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第96話 ダメ係長

作者: 山中幸盛

 名倉憲也の職場に、いかんともし難いダメ係長がいる。彼は明るく生真面目な性格で行動力もあるのだが、いかんせん一生懸命にやればやるほど職場を混乱させてしまうのだ。

 憲也は彼のことを『軽度のアスペルガー症候群』、もしくは『ボーダー』とにらんでいる。おそらく、広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)の中でも知能が高く、記憶力も優れているから、係長試験を易々と合格してきた人なのだ。仮にそう『診断』すれば彼の行動がすべて納得できる。例えば、最近でもこんなことがあった。


 憲也が昼休みに四百円の注文弁当を食べ終え、汁椀とマイ箸を洗うために給湯室まで行くと彼が弁当箱を洗っていた。すると彼は「どうぞ」と体を横にずらして場所を空けてくれたのだが、黙々と自分の弁当箱を洗い続ける。

「どうも」と憲也は蛇口をひねって汁椀と箸をお湯で流したが、いかんせん洗剤をつけるスポンジが一つしかなく、そのスポンジは彼の手にしっかり握られている。だから、そのような場合は「ちょっと待ってね」とか言うべきなのに、彼はそのことに気づかないのだ。

 このことは「相手の立場で物事を考えられない」「相手の気持ちが解らない」等の自閉症者の特質に近似している。


 また、同僚の一人からこんな話も聞いた。彼は係長なのだから、部下が余分な超過勤務手当を請求しないように睨みを利かす立場にある。ところが彼は自身の超過勤務手当を臆面もなく請求する。雑談で盛り上がって遅くなった場合など、部下は遠慮して申請しないのに、自分は「定時を過ぎれば残業」とばかりに厚顔無恥に請求する。

 この場合、おそらく彼がまだ駆け出しの若い頃に日本の景気が良くて、民間企業との格差を縮めようとする上司から「残業は遠慮しないでつけていいよ」と言われたことがあって、それを現在に至るまで律義に守り続けているのだ。その上司の言葉を邪念なくストレートに聞き入れ、頑なに実行しているにすぎないのだ。とりわけリーマン・ショック以後は公民の立場が逆転し、不況に強く「給料もらい過ぎの公務員」として批判の的になっているというのに。

 自閉症を理解するのにしばしば用いられる極端な例として、忙しいから「手を貸して」と言われた際に「はい」と大まじめな顔で手を差し出したり、「ちょっとお鍋を見ててね」と言われて、吹きこぼれる鍋をじっと見つめ続けたりする。いずれも、頑なに言いつけを守っているのである。

 そこで大切なのは、彼には発達障害がある、と認めてあげることだ。例えば、足に障害がある人に対して「もっと早く歩けバカヤロー」などとは誰しも怒らないのだから。

 しかし悲しいことに、軽度ボーダーであるがゆえに、彼に障害があることを誰も知らない(おそらくご本人も承知していない)。よって、彼が職務を果たせない分を他の係長が補わねばならず、部下からも愛想を尽かされ、同じ職場に留まることができずに転々と移動させられることになる。


 そして三月最後の週に辞令が下りて、やはり彼はまた今年も転勤だ。この人事は半年ほど前に堪忍袋の緒が切れた所長が本庁に殴り込んで行って「あんな役立たずはいらんから首にしろ」と騒いだ結果だと、ある同僚が教えてくれた。

 普通なら、彼が転勤して行くことを職員に紹介するものだが、所長にそのような「一人前扱い」する気はさらさらない。ところがご本人はなぜ自分が邪魔者扱いされているかまるで分かっていないので、慣例通り、昼休みに悪びれることなく話し始めた。

「お食事中のところすみません。このたびの人事で○○区の○○支所の方に移ることになりました。一年という短い期間でしたが、お世話になりました」

 これを見た係長の一人が慌てて所長を呼びに走って所長室から引っ張り出すが、所長は彼の移動のことについてはひと言も触れず、四月から入ってくる新入の簡単な履歴や転勤してくる二人の職員のことを長々と紹介しただけで引っ込んでしまった。この一事だけを見ても、よほど腹に据えかねていることが推察できる。


 立つ鳥跡を濁さず、という格言があるが、彼は最後の最後に、発達障害らしさを見せつけてくれた。

 これまで職場では一食四百円のAランチサービスから弁当を取り寄せていた。そこにBランチサービスが介入してきて三百五十円で提供するという。三月末日の二日間を試食として無料で食べられることになり、その二食分のレシピが貼り出された。転勤していくその係長がしたり顔で言った。

「豪勢だなあ。『青菜とちくわのオイスター和え』と『白身魚とキノコのタルタル焼き』と『鶏もも肉のスパイス焼き』だなんて、こんな調子で毎日提供し続けたら、すぐに倒産しちゃうよね」

 四月からいなくなる彼は、注文個数を取るための用紙に自分の名を記入し、躊躇することなくBランチサービスを廃業に追い込むことに加担するのだった。

        (『あじくりげ』平成23年6月号に掲載)



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