聖域 3
長野県 諏訪市 山陰研究所諏訪出張所
諏訪大社に程近い場所に作られた山陰研の出先機関に到着すると、私は皆とは別室に通された。
「それで…何でしょうか?」
テーブルの上のちっちゃいおっさんに尋ねる。とりあえず機構の関係者であることは間違いないだろう。まあ、アンデットやリビングデッドが普通に働いている組織だ。コロポックルがいたところで不思議は無い。
「その前に自己紹介をさせて欲しい。僕の名前は少彦名、普段は君達と同じ職場で『三國』って名乗ってるよ!」
は…?
「は…?」
思ってる事がそのまま口をついてしまった。馬鹿だと思われてしまう。
だが、仕方が無いだろう。三國理事の正体はSPIの情け無いおっちゃんだと機構内では就任以来ずっと噂されてきた。
それが…少彦名?国造りの神だなんて信じられるだろうか?
いや待てよ?機構の理事は基本的に自分の正体については明かさないものだ。このちっちゃいおっさんも、恐らくは何らかの別の小人だろう。
「いえ…失礼、三國理事…その、お姿が想像していたのと大分違ったもので…私は千人塚由紀恵です。こうしてお会いするのは初めてですね」
「いや、実は過去に何度か会ったことがあるんだよ?比売は大名持に会ったことあるでしょ?」
オオナムチ…ああ、大国主命の事か…
「ええ、本当に遙か昔の事ですが…」
古代の神格存在で、大きなクニの王だった。
「そんとき僕もいたんだよ!気が付かなかったでしょ?」
まあ、ちっちゃいからな…
「そうだったんですね…」
まあ、調べりゃ分かることでもある。
「ということで、お互い自己紹介も済んだところで本題に入ろうか」
謎の武装勢力に占拠されているという甲信研究所の事か?それともさっきのキチガイの事か…いずれにしても話すべき事は山ほど…
「僕のお嫁さんになって下さい!!」
…本当に国造りの神かも知れない。当時の神格存在と文脈がまるっきり同じだ。
「はぁ…少彦名命…」
「初めて見たときから気になってたんだけど、訪う前に常世に旅に出ようって決めちゃったから…でも再会できたのは運命だよ!」
「ごめんなさい、背の高い人がタイプなんです」
「そこをなんとか!」
「くどいっ!」
「はうっ!」
しつこいのでデコピンをしたら飛んでいってしまった。
「いてて…そんな毅然としたところも素敵だね!子供作ろ?」
「次はグーで行きますよ?」
「うぅ、わかったよぅ…やっぱり大名持の言う通り和歌を贈るべきだったかなぁ…いやでもあんまり今っぽく無いし…」
何やらブツブツ言っている。実に緊張感が無い。うちの所長だってもう少しピリッと…いや、そうでも無いか…
「そんな事はどうでも良いです。それより聞きたいことが山ほどあるんですが」
「どうでも…いや、まあそうだろうね、じゃあわかってることだけ説明するよ」
件の男は人工事案性事物を担当していた執行部理事の四宮理事…いや解任されたらしいので元理事なのだという。
特定管理事案を含む多数の事案性事物を持ち出した彼は『唯一絶対たる秩序の福音』と名乗り、部下を含む多数の機構職員『きさらぎ駅』とともに姿を消した。
『唯一絶対たる秩序の福音』の名は、機構本部に爆弾を仕掛けようとして捕獲された秘書科隊員が口にしたらしく、その口振りから宗教団体と目される様だ。
私達の居場所は、三國理事こと少彦名命が神々と協力して発見し、建御雷命とともに救出してくれたのだという。
「山陰研の物部博士からの通報でピンときてね、大名持に頼んで天の神に動いて貰ったんだ。まあ脅迫じみた宇気比だったけどね」
誓約…占いの一種で「こうであればこうなる」みたいなやつだったか…
「どんなだったんです?」
「仮に天の神が四宮に捕らえられている機構の職員を一人も欠けずに助け出すことが出来れば、芦原中つ国は地震で海に沈まないって!」
「脅迫じゃ無いですか」
「脅迫だね」
「というか…一人でも死んでたら…」
「まあ、宇気比は絶対だから」
おいおい…いや、この国の神に助けを求めるとはそういうことだ。
「とまあ、僕のコネで全員無事に助かったってわけ!どう?惚れ直した?」
「いえ、感謝はしてます」
「えー…大名持だけじゃ無く母上にも結構大きな借りを作ったんだけど…」
「マザコンは更に無理です」
「そんなぁ…」
