聖域 2
仮称遠鉄かたす線 きさらぎ駅
「大嶋君!!」
「人がっ!話しているときはっ!邪魔しちゃっ!いけませんってっ!ママに!教わらなかったのかっ!」
倒れた大嶋君に何発も銃弾を撃ち込むいかれた男…
「やめえっ!!」
静代さんの叫び声とともに、見えない何かが私の鼻先を掠めて男に向かう。
強烈な衝撃音で我に返った私は大嶋君の元に駆け寄る。
息はある…息はあるが…
「博士!とにかく後ろに!」
諏訪先生の言葉に肯いて、大嶋君を引き摺って皆の方に下がる。
「おどりゃあなんしょんなら!!こんの大あんごう!いねっ!いねっ!」
一つ一つの衝撃音とともに地面が大きく窪んで、遅れて土塊が巻き上げられていく。とりあえず向こうは静代さんに任せておいて問題ないだろう。
「先生…!」
「大丈夫です!助けます!!」
諏訪先生はそう言うが、しかし…
腹部からの大量出血…恐らく内臓も傷付いているだろう。意識も保っていて、サムズアップとウインクを寄越してくるものの、これは単に大嶋君の強靱な体力と精神力によるものだ。安心できる様なものじゃ無い。
「んー、これはひどいっ!実に痛そうだぁ!!」
「え?」
「は?」
嘘でしょ…?こいつは向こうで静代さんに…
「おお…可哀想に…哀れな子羊が苦しみの中で藻掻きながら懸命に生きようと…はっ!これは、試練!!おおぉ…偉大なるかな唯一絶対なる秩序よ!我等が神よ!我等に哀しみを乗り越え前に進む力をお授け下さると!!はぁあぁあぁ!!いと慈悲深きその御胸に抱かれる幸福を我等にお与え下さること…」
「おどれぇ…!」
最初に会ったときの様な憤怒の形相の静代さんの、底冷えするほどの憎悪を込めた声
「まあ待ち給え、君のどえりゃー力で私をたっぴらかすのはいいが、彼等がここにいる事を忘れない方がいい。ツツヤビメノミコトは平気だろうが、彼等はどうだろうな?」
大嶋君とその処置にあたる医療チーム、庇うように展開している調査員…言葉の意味を察した静代さんが動きを止める。
人質…みみっちい事を…いや、待てよ…?
視界の端の藤森ちゃんも気が付いたらしい。小さくこちらに頷いてきた。
「哀れな悪霊よ、貴様の様な醜悪な化け物も、慈悲深き我等の神はきっとお赦し下さる!さあっともに神を讃えようでは無いか!ナンマンダブでもハレルヤでも!神は聞いて下さるだろう!!」
幸い男の意識は静代さんに向いている。アイコンタクトで皆に合図を送る。
「ああ…ああ…涙がっ…涙が止まらないっ!!なんと懐の広きことか!なんと慈愛に満ち満ちていることか!!我々はなんと幸いな事か!!貴方を信じる幸運に浴する事が…」
「今っ!」
私の合図で全員が全力でその場を離れる。うちの子達を私達から引き離さなかったのが運の尽きだ!!
