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呪いのビデオ 1

長野県大町市

甲信研究所 千人塚研究室


『第13回 ジェットババア対策会議』


でかでかとそう書かれたホワイトボード

傍目に見ればふざけた会議にしか見えないが、参加者は全員が大真面目である。


「それじゃあまず、前回の反省点から……」


口を開いたのはヨレヨレの白衣に野暮ったい黒縁の眼鏡をかけ、寝癖のついた髪の女性だ。半開きの目は見るからに眠そうである。

いかにも、といった風体の研究者である彼女は主幹研究員の千人塚由紀恵博士、この千人塚研究室の責任者である。

物理学、工学、天文学の優秀な研究者であり、良くも悪くも機構全体に名の知られた研究者である。


「やっぱり直線の加速じゃ無いでしょうか……コーナーはこっちの方が速かったはずです!問題は立ち上がりで引き離されてしまった事です!」


千人塚博士の問いに答えたのは小笠原富江主任研究員である。

優秀な工学研究者であると同時に、メカニックとしても高い実力を持っている。


「いや、そもそもトップスピードが足りて無いんです!やっぱりここは大排気量の車で一気に追い詰めるべきですよ!」


大嶋潤二主幹調査員が語気も強く言う。

陸上自衛隊特殊作戦群を経て機構に採用された彼は、本件では一貫して力技を主張している。


「うーん……確かに湾岸ならそれでも良いでしょうけど……うーん……」


うんうん唸りながら言うのは主幹医療研究員の諏訪光司医師である。医療チームの責任者であると同時に、医学研究者でもある。

この四人が千人塚研究室中核メンバーであり、機構におけるジェットババア専従対策チームの中心である。

彼等の所属する団体『独立行政法人環境科学研究機構』は、日本国内で発生する超常現象……『事案』を管理・収容する組織であり、全国に多数の支部、研究所、医療研究所、事案管理収容施設を有する巨大な組織である。

この甲信研究所は、その中でも特に危険度の高い『事案』である特定管理事案の研究を担当する機構の主要研究所の一つであり、国内に三カ所のみ存在する国際的超常管理指針で定められるところのPgSLグループ5クラス研究所だ。

現在首都高速内に発生した事案である通称『ジェットババア』はその危険性及び管理の困難さから、南関東研究所から甲信研究所に担当が移されていた。

今のところ、東京支部渉外班の働きによって被害は最小限に抑えられてはいるものの、それでもジェットババアが引き起こした事故による死傷者は増加の一途を辿っている。


「成る程……確かにクラウンじゃ力不足かもね……」


ジェットババアの追跡に彼等が使用するのは標準的な覆面パトカー仕様のクラウンアスリートである。相手が交通違反車両であれば対応できるだろうが、事案相手には少々分が悪い。


