其ノ弐 坂本龍馬はバナナで釣れますか
「どうも、タイムスリップした先で坂本龍馬と中岡慎太郎と出会って2人の宿に泊まらせて貰おうと思ったら刺客に狙われてるっぽくて巻き込まれたら激ヤバ。万年運動不足、体育はやる気がなくて成績はいつも1、その上全身筋肉痛で太刀打ちなんて出来るわけないので突発的に筋肉を欲している今日この頃の俺です」
「いきなりどういた」
「あ、大丈夫です。ちょっと現実逃避してただけなので」
『俺死ぬかも。やばい。刺客とか無理』
語彙力を無くしながら死を身近に感じて力を欲していると、丁度いい筋肉が目の前にあった。思わずじっとりと見つめてしまう。日に焼けて実に男らしい。
『いいな。羨ましい』
ぺたりと触ってみると、手が冷たかったせいで驚いたのかまあまあの声量の悲鳴が上がった。
「な、なんじゃあ!?どういた!?」
「龍馬さんたちは身体ががっしりしてますよね」
「お、おお…わしらぁはお天道さんが出てから沈んでとっぷり暮れるまであちこちを奔走しとるからのぉ」
「時代を変えるためぜよ」と笑い合う2人に続く言葉が出て来なかった。
この人達はこの節くれ立った手で日本の未来を変えようと足掻いているのだ。
がっしりした身体も、所々に切り傷のある肌も男の勲章だ。そう思うと目の前の存在が一人の人間ではなく、もっと大きな時代の波そのもののように見えてくる。
悠吏は唇をきゅっと結んで、2人の間にむぎゅむぎゅと入り込んだ。
「日本は近い将来、革命を起こしますよ」
「そうじゃ。わしらはそれを目指しとるんぜよ。いつかはそうなればえいと思っちょる」
「お2人は海外にも名の轟く有名人になりますよ」
「ははっ、それは光栄や」
「……本当なのに……」
子どもの戯言だと思われたのか、わしわしと2人に頭を撫でられぷくーっと頬を膨らませる。
「なんじゃ、頬が鞠のようになっちょるぜよ」と笑われ、ますますぷくぷくと膨らみが大きくなる。
「……ちょっとは信じてくれたっていいのに」
そんな話をしていると近江屋に着き、主人に話を通してくると慎太郎さんが1人で入る。
龍馬さんと二人であひるをぷきゅぷきゅさせて遊んでいると「入ってええぜよ」と髭面が覗き、龍馬さんの手に握られ苦しげにぷきゅ〜と鳴くあひるを見て顔を顰められた。
「なんやそれは」
「あひる言うそうじゃ。風呂に浮かべるらしい」
「知らん」
「すっと入れ」と 背中を向けられた。
あひるの受けが悪い。ペリー来航時にいたいけな悠吏を救った小さな英雄だというのに。ちょっとぼこぼこの傷だらけになった身体も男の勲章である。
首を傾げながら後に続くと、邸の主人らしき人が居たのでぺこりと頭を下げる。
「ゆっくりしていきなさい」と言われたのでお礼を言って、龍馬さんの用心棒だという山田藤吉さんにも挨拶した。藤吉さんは元は力士だったそうで見るからに頑丈そうだ。
この人が居るならきっと安心だろう。
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「この部屋に2人で住んでるんですか」
階段を上って入った部屋は成人男性が2人で住むにはとても広いとは言えない大きさだった。
おしゃれな家具などは一切無く、簡素な机には積まれた書簡と墨筆のみが置かれていてここは仮住まいだということが分かる。
荷物を置いてすぐ、風呂に行くぞと担がれ、抵抗する気力も筋力も無いので大人しく連れて行かれる。そして湯屋というところに着くと犬のように丸洗いされた。
自分で洗えると言っているのに楽しそうに2人して左右からわしゃわしゃしてくるのだからお手上げだ。
昨日は風呂に入れてなかったからおかげでさっぱりしたけれど酷い洗い方だった。しかもお湯が熱くて敵わない。いつもお風呂のお湯はぬるま湯でサッと済ますから熱いお湯で我慢比べなんてまっぴらで、イヤイヤと赤べこのように首を振って断ったのに楽しそうな2人に無理矢理ドボンと沈められてすっかりのぼせてしまった。