母上…神産巣日神の事だろうか?だとすれば日本最高位の三柱のうちの一柱で地の創造神のはずだ。
事案として実在が確認されていない造化の三柱の名前がポンと出て来るとはまあスケールの大きな話である。
「ということは…大嶋君…大嶋調査員は無事なんですね?」
「うん、流石に芦原中つ国が沈んじゃうと僕も嫌だからね、一生懸命治したよ」
「そういえば医療の神様ですもんね」
「それに一応僕も宇気比の対象の天の神だからね」
だからあの武神建御雷命があれ程までに此方を気遣う様な動きをしていたのだろう。国譲りの頃の彼なら恐らくあの場にいた全員を巻き込んで四宮元理事を殺しにかかっていただろう。
それが遠雷で警告して此方の動きを待ってから動き、更には私達の安全確保までしてくれたとは、当時を知る身としては実に感慨深い。
「一先ずは安心しました。しかし…割と大事の様に思いますが…何故そこまで話してくれるんですか?」
三國理事の正体、神格存在との誓約、四宮理事の離反…たかが一研究者が聞いて良い話では無い。
「理由は大きく三つかな…まずは前任の四宮理事に代わって君が四宮理事をやってみないかというオファー」
「確か40年前も十河理事に誘われましたがお断りしたはずです」
日本最高齢の人間で『事案』研究者としてのキャリアも最長であるが故だろう。生憎と、穴倉暮らしは二度とご免だ。
「そっかー、まあ十河理事にも断られるだろうとは言われてたけどね…二つ目は今後も『唯一絶対たる秩序の福音』への対応に君達の手を借りたいから」
「私達よりも、特殊部隊があたるべきでしょう?」
「いやいや、別に比売に戦って欲しいって訳じゃ無いよ!もちろん捜索と戦闘は秘書科とかの特殊部隊が担当するけど、戦いで解決できない事案への対応とかをお願いしたいなって」
『唯一絶対たる秩序の福音』専従研究室ということだろう。いや、『ジェット婆』専従研究室なんだけどなぁ…
「ちなみに十河理事は『ジェット婆』は『唯一絶対たる秩序の福音』の仕事が無いときで良いよって言ってたよ」
あのじじい…無責任な事を…
「それじゃあ、私も大国主命に倣って誓約を一つ『私の事案としての秘密を研究室の皆と共有出来るなら、千人塚研究室は『唯一絶対たる秩序の福音』の対応にあたるでしょう』」
「ははは、それじゃあただのお願いだよ!でも分かった。天の神として誓うよ!」
あんな良い子達に隠しておくのも辛い。
「それで三つ目は…君に今回手を貸してくれた神達への歓待をお願いしたいんだ」
お祭り騒ぎが大好きなこの国の神格存在だ。今後の関係を考えるとしっかりと接待しておいた方が良いのだろうが…
「何故?もっとこう…色っぽいおねえちゃんの方が良いんじゃ無いですか?」
「いや、皆君が良いんだって!あ、髪色は元に戻してカラコンは外して、服は『も』でお願いね」
「要は皆さんがその辺彷徨いていた時代の格好でということですか?」
「そうそう!火国惣夜毘売って呼ばれてた頃の服装でお願い」
マニアックな…あれ確か古墳時代とか弥生時代とかその辺だぞ…
「もう持って無いですよ」
「準備してあるよ!」
「…うちの調査員連中に聞けば市内でムチムチプリンの皆さんがいるお店紹介して貰えると思いますよ?」
「あはは、自分では気が付いて無いと思うけど、君って神にはモテるんだよ?」
「まさかぁ…まあ、接待するだけなら引き受けますけどね…後でボインちゃんが良かったって言っても遅いですよ?」
崇められた経験は多いが、あの時代モテた経験は無い。そりゃそうだ。男女ともに健康そうな体つきが好まれる時代に、こんな不健康そうな体型では歯牙にもかけられないだろう。
最近じゃそうでも無いが、弥生人全盛期からすると顔も濃いしね
「その辺は彼らの表情で確認してよ。まあ襲われそうになったら夫である僕が守ってあげるよ!」
「夫じゃありませんけど上司として守って下さい」
「ちぇ…了解」
さて、まだ聞きたいことはある。
「甲信研究所…今どうなってるんですか?」
長野県大町市 甲信研究所 大会議室
「リスクが大きすぎませんか?」
まず赤須博士が否定する。
「いや…いける…今所内にはやばい事案はあれしか置いてないから」
続いて守矢所長が肯定する。
「今、当直室には当直司令の飯島博士が居ます。あそこからならアクセス出来るはず。いずれにしてもやるなら早く動くべきです」
