秘境駅 3
『少しこじつけになってしまうが…それでも構わないかな?』
「ええ、考えがあるなら是非」
『『きさらぎ』は鬼とも書く。この国において鬼は罪穢れ、禍を現すアイコンでもある』
「特に昔はそうでしたね」
『うむ…そして罪穢れは大祓で根之国へと放たれて素戔嗚尊が持ち去ってくれるとされている。ところで、千人塚博士は追儺という儀式を知っているかな?』
「大晦日にやる節分みたいなものでしたっけ?」
『左様、元は大陸の宮中行事で禍を四裔へと放逐するためのものだ。大祓と同じく疫鬼を果ての地へと送る…そう考えると『きさらぎ駅』は私達と同じ宗教観の上において罪穢れの最後に行き着く場所という意味があるのかも知れないね』
「なるほど…とすると高天原や黄泉、綿津見宮の様な領域である可能性もあるのでしょうか?」
『その可能性は十分に考えられるだろう。千人塚博士、分かっているとは思うが、この国の神々は無邪気で気儘だ。そして衝動的で残酷でもある。十分に気を付けるように』
「ええ、分かっています。物部博士、ありがとうございました」
甲信研究所 千人塚研究室
「ということで、分かんなかった人!」
諏訪先生と片切君以外の三人が手を挙げる。
「じゃあ三人は西研(関西研究所)の研修訓練に参加申請しとくね」
「あっ!今理解しました!なる程そういうことでしたか!!」
「お、俺もです!いやぁ実に興味深い!!」
がっさんと大嶋君、そんなに嫌か…よく分かってない静代さんがキョトンとしてるじゃ無いか
「そ、その…大祓とか、追儺が電車で、ぎ、擬似的に起きてるって、事…なんですか?」
意外と理解している片切君が聞いてくる。ああ、そういえばここに来る前は東一研(東北第一研究所)に勤務していたというから、宗教的なものやオカルティックなものに対する知識もあるのだろう。
「私も専門じゃ無いからはっきりとは言えないけど、根之国への何らかの道が開いているって可能性はあるね」
「えっ?って事は私が行ったら成仏しちゃうって事ですか?!」
静代さんが素っ頓狂な声をあげる。
「うーん、断言は出来ませんが神話では黄泉の国と根之堅州国は入り口は同じでも違う場所だと言われてますから、まぁ大丈夫では無いですか?」
「ああ、よかったぁ…」
「それに仏教と神道だと死生観も結構違ってるけど…まあこの辺はごちゃごちゃしてるから追々ね」
しかし、だ。
「神格存在の領域だとすると少し厄介かも知れませんね…」
「うん、状況によっては山陰研の応援を頼む事になると思う。一応物部研究室が準備しておいてくれるらしいけどね」
神格、神域…これらはこの国の超常管理組織にとっては切っても切れない存在だが、反面不可触な領域でもある。それは信仰心故では無い。過去に払ってきた夥しい犠牲の上に我々が辿り着かざるを得なかった境地だ。
「というわけだから、がっさんと大嶋君と静代さんのために資料を作っておいたから、しっかり予習しておくよーに」
神々、鬼、穢れ、死生観、黄泉の国に根之堅州国…それらに関係する神話や土着信仰、古代信仰をまとめた500ページ超の大作だ。
さて、やはりうちのメンバーは優秀だ。
金曜の午前中の段階で武器装備、宿営資材、医療器具、観測機器、通信装備が即時持ち出し可能な状態で纏められている。
「全員の体力や役割に合わせてパッキングしましたが、念のため一度背負ってみてください。長期間携行する可能性があるので、きつそうな場合は無理しないようにおねがいします」
「ありがとう…いや、私の荷物だけ少なすぎない?別に上司だからって気を遣ってくれなくてもいいんだよ?」
「いや、博士体力なさすぎるじゃないですか…途中でへばるのが一番面倒くさいんですよ?」
「うぐっ…藤森ちゃん、言うようになったね…」
荷物のパッキングを担当した藤森伽椰一等調査員、前はもっと優しかったような…いや、彼女は配属当時からこんな調子か…
とりあえず試しに自分の荷物を背負ってみる。ずっしりはくるものの、これならいけそうだ。
「うん、いいかんじ!」
「10キロしか無いんで、これで無理なら置いて行きますよ」
「わお…他の皆のはどんなもんなのかなぁ…って重っ!!」
持ち上がりはするが尋常では無い重さだ。
「それは大体25kgですね。研究職と医療職の人の分は大体同じくらいの重さです」
「皆これ持って行くの?」
「私達のはこれです」
「…何これ、石でも入ってるの?」
大きさも重さも桁違いだが…調査員の皆は個人携行火器以外にこれを持っていくと言うことらしい。
「そもそも持ち上がんないんだけど…」
