学校の怪談 8
長野県大町市 環境科学研究機構甲信研究所千人塚研究室
あらゆるものが秘匿される『機構』において殉職した職員の慰霊もまた関係者のみが列席する比較的小規模の式典として行われる。
思えばこの数年列席することが無かったのはこの仕事をしている上では非常に幸運な事だったのだろう。
「そうですか……あの人らしいですね……」
田島くんの慰霊祭に列席した後に私は香住婦人と向き合っていた。
「それで……伽椰ちゃんは?」
「無事です。藤森くんが最期まで戦ってくれたお陰で」
「そうですか……きっとあの人も満足してるでしょう……」
田島くんの奥さんである香住さんは『機構』の支部調査員として勤務している全盲の女性だ。
田島くんとの出会いの切っ掛けとなった任務で両目の視力を喪い、同時に強力な精神エネルギー感受性を手にした。
結果として視力に依存しない知覚能力を有して『機構』に残ることを特例的に許された経歴をもっている。
「本当に……本当に……申し訳ありません……私にもっと力があれば田島くんを失う事も無かったのに……」
「……本当に仕方のない人」
香住さんは首から下げた結婚指輪を撫でる。
「いつも周りを泣かせて、当の本人は満足そうに笑っているんですから……」
私の手を握った香住さんはにっこりと微笑んだ。
「そんなに悲しまないであげてください、きっとあの人は幸せだったから……だから、笑顔で送ってあげてください」
「博士……大丈夫ですか?」
「ん?……ああ、大丈夫だよ」
香住さんを見送って研究室に戻ってきた私に声をかけてきたのは大嶋くんだ。
「本当ですか?」
「……流石に長い付き合いだもんね、分かっちゃうか……」
「まあ……博士は分かりやすいですから」
「失礼な!」
「それで……香住さんはなんと?」
「いや……別に罵られたとかそういう話じゃ無いよ?」
むしろその方がどれだけ良かった事か……香住さんがそんなことをするとは流石に思えないが、そうしてくれればという思いはあった。
「逆に慰められちゃってね……一番辛いのは香住さんだろうに……」
「あの人らしいと言えばあの人らしいですね……」
「うん……私なんかよりずっと大人だよ……でもそこが余計に心配だし……」
余計に痛ましく感じてしまう。
「……そうですね……確か藤森が香住さんと個人的な親交があった筈なので様子を見ておくように言っておきますよ」
「うん、藤森ちゃんには辛い役目になっちゃうね……」
「いや、あいつにも向き合う時間は必要でしょう」
仲間の死という事態に対する慣れ……私なんかよりきっとずっと慣れている大嶋くんの言うことだ。乗り越えるためにそれが必要なのだというのならきっとそうなのだろう。
今までただの一度すら仲間の死を乗り越えられなかった私に言えることなど何もない。
「それより時間は大丈夫ですか?」
「……そうだねちょっと行ってくる」
日本国某所 秘匿司令部壕-Κ
焼却処理二回、車両を乗り換えること恐らく12回……
古い友人に会いに行くだけにしては随分と物々しいが、相手が機構の最高指導者の一人である以上はこれも仕方のないことなのだろう。
方向も時間も、あらゆる感覚が麻痺した状態でようやく十河のじいさんの穴蔵にたどり着いた時にはもう疲れ果ててくたくただ。
「巫女様、もう目隠しを取って頂いて大丈夫ですよ」
目隠しを兼ねたゴーグル付の帽子を外した。
暗闇に慣れた目に白色LED照明の光が突き刺さる。
「まぶしぃ……頭こったぁ……頭蒸れたぁ……」
「ははは、お食事と湯あみの準備が出来ておりますゆえ」
「いつも悪いね、お頭」
「これもお役目でございますれば」
ここに来る度に十河のじいさん一行は最大限の便宜を図ってくれる。
最初の頃は申し訳なく思っていたものの、今となっては当たり前の様になっている。
風呂を借りて、食卓を囲みながらの会談……これが数十年続けた私と十河のじいさんのやり方になっている。
