開幕 ごめんな、ペリー
きっかけは割と素っ頓狂で。
「あっ」
とある少年が趣味の機械弄りをしていた最中のこと。そろそろ一服しようとした矢先、コーラを持ち上げた手をつるりと滑らせた。
赤い色をした缶が宙を飛んだかと思えば、一瞬で装置の中に吸い込まれて消えた。
少年は戸惑った。
「……えっ、コーラどこ行った」
一瞬の出来事に為す術もなく。少年……悠吏は暫し硬直した後、きょろきょろと辺りを見回した。特に変わった所はなさそうだ。
「ふぅ」
悠吏はやれやれと息を吐いた。そして誰に言うでもなく呟いた。
「まあなんとかなるっしょ」
悠吏が作っていたのは生き物の成長を早める装置……いわゆる成長促成装置である。悠吏はとある事情により、昼夜を問わずこの装置の制作に没頭していた。
しかし生き物でもなんでもないコーラ缶が跡形もなく消滅したということはこれは失敗作ということだろう。ちょっと休憩したら廃棄しようと思う。正直もの凄く怖い。
「コーラまだ買い置きあったかな」
などと呑気に独り言を零しつつ、悠吏はのそのそと冷蔵庫に向かう。
この時、とりあえずもう使うの止めればいいや、という甘い考えで終わったのがいけなかったのかもしれない。
結論から言おう。何とかならない。そこからがおかしかったのだ。
・・・・・・・・・・
「おっ」
冷蔵庫を開けると、いつもなら入っていないような英国風のパッケージに包まれた菓子が入っていた。「おしゃんじゃん」と言いつつ何となしにそれを手に取る。連日がらくた作りで腹が空いているのだ。とりあえず何か腹に入れようと無造作に袋を破り、ぽいぽいと口に入れた。
「うまし」
さてさてお次はコーラを拝借、と冷蔵庫横の飲料棚に手を伸ばし……悠吏はあれ、とその手を腰に当てた。
「うちの冷蔵庫ってこんなんだっけ」
まじまじと冷蔵庫を見つめ、首を傾げる。
最近は部屋に篭もりっきりで衣食住のことはほぼ家族におんぶにだっこだったため、なんなら部屋から出るのも相当久しぶりだったのだけども。いつの間に冷蔵庫を替えたのだろう。「冷蔵庫新しくするよ」だとか「業者さんが来るよ」みたいな事は聞いていなかったのだけれど。
きょろきょろと辺りを見回したところ、なにやら英国風の物がそこかしこに散らばっている。
なんだあのアンティーク調の小物は。なんだあのスチームパンクっぽい時計。かっこよ。
『……いやうちの時計鳩時計だったろ』
「台所の時計壊れちゃったみたいなの、直して頂戴」と妹が持って来て作業の片手間に直した時計は、確かにあのふざけた顔をしたハトかインコかよく分からん鳥の時計だったはず。いつの間に御役御免になりこんなイカしたギミックの凝ったものが掛けられているのか。動作確認のために動かした瞬間、びっくり箱みたいに飛び出して眉間に強烈な突きをお見舞してきやがったいつぞやの鳥に思いを馳せていると。
ぐにゃり。景色が歪んだ。
「およ?」
ごしごしと目を擦るが依然変わらず景色がぼやけている。疲れ目かな?と思いつつなんとなーく視線を移すと。
見てしまったのだ、目の前で何の変哲もない台所のテーブルがレースのクロス付きアンティーク家具に変化する瞬間を。
「あ、これやばいやつだ」
何か、いや絶対、間違いなくさっきのうっかりで歴史が変わった。
だっておかしい。だんだんと家の中がグローバルになっていっているじゃないか。
だだだっと走って階段下の押し入れから中学の歴史の教科書をかっぱらって近くに置いてあったかばんに詰め込み、さっきの食べかけのお菓子とテーブルの上のかごで黒くなりかけたバナナ、ついでに飲みかけのペットボトルを流れるようにぽいぽいとかばんに放り込み、部屋のドアを勢いよく開ける。
「げっ!」
本棚の少年探偵団の文庫本がシャーロック・ホームズに。誕生日に妹から貰った謎のセンスが光る寿司の形のクッションがテディベアに。
