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呪いのビデオ 2

長野県大町市 甲信研究所 千人塚研究室


「博士、おはようございます」


「んぇ……がっさん……?」


いつの間にかうたた寝をしてしまっていたらしい。

昨日がっさんが帰って行くのは見ていたから……


「うそ……もう朝?」


「はい、朝ですよ?」


通勤用のシャトルバスの最終便がここに到着するのが8時だから……おそるおそる時計を確認する。

8時7分……だいぶ寝てしまった様だ。


「うへぇ……徹夜する予定だったのに……」


昨日得た観測結果の精査を一晩で終わらせて、今日はそれをフィードバックして0853-ハを精密に観測する予定が……


「まぁまぁ、まだ特定調査員も一人目でストックも余裕ありますから、そんなに焦らなくても平気ですって」


言いつつがっさんがコーヒーを淹れてくれた。


「ありがとう。でも残機の問題じゃ無いよ」


そもそも、0853は十河のじじいが無理矢理ねじ込んできた案件だ。残機が足りなくなれば石狩や五島、三大管理収容施設から活きの良いのを引っ張ってくるつもりでいる。


「早く終わらせて、ジェットババアに戻らないと」


現状東京支部と南関東研究所、それとうちのフィールドチームが被害を最小限に食い止める為に動いてくれてはいるものの、それは飽くまでジェットババア出現地域の封鎖等の対症療法に過ぎない。

現状管理収容へ向けたプロセスは第一段階として首都高の中への封じ込めが終わった段階に過ぎず、進捗状況は三分の一以下という体たらくだ。

しかも、それは私が立案した計画が全て予定通りならばといった注釈付きだ。

そもそも何でもありの『事案』への対処が予定通りに進んだ試しなど、永くこの仕事をしてきて一度あったかどうか……というレベルである。


「そうですね……納車までにはこっちもひと段落つけたいですよね」


「納車……車種は決まったの?」


「ええ、R35を発注しました。改造に必要なパーツと一緒に」


「あー、GTRだっけ?」


「はい、所長に見積もりを見せたら青ざめてましたよ」


私たちが呪いのビデオを引き受ける交換条件は、ジェットババア追跡車両の購入だ。

観測車両と捕捉車両の二台で、更にはがっさんのスペシャルチューニング分の部品代もかかる。とんでもない金額になっていそうだが、逆に言えば外部のチューニングショップに頼まなくて良い分、お買い得と言えるのかもしれない。

うん、その可能性はゼロじゃない。

がっさんが公私混同で趣味を爆発させる可能性はこの際考慮しないものとしておこう。


「じゃあ車が届いたら、がっさんには技術課の連中と一緒にそっちの準備に入ってもらった方がいいかもね」


どのみち車は専門外なのだ。不得意なことは得意な人に丸投げしてしまおう。


「んー、最終調整とエンジン回りは自分でやりたいですけど、それ以外は技術課に任せて平気だと思うんで、基本こっちで大丈夫ですよ」


「本当?助かるけど……」


「頑張ってさっさと終わらせちゃいましょう!」


我が千人塚研究室は大規模なフィールドチームを抱えているものの、研究職の数が極端に少ない。というか、主任研究員以上は私とがっさん、主幹医療研究員を兼務する諏訪先生の三人だけだ。

平研究員や研究主査は機構においては助手的な扱いなので、事実上三人で回していく必要がある。

そもそもこんな人数で事案を掛け持ちさせるとは、理事会は何を考えているのだろうか……

いやまあ、何を考えているのかは想像がつく。

危険な致死性事案?千人塚に投げときゃへーきへーき!だ。

無茶な実験をしないように口を酸っぱくして言っていたのは理事会の方だったと思うが……

人手不足は分かるが、もう少し労働者に優しく出来ないものだろうかと思いつつ、デスクのPCを再起動して今日のパスワードを入力する。

メールは……他の研究所の報告書が24件、甲信研の他の研究室の報告書が2件、連絡事項の全体送信メールが1件、所長からのメールが1件……

連絡事項は最近扇沢駅で熊の目撃情報が多発しているから注意するようにという割とよくあるものだが、問題は所長からのメールだ。どうせ碌な事じゃ無い。

開いたメールの内容を要約すると、九一研(くっぴんけん)(九州第一研究所)から新規に搬入される予定の事案の研究担当にうちの諏訪先生をあてたいけどどうだろう?というものだ。


