死病の盆踊り 1
長野県松本市 環境科学研究機構長野支部
「博士!5422と6320の資料が届きました!」
「あー今はいいや机に置いといて!」
「碓氷峠のチームはどうした?!」
「今戻って来てる途中です!30分以内に到着予定です!」
「県警から通報です!今出られるチームは」
「うちで行きます……はぁ……鞄は……」
「赤須博士!背負ったままです!しっかり!」
「千人塚博士!事案性物品の脅威分析をー」
「私の方でやります!」
「小笠原主任……朝お願いした書類は……」
「もう本部に送ってあります」
「諏訪先生!勝手に『ねこです』を連れ出さないでください!」
「アニマルセラピーは効果的ですよ?」
『アゴ』の攻撃で中部研が壊滅的打撃を被って以来、地域の『事案』対応を私達甲信研、潟医研で分担することになってしまった。暫定的処置ではあるが、戦場の様な忙しさだ。
何しろ普段の『特定管理事案』対処と平行して有象無象の『事案』にまで対応しなければならないのだからのんびりしている余裕など一切無い。
一週間サイクルで複数の研究室が地域対応担当として各支部に派遣されて対応にあたっているが、元々甲信研の三倍以上の規模を誇る中部研で回していた仕事量を片手間でやろうというのがそもそもの間違いなのだ。
この勤務体制が始まってからうちの子達の平均残業時間は毎日6時間を超えてしまっている。
機構の職員はかなりのワーカーホリック集団だとはいえ、そこに甘えてしまうのでは私達管理職が存在する意味が無い。
そうはいっても現状を鑑みればどうする事も出来ないのもまた事実なのだが……
「千人塚博士……少しよろしいですか?」
報告書を書きながら労働条件の改善に頭を悩ませていると、この喧騒に似つかわしくない穏やかな声が掛けられた。
「大丈夫ですよ、どうしました?」
そこにいたのは長野支部の田島佳澄上席調査員だった。
支部調査員も忙しいのは一緒だろうに疲れの色の見えない穏やかな微笑みを浮かべている。
「お忙しいところ申し訳ありませんが、フィールドワークに同行していただけませんか?」
「フィールドワーク……何か出ましたか?」
頷いた佳澄さんは報告書をこちらに手渡してくる。
「『白スク』の大量発生……この忙しいタイミングで……」
『白スク』自体はそこまで珍しい『事案』ではないし一般認知度も比較的高いものだとはいえ、その致死性は非常に高く影響の波及速度も速い。
『機構』からすると記憶処理薬の原材料の生産に欠かせない重要な資源である事は確かだが要する手間の大きさを考えれば収穫を喜んでもいられないのだ。
「やはり難しいでしょうか?」
「うーん……ちょっと待ってくださいね……」
諏訪先生は丁度急ぎの案件を抱えていないし、がっさんが今手掛けている分の案件も私と二人がかりなら午前中のうちにかたが付くだろう。
大嶋くんは……無理そうだ。抱えている案件が多すぎる。ただ私の握っている分隊は動かせるだけの余裕があるし、佳澄さんの部下の支部調査員も動かせるだろう。
あとは私の抱えている案件だが……まあ片切くんに通信を確保してもらえばリモートで現地から対応できる……か?
「午後からの出発で大丈夫なら……うん、動けます」
「本当ですか?ありがとうございます」
本来ならば断るべきだろうが、私達の大切な仲間である田島くんの奥さんである彼女の頼みならば力になってあげたいし、断るとなったらうちの調査員の皆の反発もあるだろう。
最悪私の担当案件を増やせば良いだけの話だ。
「おーい、諏訪先生!『ねこです』戻して外回りの準備して」
まあいい気分転換……そう思っておこう。
長野県 上田市真田町
菅平高原やかつての真田郷近くの山間の農村が今回の現場だ。
上田市中心部で無いのは幸いだとはいえ、ここも群馬方面に抜ける国道に程近い場所だし、間道となっている林道もあり交通が無いわけではない。
放置しておくにはあまりにも危険だ。
「千塚先生、こちらが被害男性のご家族の方です」
「はじめまして、病害虫防除所の千塚です」
長野県病害虫防除所のIDを提示する。
偽名だし所属もしていないが、IDは本物だ。
本物の公的機関の身分証を用意できるのは機構ならではの強みだが、一般人相手にここまでする必要があるのかどうかは疑問ではある。
「うちの息子は……病気なんですか?治るんですよね?」
治ります安心してください!
