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初花  作者: 皇 凪沙
2/8

少女

 正月の騒ぎも収まり、暦は春が近いと告げている。それでも土手にはざくざくとした雪が解け残り、わずかに土の匂いを含んだ風は、まだまだ冷たい。

 えんが閻魔堂に足を向けたのは、だから久しぶりのきまぐれだった。

 春に向かう途中の小道は、冷たい雪解け水で泥濘(ぬかる)み、冬枯れたままの草木が踏み混ぜられて荒れていた。踏み跡があるからには、こんなところにも誰か来る者があるらしい。自分の事は棚に上げて訝しく思いながら、えんは荒れた道を辿った。

 泥濘に足を取られ、時折舌打ちをしながら何時もの道を行く。

 冬枯れた原は見通しが良く、いつもより遠くから閻魔堂が見通せた。遠くから見る閻魔堂は、まだ頼りない日の光の中で白々と寂しげに佇んでいる。不如意な足元へ目を落とし、えんは少し足早に閻魔堂へと向かった。

 久しぶりに閻魔堂の前に立つと、堂の板壁はひと冬の風雪にさらされて、白く乾いていた。冬の間に少し建てつけが悪くなった様に思われる扉を開けて覗き込むと、木彫りの像が何時もの様に薄明かりの中に浮かんでいる。

 戸口から入る風にきらきらと埃が舞い、業の秤が小さく揺れた。


 中に入ろうとして、えんは須弥壇の横に(うずくま)る人影に気づいた。息をころして此方の様子を窺っているらしい気配を感じ、えんは素知らぬ振りでゆっくりと堂の中へ入った。

 そっと扉を閉めると、隙間から入るわずかな光に、須弥壇(しゅみだん)の上の像が薄く暗闇に浮かび上がる。真っ直ぐに須弥壇の前へ立って、えんは閻魔の像を見上げた。

───どうせまた、面倒なことを押しつけるんだろう?

 そう、口には出さずに(ささや)いて、わずかに眉を(ひそ)めて見せる。知らぬ気に何処かを睨み付けている木彫りの像に、えんは小さくため息を吐く。

「如何したんだい。」

 えんは須弥壇を見上げたままでそう言った。暗がりの影が動く。男か女か、大人か子供かも解らないまま、えんはゆっくりとそちらを見た。

 (すく)んだ様な気配と、まだ言葉にまではならない息遣いが聞こえた。そっと窺う様に、影が前に出る。薄明かりの中へ出るのが恐ろしいのか、暗がりと薄明かりの境界線で、影は逡巡する様に動きを止めた。

 闇を透かし見て、えんはそこにいるのが女であるらしいことを確かめる。小柄な影は、もしかするとまだ子供なのかも知れない。その影の主を怯えさせない様、えんはじっと黙って待った。

 しばらく、影は動かなかった。

 えんがしびれを切らして声をかけようかと思い始めた頃、(ようや)くその影は少しだけ前に出た。影が薄明かりの中に姿を現わす。浮かび上がったのは、まだ幼さを残す少女だった。 痩せた身体と細い手足は「ほっそり」と表現するにはまだ早く、「やせっぽち」と言ったほうが似合っている。ふっくらしているとは言えない頰には、まだ子供らしい赤みが残っていた。暗さに慣れたえんの目に、少女の着物がひどく粗末で泥に汚れているのが見て取れた。

「どうしたんだい。」

 今度は少女の方を見てそう尋ねると、少女は戸惑った様にえんを見上げた。その目から本人も気付かぬままに涙が零れる。

 少し身を屈めて少女の肩に手を置くと、少女は崩れるようにしゃがみ込み、泣きだした。

 

「落ち着いたかい。」

 須弥壇の横の暗がりに並んで座りその肩を抱いて、えんはそう尋ねた。

 少女が小さく肯くのを見て、えんは頷いた。

「───どうしたんだい。」

 三度目の問いに、少女は小さく震えた。

「思い出したくないことかい。」

 男に乱暴でもされたかと思って、えんはそう聞いた。

 少女は、頷こうか首を横に振ろうか逡巡する様子を見せ、結局どちらもしないままえんを見上げた。

───いいさ、じゃあ別な事を訊こう。

 えんは少し笑ってそう云った。少女は少し不安そうな顔を上げる。

「まずそうだね、名前はなんて言うんだい。」

 問うと、少女は小さな声で「うめ」とそう言った。それだけで、また俯いてしまう。

───そうか、わたしはえんというのさ。

 そう云って、えんは少し間を置いた。少女は少し落ち着いた様で、少しずつ視線が上がっている。それでも、少しでも尋ねることを間違えれば、少女はすぐに小さく蹲って元の影に戻ってしまいそうだった。えんは、注意深く次に歳を訊いた。

「───十四。」

 えんは少し驚く。少女の様子からもう少し幼いかと思っていた。せいぜい十二かそこらに見える。驚いた事を悟られないように、えんはそうかと頷いた。

「なぜこんなところに居たんだい。」

 俯いてしまうかと思ったが、少女は自分の歳を思い出したのか、顔を上げて幾分しっかりした目でえんを見上げ、逆にえんに問いかけた。

「───菊乃屋を知りませんか?」

 その声は細いが、思いの外しっかりしている。言葉には、この辺りでは耳にしない節回しの訛りがあった。

───さて、なんの店だい。

 えんは少し笑ってそう云った。少女は黙って俯く。尋ねる事を間違えたかと、えんはひやりとした。それでも、少女はもう影には戻らなかった。そうして少し間を置いて、少女は小さな声で「女郎屋───」と、そう云った。

 沈黙が、闇に落ちる。どう訊いたものか迷いながら、えんはそっと少女の顔を窺った。少女はもう俯いてはおらず、顔を上げて真っ直ぐに前を向いている。その顔には、混乱して泣いていた時とは別人のような大人びた表情が浮かんでいた。その顔を見て、えんは子供に対する配慮を棄てる。今の彼女にそれは却って失礼だと、そう思った。

「逃げてきたのかい。」

 問うと少女は真っ直ぐに前を見たまま、首を横に振った。

「銭を貰ってるもの。」

 言い聞かせるようにしっかりした声でそう云って、少女はえんを見上げた。

「だから、行かないと。」

 えんは「そうか」と頷いて見せた。

「───女衒はどうした?」

 銭を貰っているというなら、支度金を払って彼女を買い付けた女衒がいるはずだった。

「逸れたかい。」

 そう訊くと、少女は自分の身体を抱くように小さく蹲り、震えた声で言った。

「死にました。」

───あたしのせいだ。

 そう呟くと、少女は膝に顔を埋めて、再び泣きだした。

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