「はぁ……ばかめ……」


「どうしたんですか?」


「どうしたもこうしたもないよ、これ!」


がっさんにメールの文面を見せる。


「ああ……そういう……」


「今諏訪先生に抜けられたらどうにもならないっての」


メールには大手製薬会社『雨傘製薬』の秘匿実験場を警察とともに強制捜査した際に押収した人由来の合成生物とある。

医学、薬学、遺伝子工学に高い知見を持つ諏訪先生におあつらえ向きだし、そもそも諏訪先生自身がこの手の製薬会社出身で、当時は事案的な特徴を持つ生体兵器開発に携わっていた事もある。

ただ、そういった経歴と経験は諏訪先生の心に少なくない影響を残していることは、大なり小なりこの研究室の面々は皆知っているし、もちろん所長だって分かっているはずだ。そもそも、医療研究や遺伝子研究の類を統括する五木理事はその事をよく知っているはずなのだが……となると事案的生物を担当する二葉理事経由の依頼だろうか?

どちらにしても、所長が断れよなぁ……いや、あのヘタレじゃ無理か……

『人手不足なので無理です』と返信して、がっさんの淹れてくれたコーヒーを飲む。


「でも、なんでうちなんでしょうね」


「なにが?」


「いえ、改造人間って事は医療研究所の管轄ですよね」


「ああ……確かに」


仮に危険度が高いとしても、一号事案以下の特定管理事案に対応出来るPgSLグループ4相当の六医研(六ヶ所村医療研究所)や鳥医研(鳥海医療研究所)もある。態々生物系の設備の弱いうちに持ってくる必要も無い。


「今、医療研究所はパンクしてるから」


「あ、所長、おはようございます」


「所長、諏訪先生は出せないですよ? ていうかデリカシー無いんですか?」


いつの間にやら所長が部屋に入ってきていた様だ。


「いや、わかってはいるんだけど……」


「というか、医療研究所のパンクって?」


「雨傘製薬からの押収品が多すぎてどこも手一杯でね……それで施設の気密性の高い特定管理研究所にも幾つか割り振られる事になったんだよ」


医療研究所のキャパシティを超えるとは、中々に大規模な施設だったのだろうが……


「それならそれで、根室マン共に任せときゃいいでしょう?」


根室研究所直轄班、通称根室マンは事案の破壊方法の研究とその実践を担当する連中だ。

事案による対事案安全保障、事案の秘匿と平和利用の三本柱を命題とする機構においては異端中の異端と言えよう。

早い話が浮いている。


「そんな無茶苦茶な……」


「とにかく、諏訪先生は出せないです」


「わかった、わかったから!他に回すからコーヒーかけようとしないで!」


「まったく……」


とぼとぼと去って行く所長を見送り、がっさんと今日やるべき実験について相談する。昨日の実験である程度は0853について見えてきたものの、まだまだ分からないことだらけだ。



甲信研究所 第17電磁遮蔽観察室


「そういえば、昨日の死体の解剖って終わった?」


実験の準備を進めながら諏訪先生に尋ねる。


「ここで出来る分は終わりましたが……潟医研(新潟医療研究所)に送った検体の調査結果はいつになるか……」


「やっぱり雨傘製薬の影響?」


諏訪先生は肯いた。まったく迷惑な話だ。


「昨夜結果を持っていったんですが、ぐっすり眠っていたようだったので」


言いながら、書類の束を手渡してくる。


「起こしてくれればよかったのに」


パラパラと目を通してみるが、結局の所異常な兆候は見受けられないといったところか……


「……それにしても頸椎摩滅って凄まじいね」


「瞬間的に43.5t程度の力で首を絞められた様です」


死体の首に残った手形から正面から両手で扼殺された様だが、それでもぱっと見は出血も無いただの扼殺体だった。器用な事をするものである。まあ、片付けの手間が省けるのは有難いが……


