呪いのビデオ 3
甲信研究所 第17電磁遮蔽観察室
情報生命体宿主特有のnHz脳波ノイズの検出無し、電波生命体宿主特有の脳波振幅増大の検出無し、平衡計は通常検出感度の凡そ二千倍の感度において僅かにマイナスのノイズを定期的に検出…なんだこれ?
分類のしようの無い新たな事案と言ってしまえばそれまでだが、だとするとうちのような小規模な研究チームでは手に負えないレベルの案件だが…
「脳波異常も電磁的異常も、0853-イが実体化した時以外検出できない…困りましたね」
諏訪先生が困った様に肩をすくめる。
室内や0853に隠れているのかとも思ったが、どちらも反応無しで、唯一特定調査員の体からマイナス平衡が僅かに検出されるのみときたもんだ。
「実は0853が洗脳ビデオで、暴露した人間が扼殺された風に死ぬっていう可能性は…」
「それなら楽なんだけどねぇ…」
媒体自体が致死性影響を有する事案というのもあるにはある。昭和の頃に世間を賑わせた『不幸の手紙』もその類の事案で、複製を作ら無ければ精神が汚染されて他殺体様の自殺に暴露者を導くというものだった。
致死性影響を持つ事案としての『不幸の手紙』は93年に根絶されて、現在は浜収(浜名湖収容所)に73500枚が保管されている。
しかし、0853に関しては第三者による物理的殺害が行われていることがセンサー類のデータで判明している。
「もう、いっその事このままくろ収(黒部特定管理収容施設)にぶち込んで封印じゃ駄目かねぇ?」
「勘弁して下さいよ…管理離脱が起きたら探しに行くのは自分らなんですから…」
大嶋君が呆れた様に言う。
「そうだよねぇ…ただ、今回の実験が成功すれば、しまっとく事は出来るようになるかもしんないよ?」
今日は特定調査員が0853に暴露して丁度7日間だ。即ち0853-イが実体化する日である。
こちらの作戦は単純明快、首を絞めに来るのなら、首を絞められないようにしてやればいい!というものだ。
中部研でも、強固なプロテクターを特定調査員の首に装着するという試みは行われた様だが、今回はその発展型だ。
特定調査員の胸から上を一辺3メートルのセメント、強化セラミック、ガラス繊維の複合材でガッチガチに固定して架台に据え付けて、表面を50mmの均質圧延鋼で覆った。これならそもそも首に触れる事すら出来ないだろう。
ただ、そのままだと0853-イの実体化を待たずに特定調査員が死んでしまうので、バイパスした気道を腹部から出すように諏訪先生に手術してもらった。
実験の進行状態を特定調査員にインタビュー出来ないのは残念だが、彼女も死ぬよりは良いだろう。
この実験が成功すれば、今度は長期的な生命維持装置を装着した特定調査員を多数用意して、安全に0853を管理下に置くことが出来る様になる。
「大分脳波が乱れてますね…鎮静剤を投与しても良いですか?」
「ノイズ検出に影響は?」
「無いです。むしろこのままだと余計な波形が出過ぎます」
「それじゃ、投与して」
諏訪先生が手元の摘まみを操作する。各種の必要な薬剤はこちらから遠隔で投与出来る様に準備してある。
「直接反応を見ることが出来ないので、投薬量が難しいですね」
「とりあえず0853-イが出るまで死ななければいいよ」
今回も各種データは取るが、本題は0853-イの行動の阻害だ。最悪データは捨てて構わない。
しばらくして、平衡計が小さく反応した。
「よし、きたよ!」
私とがっさん、諏訪先生の三人が計器を注視し、大嶋君は部下の調査員とともに盾を構える。
今回、調査員チームは不測の事態に備えて超高周波振動型遮蔽盾を持って私達を守ってくれている。
「脳波ノイズ検出!」
「低周波ノイズも出ました!」
「前回と同じか…さあ、こっからどうする?」
超高感度に設定した対物センサーも反応を示す。ゆっくりと特定調査員に0853-イが接近しているようだ。
「バイタルは?」
「安定しています」
諏訪先生の報告の直後、スピーカーからピーピーと甲高い音が鳴る。
「…相変わらず凄い力だね」
架台から構造物が離れた事を示すブザーだ。
次の瞬間ガシャンっと音が鳴ってブザーが止まる。架台に取り付けられた強力なバネによって構造物が元の位置に戻ったのだろう。
「おっとぉ…死んでないよね?」
「まだ大丈夫です!」
このバネは実験室の損傷を防ぐためのもので、実験の成功に資する為のものではない。あまり本気を出されると特定調査員の体くらい簡単に千切れてしまう。
「いや…待って下さい…」
「ああ…大丈夫、センサーにも引っ掛かった…」
「…特定調査員、死亡しました」
まじかよ、嘘だろう?