大人なのにさんざん風呂で遊んだ後へろへろになった悠吏を笑う2人。
無念だ。
何も抵抗出来ず2人に脇から支えられながら帰路につく。
でも帰りにたわいもない話をしたり、歌を歌ったりしたのは結構楽しかったかもしれない。
上機嫌で部屋に戻り歴史の教科書でぱたぱたと扇ぎながら足を伸ばして休んでいると、2人が布団をずりずりと敷き始めた。
「…ん?」
「どういた」
「ちょっと聞いていいですか」
「なんやい」
「お布団一つですか」
「おう」
嘘でしょと言いたい。
いや狭いから仕方ないのけどいつもこれで寝てるの?30代の男2人で?暑苦しくない?男2人が新婚さんよろしく1つの布団で仲良く寝ているのを想像して頭の中がパニックだ。
「龍もわしも寝相はえいから大丈夫じゃ」
そういう問題じゃない気がする。
この2人気にしてないのかと龍馬さんの方を向くと問題ないと大きく頷いていた。
……ジョリッという効果音が鳴りそうな顎を撫でながら。
思わずぶるりと身震いする。
幼い頃、せっかく家に帰って来ていたのに急に仕事の案件が入ってしまって徹夜で仕事を終わらせた父に近付いてしまい、伸びかけの髭で頬擦りされた朝を思い出す。
おろし器でおろされる大根になった気分だった。もうあんな体験は御免だ。
「おまんには特別に真ん中を譲っちゃる」
「ゆ、床で……地べたで寝ますのでお気になさらず」
「遠慮せいでええ」
「いやいやほんとに俺座って寝ますので」
「おまんは武士か」
腕を組み座ったまま眠り曲者の気配でカッ!と目を覚まし、やぁーっと斬り掛かる武士のイメージが頭に浮かぶ。
研究してて地べたで作業しながら座ったまま寝るのなんていつものことだし、男3人ぎゅうぎゅう詰めで左右から髭でじょりじょりされながら眠るのなんてまっぴらだ。
「この世の終わりかってくらい寝相悪いんで」と苦し紛れに断るとそれなら仕方ないと諦めてくれた。
悠吏はホッと息を吐く。
「布団くらいはありゃあえかったんやが生憎座布団しかないき、わしの羽織でも被っちょれ」
「ありがとうございます」
ばさりと羽織を放り投げられ、「わぷ」と頭から被ってしまう。
外の土や風の匂いと汗の匂いが入り交じった男の匂いに包まれた。
自分が龍馬さん達と同じくらいの年になった時、この匂いを纏えるような大人になれているだろうか。なんて考えていると、「ほいじゃあわしらは寝るき、何かあったら起こしや」と電気が消された。
「ほんとに2人で寝るんだ……」
「何か言うたか」
「いえなんでも」
「お休みなさい」と声を掛けて武士のようにあぐらをかいて腕を組み目を閉じる。
『今日は疲れたなぁ……』
目を閉じてから暫しの静寂の後、ややあって「のう」と声を掛けられた。早い。さっきお休みしたばっかりなのに。
「おまんはどこから来た」
話し掛けてきたのは意外にも慎太郎さんだった。
慎太郎さんは腕を枕にして天井の方をぼーっと見つめている。眠れないのだろうか。
悠吏は体育座りに体勢を変えながら返事をする。
慣れない体勢はするものじゃない。鞄をクッションの代わりにして抱えると、悠吏はふぅと一息吐いた。
「……遠いところです」
悠吏はふわぁ、と小さく欠伸をすると龍馬の羽織をますます自身に覆いかぶせ丸まった。
やっぱりこの体勢が1番落ち着く。
慎太郎さんは何か言いかけたようだったが、溜息と共に飲み込んでしまったようだった。
「おまんは変ぜよ」
「ええ……いきなりディスるじゃんびっくりする……」
「変な物を持っちょるし、言葉遣いも行動も浮世離れしよる」
「そうですかね。ははは」
『そりゃ、この時代の人間じゃありませんから』
しかし現代でも学校の担任の先生から浮世離れした行動がよく目立ちますと毎年のように通信簿に書かれていたので「俺のいた所でも俺は浮いてましたよ」と正直に言うと「ほうか」と笑われた。