「オカルトっぽいのに、やることはゴリゴリ力任せの物理攻撃かぁ……」


「しかし、0853-イの正体が見えてくる様には思えませんか?」


「ていうと?」


「0853-イがやったように、正面から両手で首を絞めるというのは、一般的に深い憎しみを抱いている相手を殺す時に選択されがちです」


「うーん……でも結構無差別に見えるけど」


事実、0853によって死亡したのは年齢も性別も経歴も思想もバラバラの人々だ。


「恨みや憎しみなんて言うものは自分本位なものですからね……結局何を思っての事かというのは究極的に本人以外には理解なんて出来ないでしょう」


「人それぞれってやつ?学者泣かせだね」


「ははは確かにうちのメンバーの苦手分野ですね」


ただそれでも、原理と現象は解明しなくてはならない。結局の所、それが私達の仕事なのだから……



甲信研究所 千人塚研究室


「それで、成果はどうですか?」


「まだ推測の域は出ないけど、大分確信してはきたかな」


私の推測としては、0853の本体はVHSでは無い。0853-イこそが、恐らく0853の本体だ。


「0853-イは多分情報生命体とか電波生命体に近いものなんじゃ無いかな?」


「なんだか一気にSFじみてきましたね……」


「オカルトじみてるよりはいいでしょ?」


「でも実在するんですか?」


「例が無いわけじゃ無いよ?むしろ昔から日本にいる事案だと多いくらいじゃ無いかな」


物質的実体を持たない情報生命体や電波生命体は幽霊や妖怪として認識される事案には意外と多い。

偶然何らかの方法でそれらを認識出来る人間、もしくは出来た人間が霊能力者等と呼ばれたりもしている。古代のシャーマンなんかは高度な情報生命体とコンタクトを取っていたとも考えられている。


「ちなみに私のアクセス権限で聞いても大丈夫な話ですか、これ?」


「全然問題ないよ?むしろ使い道があんまり無いから皆あんまり知らないだけで、東二研(東北第二研究所)とか山陰研(山陰研究所)とかのオカルト全力の研究所だと半分以上そんなんだよ」


「へぇ……知らなかったです……」


「ちゃんと興味ない分野のレポートも読んどいた方が良いよ?」


がっさんのデスクのPCにも毎朝報告書が送られてきているはずだが、どうせオカルティックなのは読んでもいないのだろう。


「あはは……いや、技術的なのとか超科学的なのはいいんですけど、オカルティックなのはどうしても眠くなっちゃって」


「はぁ……まあそういう人多いけどさ……」


徹底的な分掌化の影響だろう。スペシャリストが多いのは結構だが、体系化出来ないからこその事案である。


「流し読みくらいでいいから読んどきな?雰囲気だけでも知っとくだけで大分違うから」


「うぅ……頑張ります」


しかし、体系化出来ないからこそのとは言ったものの、長くこの仕事をしていれば何となくの傾向の様なものが見えてくるのも事実なのだが……0853に関してはどうにも腑に落ちない事がある。


「ただ、情報生命体にしろ、電波生命体にしろ普通だったらこんな馬鹿力出せないはずなんだけど……」


「そうなんですか?勝手なイメージですけど、お化けって結構怪力なイメージありますよ?」


「大抵幽霊扱いされてる事案って、直接相手に触れないものなんだよ」


良い機会なので、がっさんに幽霊講座を始めよう。


「幽霊に首を絞められたり、組み伏せられたりってよく聞くよね?」


「はい、成人男性でも振りほどけないとかって」


「あれはね、力で押さえつけてる訳じゃ無くて、相手の脳にそう思わせる情報を流し込んでるだけで実際には本人が勝手に窒息したり動けなくなってるだけな訳、だから平衡計では検出出来ないの」