「それじゃあ、まず車両を更新しよう。シビックあたりでどう?」


「それならクラウンをチューニングさせてもらった方が……」


千人塚博士の提案を小笠原研究員が否定する。

そこまで車に詳しい訳では無い博士と違い、小笠原研究員は生粋のカーマニアだ。


「博士、そもそも予算はどの程度出るんです?」


「うーん……申請してみないと分かんないけど、あんまり高い車は無理かも……」


大嶋調査員の問いはもっともだ。車両の速度と値段は正比例とは言えないまでも正の相関関係にあるのは確かだ。


「国産の現行車種ならある程度安く手に入るはずだけど……それでもやっぱり限度が……ね」


「そうですよねぇ……」


無限に予算が出るのであれば、それこそスーパーGTで使われるような車両を用意すれば良いのだが、そういうわけにもいかない。

車両の更新について一同が議論していると、一人の男が研究室に入ってきた。甲信研究所長、守矢久作主務研究員である。


「千人塚博士、ちょっと」


「なんです?今忙しいんですけど」


「君ね……」


いつも通りの千人塚博士の様子に、守矢所長は大きく溜息をついた。


「まあいいか……理事会からご指名で緊急調査依頼がきていてね、やってくれるかな?」


「え……嫌ですけど?」


「理事会から……」


「嫌ですってば」


「……」


「……」


「そもそも、うちはジェットババア専従ですよね?それも十河理事からの指名だったはずですけど?」


「いやぁ……まあ……そうではあるんだけども……」


「赤須博士あたりに頼んだらいいじゃないですか」


「いや、赤須博士は今別の事案の研究にあたって貰っているから...」


「だから、私たちも別の事案に対応してるんですってば!!」


完全に平行線の交渉の最中、千人塚博士の元に小笠原研究員が歩みよってきた。


「博士」


小声で耳打ちをしてくる小笠原研究員の提案の結果、千人塚博士は所長の提案を受け入れる事になった。



甲信研究所 1号TN搬入口


北アルプス地下に広がる甲信研究所の入り口は、長野県から黒部ダムへと向かうための関電トンネルから分岐する秘匿経路1号TNのみである。

そのため物資や人員の出入りは基本的に夜間、トロリーバスの運行が終了した後に行われる事になっている。事案の搬入も例に漏れないが、危険度の高い特定管理事案に関しては工事車両や関西電力の職員も完全に関電トンネルから排除した状態で行われる。

今回の事案はその特定管理事案であると想定されるため、現在このトンネル内には機構の職員以外の人間はいないはずである。


「そう言えば、もうすぐトロバス無くなるらしいですね」


千人塚博士が横に立つ所長に声をかける。


「そういえばそうだねぇ...寂しくなるなぁ...」


「次は電気バスになるんでしたっけ?」


「そうだね、普通の電気自動車になるとか...」


関電トンネルを往復するバスについてのんびり話す二人の周囲では、大嶋調査員指揮下の警備スタッフが忙しそうに働き回っている。


「所長、そろそろ戻って下さい!」


小笠原研究員がスピーカーから告げてくる。

特別の命令が無い限り、特定管理事案に直接接触出来る研究室長以上の上級研究員は一人だけだ。

今回直接事案の受け取りに当たるのは主幹研究員である千人塚博士である。


「それじゃあ、宜しく頼むね?」


「所長も、約束忘れないで下さいね?」


「うぐっ...お手柔らかに頼むよ?」


「それはがっさんに言ってください」


苦笑をひきつらせながらその場を去っていく所長を千人塚博士が見送って数分後、荷台に重厚なコンテナを載せたトラックが護衛の車列と共にその姿を見せた。


「中部研究所の赤井です」


「甲信研の千人塚です。03-0853で間違いないですか?」


「はい、A報告書は?」


「読みました。特定研究員もこの中ですか?」


「はい、画面も設置してあります」


「ではここからはこちらで引き継ぎます」


必要事項の確認を手短に済ませると、中部研究所の一行は足早にこの場を後にした。


「愛想無いですね...」


「しょうがないよ、中部研も大分被害が出ちゃったみたいだし」


不機嫌そうな大嶋調査員の言葉にそう返した千人塚博士は、クレーンで吊られたコンテナを見やる。

今回彼女らが対応する事案は通称『呪いのビデオ』だ。

90年代に猛威を振るった事案であり、当時から中部研究所、南関東研究所の合同チームが捜索を続けていた大物である。


「がっさん、所内の映像機器の準備は?」


『完了してます、いつでもどうぞ!』


通信機から聞こえる声をうけて、千人塚博士は大嶋調査員に小さく頷いた。


「よしっ!収容開始!」


大嶋研究員の合図で、コンテナが搬入口のレールの上に引き込まれる。ここからは全自動でラボにコンテナが移送されていくはずだ。



甲信研究所 第17電磁遮蔽観察室


目隠しをされてパイプ椅子に拘束された一人の男と、同室に壁向きに置かれたテレビ

最近はジェットババアを含めて分かりやすい事案にばかり対応してきた私としては、久々のこの特異な管理スタイルは面倒くささを禁じ得ない。


「がっさん、平衡計はどう?」


「今のところはフラットです」


がっさんこと小笠原研究員がアナログ計器を凝視しつつ言う。

千人塚ーアレクサンドロフ現実性平衡計は、私とロシア科学アカデミー所属のアレクサンドロフ博士が共同で開発した環境下の非現実性を計測する装置で、日本とロシアを中心とした極東地域の超常に対応する組織が使用する計測器だ。

多世界のブレを観測し、現在我々が存在する本流とブレである支流の間での現実性の平衡を計測して超常的事象の有無、強度を測定するものだ。

主に欧米の組織で使用される測定器よりも小型計量でお値段も半額以下の実にお買い得な計測器である。

宣伝はさておき、フラットと言うことは超常の事象はこの空間には存在しないということだ。


「本体の方は?」


「そっちもフラットですね...」


呪いのビデオ本体とその影響下にある特定調査員、そのどちらも現在超常的事象の兆候は無いということか...

