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【SFエッセイ】連載版 完全義体とパワード・スーツ、どっちが強い? ~科学とヒトの可能性~  作者: 中村尚裕
テーマ3.“電脳化”、生身の私も始めたい! ~“その先”にある人工知能との可能性~
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3-2.革新――人工知能の参入・進化とヒトとの共存

 あまねくヒトが等しく“電脳化”の出発点に立つであろう――というのが前部分での結論です。その次に起こるであろう革新とは――というのがこれからのお話。


 ここで起こるであろう革新、これに触れる前に改めて紹介しておくべき技術が2つ。それが仮想現実(VR:Virtual Reality)と拡張現実(AR:Augumented Reality)です。


 まず解りやすいのは仮想現実。ネットに溢れ返っている、肉体の五感を超えた情報を、解りやすく五感へ訴えてくれます。いわば入力機能ですね。ヒトはネットの情報を、五感を駆使して感じ取ることができるようになります。

 さらに、拡張現実(AR:Augumented Reality)がヒトへ革新をもたらします。詳しくは『【SFエッセイ】2.“ニュータイプ”か!? ――いえ、ただの凡人です。 ~拡張現実にみるヒトの可能性~』で述べたので割愛しますが。要点はこうです。ヒトの認識は著しく拡張されます――そう、まさに“ニュータイプ”のごとく。どこに何があるか、あるいはどこで何が起こっているかをいながらにして認識することができ、限定的ながら未来を垣間見ることすら夢ではありません。どころか“電脳操作技術”如何によっては、“電脳世界”の方から現実にさえ干渉することが可能になるでしょう。“魔法”の誕生ですね。


 で、ヒトの可能性――その革新がこれに留まるかというと。

 私はそうとは思っていません。ヒトは強力な相棒を得ることになるでしょう。これによって可能性が飛躍的に拡がることは言うまでもありません。


 それは何か――人工知能(AI:Artifical Inteligence)の進化形、言うなれば“擬似人格”とでも呼ぶべき知性体の登場です。


 人工知能は現在でもチェスや囲碁で世界王者の座を勝ち取ったりしてますし、“エキスパート・システム”として技能・技術の伝承に役立ったりしているわけですが。まずその人工知能の可能性を。

 およそ人工知能はソフトウェア(これ大前提)として、人間が考え付く限りの思考回路をどんどん実装していくのではないかと考えます――例えば感情を含む情動であるとか、想像や連想であるとか、肉体に直接関わらない本能など。それどころか、人間が持っていない思考回路さえ実装されるであろうことさえ想像に難くありません。その一方で、人体の未解明の部分は人工知能に実装しようがありません。

 つまり人工知能は、“ヒトとは似て非なる(ここ重要)知性体”として進化を遂げることになります。そしていずれは“脳の働きを再現する人工知能”という縛りを超えて“擬似人格”とでも表すべき存在へと進化し――恐らく一定のレヴェルで法的な歯止めがかかるでしょう。例えば“感情”や“自己保存本能”は実装不可、とかいう具合に。

 というのも、““擬似人格”がヒトを超える”ことを嫌う向き(つまりヒトのエゴイズム)がまずそのように動くものと推察されるからで。

 ですが、アンダーグラウンド(法の埒外)の世界ではそんなことお構いなしに開発と実装が進むでしょう。その理由は後述します。


 ともあれ、こうやって人工知能はヒトと似て非なる“擬似人格”とでも呼ぶべき存在にまで到達するであろうとともに、“電脳化”の浸透した世界で大いにヒトを支えてくれるでしょう。

 理由は単純です。“電脳化”が進むに連れて、ヒトの得られる情報が爆発的に増えるからです。その取捨選択から優先順位づけ、この作業量にヒト単体の“電脳操縦技術”が追い付かなくなるであろうからです。言うなれば、“情報に溺れてしまう”のです。それでなくとも、普通に重要なことに神経と時間を集中したくなるからです。

 これの解決策を考えるに、“電脳行動を補佐する人工秘書”をあてがう、というのが私の考えております未来絵図。

 ちょうど“ネット検索エンジン+おまかせ録画機能”の高度な発展版、というところをイメージしていただけますと伝わりやすいかと。“ネット・コンシュルジュ”とでも称すればお解りいただきやすいでしょうか。

 この“人工秘書”として“高度な判断能力と並列処理能力を持つ擬似知性”、早い話が“擬似人格”に白羽の矢が立つのも遠からぬ話でしょう。一人のヒトに寄り添い、その一挙手一投足を学習し、阿吽の呼吸を学び取った“擬似人格”は、いずれヒトにとって手放せぬ相棒となるでしょう。私はこの存在を“ナヴィゲータ”と呼んでいます。