「おお、巫女殿……こうして会うのは随分と久しく感じるね」
「うん、また老けたんじゃない?」
「はっはっはっ巫女殿に言われては認めざるを得ないね」
GHQ統治下での機構の設立、剥奪された日本国の超常管理権返還とその間隙に行われたソヴィエトによるによる『事案』強奪事件……
まるでつい昨日のようにすら感じられる彼と共に駆け抜けた日々だが、彼の顔に刻まれた深い皺と年相応に落ち着いた様子が否応なく過ぎ去った時間の大きさを感じさせてくる。
「それでは再会を祝して……いや、済まない」
「うん……ごめん、気を遣わせちゃって」
「私としても心苦しいよ……田島泰三調査員、随分と気持ちのいい男だったのだろう?」
「うん……大切な仲間だよ」
「『足玉』ならば……いや、失言だった。巫女殿の主義にー」
「試したよ」
十河のじいさんがその目を驚愕に見開く
それもそうだ。現状のまま人類が死を超越することは緩やかな文明社会の死であると声高に私は叫び続けてきた。そんな私が……である。付き合いが古い分驚きも大きいだろう。
「遺族に綺麗な状態の田島くんの遺体を返す役にしかたたなかったけどね」
「しかし……それは……」
「うん、軽はずみだったって理解してる。深い考えがあったわけでもない。ただ感情任せに動いただけ」
「だけ……いや、まあ……それも巫女殿が愛した人の姿……か」
「今後は気を付ける」
「もうしない……とは言わないのだね?」
「うん、約束できないからね」
「ぷっ……あっはっは!巫女殿らしい」
「これからも迷惑かけると思う。ごめんね?」
「なに……今更だよ」
「でも……これで三つ目、かぁ……」
「『十種神宝』……連中はまだ持っていると?」
彼の問いに頷く。
「少なくとも一つは持ってるよ」
四宮元理事が静代さんに手傷を与えたときに手にしていた比礼……あれは『品々物之比礼』だろう。外見的な特徴が酷似していた上に、その効力をもって静代さんに切っ先を届かせたのだろう。
「ふむ……」
「それにあの復活も……」
「『死返玉』か……」
「断定はできないけどね……他も持ってる可能性もあるけど今のところはそれくらいかな?」
「厄介な……私が生きているうちにあるべき所に返せるものだろうか……」
「……間に合わせるよ、今の若様がいてくれてるうちに」
「随分と久しぶりにそう呼ばれた気がするよ」
「もう大分長くじいさんしてるからね」
私と歴代の十河のじいさんの……いや『胤社』の後継者達の悲願……出来ることならば今代の彼がいるうちにその念願を成就させたいと思う。
きっとそれが千年の昔から続いた彼らとの縁に報いる最良だと思うから……
長野県千曲市 雨宮坐日吉神社
十河のじいさんの穴蔵に二泊してまた甲信研に帰った頃には四日が経っていた。これだけ長い時間をかけて、大勢の職員に迷惑をかけてしまうのではどうしても足が遠のいてしまうのも仕方のないことなのだろう。
それでも十河のじいさんに残された時間を思えばもう少し頻繁に訪ねても良いように思う。
時間も命も限りがあるのが当然の事だ。喪ってから後悔したところで遅いというのは長い人生で得た数少ない教訓の一つなのだから……
「……かせ、博士!」
「ん?ああ、ごめんね?考え事してた」
「それはいいですけど……私なんか悪いことしましたっけ?」
「んー……うちに来てからの静代さんは基本的に良い子だと思うけど?」
「まさかその前の事で……」
「ごめん、さっきから何の話?」
「何って今回の事ですよ!神様から直々に呼び出される様なことした覚え無いのに……」
ああ、そういうことか……今回千曲くんだりまで来たのは三國理事こと少彦名命に呼び出されたからなのだが、静代さんは何か罰当たりな事をしてしまったのではないかとずっと気にしているようだ。
現代の大怨霊として何度も映画化されているのに本体は随分とかわいらしい事を仰る。
「よしよし、大丈夫だよ~静代さんに酷いことするようなら踏み潰しちゃうからね!」
