娘の髪を切る
翌朝。私は仕事に出かけていった。夏菜は家で一人でお留守番だった。
夏菜は幽霊だ。だから、誰にも目視できない。つまりは、外に遊びに行くことも、数少ない友達と遊ぶこともできないのだ。
私は、夏菜が一人で寂しくないか、少し心配だった。
「ただいま」
夜。私は仕事からお家に帰ってきた。
夏菜のいる居間へ向かう。
「ただいま、夏菜」
「あ、お母さん、おかえり……」
夏菜は居間の畳の上にぐったりと横になっていた。私が帰ってきたのに気付くと、少し体を持ち上げてそう言った。いかにも暇を持て余していた風だった。
「ちゃんとお留守番できたの、夏菜」
「う、うん」
夏菜はきちんと起き上がって畳の上に座り直し、そしてなんだかもの欲しそうな顔を私に向ける。
「?」
夏菜が何を欲しているというんだ。何か買ってほしいものでもあるのか?
私はかばんを居間に放り出して、台所に向かった。そして夕食を作る準備をする。台所から居間の様子を見ることができるので、夏菜とお話することもできる。
夏菜は早くもテーブルにつき晩ごはんを待っている。
私はそんな夏菜を見ていて、気付いたことがあった。
「……あなた、髪の毛伸びすぎじゃない?」
私は夕食を作る準備をしながら、気付いたことを口にする。
「……え……? 別に、そんな伸びてないと思うけど」
夏菜は少しめんどくさそうに言う。
「伸びてるわ」
夏菜の怠惰を一蹴するように私は言う。夏菜の容姿を改めてよく見ると、前髪が目を隠しそうなほど伸びているし、横髪は耳を見えなくしていた。
「えー……」
夏菜は、心底めんどくさそうに口をとがらせた。
「……仕方ないわね。わたしが切ってあげるわ。そうすればめんどくさくないでしょ?」
私はまな板で野菜を切りながら、呆れ気味に言う。
「うーん……まあ、そうだけど」
夏菜は髪の毛を乱暴に撫でつけながら言う。
「じゃあ、あとで切るからね」
「はーい……」
夏菜はめんどうそうに言う。
「どんな髪型がいいの、夏菜?」
「んー何でもー」
「何でもってことないでしょ? あなた仮にも女の子なのよ?」
「じゃ、ちょっと短めで」
「短め? 結構切るの?」
「いっぱい切って」
「……テキトーに言ってないでしょうね……」
「まじめに考えてるよ」
「ならいいけど……」
少し不安になるやりとりを経て、如月の髪を切ることが決まった。
そうこうしているうちに、夕飯ができる。
「いい匂いー」
夏菜が呟いた。
夕飯を食卓に並べ、準備は完了。
「いただきます」
「いただきまーす」
言うや否や、夏菜はご飯に飛びつく。お皿はあっという間に空になる。
「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
夏菜は夕食を食べ終えるとすぐ横になった。
「ふう……」
「こら。食べてすぐに寝ると牛になるのよ」
「別にいいよ」
「よくないでしょ」
畳の上に心地よさそうに寝っ転がる夏菜。私がいくら注意したところで聞き入れないだろう。
「はあ」
呆れをこめたため息を一つつき、私は食器の片付けに取り掛かった。
「いすに座って」
私は夏菜に呼びかける。
「はーい」
夏菜は素直に応じいすに着席した。
ここは私たちの寝室。夏菜は、私がいつも使っている鏡台の前に着席している。鏡には神妙な顔をした夏菜が映る。鏡台の上は、いくつもの化粧品やらが乗っていた。
寝室の窓からは夕日が差して、部屋の中を柿色に染める。
そして、いすの下には、新聞紙を敷いておく。
私はハサミと櫛を持って、大人しくいすに座っている夏菜の背後に立つ。
「じゃあ、切りましょうか」
「うん」
夏菜の頭がうなずいた。そうして、私のカットが始まった。
まずは、三つ編みのハーフアップを解く。夏菜の髪を結んでいたヘアゴムを外すと、夏菜の髪が解き放たれる。美しい、黒色の髪が広がっていく。夏菜の肩にゆっくり着地しながら、その髪は夕日を反射して輝きを放つ。
フワフワと現実離れしたその美しい髪は、いつまでも触れていたいというほどに魅力的だった。私は、優しく優しく、そっと触れていく。夏菜は自分の髪を私に委ねるみたいにして、軽く目を閉じてたたずんでいた。
私の髪も、夏菜と同じような深い黒色だった。私は、こんなところにも親子の血のつながりがあるんだな、と何気なく感じた。そして、私たちは親子なのだと、今更のように実感する。
夏菜の髪を櫛で丁寧に梳いていく。夏菜の髪の指通りが良くなっていった。
ついで、私は満を持して、ハサミをその手にした。ようやく夏菜の髪を切る準備ができたというわけだ。今から本格的なカットに入ることになる。
「結局、どれくらい切るの?」
ハサミを手にしたタイミングで、確認も意味も込めて、先ほどの質問をもう一度訊ねる。
「うーん……じゃ、とりあえず、長すぎず、短すぎず、みたいな感じで」
夏菜は言った。
「……難しいわね……それ」
「よろしく」
私は文句を言いながらも、髪を切り始めることにした。
とりあえず、横髪から適当に切ってみる。
少しずつ、慎重に切る。黒い髪の毛の塊が新聞紙に落とされていく。切りすぎないように注意しながらハサミを動かす。
「……ちゃんと切れてる?」
夏菜が訊く。
「ええ。もちろん」
それに対し、私は当たり前のように答える。
「そー」
夏菜はそうとだけ応えて、あとは黙ってしまった。
「…………」
そうして、しばらく沈黙が続く。その間、私は黙々と夏菜の髪を切り続けている。床には次々と夏菜の髪が積もっていく。夏菜の髪も、だんだん短くなってきていた。鏡の中の髪が短くなった夏菜は、こころなしかいつもより明るく快活な風に見えた。
その時、また不意に夏菜が口を開く。
「……あのさ、思い切って、結構短めにしたり、してみよっかな?」
「短め? まあ、似合うかもしれないわね」
私は素直にそう思った。鏡の中の夏菜の髪がもっと短くなるのを想像して。
「まあ、失敗してもまた伸ばせばいいんだしね」
私はあっけらかんと言い切った。幽霊だけど、伸びるのだ。
「うん。そーだよ」
夏菜も寛大な態度で言う。
「じゃあ、短くしてみましょうか」
私はそう言った。
「……あー、やっぱダメ!」
夏菜は手を振って言った。
「何で。いいじゃない、ショート」
「い、いや、やっぱ私にはロングの方が合ってる」
夏菜は自分の髪を撫でつけながらそう言った。直前になって怖くなったのだろうか。
「ショートも似合うと思うけどな」
「う、うーん」
私がそう言うと、夏菜は鏡と自分の髪の毛を見比べて少し首を傾げる。
「ま、好きな方を選んだらいいのよ」
「……じゃ、おまかせで」
「……それは困るんだけど……」
「自分じゃ決められないの」
「……はあ」
少し納得いかないが、私は夏菜のカットを再開する。あくまで控えめに切り続けていく。
髪が伸び過ぎる前の、元々の夏菜の長さを目指すことにした。
鏡の中の夏菜は、だんだんと元の夏菜に近づいてくる。
この小説は元々なろう用に書いたものではありません。なのでエピソードごとの長さもまちまちで、なろうで投稿する時にはやむを得ずエピソードの中途で区切って投稿することがあります。変な区切れになってることもあると思いますがご了承ください。




