開かずの教室調査計画 4
東京都足立区 西新井工業高等学校
「はぁ……そういうことか……」
書類に目を通して私は一人溜め息とともに呟いた。
だが同時に納得してもいた。人の手によって作り上げられた事案であれば妙に行儀の良い0027の有り様についても合点がいくと言うものだ。
旧海軍によって実戦投入を念頭に作成された超常兵器……
かのナチスですら自制した超常戦という禁忌をこの国で侵そうとしていたというのは驚きだが、私の古巣が辛うじてそれを阻止したというのは喜ぶべき事なのだろう。
そもそもが天文方番所や陰陽寮といった古くからこの国の超常管理を行ってきた機関の流れを汲む憲兵司令部別動隊とは異なり、陸軍への対抗意識のみで作られた彼らである。実感を伴う危機感が足りていなかったのだろう。
この世界は薄氷の上に成り立っている。
完全な滅びを避けるために超常管理が存在し、それ故に私達は国家間の紛争において不可侵な立場を与えられてもいる。
かつて人の理性を灯りに、良心を杖に例えた詩人がいたが結局のところ未だ人類が存続しているのはその灯りが消えず、杖が折れていないという一点にのみ帰結するものだ。
二度の世界大戦、長きに渡る冷たい戦争、現代の泥沼の非対称戦の中においても、個人や国家が死に瀕したとしても、最期の一瞬まで人々が踏み留まってくれたからこそのこの世界なのだ。
勿論機構をはじめとした各国の超常管理組織によって超常戦の手法は研究されている。それは機構の三大使命のうちの『事案』による対超常安全保障の枠内における防御及びカウンターであり、冷戦期の相互確証破壊同様に他国に脅迫にも似た自制を促すための劇薬として用いられ、しっかりと効果をあげてきている。
しかし、先制超常戦はまったく別問題だ。
計画の詳細こそ発見できなかったものの、文脈から察するに敵地に浸透して後方の攪乱を行うためのものらしく、直接の滅びの引き金を引くわけでは無いという当事者意識の欠如が愚かな選択に彼等を誘ったのだろうが、0027を戦線投入することによって生起しうる報復超常戦にて、連合軍による無制限の特定管理事案の投入を予期できないほど愚かでは無いだろう。
戦争末期に追い込まれていた事は十分に想像できるが、それでも随分と人材の質が低かったのだろう。軍令部からの圧力があったことは理解できる。事実当時は大本営から超常戦に関する圧力が古巣にも掛かっていた。
それでも、国内でも有数の特定管理事案やアーティファクト保有者である皇室が後ろ盾にある以上、超常分野に於ける圧力を撥ね除ける事はそう難しくは無いはずだ。
恐らくは軍人の愛国心に付け込まれたか、それとも超常戦という未踏の分野への好奇心を抑えきれなかったのだろう。
もう一度大きく溜息をついて頭を切り替える。
過去は過去、思いを馳せる時間は0027を片付けた後に幾らでもある。まずは当座の課題を片付けよう。
ここが0027の中枢であることは書類からも明らかだが、幾つか分からないことがある。
細かい部分はいいとして、大きな疑問は二つだ。
0027-イ『トイレの花子さん』と0027-ト『動く二宮金次郎』の二つの構成要素の正体……該当する構成要素が一切記録に残っていなかったのが非常に気になる。
そしてもう一つはこの0027-ハ『開かずの教室』からの脱出方法だ。ここが司令部としても使われていたというのなら、影響を排除して出入りする方法もあるはずなのだが、見回してみる限り装置の様な物は見当たらない。
私がここに入ってからどれ程の時間が経ったのか分からない以上あまり時間を掛けるわけにはいかない。
