聖域 1
日本国 某所 秘匿司令部壕-Κ
『…それは事実ですか?』
「うむ、私の方で確認したが甲信研は四宮理事のアクセスコードでロックダウンされている様だ」
『ああぁ…そんな、そこまでしますか?いくらなんでも…』
10人の理事が合議するこの執行部理事会だが、現在参加しているのは9人だけだ。議題に上がっている四宮理事との連絡は現在完全に途絶えている。
『それで…四宮理事がご執心だった根室研究所の動きはどうなっていますか?』
五木理事が尋ねる。大きな懸念材料の一つだ。
「妙な話だが一切動きが無い。念のため根室研究所をロックダウンしておこうと思うがどうだろうか?」
『僕は賛成です。それとポイントYに追加で山陰研のQRFを送りたいんですけどぉ…』
二つの採決は賛成多数で可決される。
『それで、四宮理事が何を思ってこんな暴挙に出たのか…そちらのお三方はご存じなのでは無くて?』
五木理事が前進派の三人に矛先を向ける。
『わ…我々も、この様な事をするなどとは聞いていない!』
八戸理事が語気荒く反発する。
『そうは言うがなぁ…状況はかなり黒に近いと思うぜ?今回の件に関しちゃ俺は全面的に十河の旦那達に賛成だ』
『そうですね、我々も立ち位置を定めるべきと思いますわ』
六角理事、五木理事が言う。他の理事達も概ね方針を固めたらしく、理事会の趨勢自体は決した。
『早速ですが『前進派』理事の解任を提案します』
『なっ…五木理事!それはどういうことだ!!』
『ふふふ、どう…とは妙な事を仰いますね。これだけの危機的状況下で妙な事をされては堪りませんもの』
『それはね、それならね、言わせて貰いますがね、派閥と言うことでね、言うならね、あなたこそ十河理事とは対立関係にね、あるでしょう!』
『おいおい、そりゃ難癖だろうよ!五木理事はイワナガヒメ計画で十河の旦那と対立してたってだけだろ』
「待て待て待て!皆一旦落ち着いてくれ」
十河理事の言葉に一同言葉を控える。
「五木理事の言う通り、確かに異常事態だ。だがだからこそいがみ合っている場合では無いだろう?まず、四宮理事の解任と全権限の剥奪及び逮捕に当たるべきだ。それ以外の事は今話し合うべきとは思えん」
『あー、まあ…そうだろうなぁ…うん、俺も冷静じゃ無かったみてぇだ』
『では、まず四宮理事への対応を始めましょうか』
仮称遠鉄かたす線 きさらぎ駅
「電波は入ってるんだよね?」
「は、はい…その、多分出てないだけで通じてはいる…みたいです」
「居留守かなぁって流石に所長でもそれは無いか…他の人は?赤須博士とか…」
「その、他の甲信研の人達も、出てくれなくて…」
「あー、あっ!ちょっと貸して!」
甲信研との連絡が途絶えてしまったという報告は、電話番を任せておいた片切君からもたらされた。
『こちらは 環境科学研究機構 山陰地方民族資料館です 現在営業時間外です 月曜日を除く10時から17時の間に お掛け直し下さい ピーーー』
よし、通じることは通じる。手早く私のアクセスコードを押す
『環境科学研究機構 中央通信統制所です 認可外の通信は 即時懲戒処分の対象となります 指定の番号にお繋ぎします 暫くそのままでお待ちください』
「ど、どこにかけてるんですか…?」
「ん?頼れる爺さんのとこ」
『はい、もしもし…』
「ああ、物部博士!千人塚です」
『千人塚博士か!大丈夫かね?』
「今のところは…ぎりぎりですけど」
『それはよかった。それでどうしたんだね?』
「いえ、それが甲信研との通信が繋がらなくて…物部博士ならこの件に関わっているので通信確保をお願いできないかと」
『それは構わないが…いやこちらも先程から呼びかけているのだが通じなくてね…三國理事も今は理事会に出席中だからどうしようかと思っていたところなんだよ』
「内部回線でも…ですか…」
妙な話だ。機構の内部回線は核戦争にも耐えられる様に設計されているはずなのだが…
『うむ…理事会が終わり次第三國理事を通じて十河理事に伝えておこう』
「おねがいします。こちらの電話口には管理員の片切主任を置いておきますので」
『ああ、わかった』
「オッケー、山陰研の物部博士のところと通信確保したから引き続きよろしくね」
「は…はい…」
さて、妙な事になってきた。
「どうでしたか?」
「んー、どうやら回線どうこうじゃなくて甲信研との連絡がつかなくなってるみたい」
それを聞いた大嶋君の顔色がさぁっと青くなる。
「それは…」
「うん…めっちゃやばいかもね」
私達の職場である甲信研は、危険度の高い特定管理事案の研究を行う特定管理研究所であると同時に、多数の危険な事案を収容するくろ収を守るゲートの役割も果たしている。
