24-1.埋もれた才能が秘めた可能性
感想欄を始めとして、読者の皆様からとても刺激的かつ示唆に富んだヒントの数々をいただきました。読んで下さいました皆様へ、そしてご意見を寄せて下さった皆様へ、感謝を込めて。
エリートを生み出す英才教育。これ、お金持ちだけのものと思い込んではいませんか? AR・VRによる“電脳化”で誰でも英才教育に手が届くとしたら?
世界を動かすエリートの明日はどっちだ!?
英才教育、と聞いて金持ちのボンボンだけのもの――そう考えてしまうのは世の常かもしれません。教育費はいつだって決して安くはないものです。
が、本当に“手の届かないもの”とあきらめる前に――果たしてその先入観が本当かどうか疑ってみるのも一興というもの。
今回は英才教育による才能の発掘を巡る思考実験。よろしくお付き合いのほどを。
SF、ことにサイバーパンクで提唱された“電脳化”という可能性。
もともとのアイディアは脳を始めとした中枢神経をネットに直結する――つまり肉体改造を前提とする――“ハード・ワイアド(Hard Wired、ハードワイヤード)”であったわけですが。
“電脳化”の手段は、必ずしも肉体改造を伴う“ハード・ワイアド”ばかりではありません。
拡張現実(AR:Augmented Reality)と仮想現実(VR:Virtual Reality)を駆使し、操縦感覚で電脳空間を渡り歩く“ソフト・ワイアド(Soft Wired、ソフトワイヤード)”ならば、“電脳化”のハードルは一気に下がります。何しろ肉体を改造するというリスクが皆無ですから。
よって、“電脳化”社会の到来はもはや既定事実と言っても過言でないでしょう。
“電脳化”すれば何かと便利です。すなわちネットに常時繋がれるわけですから。それこそ手放せないヒトが続出すること、疑う方がむしろ難しいほどです。自信たっぷりに言い放ちますが、それには理由があるからです。
即ち――今現在でさえ、例えばスマートフォンを使い出したら手放せなくなるヒトが続出しているからです。
スマートフォンと“電脳化”、何の関係があるかと言えば。これが“電脳化”の萌芽であると言っても間違いないないと、私は確信しているのです。
実際にご覧になった方も多いでしょう――通勤電車の車内、スマートフォンを一心に操る乗客の群れ。あの姿、ネットを通じて“現実を拡張している”状態とも言えるのです。
例えば相場情報。店頭で見かけたバーゲン品が本当にお得かどうか、ネットで価格情報を調べればすぐに判断ができます。
例えばカラオケにしたってそうです。自分の歌唱能力、これの全国ランキングがたちまちのうちに出てきます。
ゲームに至っては何をか言わんや。世界のユーザと繋がって、リアルタイムでプレイを楽しんでいるのです。例えば世界的FPS(First Person Shooter、一人称シューティング・ゲーム)タイトルを例に取れば。世界中のユーザと一緒にヴァーチャルなサヴァイヴァル・ゲームが楽しめる――のみならず、ゲームに登場する戦車や戦闘機さえ操ることができるのです。例えば『Battle Field』シリーズがありますね(※1)。
これを“現実の拡張”と言わずして何と表現すればいいでしょう。
“ソフト・ワイアド”、これの普及はすでに始まっているのです。
これは福井晴敏先生の『人類資金』(※2)で提示されたアイディアですが。あまねく世界中、それこそ貧困国にまでインターネット環境を持ち込んだ(普及させた)ならば、何が起こるかというと。
まず世界の頭脳が拡張されます。あらゆるアイディア、才能、そういった可能性の土壌たる分母が一気に増加するのです。
これが何を意味するか。
才能は、ある一定の確率で出現するものと仮定します。だとすると、それを輩出する集団(すなわち分母)が大きくなれば、才能の現れる数も、あるいはトップを行く才能のレヴェルも、自然と底上げされ得るのです。
――このアイディア、案外馬鹿にできたものではありません。
『一億総中流時代』の日本を思い浮かべてみましょう。当時、ほとんどの学生に大学まで進学するチャンスがありました。この時期、日本はちょうど高度成長期に当たります。つまり、こういう仮説が成り立つわけです――“国民の可能性を広く発掘することができたからこそ、高度成長が実現し得た”と。
バブル崩壊後、日本の経済的成長力は著しく低下します。これも“教育にかけられる予算が減って、国民の可能性を広く発掘できなくなったから”とも言えるのではないでしょうか。デフレから一向に抜け出せないわけですね。
いやいや、バブルが弾けたからもう無理――かといえば。例えばドイツはどうでしょう。IoT(Internet of Things、モノのインターネット化)をいち早く推進し、第四次産業革命(Industory 4.0、インダストリィ4.0)(※3)の先陣を切っているかの国を前にして、その言い訳は果たして通じるでしょうか。
ただし、ドイツの教育事情は日本と思想の根本から異なります。言うなれば、それは“早期選別とエリート教育(※4)”。わずか10歳にして人生の進路を決めてしまうのもどうかと思われますが、その代わりにエリートには徹底して英才教育を課すシステムとなっていますね。
では、英才教育はエリート層(というより親の学歴に応じた層)にしか課す意義はないのかと言えば、それにも疑問は残ります。
日本の戦国時代、下克上の世が成り上がりの才能を多々排出したように、競争に参加する層が厚くなればなるほど、競争の最先端たる成功者の数も増える道理だからです。ドイツの例はこう捉えるべきでしょう――“限られた層でさえ適切な英才教育を施せば成果は出る”と。
ならばこの英才教育、施すべき層を拡げたなら――その可能性は計り知れません。
次項ではこの英才教育、その拡大手法について考察してみましょう。
【脚注】
※1 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89_(%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0)
※2 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E8%B3%87%E9%87%91
※3 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC4.0
※4 http://bizguide.jp/de/article/screening-education-007503/2/
著者:中村尚裕
掲載サイト『小説家になろう』:http://ncode.syosetu.com/n0971dm/
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