「ノイズ…消失しました」
「こっちも、前回と同じ…」
構造物内の鉄骨が切断されたのを検知した次の瞬間に特定調査員が死亡…いや、ゴリラ過ぎるだろうって!
「あー、大嶋君、特定調査員入れて」
「は、はい」
陸自出身の彼も目を丸くしている。多分自衛隊にも素手でここまで出来る人はいないということだろう。
特定調査員からの報告を受けて光学観測を再開すると、なるほど人型のへこみと小さな穴が二つ構造物に開いている。きっとあそこから腕を入れたのだろう。
「うーんこれは中部研の報告の通り、0853-イの行動の妨害は不可能って事…ですかね」
技術課が構造物と一体化した遺体を搬出するのを眺めながら諏訪先生が言う。
「そーだね…あ、ちょっと構造物確認してくるね」
「技術課の邪魔しちゃ駄目ですよ?」
「わかってるって!」
なるほど、無駄のない穴の開け方だ。首をめがけて真っ直ぐ迷い無く穿たれている。
『どうですか?』
「見事だね、綺麗に腕一本分の穴が真っ直ぐ首を目がけて伸びてる。人拓部分も全くぶれてないね」
まるで型を取って固めたような前衛芸術みたいだ。
ん…?そういえば…
「がっさん!ちょっと私を平衡計で測って!!」
『え、あ…っ!』
がっさんも気が付いた様だ。
静止画でも、0853-イの姿を観測すればアウトだということは、この人拓もやばいのじゃ無かろうか…
私は良いとしても、他のスタッフはやばい。
『…あれ?大丈夫…みたいです』
「私以外も全員、がっさん達も計測してみて」
『試しましたが、ノイズ一つ出ませんね』
ということは、ある程度正確に実像を反映していなければいけないということだろうか?
「うーん、でもまあ一応私達も一週間自己隔離しておこうか」
『は…はい』
こうなってくると色々と試してみたいことが出てくるものだ。
その後の一週間、私たちは自己隔離を継続したままで、実験を進めていくことになった。
ある程度の対応方法が分かってきたので、今週は数名の特定調査員を一度に0853に暴露させてみるのもありかもしれない。
さて、この一週間のうちに分かった事は色々とある。
0853-イは、構造物に残された痕跡から復元図を作成してそれに暴露したとしても影響を受けることは無いと言うこと
復元図を元に調査した結果、0853-イは明治時代のPSI(超能力者)『佐伯静代』に酷似しているということ
更に佐伯静代の地元では、その生家の井戸が覗き込んだ者を引きずり込むと言い伝えられていることも分かった。
「そんで、当の佐伯静代はその井戸に落ちて死んだ…と」
「言い伝えでは佐伯静代の怨念が井戸に呪いをかけたってなってるみたいですね」
私たち三人が自主隔離で役立たずになってる間にこれらを調べ回ってくれた大嶋君達には感謝しなくては!
「無関係…とは思えませんね」
諏訪先生の言葉に肯く
一般的に考えれば、単なる迷信の類だと吐き捨てるところだろうが、私たちの仕事はその迷信の類を相手にすることだ。
「しかし…テレパス、クレヤボヤンス、ソートグラフィーにプレコグニションはまあいいとして…テレポートにアポート、パイロキネシス、サイコキネシスって…どんだけよ」
PSI自体はこの業界ではそう珍しいものでは無い。事実機構にも結構な数のPSIが所属しているし、身近なところではがっさんがプレコグニッション(予知)の能力を持っている。
しかしその殆どはESP(超感覚的知覚)能力者だ。それも大部分がほんのちょっとした能力である。がっさんの予知能力も集中すると数秒先が見える程度のものだ。
対して佐伯静代は強力なESPに加えて数百km単位でのテレポートを可能にする強力なPK(念力)能力を有していたそうだ。
そもそも数の少ないPK能力者だが、ここまで大規模な物理的影響を及ぼす事の出来る者は本当に稀だ。世が世なら一気に支配者に成り上がれるだろう。
「そうですね、おかげで資料が沢山残ってて助かりましたよ」
大嶋君が旧軍の資料のコピーを持ち上げる。
「こっちはそのおかげで大分絶望してるけどねぇ…」
調査報告を元に、0853へのアプローチを対非現実性事案から対PSIに切り替えたお陰で、観測データはかなり集まった。
しかし、その数値は私たちを絶望させるに充分な高さを示していた。