そんな甲信研の通信途絶…特定管理事案の管理離脱事態という最悪のシナリオが頭を過る。
特定管理事案管理離脱事態…最低で日本崩壊、場合によっては世界規模の文明崩壊や地球環境の不可逆的かつ物理的壊滅も有り得る。
今のところ山陰研で察知出来ていないということは、そこまでの事態は起きていないということだろうが、夫々特徴的で独特の挙動を見せるのが事案である。今が平気だからと安心することは出来ない。
「つっても、ここで不安がっててもしょうが無いよ…まず私達がここを出ないとね」
「まあ…そうですよね」
「さて、じゃあ諏訪先生のところに戻ろうか」
見るも無惨にバラバラに解体された元現地人だった物が、地面に綺麗に並べられている。
「ああ、博士」
「なんか分かった?」
「いや、残念ながら芳しくありませんね…見てみて下さい」
「あー、特徴的な共通点毎に並べてくれたわけね」
繊維質の目立つ部位、キチン質様の特徴がある部位、ゴム質の部位…マッドだが几帳面なのは彼の行動の動機があくまで知的好奇心であるが故か…
「うーん…これは…生き物なの?」
「広義で考えても生物の定義は満たさないでしょうね…まず機能が足りない。というか動いていたこと自体、通常の科学では説明がつかないでしょうね。はっきり言って出来の悪い人形の様なものです」
「せめて平衡計でもあれば、こいつがどういう物なのか分かるんだけどねぇ…」
そもそも計測機器が一切無いのだ。
「…あくまで私の私見になるのですが…」
「大歓迎だよ!教えて」
「そもそもこの空間自体が…出来の悪いニセモノの様に感じるのですよ」
「ニセモノ?」
「ええ、まるで子供が見よう見まねで作ったような…乱雑に散りばめただけの星々、機能的にはあらゆる面で破綻している鉄道施設、イメージだけで作ったような田舎の風景、そしてこの人形…」
なるほど、言われてみればそうかも知れない。なんというか血の通った人類の営みの中で作り上げられた物とは違う紛い物の世界…
「しっくりは来るね…ただだとすると誰が何のために…とも思うけど…まあ、嫌な感じはするね」
「ええ、不完全とはいえこれ程の物を作り上げる事の出来る存在…」
国産みを成すほどの神格か…いや、この国の神格の作り上げる空間にしては無機質だろうか…
「いずれにしても…神格が関わっているとみて間違いは無いだろうね…」
「んーっ!いーい着眼だよ」
「は?」
「え?」
背後から不意にかけられた聞き慣れない声に、私と諏訪先生が振り向く。
「誰だ!!」
大嶋君がすかさず銃を向けて誰何する。
「流石は千人塚博士…いや…敬意を込めてこう呼ぶべきかな?ヒノツツヤビメ?」
甲信研究所 大会議室
指揮系統を始めに掌握された甲信研が完全に敵の掌握下に置かれるのに、そう時間はかからなかった。
所内に残っていた職員総勢凡そ250人がこの会議室に監禁されている。
「はぁ…なんでこう、うちはトラブルばっかりなんでしょうね…」
木曽博士がぼやく
「うーん…やっぱり人気なのかなぁ…」
「何を暢気な事を…何か打開策は無いんですか?」
赤須博士は2人を睨みながら言う。どうにも緊張感が足りていない。
「無い無い、僕に思いつくくらいなら今頃皆がとっくに思いついてるよ」
「せめてくろ収に入られないようにする手を考えないとまずいんじゃ無いですかね?」
「ああ、それなら問題ないよ?彼等が入ってきたときくろ収にコードブラックを送信しておいたから」
「は…?」
「いや、だからコードブラックを…」
「いや、いいです…」
コードブラック…甲信研、くろ収相互に送信出来る警戒コードの最上級で、受信側の所長はレベルブラック…即ち理事会が解除承認者であるロックダウンを即時発動する事になっている。
「はぁ…」
「ええ…なんか酷い…」
「いや、関心してるんです。いい判断ですよ」
本当に…呆れるほど適切な判断だ。
「え?本当に?」
「ええ、それじゃあその勢いで研究所を取り戻して下さい」
「えー…」
「貴方は誰ですか?」
火を思い起こさせる様な彼女は訝しげな視線を向けて言った。
「ここは貴方のような方の来る場所ではありません。どうかお引き取り下さい」
怯えた様子ではあるが、しかし此方の眼を見据える空色の瞳はどこか諦めのような空虚な輝きをしていた。
「貴女は…一体いつからここに?」
口をつく言葉は己の意志とは無関係に紡がれていく
「私は貴女を―」
日本国 某所 秘匿司令部壕-Κ
『ー事、十河理事!』
名を呼ぶ声に、彼は意識を現実に引き戻される。
「ああ、済まない…考え事をしていた様だ」