この事象が搬入されてきてから数時間、特定調査員とビデオ本体両方に様々な測定を行ってきたが、その結果は全て異常なし...この特定調査員が軽度の蓄膿症であると言うこと以外何も分かったことは無い。

「視神経も異常なし...何らかの放射線や電波での損傷を予想していたんですが...」

医学的な検査を担当した諏訪先生も頭を抱えた様子だ。


「スカって事は...」


「無いだろうね...一応大嶋くんがフィールド調査に出てくれてはいるけど、今のところ移送ルート上の現実平衡はフラットみたいだし...」


何より中部研から送られてきたA報告書にも数値上の異常は計測されていないと書いてあった。

しかし、最新鋭の測定機器を揃えているこの甲信研であればなにかしら判明するかと思ったのだが...


「あと三日...何か出ますかね?」


「どうだろう...」   


しかし、三日間の必死の調査を経ても、私たちはなんら成果をあげることができないでいた。



「...何だか腹が立ってきた!」


「まあまあ...でも困りましたね」


「本当だよ...さっさと終わらせてジェットババアに戻る予定だったのに!」


現在観測室内の光学的情報は完全にシャットアウトされている。それは録画、写真を含めた全てである。

中部研から送られてきた特定調査員が呪いのビデオこと0853に暴露したのが丁度7日前、残念ながら彼はここまでだ。


「...始まったみたいですね」


荒い息づかいと絞り出すような呻き声が観測室内のマイクから届く。

続いてくぐもった骨の折れる音、特定調査員の体に取り付けられた心電図の反応が止まる。


「レーダーの反応は?」


「反応微かにありますが...不規則で弱いです」


実体は一応あると言うことだろう。

私は感度を再調整した平衡計の針が微かに動いていることに気がついた。

最初はほんの小さな振動だったのが、徐々に強くなって最終的に振りきれたところで特定調査員の生体反応が消えて平衡計の反応も消失した。


「どうやら...尻尾だけは掴めましたね」


諏訪先生が少々興奮ぎみに言ってくる。この三日で初めて得た成果だ。


「うん、ようやくだね...大嶋くん、次の特定調査員をいれて」


特定調査員が観測した結果、観測室の中には死体とテレビがあるだけだったとの報告を受け、光学観測を再開する。


「それじゃあ、今度の彼女を0805に暴露させよう」


この日の実験はこれで終わりだ。

こちらからは画面の見えないように設置してあるテレビとそこに設置されたVHSビデオデッキ...今度の特定調査員は十代の女性の様だが、そもそもVHSを知らない世代なのでは無かろうか?


「K-2123番、聞こえますか?」


マイクを通して特定調査員に問いかける。


『聞こえるけど...あんた誰?この死体は何?』


「私は千人塚博士です。そちらの死体についてはあまり気にしないで下さい、最初の試験が終了したらすぐに片付けます」


『気にするなって...』


「K-2123番、その部屋の中にテレビとビデオデッキがあるのは確認できますか?」


何やら言いたげな特定調査員の言葉を遮って話を進める。


『...あるけど』


「では、今からあなたのもとにVHSテープを持っていきますので、それを視聴してください。...VHSの操作は分かりますか?」


『分かるけど...ていうか、いい加減何させようとしてるか教えてくれない?』


「残念ですが、説明することは出来ません。それについては契約時にも説明があった筈ですが?」


日本全国の刑務所にいる受刑者のうち、社会的注目度が低く、かつ身寄りの無い者達に対して釈放と多額の褒賞金と引き換えに危険を伴う実験の協力を求める特定調査員制度だが、この情報の氾濫する時代においては人手不足が深刻である。