「大体65kgありますから、博士には無理でしょうね」
あ、私より全然重いや…
「本当苦労かけます…」
「いえ、仕事ですから…そういえば班長と佐伯主任はまだお勉強ですか?」
「大嶋君達ならさっき死にそうな顔してたから多分まだやってると思うよ?ただ静代さんは全部頭に入れたみたいよ」
元々の賢さで言えば三人とも大したものではあるが、興味の無い分野はからっきしのがっさんと白黒つかない物が大嫌いな大嶋君と違い、ありとあらゆる物に新鮮な興味をもっている静代さんでは身の入り方が違うらしい。
「では今のうちに班長の荷物に重めの機材を移してしまいましょうか」
「えっ…いいの?」
「大丈夫です。あの人体力だけはあるんで」
酷い言い草ではあるが、お陰様で私の荷物は大分軽くなった。藤森ちゃんが言うには5kgくらいらしい。
大嶋君のは色々足された結果110kgくらいになったそうだ。まあ彼なら平気だろう。
「それじゃあ、これはこのまま置いておいて」
「分かりました」
「は、博士」
「はいよっ!」
「あ、あの…写真のデータの、復元が…」
片切君がタブレットを片手にやって来た。
「おー、センキュウ!」
そこにあった写真はなる程、話に聞いていたとおりの風景だった。
「ただ、大部分が、AIでの推測部分で…」
「そんなに写り悪かった?」
「はい…携帯のカメラの、その特性と、光の入射角…とかを計算して補わないと…こんなで」
見せてくれた写真は何が写っているのかも判別のしようが無いようなものだった。
「それと、この写真…生還者が、現地人を、写したものだと…」
「…なんも写って無いね」
写っていたのは風景だけだ。
「他の、写真も…おんなじ、感じで…」
人物は一枚も写っていないらしい。
「お疲れ様、それじゃあ私のPCにデータ送っといて」
「わ…分かりました」
細かい検証はまた後だ。
「それじゃあ、切りもいいから今日は二人とも好きな事してていいよ」
「やった!」
「あ…あぁ…ああぁぁああああぁ!!」
対極的な反応をする二人をそのまま残して、私は医務室に向かった。
甲信研究所 医務室
「諏訪先生、お待たせ!」
「いえ、時間通りですよ」
「じゃあよろしくね」
研究者であると同時に私は『事案』でもある。十河の爺を始めとする昔からの友人達のお陰で比較的緩い環境に置かれているとはいえ、研究対象であるという事実に変わりは無い。通常は二週間に一度の健康診断で私の体の隅々まで調べる事になっている。
「そういえば静代さんも増えたから先生も忙しくなっちゃったんじゃ無い?」
「いえ、静代さんは月に一度だけなのでそこまででは無いですよ」
「えー、ずるいっ!」
「まぁ、理事会からすれば博士の体質の方が重要度が高いということですよ」
「うーん、この特別扱いはあんまり嬉しく無いなぁ…」
不老不死への憧れは根強い。執行部理事十人の中でもイワナガヒメ計画への意見は割れているのも事実だ。現在のところ否定意見が優勢ではあるものの、それでも彼らの命に限りがある以上今後の方針を保証する事は出来ようはずも無い。
「私としては解剖して徹底的に調べ上げてみたいところですけどね」
「いや、もう十分試したでしょ?調べ直したとこで変わんないって!」
「常に同じ結果になるとは限りませんよ?なにせ博士の体については分からないことだらけですから」
やっべえ、ゾクッとした。これは多分、諏訪先生に解剖され続けた経験から来るトラウマだろう。体より私の精神面を検査して欲しい。多分労災だから、これ…!
長野県大町市大町温泉郷 翡翠亭景川
「それじゃあ、片切君の入団と新記録樹立を祝って…かんぱーいっ!!」
「「「かんぱーい!!」」」
我が千人塚研究室と関係者総勢80人の乾杯の声が重なる。
乾杯の挨拶を終えて席に戻ると、片切君が呆然としていた。
「どうしたの?」
「え、あ…その、いつもこんなところで宴会を、あのしてるんですか…?」
「いんや?普段は市内の居酒屋だよ」
翡翠亭景川は大町温泉郷の和風旅館ではおそらく最大の施設だ。他の地域と較べればリーズナブルとはいえ、頻繁にここで宴会などしていたら流石に私の貯金も消し飛んでしまう。
「『睡の華』といううちの行きつけの居酒屋です。今度そちらも行きましょう」
諏訪先生がビールを飲みながら入ってくる。
「は、はい…」
ん?そういえば
「ビール減って無いね」
「す、すいません…あ、あの…その…」
「もしかしてお酒苦手だった?」
「は、はい…」
「無理しちゃ駄目だよ?他の頼みな?」
「え、あっ…」
かくいう私も身体の特性上気分が悪くなるだけなのでお酒は飲めないしね!