そう言えればいいのだが、残念なことに『白スク』に曝露してしまった時点で助かる見込みはない。
「我々の病院で治療を施してはいますが……」
「そんな……」
現状で余命はせいぜい8ヶ月、その波及力と致死性の高さから面会も出来ない。
死後除染を済ませた上で遺骨を返還することしか出来ないことを説明すると被害者の母親はその場に崩れ落ちた。
感染経路追跡のための行動調査だが、普段であれば中部研がやっている様な業務だ。非常にキツいものがある。
「お気持ちお察しします……感染被害を抑えるために息子さんの行動について教えていただけますか?」
「きっついね……中核研究所はいつもこんな仕事してるのかぁ……」
旧軍でも『機構』でも『特定管理事案』の対応ばかりしてきた私からすると普段の業務とはまた違ったきつさだ。
「お疲れ様でした」
「ありがとうございます……そういえば支部の皆もああいう業務多いんですよね?」
ペットボトルのお茶を渡してくれた佳澄さんに尋ねる。
渉外調査や初動調査が支部調査員の本務であることを思えば中核研究所以上にこういったケースは多いだろう。
「そうですね……心が痛みます」
表情一つ変えていないが本当だろうか?いや……言うまい。
「ですが証言のお陰で大分発生地点が絞り込めましたね」
「ええ、しかし山の方ですか……珍しいですね」
一般的に『白スク』は肥沃な平地に発生する。今回もその類いで耕作地周辺に発生したものだと思っていたが、数件の聞き込み調査を経て発生源は松尾城跡奥の山中が中心になっているようだ。
「……慎重に対応しなければ危険ですね」
佳澄さんのいう通り、山中が現場では『白スク』との安全な離隔を保つのがかなり難しい。
「博士、『白スク』ってあれですよね?6762」
「そうだよ、藤森ちゃんも収穫は参加したことあるでしょ?」
甲5e-6762『白化スクレイピープリオン症候群』は『機構』内では『白スク』の通称名で、一般漏洩情報では『くねくね』や『アガリビト』と呼ばれる伝染性事案だ。
クロイツフェルト・ヤコブ病やクールー病と同様のスクレイピープリオン伝達性疾患の一種だが、それらとは異なり事案的特性を有する伝染性事案である。
特徴的な事案的特性はその感染方法と症状だろう。
一般的なスクレイピープリオン伝達性疾患がスクレイピープリオンの摂取や感染者からの輸血等から発症するのに対して『白スク』は認識伝染という超常の方法で伝染する。
感染者の姿を視認・認識することで神経細胞内の正常なプリオンタンパク質にミスフォールド情報が伝達され100%の確率で発症する。
アミロイド斑の形成や付随意運動、行動変容、痴呆は一般のスクレイピープリオン伝達性疾患と同様ではあるが、更に八割の確率で特定地域への異常な執着と当該地点での舞踏病様の症状を示す。俗にこの症状を『くねくね』と呼ぶ。
残りの二割の発症者は集中的に前頭前野の海綿化が進行することによって一時的に野生化したような症状を示す。こちらは一般的に『アガリビト』と呼ばれる症例だが、どちらも症状の進行によって神経細胞全体へのアミロイド斑の形成による脳幹の海綿化を経て死に至る。
両方を合わせて『白化スクレイピープリオン症候群』と呼ばれているがその理由として海綿化した脳への異常な血流量の増加、皮膚表層への血流不全によって異常な肌の白さを示すという特性がある。
体表の壊死を伴うその症状から、感染者は一見白い服を着ている様にも見える。
感染者から抽出した『白化スクレイピープリオン』は『機構』が使用する記憶処理薬の原材料になるためその発生は『収穫祭』と呼ばれている。
対応チーム毎、収穫量によって臨時ボーナスも支給されるので余裕のあるときであれば文字通り祭りである。
余裕のあるときであれば……だが
「一昨年の長岡で行ったっきりですけど……というか大量発生って……どの程度湧いてるんです?」
「うーん、目撃情報と被害者の量からの推測にはなるんだけど……初期発生個体と感染個体合わせて200は行くんじゃないかな?」
「にひゃっ……200……ですか?」
「うん、これ見てみて」
藤森ちゃんにタブレットを渡す。
佳澄さんがまとめてくれた確認された感染者、周辺の行方不明者、6762であると推測される異常者の情報が地図にプロットされている。
「なんかとんでもなくないですか?」
「うん、とんでもないね」
6762の発生は通常なら多くても30程度だ。症状の進行の速さ、致死性の高さゆえにここまで増えるのは非常にまれだ。
「初期発生個体の数が多いのでしょうか?」
諏訪先生の推測はもっともだが、初期発生個体が自然発生する現実性-不平衡エネルギー源周辺にエネルギー量に比例した数が発生する事を思えばそうとも言いがたいのでは無いだろうか?
