイロットって感じでした! トム・クルーズなんかより全然格好よかったです!」
「あ、あ……うわぁぁぁあああああぁあぁぁ!!」
彼にはやめてあげてよ……
「おいおい、病院で騒ぐなよ……博士、お久しぶりです」
「うん、久しぶりだね。どう? 怪我の具合は」
「大袈裟なんですよ、入院なんて……たかが交通事故じゃないですか」
己のフィジカルのみで、二台のGTRによる狭窄から逃れた『ジェットばばあ』
その煽りで弾き飛ばされた車両を運転していた大嶋くんは、右半身に骨折を含むかなりの重症を負った。
観測要員に被害が及ばないように、運転席付近を中央分離帯に擦り付ける形で車両を停止させたからだ。
諏訪先生の診断によると全治一年の大怪我で、本来ならばベッドから立ち上がる事すらできない筈なのだが……
「ゴリラめ……」
言葉こそ乱暴だが、藤森ちゃんの目には心からの安堵が見てとれる。
「大嶋主幹! 観測要員の皆さんから聞きました!」
「うおっ!! どうしたんですか?」
うーん……案外ミーハー気質なのか?
「ほら、騒がないの!」
89号室……教えてもらった梓ちゃんの病室だ。
中に入ると諏訪先生と何やら楽しげに話している梓ちゃんの姿があった。
随分ベッドの上が散らかっているが……
「『免疫抑制の可能性』『不寛容の寛容』『記憶・エネルギー』……意外だね、工学畑だと思ってたけど……」
まず目に入ったのはマーシー教授の著書、他にもそれを読み進める上で必要な論文の数々……
「医療研究員資格の取得を目指したいとの事で、少しお勉強のお手伝いをしていました」
「ふうん……二毛作かぁ……」
複数の専門職資格を保有する、通称二毛作
それぞれの職域における世界でもトップクラスのスペシャリストが集まる『機構』におけるそれは並大抵の事ではないが、例が無いわけではない。
身近なところでは『機構』最強の一角に必ず数えられる河西調査員、彼女は主務調査員と主任研究員の二毛作職員である。
「うん、良いんじゃないかな! 応援するよ」
理由は……うん、諏訪先生を見つめる熱っぽい視線が全てを物語っている。
兄妹揃って真っ直ぐだ。
若々しい心の運動と速力
私の様な老人に出来ることと言えば、危うく脆いその翼が折れない様にそっと支えて行くことくらいだ。
いつかこの若者たちがこの国を護る両翼となる事に、期待せずにはいられない。
後進の頑張りを最後まで見届けられる。
それはきっと長生きすることの数少ない利点なのだ。
未来……その言葉はどうしてこんなにも私の胸を踊らせるのだろうかー




