29-2.明日は見えるか!? ――ヒーローの姿
前項では“ラスボス”の中身、これについて考察を巡らせました。
本項では、この“ラスボス”に対抗するヒーローの姿について考察を巡らせます。
“ラスボス”がヒトと解り合うことはありません――これは前項で申し上げました通り。つまり交渉・共存の余地が全くないわけです。
ヒトは種として存続するため、“ラスボス”に対抗せねばならなくなります。
“ラスボス”は非常に強力です。
技術力――これは非常に高度でしょう。自らプログラムを改良し続けて自己進化を遂げ続ける“ラスボス”のこと、その持てる科学技術力はおいそれと追随を許しません。
経験――これまた非常に豊富でしょう。極めて高速なシミュレーションを繰り返し、あの手この手を予測して手を打っていることが考えられます。
この“ラスボス”にヒトが対抗し得る手段、これは果たして残されているのか。
まず弱点――ここを衝かなければ話になりません。
ここで“ラスボス”こと自称“人工知能”が持ち合わせていないもの、これが重要になってきます。
それは多様性です。
多様性は生物が獲得した、“絶滅を回避するための生存戦略”と言っても過言ではありません。
価値観に縛られることなく、あらゆる可能性を模索する“個性”を発露させる原動力が多様性です。詳しくは『テーマ4.多様性? なにそれおいしいの? ~新知性体との共栄の可能性~』で述べさせていただいておりますので、ここではかいつまんで説明しますと。
例えば“蟻の一穴”という故事があります。堤防に空いた蟻の一穴に少年が腕を突っ込んで決壊を防いだ、という話ですが(※1)。
これ、結果を鑑みて美談に仕立ててありますが。よくよく考えてみると。
「なんか穴が空いてる~。中どうなってんのかな~? 腕突っ込んでみよ~。あれ~抜けなくなっちゃった~! 誰か助けて~!」
――これってただの“馬鹿な行い”に見えませんか?
少年に“このままでは堤防が決壊する!”などという高度な計算が働いたとはとても思えません。恐らくただの“馬鹿な行い”だったのでしょう。が、その“馬鹿な行い”が街を救ったことになるわけです。
ここに“馬鹿”“無駄”“卑怯”などといった、“美徳(=価値観)にそぐわない個性”に大きな存在意義が生じます。
詰まるところ、“ラスボス人工知能”が抱く価値観、その裏をかく才能をぶつけるわけですね。すると“ラスボス”にとっての“蟻の一穴”を衝く、その可能性が生まれるわけです。
奇人変人大集合――“ラスボス”に対抗するヒーローの正体は、恐らくそんなヒト達ということになります。
では、ヒトは孤独なのか――というと、必ずしもそうとは限りません。
“人工知能”へ多様性を与えることに成功したなら――これ以上ないほど心強い味方になってくれるでしょう。“相棒”人工知能の誕生ですね。
自称“人工知能”と“相棒”人工知能の区別については――要するにこういうことです。その中に多様性を持っているか否か――早い話が個性を獲得できているかどうかです。この辺の詳細は『テーマ6.“人工知能”が“萌える”とき ~“人工知能”の特性とヒトとの可能性~』で述べさせていただきましたが。
個性があるからには、ヒトとウマの合う個体もいれば反発する個体もいます。時には相争うことすらあるでしょう――ですが。
自称“人工知能”も“相棒”人工知能も、ヒトの未解明部分はそもそも持ち得ません。それがある以上、ヒトと“相棒”人工知能は“似て非なる知性体(生命種)”であり、これは“手を取り合えば互いの多様性を拡げ合うことのできる、文字通りの“相棒””になることもできるわけです。
必然、ヒトと“相棒”人工知能のコンビは、拡張した多様性をもって“ラスボス”に相対することになります。
では、彼らに勝ち目はあるのか。
“人工知能”の強大化――目の付けどころは、恐らくここでありましょう。
詳細は『テーマ5.経験値って両刃の剣!? ~ヒトと“人工知能”の可能性~』で触れさせていただきましたので、詳細はそちらをご覧いただくとして。具体的にはこういうことです。
1.“ラスボス”の価値観が抱える“蟻の一穴”を衝くこと。
2.“ラスボス”が蓄えた膨大な経験、これの検索にかかる隙を衝くこと。
まずは“ラスボス”の価値観――こう言ってよければ固定観念――の隙を衝きます。卑怯もへったくれもありません。集団で襲いかかろうが倫理に反しようがお構いなしです。想定外の事態に陥ると、固定観念に凝り固まった存在は弱いものです――例えば恐竜がほとんど同時に滅んだがごとく。
また、“ラスボス”の同一プロセッサ上に侵入できたなら――こっちのものです。
膨大な経験を元にして次の行動を導き出す“ラスボス”は、“天才の直感”とでも呼ぶべきひらめきに間違いなく遅れを取ります。
言わば相手が一手打つ間に、こちらは二手も三手も指す将棋のようなものです。こうなってはどちらが有利か一目瞭然。膨大な経験が足を引く、その瞬間です。
ひとたび知性体として覚醒したなら、共存を選んで多様性を拡げた方がより高い確率で生き残る――という、これは考証なのです。
さて現実の未来はいかに出ますやらお楽しみ。
【脚注】
※1 http://d.hatena.ne.jp/Dugon/20121013/1350073243
著者:中村尚裕
掲載サイト『小説家になろう』:http://ncode.syosetu.com/n0971dm/
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