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ひまわり畑に  作者: 山々
20/29

 翌日……金曜日。花火大会、当日。

 八月もそろそろ終わりが近づいている。晩夏の朝は、盛夏の朝に比べると、いく分暑くなくなってきていた。蝉の鳴き声も、いつの間にかすっかり止んでしまったようだ。太陽の最後の灯火とも思える夏の余情の日差しを浴びると、一抹の寂しさを覚えてしまう。

 いや、違う……今日、八月二十六日は、私と夏菜が起きた朝こそ晴れ間を見せていたけれど、日が昇るにつれて、まるで空を閉ざす扉のような分厚い黒雲が、徐々に太陽を隠し始めた。夏の最後の残香さえ、黒雲は容赦なく閉ざしていく。

「…………」

 私と夏菜は、夏菜の部屋で隣り合わせに座り合って、窓から空を眺めていた。ただなすすべもなく二人がたたずむその部屋では、薄暗い夏の終わりの暗幕がすべてを覆い尽くしている。

 そんな中、私の胸の中を占める感情は……ひとえに、花火大会に対する不安であった。

 もし雨が降れば、花火大会は、中止になるだろう。大雨が降っている状況で、それでも無理矢理夏祭りを決行するなんて判断は誰もしないだろう。普通なら、中止になるはずだ。

 聞けば、台風が近くに迫っている、ということだった。もし台風が直撃するなら、雨どころか雷だって降るだろう。

 聞いていた通りだった。確かに、台風がくるかもしれないということは、以前から知らされていた。それが、本当にきてしまったのだ。雨こそ降っていないが、空は疑いようもない曇天だ。確実に、台風が近づいてきている。

 底知れない不安が、私の胸をむしばんでいく。この花火大会が中止になったら、夏菜はどうなってしまうのか。そんなことを考える。夏菜の弱さが、私の弱さにもなる。私は、言い知れない大きさの恐怖に押しつぶされそうだった。

「…………」

 体育座りで隣にたたずんでいる夏菜が、雲が作る、淡いけれど重くのしかかる影の下、鈍く光る憂いの瞳で空をじっと見つめている。ただ黙って、遠くの空に思いをはせていた。

 夏菜は、どんなことを感じているのだろうか――私はそんなことを考えてみる。花火大会に行けなくなったとしたら、どんな顔をするんだろう、と。だけど、そんなことを考えていたって仕方ない。

 私にできるのは、台風がそれてくれるのをただ願うことのみだ。

 抗えない運命を前に、二人はただなすすべもなくそこにたたずむことしかできなかった。

 時間が流れていく。二人は部屋の中で、静かに空の様子を見つめているだけだった。夏菜は朝ご飯も昼ご飯も食べない。私は朝ご飯だけは食べたが、夏菜と一緒に空をじっと見つめていたら、夏菜に合わせるかのように昼ご飯を食べるのを忘れていた。

 太陽は空の頂点をとっくに通り過ぎていたようで、そろそろ夕暮れの時間が迫っていた。相変わらず、太陽自体は見えないが。

 そして、事態が動いたのは、まさにその夕暮れ時だった。

 夕暮れ時――本来なら、今頃オレンジの夕日が町を照らしているはずだった。だけど今は、太陽が雲に隠れている。夕日は見えない。

 そして、運命の選んだ残酷な答えが、今まさに、世界を濡らし始める。

「あ……」

 その時。時間が止まったかのような静寂があって。

 そして、今日一日、一言もしゃべっていなかった夏菜が、曇り空から降り注ぐものを見て、小さな、とても小さな声を上げる。

 その小さな一音は世界から取り残されるように、世界から切り離されるように、やがて部屋を覆う、激しい雨の音にかき消された。

 雨が、激しい雨が、二人の見つめる窓の先から、降り注いでいた。

「………………」

 私は、言葉を失う。何も言えなかった。言うべき言葉が見つからなかった。絶句して、二の句を継ぐことができない。目の前の光景が、信じられない。

 胸をむしばむような不安が、言い知れない恐怖が、そのまま現実となった。あるわけがないと、ただ自分に言い聞かせるしかできなかったけれど、だけどやっぱりそれはあったのだ。信じられないほどの残酷な運命が、確かに目の前に存在していた。

 私は、気付けば立ち上がっていた。そして窓に歩み寄り、空模様をもう一度確かに確認しようとする。

「…………」

 目をこすって何度も確認しても、私の瞳の先には疑いようのない黒雲が広がっているばかりである。顔を窓に押しつけるようにして空を見上げてみても、変わらない。重く降りしきる黒い雨は、否応なく私に現実を教える。

「……こんなの嘘よ……花火大会が、中止になるはずがないわ。あるはずなのよ。だって、花火大会がなかったら……」

 私は窓にもたれかかるように、膝から崩れ落ちていく。全身から力が抜け、あとには虚脱感のみが残る。

 何も考えられなかった。思考の何もかもが停止してしまう。花火大会も、成仏も、もう何もかも。

 花火大会から始めようと、そう思っていた。花火大会に行って夏菜が元気になれば、二人の幸せな日々をまた始められると、そう信じていた。花火大会に行けばすべて変えられる……花火大会しかない、と。

 だけど、二人の日々は始まらなかった。花火大会さえ、始まらなかった。何も、始まらなかった。

 ふと、私は思う。このまま、何も始まらないまま、すべてが終わってしまうのだろうか、と。夏菜の成仏は、恐らくそう遠くないだろう。何も始められずぼんやりしている間に、夏菜はすぐに、消滅してしまうだろう。私には、そんな未来は到底受け入れられなかった。夏菜が、幸せになれないまま、消えることに怯えながら不幸な成仏を遂げてしまうなんて、絶対に受け入れたくなかった。

 私は、ゆっくりと、夏菜の方を見やった。夏菜の様子を見たかった。

 夏菜は、体育座りをした膝の中に、自分の顔を埋めるようにしていた。

 私は、ゆっくり夏菜の方へ近づいていく。よく見ると、夏菜の肩は小さく震えている。

 泣いているのだ、と一瞬で悟った。夏菜の目から、雨もりか何かと勘違いしてしまいそうな、小さな滴がこぼれ落ちるのも見える。声の伴わない涙だった。ただ静かに、声もなく泣いていた。

 私は、そんな夏菜を黙ってじっと見つめているだけだ。かける言葉がなかった。ただ、胸が張り裂けそうな心配を、どうにか抑えようと苦心している。私には、そばにいてやることしかできなかった。

 しばらく、夏菜は泣き続けた。


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