「えぇ……すごく罰当たりな気が……」
「比売がそういうプレイが好みなら僕としては一向に構わないよ?」
「うひぃっ!少彦名様!違うんです!この人ちょっと頭がおかしいだけで悪気はないんですぅ~!」
「相変わらずナチュラルに失礼だね……っと、ごめんなさい、あなたが国造の神の一柱だと伝えたらこんな感じで……」
「あぁ……なるほどね、高天原の連中みたいに堅苦しいタイプじゃないんだけどね、僕は」
神代を知る身としては国津神のフランクさとカジュアルさは身をもって知っているが、よくよく考えてみれば静代さんが生きた時代と神代はちょっとばかりずれている。神を神格化……というと訳がわからないが、殊更に畏まって奉る様な時代の人だと考えれば無理も無いのだろう。
「それより比売!僕というものがありながら他の男の家に泊まるなんて!それも二泊も!!」
「……一応私が十河理事の所に行ったのは黒2機密なんですが?」
理事同士ですらその所在地は知ることが出来ない『機構』において特定個人が理事の元を訪れるというのは秘密保全上当然厳重に伏せられるのだが、この小さな神様はどこでそれを知ったのだろうか?
「すごい……金色夜叉みたい……」
恋愛脳が爆発している静代さんは置いておいて……というか古いな……
「あはは、まあオフレコでお願い」
「……まああなた方のでたらめさは今に始まったことじゃ無いですからね……それよりもどうしたんですか?こんなところまで私達を呼び出して」
「県内だと僕が大手を振ってふんぞり返れる宮がここしかなかったからね」
「県内って……ほぼ新潟じゃないですか」
「君らの研究所だってほぼ新潟だよ?」
確かにそうか……いやいや、そんなことはどうでも良い!危うく藤森ちゃんからの悪影響で真の『信濃』はどこなのかという方向に思考が飛ぶところだった
要するに秘密の話をするために『少彦名』を奉る神社を選んだということだろう。
「やっぱり子作りは自分の家でするのがいちばーうわぁっ!」
私の肩の上にいた少彦名命を拝殿の屋根目掛けて放り投げる。
「静代さん、帰ろっか?そうだ!帰りにアン・マリーで皆へのお土産を……」
「えぇ……その……いや、なんかもういいです……」
「いたた……もう比売ったら乱暴なんだから……ちょっとした夫婦ジョークじゃない」
ちっ……流石は自分の神域内の神、すぐ戻って来やがる……
「夫婦じゃありませんし暇でも無いんですよ、私達は……あんまりふざけてるんなら本当に帰りますよ?」
「もお、つれないなぁ……まあ場も暖まってきたし本題に入ろうか」
温まってるのはお前の脳ミソだけだろうという言葉を飲み込む。
「さて、静代さん……ちょっと自分の腕もいでもらって良いかな?」
「あ、はい……え?」
「……本題に入るんじゃ無かったんですか?」
「うん?嫌かな」
そりゃそうだろう。赤ベコの様に何度も頷く静代さんに全面的に同意だが、気味が悪い。捉えどころの無いこの神様が真剣な目をしているというのは……
「じゃあちょっとだけ我慢してね?」
「いたっ!」
言うが早いか少彦名命が腰に佩いた爪楊枝のような太刀を払って静代さんの掌を斬りつけた。
あんなミニチュアの様な刃物の割には意外と深く切られているようで真っ赤な血が滴る。
「……何のつもりですか?」
「何って見せるのが一番早いだろう?」
「見せるって一体……」
言いかけて気が付く。
「流石は比売だね」
言われてみれば四宮元理事との戦いの中でも目にしてはいたはずだが気が付かなかったのはそれはかくあるべきだという固定観念が故か……
「静代さんちょっと」
「はい?うひぃっ!ちょ……ちょっと博士!何を……」
独特の臭みと鉄臭さ……間違いなく新鮮な血液だ。諏訪先生ではないのでそれ以上詳細は分からないが、少なくとも古くなって酸化した血液の味では無い。
「これは『足玉』の影響ですか?」
「その可能性は十分にある。ただ僕としてはもう一つの仮説を推したいね」