「支部で行っているスキャニングでは平衡異常は確認されていません……」
やはりだ。日本の陸地は毎日二回所管支部によって空中からのスキャニングが行われているし、人里からそこまで離れていないこの場所で計測漏れが発生するほど支部の人員も抜けてはいないだろう。
長野支部は長閑ではあるが無能ではない。
むしろ管轄地域に甲信研を抱えているという特性から超常監視にはかなり敏感になっているはずだ。
「ふむ……タイミングがよかったかもしれませんね」
「どういうこと?」
「中部研が健在であればこちらの被害が大きくなっていたのでは?」
「ああ、なるほどね」
要は修羅場馴れしている甲信研の面々が支部に派遣されているタイミングでの発生で幸いだと言いたいのだろう。
未知の状況、危険な『事案』それらは特定管理研究所の仕事だ。
今回の様な特殊な状況で中部研のチームが投入されていたとしたら人的被害が出てしまっても不思議ではない。
これは中部研の研究室を見くびっている訳でも自分達を高く見積もっているわけでもない。
あくまでよくある『事案』である6762への対応だ。雑多な事案が持ち込まれる中核研究所の業務量を考えれば流れ作業でのおざなりな対応になってしまうことだろう。
私達にとっては慣れない地域対応、それ故に普段の未知の『特定管理事案』に対応するようにしか動けない事が幸いだったということだ。
「まぁ……安全第一で行こう!せっかくの収穫祭だしね」
ついていないかと思えば考え方次第ではよかったとも取れるということだろう。
「この辺りですね」
車を停めた佳澄さんが言う。
「がっさん、聞こえる?」
『はい、感明よしです!』
「この辺に平衡異常はありそう?」
『反応は4つ……いえ、小さいのも含めると5つあります』
「わかった。データを送って」
『はい!』
甲信研の観測車両と支部の観測ヘリが空陸から収集した平衡異常の情報がタブレットに送られてきた。
「うーん……この程度だとそんなに大規模なのは発生しなさそうだけど……」
正直普段であれば無視する程度の平衡異常しか検知出来ていない。
「もう少し奥に入ってみますか?」
「立ち木が多くて視界が悪いのでもう少し入念に航空観測を……というか佳澄さん?」
「はい、なんでしょう?」
松本からここにくるまであまりにもナチュラルで気が付かなかったが、佳澄さんが車両の運転をしている。
彼女は全盲の筈だが……?
「ご心配なく、勘で行けますので」
私の懸念を伝えると彼女は優しい微笑みのままそんな事を仰った。
「えぇ……」
「佳澄さん、マジです?」
思わず藤森ちゃんと顔を見合わせる。
いや……佳澄さんには視力は無くともそれを代替しうる強力な精神エネルギー感受性がある。
医療研究所の所掌の特性で詳しい事は専門外だが、きっとそれだろう。勘というのは冗談だ。きっとそうだ!そう自分に言い聞かせても、表情の変化の少ない佳澄さんが本気で言っているのか冗談なのかはいまいち判別がつかない。
「……次は私が運転します」
おそらく普段から佳澄さんと仲のよい藤森ちゃんもそれは同じらしい。
とりあえずは航空観測の結果を待つことにしてしばし休憩としよう。




