秘境駅 4
長野県上伊那郡 JR辰野駅
私んちを観に行きたいと最初に言いだしたのは誰だっただろうか?騒がしかったのでよく覚えてはいないが、うちの研究室の面々が盛り上がっていたのはよく覚えている。
正直面倒くさいので気乗りはしなかったが、皆が妙に押して来たので、家の掃除や草むしりを条件にOKしてしまった。
家が綺麗になったのはまあいいが…
「みんな田舎の鉄道を舐めすぎだと思うんだよ!」
信濃大町駅から片道4時間電車に乗り最寄りの七久保駅から徒歩で一時間半だ。
「あはは、博士が言ったようにレンタカーにした方が良かったですよね」
何度か来たことのあるがっさんも苦笑いだ。
「早朝からみんな妙に元気だし…わざわざ始発で出発ってどうなのよ?」
ということで、今はぐったりしながら飯田線に揺られている。うん、ほんとよく揺れる。
「あ、博士乗り換えですよね?」
「そだね、ほれっ!起きろ!」
見事に爆睡中の諏訪先生を叩く
「んっ…ああ、おはようございます」
大分遅いけどな!
「あ、あの…20時8分に中央線が、その…」
「お、いいね!待ち時間が無い!」
ここの乗り換え待ちは30分とかざらにかかるのでありがたい。
寝こけている連中をたたき起こして、無事乗り換えに成功だ。後は松本までゆっくりしよう。
「博士、博士!起きて下さい、博士!」
「ん…ああ、ごめん寝ちゃってた…」
静代さんに揺り起こされて目が覚める。
「もう松本?」
「いえ、その…」
…雰囲気が妙だ。特にみんなの雰囲気がおかしい。普通に過ごしている様だが誰も話していないし、なんというか意識が一切外に向いていないような…
嫌な予感がするので外を見る。田舎の風景…いや、まあそうだよな
「静代さん…何駅に停まったか覚えてる?」
「まだ辰野駅にしか停まって無いです」
時計を確認する。
20時52分…
あはは、くそったれ!!
「静代さん、全員に声かけて!多分『かたす線』に入った!」
「は、はいっ!」
『きさらぎ駅』…確かに探しちゃいたけど、今じゃ無いだろう
「がっさん、諏訪先生、聞こえる?」
「え?はい…どうしたんです?」
「聞こえますが…何かありましたか?」
寝てはいないが気付いてはいない。
「多分『かたす線』に入った。まだ辰野以降駅に入ってない!」
二人は時間を確認して肯いた。流石に察しが良い
どうにかみんなに声をかけ終える。そういえば、他の乗客の姿が無くなっている。いよいよ決まりだ。
「静代さん、『やみ駅』は確認した?」
「いえ、まだです」
「どうするか…外に近い『やみ駅』で降りるか、情報の多い『きさらぎ駅』まで行くか…」
「乗り続けるというのはどうでしょうか?最後まで行けば元に戻るかも…」
がっさんの提案に私は首を横に振る。
「やめといた方がいいと思う。今の時間、本来ならもう松本に着いててもおかしくない。もう元々乗っていた電車とは完全に分離してるはず」
『きさらぎ駅』の報告はあっても到着時間の大幅な矛盾の報告は無い。戻ることは無いだろう。
「博士、とりあえず運転手を制圧すればどうでしょう?車両を掌握出来れば戻れるかもしれない」
「リスキーだけど、試してみよう。武器になるものはある?」
私の問いに調査員達が苦笑いしながら隠し持っていた拳銃を取り出す。藤森ちゃんに至ってはお洒落なハンドバッグからサブマシンガンを取り出した…いや、日本だぞここ
「…はぁ、まあ今はいいや…大嶋君に一任する。状況によっては運転手の射殺も許可する」
小さく肯いた調査員達は、一声も発さず行動に移った。
銃声閃光発音筒の破裂音、怒声に続いて複数の銃声が響く。あんなもんまで持ち歩いてんのか…
「博士!」
呼ばれて運転席に向かうと手脚から血を流しながら、表情一つ変えない運転士と、彼に銃を向ける調査員達がいた。
「何をしても反応がありません。運転装置も同じくです」
「静代さん、思考を読んでみて」
「は、はい!…ん?んん?」
「どうしたの?」
「いえ…何も無い…」
「読めないって事?」
「いえ、読めてはいるんですけど…何も無いんです…」
思考が完全にからっぽということか…
「静代さんは運転士と車両の記憶を探ってみて、調査員のみんなは静代さんの護衛を」
指示を残して運転席を離れる。
「片切君、所長にきさらぎ駅に向かう電車に乗っているって連絡してみて」
「は、はい」
「それ以外は全員ケータイの電源を切って、長丁場になるなら電池の消耗は避けたい」
ネットロアの定番、携帯の電池切れ…読んでて良かった洒落怖!