「出来れば書類も持って帰りたいけど……」
方法を検討してみよう。脱出自体は可能なのだからー
「なんで止めるんですか!!離して下さい!!」
「静代さん!落ち着いて!!」
日の出の直前、遥か東の空が微かに白み始めた頃、高校の廊下に現代の大怨霊と藤森伽椰調査員の声が響いていた。
『開かずの教室』に侵入を果たしたきり音沙汰のない千人塚博士、その対応がこの騒ぎの原因であった。
実験を中止して一時撤収する。
0027対応にあたる各研究室が下したその決断は、つまり千人塚博士の生還を諦める事を意味していた。
その決断の基準自体は千人塚博士本人が決定したものであり彼女の不死という特性を活かした上の物だ。
しかしその決定に真っ向から異を唱えたのが同研究室の調査員佐伯静代だった。
彼女は強力なPSIであり、千人塚博士が今回の実験に対して抱く懸念を知っていた。
それ故に彼女の慕う千人塚博士が己を犠牲にして実験に臨んだ事も知っている。
不老不死たる特性を残したまま、精神を破壊される等という想像も出来ないような苦しみの最中に博士を置き去りにする事などは彼女に出来ようはずも無かった。
「助けにいかないと、博士が!博士は自分を!!」
「そんなことは分かってます!」
対する藤森調査員をはじめとする千人塚研究室の面々もそんなことは百も承知だった。
それは博士の口振りから、言葉の癖から夫々がみな察していたのだ。
それでも指示の通りの撤収を受け入れたのはそれしか実質的な選択肢が残されていないことを理解しているからだ。
確かに死人である佐伯調査員であれば精神汚染影響を跳ね退けることが出来るかもしれない。しかしそれが分の悪い賭けであるということは火を見るよりも明らかである。
現在は非常に友好的であり、機構の貴重な戦力とみなされている彼女はしかし反面『事案』であり、強力無比なPSI能力者でもある。
精神汚染影響によって彼女が錯乱することになれば、高度な知性を有する分0027以上の脅威になりかねない。
想いは皆同じでも、手法の違いは大きく横たわっていた。
「……小笠原研究員、『用務員』に応援要請を」
諏訪光司医師が小笠原研究員に言う。
現在この位置にいる戦力では佐伯調査員を抑える事は出来ないという判断からのものである。実際この案件に展開している機構の全戦力を結集したとしても本気の彼女を抑えられるかどうかは分からないが……
「……」
小笠原研究員は、しかしまるでその言葉が聞こえていないかのように押し黙ったままだ。
仮設の観測所に座って計器類を眺めたまま微動だにしない。
「……小笠原研究員?」
その様子を訝しんだ諏方医師がもう一度声をかけると彼女はその言葉を遮るように口の前に人差し指を立てて見せた。
「……です」
「はい?」
「連打です!!静代さん!!実験中止、回収要請です!!」
パッとその顔に驚愕と歓喜の色を浮かべた彼女は声を張り上げる。
「へ……あ……あっ!はいっ!!」
一瞬戸惑ったものの、すぐに状況を察した佐伯調査員が動きだした。
最悪な気分だ。
吐き気と頭痛が止まらないし眼球の毛細血管も切れた。
気持ちは最低まで落ち込んでいるし、この世の全てが嫌になりそうな気分だ。もう何もしたくない。
それでもその気持ちに負けなかったのは私を出迎えてくれた皆のお陰だろう。
「はがぜぇ~」
「あはは……静代さんどうしたの?」
抱き付いてきた静代さんはぼろ泣きだ。
「……お帰りなさい、博士」
「あれ?藤森ちゃん泣いてる?」
「泣いてませんっ!!」
一体何があったのだろう?
