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ひまわり畑に  作者: 山々
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夏菜の涙

 私は、それでもよかった。とにかく、夏菜の顔を見て話したかった。

「花火大会は、花火だけじゃないのよ。知ってると思うけど。金魚すくいとか、射的もあるわ。お母さんは、全部得意よ。夏菜はポイも鉄砲もすり抜けると思うから、お母さんが代わりにやってあげるわ」

「…………」

 夏菜が顔を出してくれたから、私はその表情の機微を読み取ることもできる。夏菜は、花火大会の話をすると動揺するようだ。夏菜の揺れ動く瞳が、そんな感情を如実に表している。

 やっぱり、花火大会に行きたいのだろう、と私は考えた。夏菜は今、花火大会に行くか行かないか、葛藤している。行きたい気持ちはあるけど、行けない理由が、あるのだ。その「理由」は、私も分かっている。

「花火大会……夏菜は、行きたい?」

 私は、夏菜の意志を確認する。それでも行きたくないと言えば、それもまた夏菜の選択だろう。最後の判断は、夏菜にゆだねる。

「…………」

 夏菜は、しばらく沈黙した。瞳の色が、困惑に染まっていく。その瞳には、大きな迷いが読み取れる。夏菜は、葛藤していた。

 夏菜の困惑気味の視線が、私と自分の指とを交互に行き交う。その一瞬、私と目が合うと、夏菜はすぐに目をそらす。だけどやがて、また私の姿をこっそりのぞき見る。

 その瞳は、まるで何かを求めているような、頼りたがっているような、そんな瞳だった。

 夏菜の答えは、まだ出ない。そんなに簡単に出てくる答えではない。たち込める黒雲がゆっくり晴れていくのを待ちわびるように、答えを待つしかない。

 しばらくして、夏菜が沈黙を破った。だがそれは答えではなくて、いうならば、独白のような呟きだった。

「……ねえ……わたし、ほんとの、幽霊に……」

 夏菜は、弱々しい、布団越しのくぐもった声で、初雪のような独白を始める。

「ほんとの幽霊に、なっちゃったよ……」

 久しぶりにしゃべるからだろうか、どことなく、たどたどしい口調。一気呵成には、しゃべれなかった。ゆっくりゆっくり、言葉を紡ぐ。

「みんなから、見えないだけじゃなくて……ものも触れないんだよ……?」

「……うん」

 私は、ただうなずくばかりだった。

「ガリガリ君、食べられなくなって……髪の毛も、もう切れない」

 夏菜は一度そこで息が切れてしまって、ゆっくりと息を整えた。息を整える夏菜の動きに合わせて、髪の一筋、二筋が夏菜の額にこぼれる。

「……誕生日が来ても、ケーキも、食べられないよ……」

 息を継いでから、夏菜はまた話し始めた。それでも、夏菜の言葉はとぎれとぎれだった。何度も、息を詰まらせる。

「……それに……」

 夏菜は、いっそう声をくぐもらせた。今から言いにくいことを言おうとしているみたいに。

「……お、お母さんの料理も、もう、食べられない……」

 夏菜は、ますます声を細くして、うつむきがちに言う。

「夏菜……」

 私は情けないような声で、思わず夏菜の名を呼ぶ。

「一緒に、お風呂に入っても、もう、体、洗ってもらえないよ……」

 夏菜の声に、涙の色が混じり始める。夏菜の言葉は、ますますとぎれとぎれになっていく。

「お母さんだけが、わたしのこと、見えてたのに……っ」

 夏菜は、布団の中に顔をうずめようとする。だけど、当然うずめることはできなくて、だから、夏菜はただ自分で自分の体を抱くことしかできない。自分の腕すら、すり抜けるが。