「大嶋君、分隊を車掌室にも送ってみて」
「はい」
ここまでで打てる手はこれくらいか…多分この様子だと無駄そうだが…
「さて、じゃあどこで降りる?」
仮称遠鉄かたす線 きさらぎ駅
多数決で決まったとおり、きさらぎ駅で下車した私達は駅舎を陣地占領、今後の方針を話し合うことにした。怪談の登場人物とは違って流石にこの手の事態のプロフェッショナルだ。みんな冷静である。
千人塚研究室の総員37名が揃っているのだ。危機的状況なのはわかっているが、どうしても無敵感がある。
いや、責任者である私が油断してちゃいけないな…しっかり確実に事を進めていこう!
「大嶋君、武器弾薬はどの程度持ってる?」
「9mm拳銃が34丁、機関拳銃が3丁、ナイフが40本、9mm弾が600発程度、閃光発音筒が二つ、手榴弾が3つ…だけですね…こうなると分かっていればもっと持ってきたんですが」
「君ら普段からこんなに持ってんの?」
大嶋君が苦笑で答える。赤軍派か何かかね…
『今うちと支部のQRFが辰野駅方面に向かってる。他に何か出来そうなことはあるかな?』
「山陰研の物部博士に連絡をおねがいします。出来ればそっちで通信中継を」
『分かった。手配しておく』
「さて、今私達の手元にある選択肢はそんなに多くない。脱出を目指して捜索する。現在位置を堅守して助けを待つ…私達の勝利条件は全員の生存ただ一つ!それを念頭にみんなの意見を聞かせて欲しい」
「はいっ!!」
「おお、速かった静代さん!」
「私の『てれぽーと』と『あぽーと』で脱出するのはどうでしょうか!」
「採用!!」
すっかり忘れてた!そうだうちには静代さんがいるじゃ無いか!!
「それじゃあ、先に研究所に飛んで皆さんを引っ張りますね!」
一安心だ。全員の顔に安堵の色が浮かぶ。
「そうだ博士、今後の調査は静代さんにここまで飛ばしてもらうのはどうでしょうか」
「お、諏訪先生ナイスアイデア!」
いやはやどうなることかと思ったが、むしろ幸運だったとー
「へぶっ!!」
静代さんが元いた場所の50cmほど先でずっこける。
「どうしたの?大丈夫?」
「なんかにぶつかって…痛い…」
いや、訂正…本気でついてない。最悪だ。
『きさらぎ駅』駅舎を本部として逓伝線を確保した上で住民を捜索する。それが私達の方針になった。
「あ、あの…線路の、その短絡をして、おいたら、鉄道会社が…見に来るかも」
展開する直前に片切君がそう提案してくれたのでフェンスの金網を静代さんが引き千切って針金にして左右のレールを短絡する。
「念のため所長に連絡しておいて…もし元の路線で検知出来れば何か手掛かりになるかも」
「は、はい」
意外と彼は冷静なままだ。この状況下、一度もネガティブが爆発していない。
「で、なんで博士も来てるんです?」
駅前の一本道を『かたす』方面に向かいながら藤森ちゃんが嫌そうに聞いてきた。
「んー…なんて言ったらいいか…」
いざとなったら肉壁になって皆を守るためって言ったら私の事を皆に話す事になっちゃうしなぁ…
「まあ、もし住民にあったら交渉も必要だから…かなぁ?」
「かなぁ?って…まあ良いですよ。私から離れないでおいて下さいよ?」
「はーいママ」
「誰がママですか!はぁ…ったく…」
「博士、あんまり藤森一等を揶揄わないであげて下さい。後で八つ当たりされるのは俺達なんですから」
「えー、藤森さん八つ当たりなんてしませんよ?」
田島泰三主任調査員と静代さんが言う。この二人は両方主任だが階級的には田島君の方が上だ。
調査員はそれぞれ階級が三分割されていて一等、二等、三等と呼ばれる。その方が作戦行動時の指揮統制がしやすいからだそうだ。
ちなみに田島君は一等、静代さんは二等(特技)という階級で、指揮権的には静代さんは三等相当となっている。
実際ほぼ全員が自衛隊出身者で占められる彼らにとってはかなり馴染みやすいらしい。
「それにしても、これからはナイトヴィジョンも持ち歩いた方がいいかもしれませんね」
「いやいや田島君、君ら普段お休みの日にアフガン辺りにでも行ってんのかい?それにほら、月明かりがあるから大分明るい…え?」
「どうしました?」
おかしい。いや、どうして気が付かなかったのだろう…
私は空を指差す。
「…?空が何か?」
「星の位置が…めちゃくちゃ…」
ずっとずっと見てきた星の並びが、今まで見たことの無いものに置き換わっている。それは世界中の星の並びを学習した今の私の知識を持ってしても、該当するものが見つけられない程のものだった。
そんな異様な星空の中に、良く見慣れた月だけが不気味な程大きく輝いていた。
