開かずの教室調査計画 1
東京都立川市 環境科学研究機構中央医療センター
「ちょっと!走らないでください!!」
「ごめんなさい!急いでますんでっ!」
どたばたと騒がしい足音と、聞き慣れた声に藤森伽耶は読んでいた本から顔を上げた。
バンッと勢いよく開かれたドアの先にいたのは彼女の上司である千人塚由紀恵博士だった。
息を切らして大汗をかいている。インドアなイメージの上司には珍しく、そんな状況でもその目は妙にギラついている。
「ぜー…ぜー…藤森ちゃんっ!お待たせ!!」
「ど…どうしたんですか?!」
とりあえず、息も絶え絶えな博士を椅子に座らせて冷蔵庫からポカリスエットを取り出して手渡す。
「グビッ…グビッ…グビッ…ぷっはぁっ!!」
「それで…どうしたんです?怪我人のお見舞いに来るテンションじゃ無いですよ?」
彼女自信、この博士の頓珍漢な言動には慣れているつもりではあったのだが、先々週お見舞いに来てからの博士の行動は驚きを通り越して気が触れたのではないかと心配になってしまう程だった。
前回から今回までの間にも複数回電話連絡があったが、服のサイズや左腕の長さなどを聞いて、知りたい情報を得たらすぐに電話を切ってしまうような有り様であった。
(というか…仕事はしてるんだろうか?)
0027の対応をサボる…等ということはしないだろうにしても、こんなところに来ている余裕などはないはずなのだが…彼女はその辺りも心配していた。
そもそも田島調査員と彼女が命懸けで掴んだ調査の好機である。
「藤森ちゃん!手術するよ!」
「はぁ…へっ?手術ですか?いつ…?」
「今からっ!」
「はあっ?!」
「博士…諏訪先生…インフォームド・コンセントって知ってます?」
手術を終えて目を覚ました藤森ちゃんの第一声はそれだった。
「…?なんかコンセントの種類?」
残念ながら電気工事士の経験は無い。
「いや、すみませんがあまり家電には詳しくないもので」
諏訪先生もわからない様子だ。今度技術課の誰かに聞いてみよう。
「いえ…もういいです。というか…これを作っていたんですか?この忙しい時期に…」
「いや、ちゃんと調査も進めてるよ?これは業務時間外に皆で研究して作ったから、本業には影響出てないよ!」
「でしょうね…まあ博士の事だからそんなことだとは思いましたけど…」
藤森ちゃんはため息をつきながら右手で頭を掻いた。
そう、右手で…
私達が急ピッチで開発を進めていたのがこれだ。
mk.9やXXXを生み出した有志の力を再び結集して作り上げた義手、今装着しているのは日常生活用の品の試作品に過ぎないが、各地の研究所の有志が任務用や隠密作戦用など、多種多様なモデルを作成してくれているから、それらもすぐに届くはずだ。
「…こんなことしてる暇があるんなら…もっと0027の調査を頑張れば…いい、のに…」
「うん、そうかもしれないけどさ…やっぱり藤森ちゃんにはうちにいてほしいなって思ったから」
「ほんとに…ほんとに…皆さんは…」
右腕を愛しそうに胸に抱いて涙を流す藤森ちゃんの姿を見ながら諏訪先生にサムズアップを送ると、ウインクが帰ってきた。
互いに手応えは抜群、といったところだろう。
「ありがとう…博士…諏訪先生…」
「喜んでいただけたなら頑張った甲斐があったと言うものです」
「そんなに素直な藤森ちゃんが見れたんだもん、お釣りが来るよ!」
「もう…ふふ…相変わらずなんですから…」
年をとると欲が無くなる…あれは嘘だな…
失いたくないとこれだけの事をして、手に入ったとなったらこんなにも嬉しいのだから…
東京都足立区 舎人 環境科学研究機構仮設研究所
一週間後、藤森ちゃんが元気になって帰ってきた。
「『腰帯兄弟』でそんなシーンがありましたね」
「腰…え?」
「…バンドオブブラザーズ…ですかね…?」
「ああ…」
大嶋君の指摘で理解した。
…あのタイトルはそういう意味では無かったと思うが
「それで合ってますよ?横文字は分かりにくいかと思って私が翻訳したんで」
藤森ちゃんが荷ほどきをしながら言う。
静代さん英語分かるって教えた方がいいんだろうか?まあいいか…
「でも随分早かったね?元々の予定でもあと半月は入院の予定だったのに」
「…」
まさか…
「お医者さんの許可はちゃんと貰ってるんだよね?」
そんなところでバンドオブブラザーズするとは…しかも病院脱走はコンプトン中尉じゃなくてマラーキーとかその辺じゃ無かったか?