 私はそんな夏菜を見て、胸が締め付けられるような思いを抱きながらも、夏菜に触れようとすることはできない。ただ、見つめていることしかできないのだ。

 夏菜は、涙に濡れてボロボロになったその顔を、布団の間からひっそりと上向けて、そして私をのぞくようにする。夏菜を見つめていた私と、目が合う。

 私と目が合うと、夏菜は一瞬だけ、何かを迷っているような顔になる。何か言おうとしているのだろうか、と私は思った。私は、夏菜が花火大会に行くのかどうか、答えをずっと待っている。夏菜は、その答えを今から話してくれようとしているのかもしれない。

 やがて、まだ涙の余韻が残るその声音で、夏菜はポツポツと話し始める。

「…………花火大会…………、行きたいよ……」

 夏菜は、そんな、たったの一言を、私の質問に対する答えとした。いくつも吐き出した独白の先の、たった一つの願いは、たった一言で言い表すことができた。

「お母さんと、花火、見たいよ……金魚すくいも、射的も……わたしはできないけど、お母さんがやってくれるもん……」

 夏菜は、弱々しい瞳で続ける。

「花火大会、行きたいよ……」

 夏菜は、私に強く求めるように、布団の端を握りしめるようにして、思いを打ち明ける。

「そう……そうなのね……じゃあ、行きましょうか」

 私は、夏菜という幽霊が、この世界に存在していてもいいと、その存在を認めてあげるように、そう応える。私以外の人間には、夏菜という幽霊の存在を認めてあげることはできないのだ。だから、私は何度でも夏菜を認めてあげたかった。

 私の心には、様々な思いが去来していた。夏菜の強さが嬉しかった。きっと夏菜は、幸せになれる強さを持っていると思った。だけど同時に、夏菜の中にまだ存在する弱さが心配で、怖くなってしまう。相反する思いが、胸の中を強く締め付ける。

「お母さん……っ」

 夏菜は、心の内からあふれ出てくる言い知れない感情を抑えきれないように、布団から、突然、はい出てくる。分厚い壁のようだった布団さえも足蹴にして振り切って、何をするのかと思えば、私に抱き付いた。

「え、か、夏菜……」

 私は、夏菜が思いもよらない行動に出たので、少々面食らってしまう。

「お母さん……」

 夏菜は、泣きつくように、私の膝にすがりつく。溢れる涙がいくつも私の膝に落ちて行き、だけど涙は私の膝をすり抜ける。

「……でも、でも、ね……」

 夏菜は、また弱さを見せる。

「花火大会に、行く人たちには、わたしのことが見えないんだよ……人混みになっても、誰とも、ぶつからないの……っ」

 夏菜は消え入りそうな声で、悲痛なほどに訴える。

「誰も……世界の誰も、わたしのことが、分からないんだよ……? こんなの、わたし、どうしたらいいのっ……?」

 小さな滴が、いくつも落ちた。だけど滴は、私の膝さえ濡らさない。世界を濡らすこともできない。ただ、何もかもを素通りしていく。

「…………」

 私は、何も言わなかった。ただ黙って、夏菜の背中をさすってあげる。夏菜が安心できるように。夏菜が怖がらないように。

「……大丈夫。花火大会に行ったら、きっと全部、変わるわ。きっとこれから、もっと幸せになれるわ。幸せになって……ひまわり畑にも行って……ね、そうでしょう?」

 私は、夏菜の弱ささえも包み込んでしまおうとするように、そう言ってのける。花火大会にさえ行けば、夏菜はまた元気になると思った。そうして、今度こそ、また幸せな最後を目指せると思った。たどり着きたい場所がある。そして、二人はそこにたどり着けるのだ。私はそう確信を持って言えた。だから、まずは花火大会から始めようと思った。花火大会に行って……

「……ぅん……うん……っ」

 夏菜は弱々しく、だけど確かに、首を縦に振る。

「…………」

 花火大会に行って……そこからまた、二人の日々を始める。目指した場所へ向かうために、また二人の日々を始める。

 私は、そんな思いを胸に抱く。そんな希望をその手にする。

「……だから、花火大会、行きましょうね」

 一つの決意を込め……私はそう言った。


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