甲信研究所 大会議室
「所長…気が散るのでうろうろするのやめて貰えますか?」
明らかに怒気を含んだ声で赤須博士は言った。
「いや、でも…」
「手掛かりを探すか、それが出来ないならせめてどっしり構えていて下さい。目障りです」
「はい…」
しゅんとした様子で守矢所長は腰を下ろす。
普段穏やかな赤須博士だが、現状を考えれば張り詰めるのも仕方が無いことだというのは守矢所長もよく分かっている。
現在実質的行方不明状態となった千人塚研究室の面々を救出するため、甲信研及びくろ収所属の手空きの研究員全員が駆り出されている。この会議室はその対策本部である。遠隔で参加するものも含めると全国から30以上の研究室が参加する一大作戦の本部なのだ。
(そのトップが彼というのも締まらないが…)
赤須博士はそう思うが、しかしこの性格が調整の助けになっているのも事実ではある。
要領が悪く愚かで頼り無いが、しかし周囲の者に「しょうがねぇなあ、やってやるから貸してみ?」と言わせるこの人柄のお陰で、くせ者揃いの機構の博士達の足並みが揃っている。
(これが狙ってやっているのなら大したものだが…)
長い付き合いの同期だからこそ赤須博士にはわかる。これは天然だ。
(十河理事が四宮理事の説得を終えるまでは…不本意だが彼がいなくてはどうにもならないか…)
今回の重大なトラブルの裏ではもう一つ、本筋からずれた不要な…しかし重大な危機を招きかねないトラブルが持ち上がっていた。
日本国 某所 環境科学研究機構秘匿司令部壕-Κ
「だから何度言えばわかるのだ!貴様は事の重大さが全く分かっておらん!!」
強固な岩盤をくり抜いて作られた広大な地下陣地の中枢に、一人の男の怒声が響いていた。
ここは秘匿司令部壕-Κ、機構の執行部理事、十河理事の司令部である。
あらゆる事態に備えるため、執行部理事達は原則としてそれぞれの秘匿司令部壕からその職責を果たす。お互いの顔や本名、司令部壕の位置も知らされる事は無い。一部例外はあるものの、これは人類存立に関わる事態や敵対者による攻撃等で集団壊滅、連鎖的壊滅を避けるための必要な措置でもある。
『私も十河理事に賛成だ。もちろん本件の責任者も同様だろう。そうでしょう、三國理事?』
『え?あ、はい…そのぉ…流石に神域にワームホールを開けるというのはちょっとまずいと…それに確証があるなら山陰研から頼んで貰うのもいいかとは思いますが…今のところ推測でしか無いんですよね?まずくないですか?』
二葉、三國両名が賛同する。そもそもこの二人は『均衡派』と呼ばれる十河理事の盟友である。
『そうは言いますがね、そのね、今まで集めた情報からのね、確度の高い計算結果なんですよね、これは!』
『そもそも、神格だなんだと特別扱いしているようですが、過去最後に彼らと事を構えたのはいつです?お伽噺の頃とは技術が違うのですよ!今であればある程度対応も出来るでしょう!』
『そうですね!我々は今や地球外の事案とも渡り合っているのです。それをやれ鬼ヶ島だ竜宮城だみたいなお伽噺にこだわり続ける場合じゃありませんよ!これは我々が前に進む大きなチャンスです』
一色、七尾、八戸の三人が反発する。比較的先進的な事物由来の事案を所掌する彼らには、神格事案の恐ろしさが伝わりにくいらしい。思えば機構の分掌化が進んで暫く後に理事会に加わった者達だ。担当所掌においては卓越したエキスパートなのだろうが、少し思考が浅薄に過ぎると、十河理事は小さく溜息を溢した。
彼等三人に四宮を加えた四人が『前進派』と呼ばれる理事である。
『えー…お伽噺も捨てたもんじゃないと思うんですけどぉ…』
三國理事が弱々しく反発する。伝承は彼の所掌である。気持ちは分かるがもっとはっきり言えぬものかと、十河理事は頭を抱える。
正直どうにもならない。今の彼に出来ることと言えば、四宮理事の暴発を食い止める事ぐらいだった。
用語解説
『片道四時間』
JR信濃大町駅から同七久保駅間を結ぶ旅程
基本的に県内における交通が極端な自動車偏重の長野県の例外に漏れず、鉄道による機動は不便である。
特に運行本数の都合上乗り換えに要する時間が大きくなる傾向がある。
『閃光発音筒』
強力な閃光と爆発音をもって対象の戦闘継続能力を一時的に喪わしめる非致死性兵器の一種
スタングレネードとも
陸上自衛隊と関係の深い『機構』においても同様の呼称でもって調達・配備されている。
特に閉所における威力は凄まじく、聴力及び視力に恒久的な障害を残す可能性もあるため、休日のお出掛けで携行する際は暴発等に十分注意が必要である。