ハイセンスなファッションに定評のある妹から貰ったへんてこグッズで溢れかえる自室がみるみるうちにおしゃれになっていく。嬉し……じゃない、嬉しくない嬉しくない。やばい。
「はっ!」
机の上の家族写真が歪む。
悠吏の周りでにこやかに微笑んでいた両親と兄妹達の顔がぐにゃぐにゃとぼやけた。
「ひぇっ……うちの家族の人種が……」
みるみるうちに家族全員の顔が英国のロイヤルファミリーみたいになっていく。そもそもうちの母は外国人だけど出身はフィンランドだ。イギリスじゃない。
「あっ」
そうこうしているうちに、仕事を放棄した頬の筋肉を無理やり上げさせられた自分の姿がぐにぐにと形を変えつつあった。
「やばいやばいやばいまじでヤバい」
助走をつけて装置の中に飛び込む。必死だったから不思議と怖さは無かった。
うっかりタイムマシンを作って歴史を変えてしまった少年は向かった。コーラの缶を取りに。
「そいやっ」
悠吏が飛び込んだ後、ピポパポと子気味のいい音を立てた装置がチーンと間抜けにベルを鳴らした。
・・・・・・・・・・
「黒船だ〜!!」
馬鹿みたいに狼狽えて叫ぶ男の声で悠吏ははっと目を覚ました。
『なにここ、どこ。なに黒船って』
慌てて飛び起き、見上げた先には。
気が動転して狂ったようにわあわあと騒ぐ人集り、そのまた向こうには広い海。そしてそのまた向こうからアホみたいにデカい黒い船が何隻もこちらに向かって進んで来ていた。
「ほぁ」
いやいや待て待て。何これどういう状況?思わず喉から変な声が出てしまった。
これってもしや大河ドラマとかでよく見る、日本の歴史を語る上では絶対に外せないペリー来航の場面では。
「あばばばば……」
訳もわからずその場でわたわたしているとあっという間に船が港に着いてしまう。
中から出てきたのは教科書でよく見る、なんなら授業中暇で落書きとかしちゃったあのおじさんの姿だった。いや近くで見るとめっちゃ怖いな。落書きしたことを土下座で謝りたい。
「やば……やば……なんあれ、やば……」
生憎表情筋が動かないため無表情でがたがたと震えていると、誰かに後ろからぽかんと蹴り飛ばされた。
「痛った……えっだれちょっと文系科目を捨てて理数科目にステータス全振りしたこの俺の頭を蹴るとはなにごと?頭から数式が抜けたりしたらどうしてくれ……」
「左様な所業に転がとはゐらるては邪魔じゃ。とっとと退け」
「……」
『……この人、何言ってるんだろう。俺めっちゃ理系なんだけども。何言ってるかさっぱり分からん』
半ギレで振り向いた先で全く聞き慣れない言語が飛んできた。自動翻訳機能付いてないのか。これは中々に厄介だ。
とりあえず邪魔だと言われたことは何となくニュアンスで分かった気がして、悠吏はすんっと鼻を鳴らした。
「一刻も早く帰ろう」
港では役人みたいな変な格好をした人がずらりと並び、異邦人を警戒するように立っている。
自分は白シャツジーパンに白衣を引っ掛けて足は室内履きのつっかけという完全に浮いた服装。
異邦人に向ける視線がこちらにもじろりと向けられてそこはかとなく居心地が悪い。そんなにハーフ顔が物珍しいかと問いたい。多分珍しい。
『こんな事ならつぼみが選んだおにぎり柄の甚平でも着とけばよかった』
そう思ったが、夏でもないのに甚平は寒い。そしておにぎり柄に更に注目が集まりそうなので却下する。
「はぁ、つら……」
部屋に篭ってガラクタを作っていただけなのに一体どうしてこんな目に。
いたたまれない。とっととこの場から走って逃げ出したい。
なんて思っていたら、ペリーが私は無害ですよというアピールをしながら両手を上げてこちらに歩み寄ろうとした。その瞬間。
ひゅるるるるる、と何かが落ちて来た。
『あれ、もしかして』
身に覚えがあり過ぎる赤いパッケージ。想像しただけで口の中がシュワっと甘く爽やかになるあの形状はもしや。
「アウチ!!」
「あっ、やっぱり俺のコーラだった」