「退院の許可なら!」
ならいいか…
ふと、仕事携帯が鳴った。
「ん?所長だ、ちょっとごめんね」
藤森ちゃんが苦々しい顔をしたようだが…
「はい、千人塚です。ええ…ええ…はい戻ってま…え”っ…はい…はい…あー…とりあえずそっちで処理しといてください。…まぁまぁ…大丈夫ですから…はい…はーい…じゃあそういう事で…はいよろしく!」
電話を切る。
「はぁ…」
まあ…よくあるトラブル、特に調査員にはありがちな事だけどさぁ…
「博士…?」
うん、藤森ちゃんも電話の内容を口に出すまでもなく分かっている様だ。
「藤森ちゃん、お医者さん脅迫して退院の許可を出させるのはどうかと思うよ?あと、後輩にそういう裏技を教えるのもね?」
「すみません…」
「げぇっ…なんで知って…」
「なんでって…大嶋君、君常習犯でしょ?」
『きさらぎ駅』で重症を負った彼も同じ様な方法で病院を抜け出してきた。
「まぁ…うちには諏訪先生もいるから…でも暫くは内勤だよ?それとリハビリはちゃんとやること!いいね?」
「はいっ!」
まったく…一生懸命なのはいいけどさぁ…
東京都立西新井工業高等学校
「B-2890、それでは進んでください」
『あー、博士さん…屋上に行くだけでいいのか?』
「ええ、それで構いません」
藤森ちゃんが戻ってきた日の夜、私達は特定調査員を活性化の進んだ0027-ホ『13階段』に登らせる実験を行っていた。
今回の実験の責任者である鞠地博士は、彼の研究室の面々と共に現地に行っているので、特定調査員の誘導等は私達の仕事だ。
しかしまあ、久々に安全な状況で行える実験である。鞠地博士には感謝しなくては…いや、あの人は単純に現場出たがりなだけか…
特定調査員には有線式のカメラを持たせてある。0027-ハ『開かずの教室』の内部にまで侵入出来れば大きな前進だ。
とはいえ0027-ホを登りきれる可能性は約40%、0027-ハに侵入出来る可能性は20%とあまり高くない。
更には侵入時の生存率は0.01%程度と非常に低い。というか、今まで生還した人間が一人しかいない。
まあ、今回は生還させる必要が無いので多少は気が楽ではあるが、もし予測通り0027-ハが0027の中枢だった場合、どうやって攻撃すべきかも考えなくてはならない。
「博士、XXXを貸してあげなくてよかったんですか?」
がっさんが言うのは鞠地博士一行についてだ。
「うーん、一応聞きはしたんだけどね…断られちゃった」
「鞠地博士も『分かってない』人だったんですか?」
「いやいや、博士は『分かってる』側の人だよ」
何せXXXの使用を提案したときには子供のように目を輝かせていたからだ。
「ただ…あそこんちは、ね?諏訪先生」
「まあ…そうですね、確かに彼らには必要ないかも知れませんね」
「…?」
『ひ…ひぃぃぃ…なん…なんだこれ…!』
がっさんが怪訝そうな顔をしたとき、スピーカーから特定調査員の悲鳴が響いた。
「B-2890どうしましたか?」
『ゆ…床が…床が…』
ダメそうだ。わざわざ精神汚染耐性の強い特定調査員を用意したと言うのに…
「鞠地博士、ダメだったみたいです。回収をお願いします」
『あー…千人塚博士、カメラ以外は持ち帰れなさそうです』
「どうしました?」
『かなり迫ってきてます。申し訳ないですが、少し…』
「分かりました。お気をつけて」
通信が切れる。
「がっさん、各構成要素の活性状況を!」
「…マイナス不平衡が急速に増大しています!」
そりゃそうか…0027が一つの事案であるとすれば中枢への接近は是が非でも避けたいだろう。
「0027-イはどうなってる?」
「と…閉じたままです、けど…しゅ、周囲、にマイナス不平衡の…エネルギーが…」
片切君の言葉に一先ずは胸を撫で下ろす。
「大嶋君、学校敷地内にいる要員に避難命令を出して!暫くの間誰も敷地内に入らないように!」
今まで通りの方法で反撃してくるのであれば、学校の敷地を出てしまいさえすれば安全だ。
『千人塚博士!いったい何が…』
「説明は後です。大伴博士も避難を」
現在学校敷地内には鞠地博士、大伴博士、大野博士、源博士達がいるはずだ。
とりあえず残っている各研究室と連携して波及影響が周辺に及ばないように手を打たなければ…
流石に鉄火場慣れしている機構の職員だ。
一目散に逃げるとなれば、その動きは正に疾きこと風の如くである。
封鎖のために駆け出して行く大嶋君達に藤森ちゃんが早速ついていこうとしたり、黒川博士がこれはチャンスとばかりにXXXに乗り込んで突撃しようとしたりと小さなハプニングはあったものの、概ね恙なく避難は進んでいる。
