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ひまわり畑に  作者: 山々
7/29

夕暮れの帰り道

 ひまわり畑には売店が併設されている。そこで軽食を買うことができるというわけだ。

「おにぎりでいいわよね」

「いいよ」

 私は、おにぎりやらパンやらジュースやらを適当に買ってきて、夏菜と一緒に食べる。休憩所のような場所があって、そこではパラソルのさしたテーブルがいくつか並んでいて、いすに座って食べられる。

 二人はいすに座る。パラソルの陰はほんの少し涼しい。

「…………」

「…………」

 二人は向かい合って、また沈黙の中にいた。二人とも黙ってご飯を口に運ぶ。

「……夏菜、ほっぺにご飯粒ついてる」

 沈黙を破るように私は言った。

「え? どこ?」

「取ってあげるから」

 私は夏菜のほっぺに手を伸ばし、その白い肌にくっついたご飯粒を取ってあげ、それをそのまま自分の口に放り込んだ。

「はい、取れた」

「…………」

 照れ気味な夏菜だった。

 気を取り直してまた食べ始める夏菜。小鳥が食べ物をついばむようにせわしなく食べるけど、一口が小さすぎて全然進まない。

 私がとっくに食べ終わった頃になっても、夏菜はまだせわしなくおにぎりを口に運んでいた。

「…………」

 私は既に全部食べ終えてしまって手持無沙汰なので、そんな夏菜の様子を見るともなく見ていた。

 夏菜は急いで食べるあまり食べたそばからご飯粒をぽろぽろこぼして、服やらテーブルやら、色んなところにご飯粒を落としていた。

「急がなくてもいいよ」

「んぐ。ふぇつにひほいではいよ」

 別に急いでないよ。多分こう言おうとした(と思う)。

 夏菜は、そう言いつつもやっぱり落ち着きなく食べ続けている。だけど食べても食べてもなかなか減らないのだった。

『そんな急いで食べなくてもいいよ』

『ひほいでないよ』

 唐突に記憶がよみがえる。何年も前の記憶。

 病院でのことだっただろうか。夏菜がまだ幽霊じゃなかった頃だ。

 まだ、生きていた頃。

 夏菜が、また落ち着きなくご飯を食べていた。病院食だった。私はそんな夏菜に、『急がなくていい』と、そう言った。そうしたら夏菜は、『急いでない』と返した。

 たったそれだけだ。

 目の前でおにぎりをほおばる夏菜を見ていて、何故かそれを思い出した。

「ん……んぐっ!?」

 夏菜が突然うめき声を上げた。

「どうしたの」

 夏菜はすごく苦しそうな顔をしていた。

「み、みふー……!」

 夏菜は手元にあったコップをいきなりつかみ取ると、その中身の水を一息にあおった。

「はあ、はあ……。おにぎりのどに詰まらせた……」

 水を飲んだおかげで落ち着いたらしく、夏菜は私にそう説明してくれた。

「だから急がなくてもいいって言ったのに」

 夏菜は私の言葉が耳に入らないのか、返事もせずにまたおにぎりに挑戦していた。

 そんな夏菜の姿を見ていると、不意に口元が緩む。

 そうだ、夏菜はこんな子だったんだ。おにぎりを食べる夏菜を見ながら、ふとそんなことを思ったのだった。


 二人はそのあともひまわり畑を散策し続け、やがて帰る時間になった。

 美しい夕暮れが、二人の帰りの電車を照らしていた。客の姿はやはりまばらだ。どこの席も空いているので、二人で適当に座る。

「……つかれたー」

 夏菜がぼそりと独り言を言う。

「……あれくらいで何よ」

 私は思わず、独り言にも口を出してしまう。

「……うー」

 夏菜は不満げに口を閉ざした。

 また会話が続かなくなりそうだった。と思ったが、少しの間があってから、私がまた言葉を継いだ。

「まあ、それはいいのよ」

 そして、次に話す言葉を探す。

「……ええと……」

 しかし、

「あ、あの、お母さんっ」

 夏菜がそれをさえぎった。

「何?」

 私は訊ねる。

 夏菜は少し迷ったようだが、しかし、やがて緊張気味に話し始める。

「あ、あのね、お母さんに話すことがあるの」

「ええ」

 夏菜は、目を泳がせている。

「……星の奇跡のことなの」

「星の奇跡?」

 星の奇跡。奇跡を起こす力を持つ星の光。

 夏菜は、夢の中にいるような調子で話す。

「星の奇跡が起きた時にね、私は、こことは違うどこか別の世界にいた。死後の世界とも違う、どこか遠い場所」

「別の世界……?」

「そこには何もなくて、ただ真っ白な空間が広がってるだけ。人も全然いないし」