「う…うわあああぁあ…罠だぁああぁそうやって油断させて、気を許し-」
「そういえば博士、久し振りに研究所から出たんじゃ無いですか?」
「失礼な!人を引き籠もりみたいに!」
旅館名物固形燃料で暖める鍋のやつの中身を覗き込みながら、がっさんが言ってくる。
「えっ…違うんですか?」
「ちがっ…くないかも…そういえば仕事以外だと静代さんの歓迎会以来出て無い…」
うん、最近太陽を見ていないような気はしていたが…
「たまにはお屋敷の手入れしにいった方が良いですよ?また泣きついて来てももう手伝ってあげませんからね!」
「えー、だって遠いんだもん」
「お屋敷ですか?もしかして博士ってお金持ち?」
食いつくところが妙に俗っぽい死者だ。目を輝かせた静代さんが迫る。
「お屋敷っていっても昔、あー…昔の勤め先に貰った家が飯島町にあるってだけだよ」
維新でそれまで勤めていた江戸幕府の天文方番所という超常管理機関が幕府諸共瓦解したが、私の知識と体質が列強に渡るのを危惧した新政府が引き留めのために建ててくれた邸宅だ。
「博士ったらせっかくのお洒落なお屋敷なのに、ずっとほっぽっとくから近所で幽霊屋敷なんて呼ばれちゃってるんですよ!」
「それで絶望したところに…ん?飯島町…幽霊屋敷…あっ」
がっさんの言葉に今までネガティブを爆発させていた片切君が反応する。
「く…首塚屋敷…ですか…?」
「そうそう!そんな風にって…え?なんで知ってるんです?」
「あ、その…地元が…大草、だから…」
「あっ、片切君って大草出身なの?近所じゃん!」
車で30分も走れば着くような距離だ。いやぁ、世間って狭い!
「む…昔殺人事件があって、赤毛の女の幽霊が出るって…」
「あはは、ないない!多分蔦とかで不気味だからそんな噂がたったんでしょ」
多分赤毛の女の幽霊ってのは私だ。今は目立つから染めてはいるが、一般的なネアンデルタール人の例に漏れず私の髪は赤いし、カラコンで隠しているが瞳も青だ。昔はこれが原因でよく迫害されたっけ…懐かしい。
それに殺人事件もあながち間違いとは言えない。私はあの屋敷の中で何度か強盗に襲われて刺されたり撃たれたりしている。怖いから死んだふりをしていたが、おそらくその事だろう。
とはいえそれを彼に話すわけには行かないのだが…
「片切主任と博士はジモティーなんですね…あぁ、お酌しにきました」
いいタイミングで藤森ちゃんがやって来た。
「一応言っとくけど私の出身は佐賀県だからね?」
「いえ、博士は南信会のメンバーですから」
諏訪出身である藤森ちゃんは謎の秘密結社『南信会』を主催して南信地方出身者に片っ端から声をかけている。
「片切主任、どうぞ」
「あっ、その…僕、お酒は…」
「聞こえてました。これリンゴジュースです」
「あっ…どうも…」
「あはは、気にしないであげて?多分こっちに逃げてきただけだと思うから」
「…だってあいつら飲み方汚いんですもん」
藤森ちゃんが呆れた様な目線を向ける先では大嶋君が全裸で瓶ビールを一気飲みしていた。
「うわぁ…大嶋さん、今日は飛ばしてますね…」
「片切主任に大分惚れ込んでるらしいですよ?もし班長に絡まれたら声かけて下さい。ぶっ飛ばしますから」
「ど、どうも…」
「いえ、主任は大事な南信会の仲間ですから」
藤森ちゃんの中では片切君はもう入会済みらしい。
用語解説
『関西研究所宗教部教育研修』
神格性事案や宗教的事物に起因する『事案』への対処能力向上のために三ヶ月毎に関西研究所で開催される研修
1980年代から行われており、一定以上の情報管理権限を有する職員であれば申請で誰でも受講することが出来る。
座学での宗教的知識の習得を目的としており、直協職種調査員からはすこぶる評判が悪い
『翡翠亭景川』
大町温泉郷最大の和風旅館
多数の客室と宴会場を完備する大規模施設であり、宿泊のみでなく大小の宴会や結婚披露宴なども行うことが出来る。
源泉かけ流しの浴場や山の幸をふんだんに使用した料理、長野県内各地の銘酒を楽しめるバー等が完備されているが、大町温泉郷自体がそこまで活気のある観光地では無いためスキーシーズン以外は予約を取りやすい。
『南信会』
『機構』内部に存在するとされる非公式の団体
長野県南部出身者によって構成されると噂されるが詳細は謎に包まれている。
非公式の情報では長野市出身の職員が『南信会』の調査にあたった際に何者かに捕まり、顔面に『新潟県民』の落書きをされて解放されたという。