「そう今!我々はまさに今この場所で神に抱かれ…んー?」
残念ながら、もう安全な距離だ。田島君に担がれながら私は彼に手を振った。
人質を取るということは、少なくとも静代さんの攻撃が脅威であると私達に教えてくれている様なものだ。
「いねやぁっ!!!」
今日一番の怒声と衝撃が、この何も無い草原に響き渡った。
日本国 某所 秘匿司令部壕-Κ
石狩研究所から21点、浜名湖管理収容施設から32点、六ヶ所村医療研究所から13点…大失態だ。十河理事は思わず呻き声をあげた。
『この他にも最低50点のアーティファクト、軽度事案性物品の所在が不明の様です。まさか私の管轄の医療研究所にまで手を伸ばしていたなんて』
四宮理事の指揮下部隊の行動を洗った結果、かなりの数の『事案』やそれに類する物品が持ち出され、所在不明になっていたことが明らかになった。その中には10点の特1号事案、3点の1号事案等の特定管理事案も含まれている。
『こりゃあ…思ってた以上にやばそうだな…』
『『やばい』なんてものでは無い…』
破局的終末事態…世界中の超常管理組織が薄氷を渡るように回避し続けてきたそれを、今や一人の男が起こしうる状況にあるのだ。
『UNPCC へ警報を発しましょう…そこにどれ程の意味があるかは分かりませんが…』
沈痛な面持ちで国際担当の九重理事が言う。
『外人共か…余計酷い事になりゃしないか?』
「とはいえ…警報を出さぬ訳には行くまい」
中華文化圏にありながら、独特の文化を育んできたこの国の事案は特殊であり、孤立的だ。この場の多くの者達は諸外国の超常管理組織の介入が齎した惨事を知っている。
それでも日本がUNPCC加盟国である以上、義務として破局的終末事態危機の通報はしなくてはならない。
「それと並行して国内の関係機関及び政府への通報もだ」
統合幕僚監部J-7、警察庁警備局広報推進室、海上保安庁特殊警救運用統合準備隊といった機構と協力関係にある国内の超常対応組織への通報と協力要請は必須である。
『…まさに終わりへの準備、ですね』
「まだ終わると決まった訳では無い」
そうは言いつつも、十河理事自身この言葉が苦し紛れであるということは理解している。
「十河理事…物部博士からの緊急連絡です」
沈痛な雰囲気の中、彼の横に控えていた秘書科隊員が一枚のメモを手渡してくる。
理事会の最中に、それも担当の違う自分に…とは余程の事だろう。
内容を確認した十河理事はふと口元を歪めた。
(ある一面では最悪の事態だが…しめたものかも知れないな)
「この内容を至急三國理事へも伝えてくれ」
この理事会における全権限を十河理事に託して欠席している三國理事、彼の置かれている状況にとってこの情報は大きな助けになるかもしれない。
甲信研究所 大会議室
「…所長、覚悟を決めた方がよろしいかもしれません」
「だ…駄目だって!」
甲信研究所及びくろ収の総合警備責任者である羽場主務調査員の言葉に守矢所長は慌てて首を横に振る。
「あなたは…この状況で怖じ気づいたんですか!」
「違うって!今そんな事したらくろ収が孤立する事になる。そんな事になれば一体いくつの特別管理事案が管理離脱を起こすか分かんないよ!」
羽場調査員の言う『覚悟』とは甲信研究所の自爆である。
甲信研究所を始めとした機構の主要研究所及び管理収容施設には、大規模管理離脱事態に備えた自爆用の大型核弾頭が準備されている。
甲信研究所とくろ収は、更に爆発によって数億トンの土砂及び黒部ダムの水が一気に流れ込む事によって内部に存在する全てを一瞬にして破壊できるように設計されている。
「であれば、くろ収諸共…」
「それもやめた方が良いでしょう。核爆発と土砂で完全に無力化出来れば良いが、くろ収の特別管理事案はそもそも物理的に破壊できないものが多い。管理離脱を防ぐために管理離脱を起こしてしまっては元も子もありません」
赤須博士が守矢所長に同意する。
「それに周辺への被害も考えると、そう易々と手を出すべきじゃ無いよ!」
甲信研究所とくろ収の自爆は要するに意図的に後立山連峰針木岳と同赤沢岳に人為的な山体崩壊を引き起こすシステムである。
