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ひまわり畑に  作者: 山々
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お風呂2

 やがて夏菜は前も泡だらけになる。すると、私はその瞬間を見計らったかのように、すぐに言う。

「次は、足の裏」

「えっ。うそ」

 私がそう言うと、夏菜は今までの比じゃないほど青い顔になった。足の裏を洗われるのが一番嫌いなのだ。足の裏こそ念入りに洗わなければいけないのに、と私はいつも思う。

 だから私は心を鬼にして、夏菜からスポンジを取り上げる。そして問答無用で夏菜の足の裏に迫った。

「や、やめて! お願いします!」

 夏菜の必死の懇願に構わず、私は夏菜の足の裏を手にとってひっくり返し、入念に丹念に泡まみれにする。足の裏をひっくり返された夏菜はいすの上でバランスを崩して、いすから落ちそうになるが、そんなことは構わない。私は指と指の間の、汚れがたまりやすそうな部分を念入りにごしごしする。土ふまずやかかと、指の付け根も忘れない。

「ひゃ、や、やめ、ふふ……!」

 くすぐったいのか、声にならない悲鳴を上げる夏菜。悲鳴は、次第に笑い声へと変わっていく。

「ふ、ふふふふ、ひ、はは、は、や、やめ、はは!」

 片方の足が終わると、次はもう片方の足に取り掛かる。

「ふ、ふふ、ふ、はあ、はあ……」

 笑い疲れている夏菜。そろそろ限界かもしれない。

「……はい、終わり」

 両方の足の裏を隅々まできれいにしたところで、そろそろ夏菜が不憫になってきて、私は夏菜を解放してあげることにした。

「はあ、ふう、はあ」

 夏菜はさっきよりもさらに疲れてしまったようで、ひざに腕をつき、小さく息を乱した。

「流すわよ?」

 私は言う。

「……はいはい……」

 夏菜は少し不機嫌そうにそう言った。夏菜の顔にはもはや諦めの色が浮かんでいた。

 私はそんな夏菜の背中を、今度は優しく流す。ゆっくり丹念に泡と汗を洗い流してあげる。

 やがて、全ての汚れを洗い落とされて、夏菜の体はきれいになった。

「シャンプーするわよ」

 体がきれいになったので、次は頭だ。私は髪を洗う旨を夏菜に伝える。

「………………」

 もはや何の言葉も口にしないし抵抗も示さないが、頭を洗われるのが嫌なことがその表情からありありと伝わってくる。夏菜は、頭を洗われるのもすごく嫌いなのだ。

 私はそんな夏菜に呆れてため息をつき、次はなるべく優しく洗ってあげよう、と思った。

 私は夏菜の頭をお湯で軽く洗い流しながら、柔らかくマッサージする。それから、適量のシャンプーを手に出すと、夏菜のその美しい黒色の髪の毛にシャンプーをつけていく。指の腹で夏菜の頭をマッサージするようにしてシャンプーを泡立てる。

 夏菜のきれいな髪を愛でるかのように、優しく触れていく。夏菜の髪を指で梳いてみると、その美しい黒髪は、滑らかに指の間を流れていく。私は夏菜の髪を梳きながら、何だか穏やかな気持ちになる。

「…………」

 夏菜はさっきからずっと黙り込んでいるが、さっきまで唇を尖らせていた夏菜が、今は泡まみれの髪の毛の陰でわずかに目を細めているのが見えた。ほんの少し頬がゆるんでいて、気持ちよさそうにしているのが分かる。

 私は夏菜のそんな様子を見ると、少しだけ優しい気持ちになる。心が安らいでいくような気がした。

 私は夏菜の髪の毛の小さな一束を手にとり、手櫛で梳いていく。

 夏菜の髪は、確かにこの手の中にある。夏菜は確かに存在している。

 夏菜のことがこんなにも愛おしい。

 例え幽霊だとしても、やっぱり夏菜は確かにここにいて、私と同じ時を過ごしているのだ。

 夏菜を、失いたくなかった。いつか夏菜がいなくなってしまうだなんて、信じられなかった。

 私はいつも不安でしょうがないのだ。夏菜は、今にも消滅してしまうのではないか、と。今にも、ここからいなくなってしまうのではないか、と。

 幽霊の夏菜は、とても危うくて、儚げに思えた。小さくて、今にも消えてしまいそうで。

 だから……

 私はふと、風呂の窓の外を見た。窓の向こう側にある夜空が、吸い込まれそうなほど暗く深かった。

 遠い電車の走行音が、闇の中から届いてくる。

 夏菜が愛しくなってしまったこの気持ちの分、夏菜を失うことがもっと怖くなった。それは胸の中を侵食していってしまうような、そんな恐怖だ。

 夏菜に抱いているこの優しい気持ちさえも、いつか私を痛めつける傷になるかもしれない。

 そんな恐怖だった。

 私はほんの少しうつむいて、私の手で、夏菜の小さな柔らかい手に触れた。

「…………?」

 夏菜が少しだけ振り返り、不思議そうに私を横目に見やる。夏菜の髪はすでに泡だらけで、早く洗わないと泡が落ちていってしまう。夏菜は、私がいつまで経っても洗わないから、不思議に思ったんだろう。浴場には夏菜の泡だらけの髪から出てきた小さな泡がふわふわ空中を浮かんでいる。シャンプーの、美しい花のような甘い香りが充満していた。

「……あ、ごめんなさい。今流すから」

 考え事をしていた私は夏菜と目が合うと、慌ててシャワーヘッドを手にとって、シャワーの栓をひねり、夏菜の髪を洗い流してやる。シャワーの音が浴場内に響いた。

「ぶくっ、ぶく」

 お湯やら泡やらが次々顔に流れてきて、夏菜は大変そうにしている。しかし、シャンプーが髪の毛に残ると髪に悪いので、念入りに洗わなければならない。シャンプーを全て流しきるため更に入念に洗う。

「ぶく、ぶくっ、ぶく……」

 夏菜は、息ができなくて困っている。夏菜には悪いがあともうちょっとだ。

 やがて、息苦しそうな夏菜が、不機嫌一歩手前になってきたところで、

「……はい、終わり」

 私はシャワーの栓をひねり水を止めた。シャワーが止まると、うるさかったシャワーの音が、嘘みたいに消えてなくなった。あとにはただ、時が止まったかのような静寂と、水滴が滴る音だけがあった。

「…………」

 夏菜は少し不機嫌そうに、前髪の水滴を手で払った。さっきまでは機嫌がよかったのだが。髪の毛を洗われるのは、やはり嫌いなのだ。

「じゃ、次私ね」

 私は夏菜をいすからどかすため、夏菜の肩に手を乗せ、そう声をかけた。ムスッとした顔をしていた夏菜は、その呼びかけに応じて振り返った。が、

「……じゃ、じゃあ」

 夏菜はすぐにどいてくれない。代わりに、何かを言い出そうとしているようだった。

 夏菜は恥ずかしそうにもじもじしながら目を泳がせて、申し出るか出ないか少し迷っている様子。

「じゃあ?」

 私が先を促した。それでもまだぐずぐずしていた夏菜だったが、やがて意を決したように立ち上がり、

「……わ、わたしが、背中流すよ」

 そんな申し出を、口にした。


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