お出かけしよう
夏菜は、心残りがあったのではないだろうか。
……私は、夏菜の心残りと言う奴にいくつか心当たりがあった。もしかしたらその心残りのせいで夏菜は現世に未練を残しているのかもしれない。そうして、そんな未練が死にたくないという思いへと変わったのかもしれない。
夏菜の心残り。未練。
……それは、例えば。数年前、彼女が←まで 歳だった時に父親を亡くした時のこと。父親がいなくなったことで、私たち二人は一度バラバラになった。そこからまた関係を修復することはできたが、それでも二人で仲良く過ごせた時間は、普通の親子よりも少なかっただろう。
きっと寂しい思いをさせてきた。夏菜は、きっと辛かっただろう。
「?」
私は顔をあげ、夏菜を見る。夏菜と目が合う。夏菜は私のことを不思議そうな目で見ていた。私が急に考え込み始めたのが不審だったのかもしれない。
夏菜の深い澄んだ瞳を見つめながら、私はまた考え始める。
もしも夏菜が心残りがあるせいで成仏できないのだとしたら、心残りをなくしてやれば、夏菜は成仏できるということになる。つまり、心残りのない幸せな人生を幽霊の生で実現してあげれば、夏菜は成仏する。
……しかしもしも、「父親がいなかったこと」「母親が彼女に上手く接してくれなかったこと」、これが夏菜の心残りだったとしたら。
「…………」
私は不安と後悔を抱きつつ、先のことに思いをはせてみる。
夏菜を成仏させることができるのだろうか。今度こそ、あの世に送ってやれるだろうか。
夏菜が何を思ってこの世に帰って来たのかは分からない。どんな気持ちで「死にたくない」と願ったのかは分からない。
だけど、もし、心残りがあるというのなら。寂しくて、またこの世界に戻ってきたというのなら。
――今度こそ。
今度こそ、せめて彼女の望むようにさせてあげたい。私は、そう思った。
私たちはまだ朝ご飯すら食べていなかったので、私が適当なご飯を作り、二人でテーブルに向かい合って食べた。メニューは、目玉焼きに味噌汁、ご飯といったところだ。
私は粛々とご飯を食べながら、この先のことを考え小さな不安をつらつら募らせていた。
夏菜を成仏させる方法。私なりに、色々考えてみた。
一つ思いついたのは、私が夏菜と楽しい思い出をどんどん作っていくという方法。楽しい思い出をいっぱい作ることができたら、夏菜は幸せになり、この世への未練も薄れ、やがて成仏するのではないか、という考えだ。
しかし……そう簡単にいくだろうか。楽しい思い出を作るといったって……一体、夏菜と私が、どんな思い出を作るというのか。どこか楽しいところへでもお出かけすればいいのか?
夏菜の未練というのがそう簡単に消えてくれるかどうかも怪しかった。夏菜の未練は、きっと根が深いはずだ。
夏菜は今、何を考えているだろう?
ふと気になって、私は夏菜の方を見た。
「…………」
夏菜はただ黙々と目玉焼きを食べていた。夏菜の表情はやはり平坦で、相変わらず何を考えているのかよく分からない。
……あなた、寂しい?
そう、訊ねようと思った。だけど、訊けなかった。
それは、踏み込んではいけない場所に触れた質問だと思った。訊いてはいけないことのような、そんな気がした。
結局私は、何も訊ねなかった。夏菜から視線を外し、また思案にふける。
夏菜を成仏させる方法、か。
やはり、先の案が私の頭に思い出される。「夏菜と楽しい思い出を作ること」。
……この方法で、本当に上手くいくだろうか? やっぱり不安だった。しかし、これ以外に思いついた方法は一つもなかった。このやり方で上手くいくかはともかく、これ以外にやれそうなことはない。
ならば、この方法で試すしかないだろう。
私は娘に、一つの提案をする。
「……夏菜、今から、一緒にお出かけしましょうか」
「……へ?」
夏菜は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
無理もない。数年前に夏菜が病気で入院して、それ以来夏菜は外に出ることがかなわなくなった。二人でお出かけをすることもできなくなった。もう何年も、私たちはどこかに遊びに行くようなことはなかった。
それが急に、思い立ったが吉日とばかりに、遊びに行こう、と。驚いてしまってもしょうがないんだろう。
私はぽかんとしている夏菜のために、もう一度言葉を繰り返す。
「だから、お出かけ。どこか、行きたいところはある?」
「…………」
夏菜はまだ間抜けな面でぽかんとしていた。そもそも聞こえているのか?
私は夏菜に再三呼びかける。
「どこか、遊びに行きましょう。夏菜の行きたいところに」
「……遊びにって……」
夏菜は三回目にしてやっと意味のある言葉を返した。私はその言葉に応えて言う。
「そう。久しぶりに、ね。どう?」
「どうって言われても……」
「どこか、行きたいところはないの?」
「……行きたいところ……」
夏菜はまだ戸惑っている様子だった。仕方がないので、私は夏菜の理解が追いつくのを黙って待つ。
夏菜はうつむいて考え込んだ末、まだ戸惑いを残した顔を上げた。
「行きたいところ?」
さっきと同じ言葉を繰り返した。
「うん。夏菜の行きたいところ」
「……うーん……?」
夏菜は黙って考え込む。今度は腕を組んで、より真剣に。
やがて。何か思いついたのだろうか。夏菜は、また顔を上げる。ただし、恐る恐るな様子で。
「どこに行きたいの?」
私は一言そう訊ねた。
夏菜はその言葉を受けて、それでもまだためらっているようだったが、やがてその小さな口を開いた。
「……ひ、ひまわり畑」
夏菜は一層声をしぼませて言う。
……ひまわり畑? 意外だ、と思った。夏菜はひまわりなんて好きだっただろうか?
「あなたそんなのが好きだったの? 連れていったことあったかしら」
「…………」
私がそういうと、夏菜は何故か妙に恥ずかしがった。顔を少し赤らめる。
私は不思議がりながら、
「じゃあ、行きましょうか、ひまわり畑」
そう言った。
夏菜は、期待と不安の入り混じったような顔を私に向けた。
「う、う、うんっ」
そして、私の言葉に応え夏菜は頷いた。
どうやら、お出かけの行き先は無事決定したみたいだった。
二人でお出かけをする。これが、私の考えた「夏菜を成仏させる方法」の、第一歩だ。二人で楽しい思い出を作る。また、夏菜の笑顔を取り戻す。
そんなこと、私にできるのだろうか。少し不安だった。だけど、幽霊の夏菜をこのままにしておくわけにもいかない。私が、成仏させてあげなければならないのだ。
なし崩し的に、今後の私の活動予定が決まった。この夏は、夏菜と遊ぶ。
二人で遊ぶのなんて、久々だ。夏菜はずっと入院していたから、一緒にお出かけなんて何年かぶりだった。
夏はとっくに半ばを過ぎ、そろそろ終わりを迎えようという頃。
それでも、外のセミたちは夏を終わらせまいとするようにまだ鳴き続けている。
きっと、今この瞬間に、私たちの夏は始まるのだ。そう思った。