『大丈夫ですか…?』
「うむ…問題ない」
(記憶を見ていたか…)
自分の物では無い記憶…それは一体何代前の記憶だろうか…
悠久の時の中で受け継がれてきた記憶の断片達のひとひらが見せた光景は鮮烈な出会いの記憶…
真っ白な雪景色の中にあって鮮やかに輝く命の火は、彼女の立つ朽ち果てた社すら命の引き立て役に思える程の美しい…まるで舞台の一幕の様な極彩色の思い出
『えっとですね…四宮理事の地下壕を探し当てて襲撃しましたけど、中はもぬけの殻でした…どこに行ったんでしょう?』
「ふむ…ポイントY付近に兆候は?」
『あー、うちの子達が行ってるんで問題ないです…ただ…念のため手を打っておきたいんですけど…』
「何か策があるのかね?」
『いやぁ、策って程のものじゃ無いですけど…まあ保険にはなるかな、と』
「ふむ…理事会に図る必要は?」
『僕の権限で大丈夫な範囲です』
「そうか…なら試してみるといい」
三國理事との会談を終えるとすぐ背後に控える1人の男が口を開いた。
「…準備が整いました」
「そうか…ならばすぐに始めてくれ」
「はっ」
その男、陰善と呼ばれる彼はすっと姿を消した。
「全く…なんとも侭ならん…」
仮称遠鉄かたす線 きさらぎ駅
「誰だ!とは…んー、これは難しい質問だ。あぁ、なる程これはプラトン派の哲学の問答かね?なる程なる程…しかし君はもっと大切なことに気を配るべきだ。そうは思わんかね?」
なんだこいつは…大嶋君と静代さんが私と諏訪先生を庇いながらじりじりと距離をとる。
「生憎だが哲学は不勉強だ」
「んー?そうかそうか、まあ気にすることは無い。知らないのなら学べばいい!あーっ!何と素晴らしい事か!新たな智恵を得る新鮮な感動がその眼前に広がっている。これは!実に!喜ぶべき事だとは思わないかね?」
騒ぎを察知した皆が動き始める。
「ちょっといいですか?」
「博士?!」
2人を押しのけて前に出る。
「おーっ!これは麗しのツツヤビメノミコト」
こいつは私の事を知っている。火国惣夜比売…かつて呼ばれ慣れた名前も、今では遠い歴史の果ての記憶だ。
「誰の事を仰っているのでしょうね…貴方は一体どこのどなたです?」
「おお…私めは単なる福音の僕に過ぎません!」
「福音…?」
「そうっ!福音!!あぁ、あぁ…偉大なるかな我等を包みたもう唯一絶対なる秩序!私は!神の!声を!聴いたのです!!」
「そうですか、実に興味深いですね。ところでここから出る方法をご存知ありませんか?」
正直付き合いきれない。可能な限り情報を引き出したら処分して調査しよう。
「ここ?こことは?」
「この空間です。あー、長野県に戻りたいんですよ」
「あー、あー、なる程そうですかそうですか!」
「博士…こいつはおかしいです」
大嶋君が言う。うん、見りゃ分かるよ
「んー?今お話中なの分かりませんかぁ?」
パンッと乾いた銃声が響く。
「え…?」
今の今まで目の前にいたはずの男が大嶋君の横に立っている。その手には大嶋君の拳銃が握られていた。
用語解説
『ロックダウン』
施設または地域の物理的封鎖
『機構』の施設は各種『事案』を取り扱う性質上即座のロックダウンが行える様に設計されている。
主に『事案』の漏洩を防ぐためのセーフティロックダウンと外部からの敵対行動を物理的に遮断するためのセキュリティロックダウンに大別される。
『山陰地方民俗資料館』
『環境科学研究機構』が運営する出雲信仰に関わる資料館
各種資料や古文書の展示のほか、時代ごとの信仰の移り変わりと周辺地域の変遷を視覚的に学習できる体験学習の数々、出雲大社建立の頃の衣服や食事を再現した体験学習コーナーなどの常設展示及び種々の企画展が開催され見所満載である。
年末年始をのぞく火曜日から日曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日が休館)の10時から17時まで営業
入館料は大人500円、高校生までは無料(企画展示は一律追加で200円)
『中央通信統制所』
『機構』の全ての通信の中継、監視、保全を行う部署
外部からの不正アクセスを防ぐため、多数の高度情報管理員が勤務している。
外線電話から秘匿通信網へのアクセスのためには指定の番号から中央通信統制所を経由してそれぞれに割り振られた部署へ中継される。
『福音』
本来的には喜ばしい知らせ、宗教的にはお告げであり、教義
主にアブラハムの宗教において用いられる用語であるが、かの宗教の拡がりによってあらゆる場面で用いられているのが現状である。
大声歓呼して福音がどうのと喚く者は大抵の場合胡散臭い