「じゃけんどおまんは一緒に居るもんを穏やかにさせる力があるかもしれん。上手く言葉には出来んけんどもなんちゅうか、気が抜けるんじゃき」
「あのあひるとか」と言われ、なるほどあの時の顔は気が抜けていたのかと納得した。
しかしあひるのあの音は敵に居場所を悟られるかもしれないからやめて欲しかったと言われてごめんなさいと謝る。何も考えず暇を持て余して龍馬さんと遊んでしまった。
思い返せば妹からもゆるキャラだとか行動が幼女だとか言われていたし、自分にはそんなつもりはないのだが子どもっぽいのだろうか。
兄の威厳は何処へ。
ぺふっと膝に顎を乗せて「どうせ俺はへんてこな坊主ですよ」といじけると「すまんすまん」と笑われた。
「表情が変わらんき、最初はわしらの事が嫌いなんじゃないかと思っとったぜよ。話してみたら全くの杞憂じゃったがのう」
「すみません、真顔がデフォルトなんです」
「おう、でふぉると、ちゅうのはよう分からんが……おまんは表情は豊かやない。けんど心のここーにある感情は誰よりも豊かじゃ」
慎太郎がさんは「まっこと面白い坊主ぜよ」と言ってカラカラと笑った。
ぐにぃ〜っとほっぺを抓って無理矢理笑顔にさせられて「ひゃめへふわはい」と抗議するが、「やわっこいのぅ」と取り合って貰えず一頻り遊ばれた。
「どうじゃ、笑ってみぃ」
「こうですか」
にたり。にっこりと笑いたかったがどうやら失敗したようで、あまりに衝撃的だったのか中岡さんの目がガン開きになった。仕舞いには「おまんにゃ二度と笑えとは言わん」と神妙な面持ちで言われてしまった。
懸命な判断だ。眠気覚ましてごめんなさい。
わちゃわちゃと割と騒がしくしていたように思うが、龍馬さんの方からはすかー、すこーと軽快ないびきが聞こえてきた。
「龍馬さん寝付き良いですね」
「こいつはい〜っつもこうじゃ」
まだ10時も来てないのに。
小学校高学年の就寝時間だ。病み上がりだからかと思ったらそうでもないらしい。研究していたら知らぬ間に寝ていて昼夜逆転しまくっている自分にはなかなか出来ない芸当だ。
「おまんの犬も早う見つかればええんやがのぅ」
「……もし、このまま見つからなかったら」
ずっとこの時代で生きていく事になるのだろうか。だんだんと視線が下がり、抱えた膝に顔を埋める。
現代に残して来た兄妹の事を思い浮かべ、ぽつりと弱々しい声が零れた。
「……早く出て来てよ、さなえさん……」
「わふっ!」
「……ん?」
耳元で何やら聞き慣れた犬の声が。
顔を上げて振り向くと、お利口にお座りしてわっふわっふと嬉しそうに体を揺らす巨大な白い毛玉と目が合った。
にへっ、と笑っている。
「慎太郎さん。居ました、さなえさんです」
「犬が急に出てきたぜよ!?」
「ちょっとそういう仕様なんです」
「見つかってよかった」と丸い頭を撫でる。
ぽかんとして呆気にとられている慎太郎さんに「この部屋、ペット可ですか」と聞くとぶんぶんと首を振られ、さなえさんが「くぅん」と鳴いた。
「くっ……大人しくしているなら……!許すぜよ」
「わふっ」
「さなえさん、しーっ……!ぶべべ」
さなえさんにべろりと顔を舐められた。熱烈な愛情表現だ。気持ちは嬉しいけど舐めるのは勘弁して欲しい。
さなえさんはわっふわっふと慎太郎さんの方にも行って顔を舐め、慎太郎さんから少し情けない悲鳴が上がった。うちの犬がどうもすみません。
調子を良くしたさなえさんが寝ている龍馬さんの方へ歩いていく。
「あっ、さなえさんそっちは……」
「……くぅん」
てっきり寝起きドッキリよろしく顔を舐めまくると思ったのに、さなえさんは龍馬さんの前で足を止めるとこちらを振り向いて悲しそうな目で首を傾げていた。どうしたのかと龍馬さんの顔を覗き込むと。
「龍!」
慎太郎さんの焦った声が龍馬さんに駆け寄る。
荒い息。ぜえぜえと苦しそうに布団を掴む腕には汗が滲んでいた。
「龍馬さん!」