「…こないなヤバいことすんなら、先に一声掛けといて欲しかったわ」
「あー…そういや連絡してなかったね」
周辺の封鎖や必要に応じて打撃力を提供してくれている今作戦の為に編成された任務部隊『用務員』の指揮官加西主務調査員が、妙に違和感のある関西弁で文句を言ってくる。
もっともな意見だが、私や鞠地博士もまさかここまで大事になるなんて予想もしていなかったのだ。
「まあ、ええわ…ほんで、なんか分かったん?」
「うーん…たぶん…?」
「…部隊動かすのもただじゃないんよ?」
痛いところを突いてくる。
「ただ、敵のアキレス腱は分かったと思う」
「そらすごいやん!」
「ただ攻撃方法の調査にはまだ時間がいるかも…」
「さよか…まあこんだけ博士が揃っとるんやし、何とかしてくれるんやろ?」
「そこは任せて」
「信じとるよ」
大分疲れ切った顔でそう言うと、彼女は部下達の方に歩いて行った。
…思えば各研究室が割と大掛かりにやりたい放題やっているせいで『用務員』の皆には大分負担がかかってしまっている。
指揮官が顔馴染みだからと甘えずに報告くらいはちゃんとした方が良さそうだ。
「博士、被害報告出ました」
「ほいほい…うわぁ、結構出ちゃったね…」
大嶋君が手渡してきたタブレットには各研究室の被害の第一報が表示されている。
死者が出なかったのは不幸中の幸いとはいえ、負傷者と機材の損耗が大きい。
特定調査員の破棄も結構な数になってしまっている。
加西調査員の指摘では無いが、結構なコストがかかってしまう結果になった。
だが、対超常においてコストの事ばかり考えて自縄自縛に陥ってしまうのは愚行だ。
要はコストに見合った結果を得られればいいのだ。そう、まだ無駄遣いと決まったわけでは無い!
「それと鞠地博士達がまだ…」
「私達がどうかしましたか?」
「うおっ!鞠地博士?!」
背後に現れた鞠地博士に大嶋君が素っ頓狂な声をあげた。
「あ、お帰りなさい鞠地博士」
「ただいま戻りました」
状況が掴めないからか、口をパクパクさせている大嶋君は一先ず無視だ。彼にはしばらく金魚になっていて貰おう。
「人的被害は…無さそうですね」
「逃げる途中で足を挫いたくらいですね」
「機材はどうです?」
「ダメですね、データぐらいしか持ち帰れませんでした」
残念ではあるが、データが手に入ったのなら大きな前進だ。
「まずは皆さんが無事で何よりです」
「ははは、ありがとうございます。それではデータが纏まったらそちらに送りますよ」
「よろしくおねがいします」
鞠地博士が救急車へと歩いていった。確かに右足を引き摺っている。まあ、湿布でも貼っておけば平気だろう。
「博士…鞠地博士はどうやって…」
「ん?ああ、鞠地博士はPSIだからね」
大嶋君の問いに答える。
「PSI…静代さんみたいに強いんですか?」
「いやいや、PSIって言ってもよくいるESPだよ?」
鞠地博士の能力はよくあるプレコグニションだ。
ただ、その能力は限定的ではあるものの、対応局面においては絶大な力を発揮する。
「対応局面…」
「視線察知と危険察知って呼ばれてるね」
体調にもよるが、概ね10分後までに自分に降りかかる危険と同じ範囲内で他者の視線を予知する能力だ。
通常であれば収斂・分岐の済んでいない未来の予知は強力なPSI能力者をもってしても不確実な情報しか得ることは出来ない。
しかし鞠地博士の能力は予知の範囲内においては収斂・分岐のルートすら予知してしまうというのだから恐ろしい。
そういえば、鳥医研の研究チームが鞠地博士の能力を応用した未来予知システムの作成に血道を挙げていたと思ったが、成果についての情報がまったく上がってこないのは…まあそういうことなのだろう。
なにしろ、PSIについては未だ分からないことだらけなのだ。
「そんな能力があるからね、あの人は現場に出ても早々死ぬような人じゃ無いよ」
「うらやましい能力ですね…」
大嶋君が言う。日々危険と隣り合わせで業務を遂行する彼ら調査員には喉から手が出るほど欲しい能力だろう。
今度、諏訪先生に能力の調査を頼んでみようか…いや、ダメだな…鞠地博士の身が危ない。即ち研究に着手すること自体が不可能だ。
「しかし…なぜ鞠地博士は自分達にも能力を…?」
「さぁ?びっくりさせたかったんじゃない?」
機構の博士など変わり者の集団だ。正直何を考えているのか、それとも何も考えていないのかなどわかったものじゃない。
「さて、一先ず皆帰ってきたし…私はデータの分析に行くね?ちゃんと加西ちゃんの言うこと聞くんだよ?」
「はい、分かってますよ」
さあ、事後処理はプロに任せて私は私に出来ることをしよう…眠いけど…