米国を中心に世界中で超常現象の確保を行うとある国際団体は米国のみならず世界中で暴力犯を集めていると聞くが、こちらは治安のいい日本国内オンリーの募集だ。


『あんたなんかムカつく』


「そうですか、それでは契約を破棄しますか?」


『ちっ...やりゃいいんでしょ!』


おかげで特定調査員の品質はあまりよろしくない。今回の彼女は反抗的兆候が強いと資料には書いてある。此方としてはとっとと実験に移りたいのだが...


「それでは、作業を始めてください」


特定調査員の元に大嶋くんの部下が0805本体を届ける。

想定外の暴露を防ぐために、上半分を塗りつぶしたサングラスを掛けて視線を下に落としている。


「がっさん、諏訪先生、計測の準備は?」


「バッチリです」


「こちらもです。今のところバイタルは正常の範囲です」


私の手元の平衡計も今のところはフラットだ。

次の実験では空間と0805本体、特定調査員だけではなく、死体の方の数値も計測する。

感染症の様にヒト-ヒトで影響が伝染するのか、死体から0805本体に何らかの移動が生じるのか...


『再生していいの?』


「はい、お願いします」


私たちは視線を計測器に落とす。


『...何も映らないけど...あ、始まった』


「何が映っていますか?」


『白黒の...井戸?』


「他には何か映っていますか?」


『他っていっても...井戸の後ろに雑木林があるくらいかな...なんか気味が悪い』


中部研の報告の通りだ。

平衡計は死体、ビデオデッキ、テレビ、特定調査員の順番で反応する。


「そのまま視聴を続けてください」


その後の観測の結果、特定調査員の元で平衡計の反応が消失する。


「諏訪先生、バイタルは?」


「脳波に一瞬不自然な乱れがありました」


「がっさんの方は?」


「低周波のスペアナ(スペクトラムアナライザー)に一瞬ですが反応がありました」


成る程ね……

はっきりしたことはまだ何も分からないが、私の頭の中には幾つかの可能性が浮かんでいた。

まだ答えには程遠いだろうが、何をすべきかの指針ぐらいにはなるだろう。

用語解説

『独立行政法人環境科学研究機構』

日本国内で発生する超常・超科学事象『事案』の対応、管理収容、研究、利用までをワンストップで行う機関

名目上独立行政法人となっているが日本政府の監督下には無く共生と呼ぶべき密接な協力関係を築くのみである。

通称『機構』


『事案』

一般に知られている科学では解明の出来ない超常・超科学的事物の総称

危険度によって特一号~六号までに分類される。


『特定調査員制度』

国内の刑務所に収監される受刑者及び執行前の死刑囚のうち、社会的注目度の低い者を刑の減免及び多額の報奨金と引き換えに『事案』研究のための任期制非正規職員として雇用する制度

主に『機構』職員が直接行うには危険度が高い実験において投入される。

2017年度の任期満了退職者は対象の2%であった。


『PgSL:Paranormal General Safety Level』

超常全般保安等級

国連超常管理委員会(UNPCC)で使われる超常等級のうち、危険性をベースにした等級である。

グループ1~グループ5に分類され、それぞれ対応した研究施設・管理収容施設にて取り扱うことが義務付けられている。


『研究所』

『機構』における超常対応・研究の中核となる施設。

医療研究所と主要研究所に大別される。


『主要研究所』

『機構』の研究所のうち『事案』の取り扱いを主たる業務とする研究所の総称

担当業務によって『特定管理研究所』『中核研究所』『専門研究所』に分類されるが業務内容はそれぞれの所掌における『事案』対応及び研究である。


『医療研究所』

『機構』の研究所のうち、事案的特性を有する疾病・障害、ヒト由来の人工生命体を所掌する研究所

事案的特性を有する疾病の治療方法の研究や超常戦における特殊武器防護も所管する関係上、主要研究所とは別に日本各地に配置されている。

一部例外はあるものの『機構』職員向けに各種医療サービスを提供する医療センターが併設されている。

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