羽場調査員が決断を迫る。
確かに現在の状況が長引くのはまずい。しかし、せっかく収容出来ている事案を解き放つという事に、赤須博士はどうしても抵抗感を感じていた。
「やろう、赤須博士…彼らの狙いが何であれ、野放しにしておくことは出来ないよ」
いつになく前向きな所長に押され赤須博士は首を縦に振った。
所内用メールで作戦が送られてきたとき、飯島博士は目を疑った。
(千人塚博士は今いないはずだが…)
それ程までに突飛な作戦であったが、メールに所長、赤須博士、羽場調査員の名前があるのを確認してその作戦に乗ることを決めた。
(赤須博士と羽場調査員が言うのなら…)
時を同じくして同じメールを受け取った医務室当直の大鹿医療研究員は馬鹿馬鹿しいと、一度はそのメールを無視しようとした。
しかしメールの送り主である所長が悲しむのは気が引けると思い、仕方が無いので乗っかる事にした。
(ったくしょうがねぇなあ…まあ、うちの人間には感染しないからやるだけやらせてみるか…)
千人塚博士の血液と事案戌1e-0810『Sウイルス』が大気中に解放され、所内の空調を通じて拡散する。
研究所全体にバイオハザードを示す警報が鳴り響くが、空調システムは通常時のままだ。
かつて甲信研究所を壊滅させかけた恐怖のウイルスが、今度は甲信研究所を守る武器として再びその猛威を振るい始めた。
最初の被害者は廊下を巡回していた秘書科隊員、続いて食堂…対生物災害ロックダウンが即座に行われた前回とは違い、当直司令室から意図的に信号を切ってある今回は被害は野火の如く広がっていった。
様子のおかしくなった秘書科隊員は即座に武器を奪われ拘束、もしくは射殺されていく。
一騎当千の秘書科隊員とはいえど、本能に支配されては甲信研究所の調査員の敵では無い。
あっという間に敵を無力化した守矢所長以下は生き残っている回線を見つけ、すぐに十河理事へ救助を求めた。
長野県諏訪市 山陰研究所 諏訪出張所
「とまあ、そんなわけでね…まずは甲信研究所に戻ってそのぉ…」
例の除染作業をしろってか?
「お断りします!さあ、神様を待たせては悪いので早速行きましょう!」
思い出すだけで寒気がする。
「お願いだよぉ…毘売にしか出来ないんだって!」
「そりゃ、丸鋸で切り刻まれたい系女子なんていないでしょうよ!少なくとも私はそうじゃ無いので誰か他を探して下さい!!」
随分と言い出しにくかったのだろう。最後の最後にこんな爆弾を残しておきやがって!
「大丈夫!キミんとこの諏訪主幹に頼んでおいたから!って、毘売?」
窓を開ける。五階だがこちとら不老不死だ。こういうとこで使わなければいつ使うというのか?
「それじゃあ、諏訪先生の寿命が来たらまた会いましょう!ではっ!」
「毘売ぇ!!」
もう嫌だ!しばらくどこかに雲隠れしよう。沖縄とか良いかも知れない!返還されたばっかりの頃に行ったっきりだ。うん、そうしよう!ソーキそば、ラフテー、ゴーヤーが私を待っている。
着地…やはり長い年月で受け身も上手くなったようだ。羽根の様なナイスランディング!まるで空気が私を優しく包み込む様な見事な着地だ。
「博士、そんな満足そうにして何か良いことあったんですか?」
ん?静代さん?
「さあ、博士…甲信研究所に行きましょう。所長達が待ってますから」
目を開くとそこは地上1mの空中だった。
「いくら怪我しても治るからっていっても、五階から落ちたら痛いですよ?」
そうか…静代さんがキャッチしてくれたのか…
「う…うん…」
そして気乗りしないような顔の諏訪先生…ああ、例のウイルスの謎はもう解けたから楽しくないのか
いやまて!つまんなさそうに切り刻まれる方の身にもなって欲しい。正直むかつく!
「さ、行きましょうか」
「い…痛くしないでね?」
私の懇願に苦笑いで答える諏訪先生…
「いやほら、麻酔とかさぁ!」
「効かないでしょう?」
「効かないけど!」
急迫する約束された悪夢から逃げだそうと駆け出したが…
「静代さん」
「はい、博士ごめんなさい!」
最強のPSI相手に私が逃げられる筈も無く…あえなく甲信研究所へとドナドナされていくのだった…
以上で『きさらぎ駅』編終了です。次のテーマは心霊系ネットロアの有名どころで計画しています!