17-2.未来――“遠隔地へ運ばれるヒトの存在感”が変えるもの
前項では“ヒトの存在感を遠隔地へ運ぶ”という『ジェミノイド』の研究思想、その可能性についてお話ししました。
本項では義体を“遠隔操縦”することで、遠隔地と“ヒトの存在感をやり取りする”可能性について考察を巡らせてみます。
“遠隔地へヒトの存在感を伝える”――ある意味では『テーマ14.』で述べました“労働技能の遠隔供給”に通じる思想と捉えることもできます。
が、ここに『テーマ15.“電脳化”普及の起爆剤 ~“双方向”の未来と可能性~』で取り上げました“双方向”の考え方、これを取り込んでみるならば。
“電脳化”を果たしたヒトはまた一つ進歩の階段を上がることになる、とは果たして言いすぎでしょうか。
“電脳化”、特に“ソフト・ワイアド”の手軽さによって、いわば“ニュータイプ”のごとく感覚を拡張することが可能になるのは『テーマ2.“ニュータイプ”か!? ――いえ、ただの凡人です。 ~拡張現実にみるヒトの可能性~』でお話ししましたが。
要はこういうことです――普及してしまった監視カメラ群からの映像を3D合成することで、目の前はもちろん遠隔地さえも立体視し、加えて数多のスマートフォンから得られるであろう音響データを元に立体聴――つまり千里眼と地獄耳を獲得するわけです。
が、これは言うなれば“一方通行”の情報です。“ニュータイプ”化したヒトの側から干渉することはできません。
しかしここに“遠隔操縦の義体”が加わるならば――ヒトは居ながらにして世界へ“入り込める”ことになるのです。
“ソフト・ワイアド”で義体を“遠隔操縦”するならば、“ニュータイプ”化で得られる“情報”を、“体験”の域までも押し上げることが可能になります。
好きなように視点を変えるとか、移動することとかが可能になる、そんな生易しいことではありません。
現地のモノに触れることも、現地のヒトと対面でコミュニケーションを取ることも、それどころか体験を共にすることもできるのです。“操縦者”の意図は義体を通して現地へ届けられ、また現地で義体が体験したこともまた“操縦者”へ送られることになるのです。
『テーマ15.“電脳化”普及の起爆剤 ~“双方向”の未来と可能性~』でメディア普及の起爆剤となり得るキィワード、“双方向”がここでも成立することになるのです。“電脳化”はここに爆発的普及の可能性を秘めていることになります。
具体的な例を挙げましょう。
例えば旅行。
現在のところは360°の風景を見るだけで悦に入っている“VR旅行”ですが。
“観光地における貸し自転車感覚”で義体レンタルが行われたらどうでしょう。“ソフト・ワイアド”で義体を“遠隔操縦”したならば、思いのままに動き回れるどころでは済みません。ある程度の実地体験――触ったり乗り込んだり――までもが可能になるのです。
設備が充実すれば、その体験のヴァリエーションも充実することでしょう。例えば飛行体験であるとか。ドイツHIVE社のICAROS(※1)とかは個人持ちしようとすると大変なガジェットですが、公共施設にでもあれば楽しそうです。
もちろん、その場に居合わせなければ体感できないものがあるのは事実です。
例えば美術品の鑑賞。
絵画などでは作者の筆致であるとか存在感であるとか、あるいは微妙な立体感であるとか、“実物を見て初めて伝わるもの”があるのは事実です。
よって、実地へ赴いて現実そのものを楽しむのは最も“リッチ”な体験として君臨するのは間違いないでしょう。
ですが。
では現状の写真であるとか動画であるとか、2Dに写し取られた物を鑑賞するだけよりも、遠隔地の義体を通した“電脳化”体験は遥かに“リッチ”な体験であることは論を待ちません。つまり中間――ただし遥かにリアル体験に近い“リッチ”さを、遠隔操縦義体は秘めていることになります。
例えばライヴ・パフォーマンス。
その場の臨場感を、ARとVRを通して味わうことはかなりのレヴェルで可能になります。それどころか、参加している観客の方々と興奮をリアルタイムで共有することが可能になります。熱いファン・トークをリアル参加者と交わすことだってもちろん可能、抱き合って感激を共有することすら夢ではありません。
例えばコミュニケーション。
話すばかりがコミュニケーションではありません。実地を見聞して、雰囲気を味わってこそ伝わるものがあるのもまた確か。
世界の文物に近しく触れるのは、何より相互理解を育むのに貢献します。極論、顔が見えないからこそ育つ敵意があることは確かで、近しく知ったヒトや文化は、次第に攻撃したくなくなっていくものです。平和へ傾く要因が増えることになる――とは果たして楽観のしすぎでしょうか。
さらには。
この時点で、ヒトの容姿はアヴァターによって自由化されていてもおかしくはありません。アヴァターによる容姿の自由化について、詳しくは『テーマ11.今日まとうのはどのアヴァター? ~“電脳化”がもたらす容姿の可能性~』をご覧いただくとして。
遠隔操作の義体に自分のまとうアヴァターを投影したら? 記念撮影だって不可能ではありませんね。
外見がアヴァターで自由になるなら、『ジェミノイド』の研究は意義を失うのかというと――とんでもない。多様性を獲得し、知性体(=生命体)へと覚醒するであろう“相棒”人工知能の肉体として、その研究は十全に活用されることとなるでしょう。“相棒”人工知能が肉体を持って現実世界へ降り立つ、その瞬間です――『テーマ8.“人工知能”の肉体を創ろう! ~アンドロイドの可能性~』で述べさせていただいた可能性ですね。
“ヒトの存在感を追求する”という『ジェミノイド』の研究思想は、既存の自称“人工知能”とは異なった、“相棒”人工知能を模索する、その一端となるはずです。
“ソフト・ワイアド”で“遠隔操縦”する義体は、同時に“電脳化”を爆発的に普及させる“双方向”の可能性を秘めた媒体でもあり得るという、これは考証なのです。
さて現実の未来はいかに出ますやらお楽しみ。
【脚注】
※1 http://www.moguravr.com/icaros/
著者:中村尚裕
掲載サイト『小説家になろう』:http://ncode.syosetu.com/n0971dm/
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