「博士!これっ!これ着てください!!」
がっさんが白衣を持って走ってきてくれた。そうか……腐食してしまったから服が無くなってしまっているのか……
「ありがとう。それで……ああ、意外と時間かかっちゃってた?」
窓の方を見ると幽かに白み始めている。うん、なんとなく状況が飲み込めた。
「ええ、少し遅刻ですね」
諏方先生がここに出張っているということは実験も終わり、撤収のタイミングということだろう。
「それじゃあ、皆で帰ろうか!」
東京都足立区舎人 仮設研究所
「ムチャしすぎちゃう?」
「まぁ……今回ばっかりはねぇ……」
「今回も、の間違いやろ?」
「いやいや、それは誤解だよ!」
実験で分かったことを今回の案件に参加している全研究室に共有し、理事会に報告を終えて本日は終業!となった頃には既に陽は大分傾いてしまっていた。
今日は現地に行く予定も無いのでのんびりしていると、加西調査員が遊びに来た。なんとも珍しいお客さんである。
「そんで……報告書読んだんやけど……」
「えー……仕事の話しぃ?恋バナとかしようよ!」
「はぁ……年増同士でそんなことしてどうすんねん」
「なに言ってんの、私から見たら加西ちゃんなんて赤ちゃんどころか始原生殖細胞にもなってないよ?」
「そんなエターナルな話しとらんわ!」
「そういう言い方すると神秘的で良いね!今度使おうっと」
「はぁ……何の話してたんやっけ……ああ、そや報告書の話や」
「なんか分かんないとこでもあった?」
ある程度からかったので本題の話を聞こう。
「0027-イと0027-トの事や」
「なるほどその事ね」
あくまで仮説だが私はその二つが0027とは別の事案だと考えている。
科学的考察に基づくものではなく、読み漁った資料から判断した内容だがそう考えれば毛色の違うあの二つについて納得がいく。
「でも0027-イは0027からエネルギーをもらっとるんやろ?」
「それなんだけど、貰ってるんじゃなくて奪ってるんじゃないかって考えてる」
「寄生しとるっちゅうこと?」
「まあ、領域を守ってるから共生かもね」
そもそも0027に意思があるわけでは無いだろうが……
「多分だけど0027自体に領域を制限する機能があるらしいから、もしかするとそこに偶然引っ掛かっちゃったのかもしれないね」
「なるほどなぁ……そんじゃあ0027を破壊すると0027-イとトが自由になるっちゅう訳やね」
「まだ推測の域を出ないけどね」
それ故に0027本体の無力化は少なくとも危険性の高い0027-イを無力化してから行う必要があるだろう。
「その事なんやけど……さっき隠然から電話があってなぁ」
「……お頭から?」
代々今の十河の爺に使えている一族の当主であり、十河の爺のために影働きをしている男だ。大時代的だが、秘書科以上の本物の私兵である。
「0027-イの正体を探すために内務省の記録保管庫に潜ってくれてたんやけど……」
「……どっから?」
「十三号やって」
「あいつも無茶するね……確かもう還暦過ぎてるでしょ?」
帝国陸軍第十三号坑道は暫定的な管理収容状態にはあるが、そこから伸びる各保管庫に通じる井戸の内部は制御不能状態になっている。
一応人工事案性事物との戦闘を覚悟すれば先に進む事は出きるが中々に骨が折れる。
「まぁ、あんたには言われたくないやろね」
「一応言っとくけど私の体は20代位の老化だよ?まだムチャできる年だって!」
「はいはい、せやね!そんで戦時中のPSIの記録に0027-イとよう似とるもんの記録をめっけたそうや」
「やっぱりPSIか……」
予想はしていたが結果として謎が増えてしまう事になった。
「うちのがっさんの言ってたことが現実味を帯びてきちゃったね」
「ああ、小笠原の嬢ちゃん……しばらく会わんうちに随分胆が座ったもんやねぇ……」
「ふふふ、うちの子は優秀だからね!」
しかし、やらなければならない事がはっきりしたのはありがたい。闇雲に探し回るよりも仕事がずっと楽になる。
「とりあえずはそのPSIについての情報を集めよう。それと静代さんとその周囲の情報ももう一回洗い直さないとだね」
旧軍時代のPSIが由来となっているのだろう『事案』であり、本来は関係の無いはずの事物と一体の『事案』になっている。加えてPSIの枠を越えた機能を有するという面から考えても無関係だとは考えにくい。
発生原理の解明が対処法の解明に繋がる可能性は非常に高いだろう。
「その辺りはこっちで手配しておくよ……多分十河の爺も暇してるだろうし」
「あんまり年よりこき使ったらあかんよ?」
「私にそれを言うのは分が悪いんじゃない?」
「せやったね……」
「さて、それじゃあ仕事の話はこれくらいにして、恋バナしようよ、恋バナ!」
「いや、だからせんっちゅうねん!」
つれないことを言いながらも、その後二時間ばかり私との無駄話に付き合って加西調査員は帰って行った。相変わらず付き合いの良い子だ。
最終決戦が徐々に近づいて来ている。その足音は今展開している多くの職員が感じている事だ。
それでも足並みを乱すことなく職責を遂行すると言うのは並大抵の覚悟で出来ることでは無いだろう。
優秀な仲間を持ったものだと喜びを噛み締めながら、私は眠りについた。
締感と虚無に満ちた0027-ハの中で選びかけた眠りとは正反対の、暖かく安心感のある眠りに……