何しろ我等が甲信研の対PSI勾留施設のキャパシティの凡そ100倍の2000Tpi/mという尋常では無い数値を叩き出し、四台の計測器の配線を焼き飛ばしたのだ。
本当にこんなものどうしろというんだ…
「これ…根室マンにぶん投げちゃだめかなぁ…」
「…彼等に扱いきれると思いますか?」
「だよねぇ…」
とまあ、この一連のやり取りをもう数十回は繰り返している。
単純計算でTNT換算2Mtクラスの精神エネルギーを持つ化け物だ。色々と杜撰な根室マンに渡すには荷が勝ちすぎている。
とはいえ、うちでだって扱いきれる代物じゃ無い。いや、それどころか世界中どこを探したってこんなもの扱える団体は無いだろう。
こういった場合、私たちがとる方法は四つだ。
一つは諦めて現状維持…これは論外だ。VHSビデオテープが媒介になっている事、暫定的な対処法こそ確立されている事から考えれば有効にも思えるが、0853がPSI性事案であると判明した以上そうはいかない。何故ならPSIの精神エネルギーが行使されているということは同時にそこには意識が存在するということの証明でもある。レベルの判定こそ出来てはいないものの、0853が知性体であるという可能性がある以上、収容施設に収めておけるかはあまりにも不明瞭だ。
二つ目は現状機構が持ちうる全リソースを注ぎ込んでの無力化もしくは殺傷能力の減殺…これもそもそも原理の究明が進んでいないPSI性事案に対しては有効な手を打てるとは思えない。そもそも0853は物理的現実のみならず物理的非現実にも干渉しうる強力なPSI性事案だ。人の手でどうこう出来るとは思えない。
三つ目は機構に対して比較的友好的な神格性事案に協力を要請する…これもなかなか厳しいモノがある。気まぐれで気儘なカミサマ達に不用意に頼るというのはリスクが大きい。下手を打てば猛犬を処理する為に羆を解き放つ様な事にもなりかねないのだ。一応最終手段として考慮にも入れてはおくが、出来れば避けたい手段でもある。
四つ目は友好関係の構築…そもそも0853が知性体かどうかも判然としないのだ。説得のために研究者を0853-イに相対させるのはあまりにもリスクが大きい。
「…詰んでませんか?」
「詰んでますね…」
がっさんと大嶋君の二人が顔を見合わせる。
そうか、十河の爺はこうなることを予期していたのだろう。それ故に私たちの所に0853を持ち込んだのだ。
あの爺…分かってたんなら教えとけや!!
「博士、どうしますか?」
「どうするもこうするも…やるしかないでしょ…」
諏訪先生の問いに溜息交じりで応える。
あーあ…嫌だなぁ…
用語解説
『PSI』
超能力
精神エネルギーを用いて行使される超常の事象の総称である。
大きく超感覚的知覚(ESP)と念動力(PK)の二つに分類される。
『ESP』
超感覚的知覚
受動的(passive)精神エネルギー利用による情報伝達能力の総称である。
脳幹及び脊柱内の精神エネルギー受容体と五感が連動する事によって能力の行使が可能になる。
世界線の干渉を受けにくい精神エネルギーの特性上、不完全ながら未来を予知することも可能である。
『PK』
念動力
能動的(Active)精神エネルギー利用によって物理的干渉を引き起こすPSI能力の総称
ESPと異なり自己の精神エネルギーを放出するため、訓練等で後天的に能力を獲得することは不可能とされる。
能力者の絶対数が少なく研究が進んでいない分野であるが、能力者の前頭前野に何らかの精神エネルギー増幅及び放出の為の器官があると推測されている。
僅かな能力の発揮であっても容易く精神エネルギー受容体の破壊を行うことが出来るため、冷戦期には各国がこぞって研究を行っていた。
『精神エネルギー』
知性体が有する情報エネルギー
pi/mという単位で表記される。
非現実性エネルギー、超現実性エネルギーと並ぶ超常の三大エネルギーの一つ
場の雰囲気や空気感といった物は精神エネルギーを介して伝達されている。
微量であれば情報伝達の為に有益ではあるものの、人類の精神エネルギー受容体は脆弱であり、防護措置をとっていない場合通常環境の1.3倍の精神エネルギーに曝露する事で致命的な損害を被る。
『管理収容施設』
事案性事物を安全かつ確実に制御下に置くために設けられた施設。
支部や研究所に設置されたものから、三大特定管理収容所まで様々な形態がある。