「もう一つの仮説?」
「じゃあ比売に問題!完全に死んだ人間がもう一度完全に生きている状態になるケースを挙げなさい!」
「まあ……有名なところだとやはり『十種神宝』とか須佐之男命の『生弓矢』ですか……人間が越えられるかはともかく『黄泉津比良坂』を越えるのもそうですね……とにかくあなた方の様な『神格性事案』の介在する手段くらいでしょうか?」
「惜しいっ!80点!」
散逸した神宝を用いる他に死を超越する方法などあっては堪らないのだが……
『事案』になるというのは正解には当たらないだろう。静代さんは生と死を同時に内包こそしているが『完全』な生者とは言い難い。それは0027-イこと宮守花子も同様だろう。
「いや……待て……『事案』……そうか……!!」
そう考えれば条件は満たしている。多様化した価値観にすら柔軟に適応する存在からすれば世間が彼女に向けるものを『信仰』と捉える事も難しくは無い。
「神上がる事で神格としての生を手にする……あなたが言いたいのはそういうことですか?」
「あくまでも可能性の話だけどね?何しろこういうパターンは僕もはじめてだからさ」
この島に神々が溢れていた時代を見てきた古い神の一柱でさえ初めてというのは意外だが、反面近年の世界の有り様の変化の速さを思えば当然だとも思う。
神々のいた過去の始まりは高々一万数千年程度と比較的新しいことを思えば未だに当人たちですら分からないことがあるのも当然の事だ。
「かむ……はい?」
「要は静代さんが神様になるんじゃ無いかって話」
「私が?またまたぁ」
「似たような例だとミッチー……菅原道真とかかな?少なくとも『恐れ』と『畏れ』は近いところにあるものだからね」
この辺りは古い神である彼の専門だろう。古代、人と神の垣根は今よりずっと低かった。
「詳しいことは研究所に戻ってから比売に教えてもらってもらうとして、現実問題として君の中での生死のバランスが生者に大きく傾いてる」
「血の色はその影響ですか……」
本来の静代さんの血液は酸化した赤茶色のどろどろした液体だった。死後百年以上が経過している事を思えばまだ新鮮だとは思うが、それでも死者に相応の状態ではあった。
「この事と0027-イ、そして旧海軍の遺産、四宮元理事の行動……僕としては何かしらの関連があるんじゃ無いかと考えてる」
静代さんも0027も帝国海軍の所管だったし、宮守姉妹も初動調査の担当は海軍だ。
あの四宮元理事が0027-イの確保にご執心だったのは私達の知らない『何か』を知っているからか……
「静代さんが頼まれたっていう宮守雪子が鍵になってくるとは思うけど、とりあえず今は他言無用でお願いするよ」
「その口止めのために態々?」
「それもあるけどね、僕としては君たちと現状を共有しておきたかったんだ」
人が神上がる……それ自体は『現在原理』を知る超常関係者達には半ば常識ではあるだろう。
それでも神々ですら正確には把握しきれていないその機序の解明に資するサンプルがあるとなれば事が大きくなってしまいすぎるのもまた自明の事だ。
「口止めの件はご心配なく……ただ状況の解明は急いであげて下さいね?普段の生活に影響が無いとはいえ、自分の現状が不明瞭で宙ぶらりんだと静代さんも気持ち悪いでしょうから」
「うん、最高の神格研究者達を事にあたらせるからそう時間はかからないはずだよ?少なくとも僕達三人にとっては」
それはどれ程の時が掛かるかさえ分からない長期的な研究になるというのと同義の様に聴こえるが……
それでも解き明かさないという選択肢はない。
この世界から脅威が一つ消えたのは確かだし、分からない事も解き明かされた。
しかしその過程でより大きな脅威と謎が生まれたのもまた事実だ。
悲願のなる日の限りない遠さに目が眩みそうではあっても一歩ずつ歩いて行くしかないのだろう。
少なくともその為に必要な時間だけは幾らでもあるのだから……




