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ひまわり畑に  作者: 山々
12/29

親子でお風呂

「このくらいで、どうかしら?」

 ある程度切り終えて、新聞紙の上にも黒色の髪が散り敷かれていた。鏡の中の夏菜からは、長く入院していたような印象は感じられなくなっている。そこまで切って、夏菜に訊いてみた。

「う……うんっ、いい、いいよっ」

 夏菜は鏡を一目見ると、頬を上気させてそう言った。

「よかった」

 鏡の中の夏菜はさっぱりしていた。伸びきっていた前髪もきれいさっぱり整えられていて、背中を覆っていた長い髪も肩までの長さになった。しかしだからといって、短すぎるというわけではない。いつも通りの夏菜に戻った感じだった。長く入院して髪が伸び過ぎる前の夏菜。幽霊になる前の、夏菜。

「昔に戻ったみたい」

 私は夏菜のその姿に、なんとなくそんな感想を抱いた。

「そだね」

 夏菜はわずかに微笑んでそう呟いた。

 私は夏菜のそんな様子を見て、少し心を揺さぶられる。

 今、私の目の前にいるのは、きっと私が守れなかった夏菜そのものだ。

 私が共に生きていくと誓った娘の姿だ。そして、結局守れなかった、娘の姿だ。

 共に幸せになると誓ったのに。その誓いのすぐあと、夏菜は病気に倒れた。私はその病気をどうにもできなかった。やがて、夏菜は亡くなった。私は一人残され、生きる目標を失くした。

 生きているか死んでいるか分らない、そんな人生を送り始めるはずだったその時に、死んだはずのこの子が、また私の元にやってきた。

 それから、ひまわり畑に行ったり、誕生日を祝ったり、色々なことをした。そして、また家族に戻ろうとしている。

 今目の前にいる夏菜は、あの日の夏菜と同じだ。私が守っていくと誓った、あの日の夏菜と。

 夕風に揺れる夏菜のその髪は、まるで汚れというものを知らないかのように、美しく輝きを放つ。

「……」

 私は後ろからそっと、柔らかく夏菜を抱きしめた。

「え、え、な、何……?」

 夏菜は突然のことに驚いたみたいだった。

 そんな夏菜の温もりが、確かに私の腕から伝わってくる。その動揺も一緒に。幽霊だけど、でも、確かにここに存在していると、確かにそう感じる。

 私は夏菜を抱きしめながら、彼女を幸せにしてやれているだろうか、と考えた。

 今日は、私が夏菜の髪を切った。昔のように髪が短くなった夏菜。夏菜が病気で倒れる前の、あの時の二人に戻ったみたいだった。

 そんな、ささやかな私たちの日常。だけど、その日常を、いつまでも積み重ねていけたら。

 私たちは、あるいは、そんな日常の中に、小さな幸せを見つけられるんじゃないか。

 そんなことを、考えた。

「…………」

 気付けば、腕の中で動揺気味だった夏菜も、いつの間にか大人しくなっていた。私は目を閉じていて、鏡に夏菜のどんな表情が映っているのか、見えなかった。

 夕風はオレンジ色をして、私たちの間に吹き込んでくる。夕風が二人の髪を一緒に運び出し、もてあそび、揺らしていく。風が止めばまた静かになる。そんなことを繰り返す、夏の夕暮れだった。

 すぐ近くで夏菜の髪の匂いがした。夏とせみと草木の匂いもそこに混じる。柔らかくて、優しい匂いだった。

 夏菜がもうすぐ成仏してしまうなんて、信じられなかった。

「…………」

 この先、私たちはどうなるのだろう。夏菜は、いつか成仏してしまうのだろうか。夏菜が成仏したあと、一人取り残された私は、どのように生きていけばいいのだろう。

 漠然とした不安。それが私の心に靄をかけていた。


 翌日。夜。今日も仕事から帰ってきた。玄関の鍵を閉め、家に上がり、居間に向かう。

「……あ、お帰り」

 居間には夏菜がいた。

「ただいま」

 私はそう言った。今日は夕食には遅い時間に帰ることになると分かっていたので、夏菜にはカレーを作っておくように、と言い渡しておいてある。だから、夏菜はもう夕飯を食べただろう。私も、さっさとカレーを食べることにする。

 テーブルでカレーを食べる。向かいには夏菜が寝転がっている。なんだかぼーっとしている。脱力状態だった。よく見ると、夏菜はその手にアイス(ガリガリ君)を持っていた。見かねた私は、思わず言った。

「ちゃんと座って食べなさい」

「うーん……」

 肯定とも否定ともつかない微妙な返事をしながら、寝がえりを打つ夏菜。やがてしぶしぶ起きだした。

「ていうか、寝るなら布団で寝なさい」

「……はいはい……」

 はいが一回多い。

 夏菜はすでに溶けかけているアイスをのろのろと口に運ぶ。アイスが今にも服に落ちそうで見ていて危なっかしい。

「そうだ、そろそろお風呂がわくわ。夏菜、先に入ったら」

「えー……」

 夏菜は今日一番のしかめっ面でそう言った。夏菜は風呂嫌いなのである。

「あとで入るよ」

「今入りなさい」

「あとで入るから」

「入って」

「…………」 

 夏菜はあくまで抵抗した。ので、

「うわ、や、やめてー!」

 風呂場まで夏菜を持って行き、そして無理矢理入れることにした。私は夏菜を引きずるようにして風呂場に向かった。居間の反対側に洗面所があり、洗面所を左に曲がればそこに風呂場がある。そんな道のりをたどって、風呂場にたどり着く。

「着替えて」

「うわああ!」

 私は夏菜を無理矢理脱がせる。夏菜はもはや抵抗もせず、されるがままだった。

 夏菜の真っ白な体が全て露わになる。薄い胸も贅肉のないお腹も、まるで陶磁器のような白さをしていて、その滑らかな肌には穢れ一つ見当たらなかった。まだ完全には育ちきっていない未完成な肉体。小さな体と釣り合うための小ぶりなお尻や薄い胸は女性になりきっていない証に見えた。

 私も服を脱ぐ。そうして、二人で一緒にお風呂に入ることにした。自分で動く気がない夏菜を引っ張って、私は浴場に入り込む。

 浴場には真っ白い湯気が充満していて、視界がぼんやり曇る。

「はあ……」

 風呂に入ったことにより夏菜は早速スタミナを奪われ、膝から崩れ落ちて座り込んだ。

「疲れるの早っ」

 言いつつ、私は夏菜を、風呂場のちっちゃないすに座らせて、まず体を流してやる。風呂桶に湯船からお湯をいっぱいに汲み、夏菜の肩から下をお湯で洗った。汗が落ちるように繰り返し流す。

 続いて、ボディソープのボトルを手にとり、噴射口にスポンジを当てて、ボトルの頭を数回プッシュして適量の石けんをスポンジに出した。そして、スポンジを数回にぎにぎすると自然に泡立つ。

「じゃ、洗うわよ」

「えー……」

 この期に及んでまだ抵抗を示す夏菜だったが、私はその抵抗には構わず、夏菜の背中を、スポンジで無理矢理ごしごしする。背中はあっという間に泡だらけになる。

「前は自分で洗ってね」

「わ、分かってるよ」

 照れ気味な夏菜。私はスポンジを夏菜に渡し、夏菜は振り向いてそれを受け取った。

 しばらく、無言の時間が続く。その間、夏菜はめんどくさそうに自分の体をスポンジできれいにしている。

 私は黙ってそれを見つめていた。


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