原始的な情報生命体であれ、高度な知性を持った情報生命体であれ、基本的にはそうやって相手を捕食するものだ。


「情報生命体のエネルギー源は、私達みたいな有機生命体が死ぬときに発生する超短時間超低周波律動っていう理論上の情報エネルギーだって言われてて、だから幽霊は人を襲うんだって考えられてる……この辺は私より赤須博士の方が詳しいから機会があったら聞いてみ?」


「はい」


どう考えても0853は赤須博士向きの事案だ。少なくとも私向きでは無い。


「ただ、同じく情報生命体に分類される神格性事案はちょっと違ってね……彼等の事を平衡計で計測するとどうなると思う?」


「平衡計でですか?やっぱり検出出来ないんじゃ……」


「ううん、神格は大きくプラスの平衡値になる」


「プラス……って……」


「そう、彼等はどんなに現実性が低いように見えても、実際はこの世界の何よりも高い現実性を持っている。というより、彼等の起こす非現実は現実として認められるって言う方が正しいかもね」


何も無ければゼロ、非現実が生じればマイナスの値を示す平衡計がプラスを示す事の意味は、対象の現実性が現実を上回っている事を示している。

現実以上の現実性は虚数解とも言うべきものではあるが、実際に彼等はこの世界にそれをいとも容易く表出させる。


「まあ、だから神様なんでしょ?」


「……恐ろしいですね」


「うん、私達が原理の究明を断念するくらいにはね」


とはいえ、と私は続ける。


「0853の平衡値はあくまで弱いマイナス、神様じゃない分楽なもんだよ、きっと」


そう、あくまで非現実的なよくある事案だ。どうとでもなる……はずだ。

用語解説

『博士』

『機構』における研究室長たる主務研究員及び主幹研究員に対する敬称

学位としての博士号とは関係が無いが、『機構』の研究員はほぼ全員が複数の博士号を保有しているため、博士はかせと言った場合はほぼ例外なく本項の用法である。


『先生』

『機構』における医療要員の責任者たる医療主務研究員及び医療主幹研究員のうち、医師免許を保有し、かつ治療における臨床経験を有する者に対する敬称

直接の指揮統制下に医療要員を抱えていれば中央医療センター長から出張所の医務室長まで全員『先生』である。


『現実性平衡』

主に極東地域で使用される事象の現実性を現す指標

『現在原理』の『時空振幅理論』を元に大正末期に提唱された理論が初出とされる。

実証は1985年、ソヴィエト連邦の物理学者ウラジーミル・アレクサンドル博士と日本の千人塚博士の共同研究チームの手によって成される。

0±50までが現実平衡状態、+50以上が+不平衡、-50以下が-不平衡とされる。

曝露対象の非現実抵抗値(ARRV)超現実抵抗値(ORRV)にもよるが一般的には中枢神経に±75の不平衡エネルギーを受けると致死もしくは超常的変異を引き起こすとされる。


『雨傘製薬』

「小さなクスリ 大きな未来」

富山県に本社を置く製薬大手企業

最新の製薬技術と漢方医薬を複合した副作用の少ない薬を作る事で有名

非公式の超常分野では生体兵器や伝染性超常兵器を販売しているとされるが公式に否定している。


『残機』

特定調査員の俗称

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― 新着の感想 ―
[良い点] 雨傘製薬……なんだろう、すっごく聞いたことある会社な気がします。ひょっとして地下極秘施設を持っていて、女の子のアバターをしたAIが管理していたりします? [一言] 初っ端からSCPオマージ…
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