「…………」

 そこまで言ってから、夏菜は一度小さく深呼吸をする。

「私、そこでね……」

 そして意を決したようにその事実を告げる。

「お父さんと会った……ような気がするの」

「……!」

 私は、思わず固まってしまった。

「お母さん?」

 夏菜の心配そうな声で、私は我に返った。

「……ご、ごめんなさい。それで……お父さんと……会ったって?」

 私は訊ねた。

「うん……」

 夏菜は困ったような顔で言う。

「幽霊になって、現世にまた帰って来ようとした時に会ったの」

「……」

 私は考え込む。夏菜は、星の奇跡が起きた直後に、父に会ったという。

 父はその「どこかの別世界」とやらにいたのか? 父は数年前に事故で亡くなった。その父がなぜそんなところにいる?

 そもそも、別世界とは何なのだ? 死後の世界とは違うのか。夏菜は何故そんな場所に行ったのだ? 

 星の奇跡が、何か関係があるのだろうか?

「……お父さん、何か言ってた?」

 ……考えても始まらない。私は夏菜に訊ねる。

「……うん。お母さんに伝言、って」

 夏菜はそう言う。

「……どんな伝言?」

 私は先を促す。

「……『夏菜をよろしく』……だって」

 夏菜は、また意を決したようにして告げる。

「……そう」

 私はその言葉を聞くと、息をついて脱力した。そしてまた考える。

「夏菜をよろしく」とは、生前の方か幽霊の方か、どちらなのだろう。

 父は、夏菜が幽霊になったことを知っているんだろうか?

「お、お母さん……」

 夏菜はまた心配そうに言葉をかける。

「…………」

 私はゆっくりと顔を上げ、そんな夏菜を見つめた。

 ……夏菜をよろしく、か。

 一体、幽霊になってしまった娘をどうよろしくするのか。

 生前は幸せにしてやることができなくて、未練を抱えたままこの世を去った夏菜は、ついに幽霊として化けて出ることになった。

 幽霊になった夏菜に、私はどう接すればいいのだろう? 彼女のことをどう扱えばいいのだろう?

 未練のためにまたここに帰ってきた彼女を。

 それに、夏菜はいつまでもここに居てくれるわけではない。

 夏菜が彼女の心残りをなくせたら、彼女は成仏しなければならないのだ。いつか必ず、お別れの時がやってくるのだ。

「夏菜……」

 それでも、私は……。

 いつの間にか辺りは夕闇に沈んでいる。そろそろ駅に着く頃だろうか。

 電車の中は闇に包まれる。

 私はふと思いついて、夏菜の頬に手を伸ばした。その白い肌に触れてみる。

 温かい、夏菜の頬。幽霊だけど、夏菜は確かにここに存在している。

「な、何?」

 夏菜は嫌そうに、恥ずかしそうに身をよじらせた。

 伸ばした手が触れた頬に夕闇が覆いかぶさり、白い肌が静かな黒に染めあげられる。

 寂しく、もの悲しい色。

 私は不意に口を開いた。

「本当に、お父さんがそう言ったの?」

「えっ……?」

 私は続けて言う。

「お父さんが、『夏菜をよろしく』って、そう言ったの?」

「…………」

 夏菜は少しの間黙り込んだ。しかしやがてゆっくりと言葉を紡ぎ出す。

「うん……そうだよ。確かに、お父さんがそう言ったの」

「そう……」

 お父さんは「夏菜をよろしく」と言った。だけど、私には、まだよく分からない。この子をどうするべきか、この子をどう思えばいいのかが。

 今日一日、一緒に過ごしてみて……一緒に朝ご飯を食べ、ひまわり畑を見て、二人でお話ししてみたりして。

 つい昨日のこと、この子は病院で突然私の目の前に現われてきて、自らを幽霊だと言った。

 あまりにも唐突な話に、ついていくことができなくて。幽霊と言われても、やっぱり信じがたいことだし、今でもまだ戸惑っている。

 だけど。

 なんとなく分かってきたことが一つある。

 娘は、例え幽霊だとしても確かにここにいる。

 その髪に触れることができるし、一緒にお話しすることもできる。

 確かに、私のそばに存在していて。

 私と話して、笑って喜んで、そんな私のよく知る女の子で、紛れもなく夏菜だった。

「また、来ようか、ひまわり畑」

 私はほんの少しだけ微笑んでみせて、そう言った。

「……!」

 その言葉を聞いた夏菜の目が。

 みるみるうちに輝き出して――

「……うんっ」

 そして、彼女にしてはてらいのない、精いっぱいの笑顔で彼女はうなずいた。


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