ゴイン、と鈍い音がした。クリーンヒットである。瞬間、缶が弾けるようにして中身が吹き出した。
「オー、ノー!」
缶がぶつかった額を抑え、ペリーが呻きながらよろめく。
吹き出したコーラが勢いよく高そうなスーツを汚し、液体が口に入ってしゅわしゅわしたのに驚いたペリーが目を見開き、足元に転がる缶を危険物だと思ったのか素早く距離をとった。
「ファック!!!」
ペリーは突然のことで唖然としている日本の皆さんをキッと睨むと船の中に引っ込んでしまった。船が動き出す。大海原に向かって。
「えっ」
いったい何が起きたというのか。突然の出来事に現場は騒然となった。
「よし、今のうちに……」
カオスなこの空間で逃げるのは今しかない。人の騒ぎに紛れサッと缶を回収し建物の陰に隠れる。
悠吏は積まれていた角材を崩しそうになりながら壁に寄り掛かり、鞄からお風呂のあひるちゃんがぷきゅっとこぼれ出て来たのに肝を冷やしつつ飲みかけのペットボトルの中身を飲んで心を落ち着かせた。
「とりあえず歴史がこれからどうなったか確認しなければ」
悠吏は教科書を引っ張り出すと、幕末期のページをバッと開いた。
『異邦人来航。鎖国政策をとっていた日本の浦賀(神奈川)東京湾に突如現れた黒船は人々を畏れさせたが、民衆側から謎の爆発物が投げ込まれ、驚異を感じた異邦人は太平洋の彼方へと消えていった』
「…………」
なんだそれ、と言いたくなった。
つまり、本来なら開国を迫って来ていたはずのペリーはこのタイムスリップしてきたコーラ缶がおでこに直撃したために、驚いて帰ってしまったのだという。その後アメリカから何か戦争を仕掛けられることもなく、次に日本にやって来たイギリス人の漂流者が日本との和平条約を提案したことで日本の鎖国は終わったと。
イギリスは日本と独占通好条約を結び、日本は瞬く間にイギリスに植民地支配されてしまったらしい。我が家の古き良き日本の昭和家具が英国風に変化した意味が分かった気がする。
悠吏は涙目のペリーの横顔を思い出した。相当痛かったろうと思う。突然中身入った缶が上空から降って来て直撃するなんて。悠吏だったらその場で蹲ってそのまま死に目を待っていた。
「ごめんな、ペリー」
潮風に吹かれ、口に含んだおしゃんなお菓子が妙にしょっぱく感じた。
・・・・・・・・・・
その後。
「くらえ体育評価1のフルスイング。ふんっ」
再度降り立ったペリー来航の瞬間。
悠吏は崩しかけた角材をバットの代わりにして謎に鞄の中に入っていたあひるちゃんをボール代わりに、缶をノックで打ち返し事なきを得た。
本当は運動神経がよくなんでも出来る兄にでも頼めたら良かったのだが、生憎自分には何も知らされていなかったのに全員出払っていたせいで自力で何とかするしかなかったのだ。
ぷきゅ〜という少々間抜けな叫び声と共にあひるが勢い良く空を飛び、何度か缶やあひるをペリーの顔面に直撃させたり池ポチャならぬ海ポチャをしてしまい、その度に海にダイブしたりペリーに謝ったりしてやっと掴んだ元の時間軸。
「もうペリーの泣き顔はたくさんだ」
何度泣かせたか分からないペリー。邂逅した時間は何度も泣かせて帰らせたせいで結構短かったかもしれない。
心から謝罪する。ほんとごめん。
「ふぅ、やれやれ。これで全部元通り……」
爽やかな汗を拭き、達成感で溢れた悠吏が現代に帰ったその刹那。
開けたままだったドアから軽やかに入室してきた愛犬のさなえさんが、こちらに気が付くと嬉しそうに舌を出して駆け寄って来た。
白く大きな身体がわっふわっふと勢いよく突進してくる。
……まさか。
「さなえさん……?さなえさんストップ。ステイ。あっちょ、待っ」
ピコピコと間の抜けた音を鳴らしてタイムマシンが作動する。
誰も居なくなった独特なセンスが光る部屋で、カーテンだけが揺れていた。
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