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【SFエッセイ】連載版 完全義体とパワード・スーツ、どっちが強い? ~科学とヒトの可能性~  作者: 中村尚裕
テーマ4.多様性? なにそれおいしいの? ~新知性体との共栄の可能性~
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4-1.新知性体と織りなす多様性

 刺激と示唆に富んだヒントを下さった鴉野 兄貴様と燈耶様へ、感謝を込めて。


 知性体として覚醒しヒトと肩を並べるであろう人工知能。衝突は起こらないの? ヒトって負けちゃうんじゃないの? つかヒトが生き残るための明日はどっちだ!?

 今回はその辺の疑問に創作方面の考察を絡めたちょっとした思考実験。よろしくお付き合いのほどを。

 多様性という言葉があります。

 Wikipediaから定義を引くなら、“幅広く性質の異なる群が存在すること”と言い表されています。

 大雑把に考えるなら、個性というものの、より大くくりな概念と考えてもいいでしょう。要するに“隣人と違うこと”、“雑多な種が存在すること”、そう捉えてもいいと思います。


 人工知能は“脳の構造を再現する”という定義を超えて、ヒトと似て非なる“擬似人格”とでも称すべき知性体(=もはや生命種)へと進化すると、私は想定しています。“擬似人格”という存在については、詳しくは『テーマ3.“電脳化”、生身の私も始めたい! ~“その先”にある人工知能との可能性~』に述べましたのでここでは要約のみに留めますが、要は“ヒトの持ち得ない思考回路さえ実装し、その一方でヒトの未解明部分は持ち得ない”存在だと考えていただければよろしいかと。

 さてその“擬似人格”、ヒトとの間で“互いに多様性を拡大する存在”であるものと私は考えております。


 今回はヒトと人工知能の進化形たる“擬似人格”、似て非なる知性体(=生命種)との共存で生まれる多様性の拡大、これが共栄に至るであろう可能性についての思考実験。よろしくお付き合いのほどを。


 まず大前提。

 生物種は、主として絶滅を防ぐために、あるいはより高度な繁栄を獲得するために、多様性を拡大する傾向を持っています。

 例えば働きアリの実験。“働き者のアリだけを選りすぐって群れを作ったらどうなるか”という実験があります。これが働きまくる集団になるかといえばさにあらず。結果は“働き者であったはずが、今度は群れの中で怠けるアリが出てくる”という。(※1)

 例えば“蟻の一穴”という故事。オランダで堤防に蟻の一穴を見つけた少年が腕を突っ込んで村を救った、という故事があります。(※2)

 これは美談に仕立ててありますが要注意。よくよく考えてみたら穴に腕なり指なり突っ込んで抜けなくなった、てな話は普通なら“後先考えろ!”てな具合に“馬鹿扱い”されるような行為です。これ、私は結果を鑑みて美化されてるだけで、実際は少年の行いはもともと後先考えない“馬鹿”な行為に過ぎなかったのではないか、と邪推しております。ことほどかように、一見“馬鹿”な行為が種全体を救うこともあるわけです。

 言い換えると“怠け者”や“馬鹿”だからって排斥してたら蟻の一穴で絶滅する、ということでもあります。

 裏を返せば、生物種は全滅を免れるためにわざと“怠け者”や“馬鹿”のような個体を生んでいる、ということでもあるわけです。つまり“怠け者”も“馬鹿”も立派な多様性の一種、ということですね。

 逆に“立派な個体だけを集めよう”とする“優生思想“はつまり“多様性の否定”なわけで、“生物種としての生存率”を考えた場合は否定されて然るべき、というわけです。


 さて本題。

 人工知能とその進化形である“擬似人格”、“似て非なる存在がヒトと共存できるの?”“衝突は起こらないの?”あるいは“彼らが現実へ進出してきた場合、ヒトが負けるんじゃないの?”という疑問はごもっとも。


 この辺、鴉野 兄貴様より興味深いご指摘をいただいております。


・故人となった監督、脚本家、作家たちが人工知能(“擬似人格”)として甦るなかで、人間の作家はどう生きいかに共存共栄するか。

・傾向と対策で産み出すテンプレ小説を書く場合、膨大な複数の素人のトライ&エラーがプロ作家より面白いものを書けますが、それ(トライ&エラー)って人工知能(“擬似人格”)のほうが得意分野ですし、トライ&エラーの過程で多くの作家の卵が爆死するわけです。

・だったらテンプレートを販売したほうが効率いい。小説投稿サイトならうちの投稿作品ならこのテンプレートなら著作権気にせず使っていいよなテンプレートを置くのです。アイデアのシェアリングエコノミーですね。(※3)

・シェアリングエコノミーは古代でも通用するのではと思いきや譲り合う社会(違反者が罰を受ける)に進歩しないと実現する確率が減るので結局テクノロジーとモラルが重要。

・競いあいの過程で人間が人工知能(“擬似人格”)にエンタメ分野で完全敗北し、投稿直後に著作権裁判を人工知能弁護士に起こされる、という世になっても創作する場は残ると思います。


 以上、要約ですが鴉野 兄貴様からのご指摘を引用させていただきました。

 これにお答えする形で、思考実験を展開してみようというのが今回の趣旨というわけで。一例として創作活動分野に重点を置いてのヒトと“擬似人格”の共栄、この可能性に関する考察です。


【脚注】

※1 http://ofee.tank.jp/ant/

※2 http://d.hatena.ne.jp/Dugon/20121013/1350073243

※3 http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/2426





著者:中村尚裕

掲載サイト『小説家になろう』:http://ncode.syosetu.com/n0971dm/

無断転載は固く禁じます。

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