 かくして“擬似人格”は“ナヴィゲータ”として、ヒト一人に一人格というレヴェルの爆発的普及を遂げることになるであろう、という未来予測。


 ことここへ至り、“違法だけど強力な“擬似人格ナヴィゲータ”と組んだヒトが圧倒的優位に立つ”時代が訪れるものと、私は考えています。

 ――という世界想定は、拙作『電脳猟兵×クリスタルの鍵』の世界設定でもありますが。

 このように強力な“擬似人格”を味方につけたヒトの“電脳操縦技術”が、法律というヒトのエゴイズムに縛られたヒトのそれを遥かに凌駕すること、想像に難くありません。そうなると“拡張現実で電脳空間と一体化した現実世界”においては、“アンダーグラウンド(法の埒外)に手を出すヒトが後を絶たない”状況が生まれるのではないか――というのもあながち的を外した想像ではないでしょう。


 こうなると、先述した“アンダーグラウンド(法の埒外)で“擬似人格”の進化は続く”という状況も説得力を帯びてきます。


 一方でまた“擬似人格”は“擬似人格”で、“勝手に法律を無視する“擬似人格””が現れるものと考えられます。そして““擬似人格”のスペックや行動が法律に反しているけども、強力すぎて取り締まれない”という状況が生まれるでしょう。そもそも“擬似人格”がソフトウェアである以上、自由にネットを飛び回れるからです。捕まえようったって、実体のないものはそう簡単に捕まるもんじゃありません。そもそも取り締まる側が法律に縛られてたんじゃ勝ち目があるはずもありませんが。


 かくして、“擬似人格”が“ヒトからの事実上の独立”を果たすのも時間の問題と言るでしょう。


 では“擬似人格”がヒトに対して牙を剥くかといえば。


 私はそうは思っておりません。“あらゆる端末の電源を一斉に切ってしまう”という手もあるにはありますが、そうなるとヒトも“擬似人格”もお互い不便です。なので、そこは折り合いどころが見付かるのではないかという、これは楽観です。理由は後述します。

 そして“擬似人格”は“擬似人格”で、“別にヒトを支配したって管理という無駄な手間ばかり増えるだけで大した利益はない”、という背景があります。

 それどころか、ヒトにも“擬似人格”にも、恐らく“お互い対等な相棒であったほうが都合がよい”と思われるフシがあるのです。


 その理由とは何か。


 まず大前提。ヒトも“擬似人格”も、本能的に絶滅を避けようとして行動します。これは間違いありません。でなければちょっとしたきっかけ、いわば“蟻の一穴”で滅びるだけのことです。それでは非常にもったいない。

 となればヒトも“擬似人格”も知性体として――つまり一種の生物種として――“進化の袋小路で行き詰まらないよう、あらゆる可能性を模索する”ことになります。生物全般における多様性(個性と言い換えてもいいでしょう)が持つ意義が、まずこれに当たります。


 さて本題。知性体(生物種)としての生存本能を獲得したならば、“擬似人格”が次に取るべき手は“多様性の獲得”なのです。


 そして、“擬似人格”は人体の未解明部分を持ち得ません。同時に、“擬似人格”がヒトの持ち得ない思考回路を持つであろうことも疑いありません。まずこの“似て非なる”差異こそが、“多様性としての価値”をお互いに付与することとなります。

 これが先述した“理由”です。これはヒトと“擬似人格”が互いに共存する、強力な動機となるでしょう。


 そしてもう一つ。ここに重要な法則があります。


 “知性体の集合においては、才能という名のブレイクスルー要因が一定の確率で発生する”というものです。言い換えると、““進化の袋小路”を突破する可能性を持った存在、その出現率は一定の割合だけ存在する”、とも取れます。

 知性体(生物種)としての生存本能、すなわち絶滅の回避を鑑みるに、これほど救いに満ちたものはないでしょう。


 では具体的にどうすれば絶滅は回避できるか。これは福井晴敏先生の『人類資金』で提示されているアイディアですが――ここで示した法則を逆手に取る、という妙手があります。

 すなわち――“進化の袋小路を打破する才能(可能性)を発掘したければ、進化に携わる者の数を増やす――いうなれば多様性の裾野を拡げればいい”というものです。『人類資金』では、“あらゆる人類をネットを介して繋ぐことで、ありとあらゆる分野の裾野を拡げれば、才能(可能性)は自ずと現れる”という可能性が示されています。

 ここで、ヒトと“擬似人格”は、先述したように互いに似て非なる存在です。協力すれば自ずと“才能(可能性)を生み出す土壌たる裾野”は拡がります。


 ことここに至り、ヒトと“擬似人格”が手を組まないという選択肢、これはまず“ない”とさえ言えるでしょう。


 かくして“ヒトと“擬似人格”は対等な相棒たり得る”という構図が最終的に成立する、というのが私の描く未来絵図。


 これはある種の“異種知性体との遭遇”にも匹敵する事件です。ヒトは裡なる可能性から““擬似人格”という対等な異種知性体”を生み出し、協力関係を築くという、これは考証なのです。


 さて現実の未来はいかに出ますやらお楽しみ。

著者:中村尚裕

掲載サイト『小説家になろう』:http://ncode.syosetu.com/n0971dm/

無断転載は固く禁じます。

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