どちらも長野県側、富山県側の下流方向に施設があるため、周辺地域への土砂災害被害は甚大なものとなるという試算がなされている。特にくろ収に関しては黒部ダム堤体が致命的な損傷を被る事で、ダムの決壊及びそれに伴う黒部川の鉄砲水、流域の土砂崩れ、土石流が発生するとされており、宇奈月町から黒部川扇状地一帯が壊滅的被害を受けると予測される。
「羽場君…気持ちは分かるけど落ち着こう。きっと千人塚博士ならこういうときとんでもない方法でどうにかするでしょ?僕らは千人塚研究室出身なんだから、きっとその方法を見つけられるはずだよ!」
「というと…何かアイデアが?」
意外と頼りになるところを見せた守矢所長に赤須博士は尋ねる。思えば守矢所長もあの千人塚研究室出身であり、千人塚博士の型破りな手腕を間近で見てきた一人なのだ。普段は頼り無くともこういった事態では人一倍場数を踏んでいるはずだ。
「いや…それは特に何も…」
…やはり自爆が一番なのかも知れない。この所長一人で…
一瞬見直してしまった自分が酷く滑稽に感じて赤須博士は聞こえよがしの大きな溜息をついた。
「そんな呆れたみたいな溜息つかないでよ!」
「ん…溜息?」
羽場調査員が小さく呟く
「そうだよ!羽場君も聞いたでしょ!酷いんだよ赤須博士ってば…」
「ちょっと黙ってて下さい!!」
「羽場君まで?!」
俯いて何かを考える羽場調査員…
「所長、博士…賭けではありますが、いいアイデアがあります」
仮称遠鉄かたす線 きさらぎ駅
完全に油断していた…見通しが甘かった…
静代さんの渾身の一撃で、完全に倒しきったと思い込んでいた。
「ああぁあぁっ!何でお前らは僕の話を無視するんだ!パパに言いつけちゃうぞ!」
私を掴み、大嶋君を踏みつけた男は支離滅裂な言葉を吐きながら恐らく怒っている。
「博士を離せ!」
「はかせをはなせっ!!うぷぷぷ、この状況が見えないのかね?君らの大切な博士の事ならよぉく知っている。撃ちたければ撃つが良い!死なないだけで痛みは感じるこの博士諸共なあっ!」
撃って!そう言いたいが、万力の様な握力で喉を摑まれているせいで声が出せない。
大嶋君なら撃ってくれただろう。諏訪先生も、動けない大嶋君がいなければ皆に撃つよう指示してくれただろう。
だが、他の調査員の皆はついさっき私の体質を知ったばかりだし、心根の優しい仲間思いな子達だ。
「そっちの怨霊もだ。妙な動きをしたらどうなるか…」
大嶋君を踏みつける足に力を込める。
「よろしい、ようやく分かってくれたようだな…おじさん聞きわけの悪い子は嫌いだぞぉ」
さて、この膠着状態…敵に圧倒的に有利なこの状況、非常によろしくない。
「さてツツヤビメノミコト…大変心苦しいが、君達には罰を受けて貰わなければならない。なぁに、大した事では無い。ただ勝手に聖域を荒らした事に対する償いは必要だ。ケジメとしてね」
勝手にこんな場所に引き込んでおいてよくいうものだ。皮肉の一つでも言ってやりたいところだが、声が出せないのが悔やまれる。
「そうだなぁ…彼等にはこの聖域の住人になって貰うことにしよう。そうだ!それがいい!私はなんて心優しいのだろう!ツツヤビメノミコトもそうは思わないかい」
思うわけ無いだろう。どうせ何らかの外道な方法で例の人形に変えるつもりなのだ。
「うんっ!ツツヤビメってば感動しちゃいました!お嫁さんにしてっ!」
裏声で気味の悪いアフレコをしないで欲しい。私の好みのタイプは若い頃の里見浩太朗だ。こんなおっさん趣味じゃ無い!
私のげんなりとした気分を反映したかの様に天気まで悪くなってきた。急に雲が出て遠くでゴロゴロ言ってる。
「ん…雨…雨だとっ!!この聖域に雨っ?!」
顔にぽつりと一滴を受けて、急に男が慌てた様な事を言い始める。なんか予想がついてきた。「お洗濯ものが~」とか言うのだろう。
…キチガイ考えが分かってしまった…なんか嫌だな
「どういうことだ…理論の構築が間違っていた?いや、そんなはずは無い…だとすると外的要因によるものか?だが列車で運ばれてくる水蒸気には限りがあるはずだ…」
良かった。分かってなかった!
