32-2.“価値観共同体”――国家を覆すもの
前項では“電脳化”が発掘する才能と、その行使に伴って発生する報酬のやり取りが、軽々と国をまたぐであろうことについてお話ししました。
本項ではその先について考察を巡らせます。
“電脳化”が地理的障壁――例えば国境――の意味を奪うであろうこと、これはもはや間違いありません。
ですが、ここにその先の可能性があります。
現在、国家は地理でヒトの可能性を大きく縛っている――そう言っても恐らく過言にはあたりますまい。
生まれ落ちた場所でヒトはその可能性を大きく左右されるわけです。
経済的に豊かな地域に生まれついたなら、将来の可能性は大きく開かれ得るでしょう。
逆に、貧困を極めた場所に生まれ落ちたなら、その可能性や才能を開拓する前にまず生きる糧を得るだけで精一杯――そんな境遇が全てを縛ります。
が、あまねくヒトが“電脳化”を果たすことができるようになったなら。
申し添えておきますが、これはすでに夢物語ではありません。すでにある構想や事実を元に導き出し得る、極めて現実的な可能性なのです。
まず“希少価値のある才能のなり手”が優遇されることになるでしょう。目の付けどころ次第で下克上、そんな日常がすぐ目の前にまで迫っているのです。
さて、そんな世界がやってきたなら。
まずヒトの帰属意識はどこへ向かうでしょうか。自分を構ってもくれない国にでしょうか? 搾取に余念がない経済階層にでしょうか? あるいは国に教育方針を縛られた学校でしょうか?
これは私の考察ですが。
ヒトは価値観を近しくするヒト達とより親しく交わる傾向があります。
そして“電脳化”がもたらす“ロング・テイル”は価値観同士、言うなれば似た者同士を繋ぎます。その間に地理的障壁や経済状況、果ては人種や言語の壁があろうとも、“電脳化”のもたらす恩恵はそれを一足飛びに乗り越えます。
そして価値観を共有するヒト達が繋がったならば。
“価値観共同体”とでも呼ぶべき集団が誕生します。
彼らを軽く見ることはできません。共通の価値観という絆で結ばれた彼らは、言うなれば“総エリート”とでも称すべき集団です。各々が磨き上げ、持ち寄った“才能”の多様性をもって彼らは“電脳化”世界で台頭していくことでしょう。そして電子通貨をかき集め、ネット上での地位を確たるものにしていくはずです。
地理や経済の格差で縛られた現実世界の地位は、ここに“電脳化”世界上の地位から乖離を始めることになります。
ヒトが所属する集団を己の意志で選ぶ時代がやってくるのです。生まれた国でもなく、親の宗教とも関係なく、ただ己の価値観に共感する“価値観共同体”にこそ帰属意識を持つ日がやってくるでしょう。
そして“価値観共同体”は“総エリート”と化した才能群により電子通貨をかき集め、経済的下克上を現実のものとして行きます。
価値観は国家の有する教育機関が植え付けるものではなく、宗教が強制するものでもなく、ヒトが己の手で選び取るものに変わっていくのです。
ここに世界の勢力図は一変します。
地図上に表すことのできない勢力が力を持ち、どの“価値観共同体”に帰属するかはヒト自身が選ぶようになるという、これは考証なのです。
さて現実の未来はいかに出ますやらお楽しみ。
著者:中村尚裕
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