だとするとどういうことだ?この状況は…
目玉を動かして上を見る。全天を覆う真っ黒な雲は所々が光っている。雲の様子に較べて雨脚はそれ程強くない…もしかしたら…そういうことか?
上空に注意が向き、少し力が緩んでいる今なら…!
私は渾身の力を込めて手を引き剥がしにかかる。抜け出すことは期待していない。一度だけ声を出せさえすればいい!
「静代さん!もいで!取って!皆離れて!!」
「何を…!」
全員そこからは迅速だった。
静代さんが私の首をもぎ取り、同時に大嶋君を引き寄せる。他の全員がその場を離れる。
あとは…お任せだ。頼むぞ!
そう『祈った』瞬間に、男に特大の雷が直撃した。
瞬間、次の地点に現れた男に、間髪を入れず次が直撃する。
「なぜだ!まさか…」
次々落ちる雷に追い立てられ、距離が開く。
「この…感じだと…迎えが、来てる…はず!探して!」
上半身が完成し、声が出せるようになったので、激痛に耐えて指示を出す。
「なるほど…そういうことか…ここは一旦退かせて貰うとしよう!ツツヤビメノミコト!いずれまた会おう!」
「うっせえ!二度と出て来んなばーか!」
キチガイの姿が消える。それと同時に妙な物を見るような目でこちらを見る。老人が目に入った。
日光が眩しい…ん?日光?老人?
「静代さん…ここって…」
「ええ…もしかして…」
「そうだよ!お帰り、火国惣夜毘売!」
肩の上から声がした。なんか乗ってる?!
『きさらぎ駅』の次は『ちっちゃいおっさん』…ここは2000年代初頭のネットかな?
「それと、僕としては非常に眼福だけど…ほら、外だから…」
「ん?」
あ…そうか、首から再生したから…
「うわぁっ!!」
じいっと私の身体を眺めていたちっちゃいおっさんを肩から叩き落とし、手で隠す。
そうだ!全裸じゃんか!そりゃ老人もびびるわ!
「いたた…とにかく、すぐに支部から迎えが来ると思うから、ちょっと待っててね!」
ちっちゃいおっさんはぴょんぴょん跳ね回りながらそう言った。
用語解説
『自爆用核弾頭』
『機構』の主要研究所及び管理収容施設に設置された自爆装置
正確にはテラー・ウラム型水素爆弾の一種である。
甲信研究所及びくろ収においては両施設の基部に70Mt級の大型弾頭12発が、坑道各部に500Kt級弾頭120発がそれぞれ配置されており、起爆時には連鎖的な起爆により針木岳、赤沢岳に人為的な山体崩壊を起こさしめ施設内部に収容されている事案生事物を破壊もしくは封じ込めることができる。
起爆時の周辺地域への被害は甚大なものであると試算されているが、施設内に収容される『事案』の流出による被害と比べれば概ね200万分の1程度であるとされている。
弾頭とは呼ばれているが固定式のものであり、各種の運搬方法による投射は想定されておらず、そのため通常の核戦力と比べて大型化する傾向にある。
調達名称は大型のものが『4号坑道発破資材』小型のものが『2号坑道発破資材』である。
『大あんごう』
馬鹿、愚か者などの意味を持つ岡山県の方言
近年では全国的に方言話者が減少しているが田舎のおばあちゃん達は普通に言ってくる。
『たっぴらかす』
本義的には殺害すること
沖縄方言であり、岡山県民に通じる言葉ではない
『ちっちゃいおっさん』
2000年代頃に発生したネットロアの一つであり、類型の怪談は70年代頃から確認されている。
家の中に手のひらサイズの人型実体が現れるといった類のものである。
大抵が中年男性の姿をしているとされている。
性格は様々であるとされており友好的な個体から攻撃的な個体まで様々なケースが報告されている。