16-1.キィワードは“体験”
感想欄を始めとして、読者の皆様からとても刺激的かつ示唆に富んだヒントの数々をいただきました。読んで下さいました皆様へ、そしてご意見を寄せて下さった皆様へ、感謝を込めて。
『VR元年』を謳う2016年。新たな表現手法を前にヒトが選ぶ媒体は何か? 表現媒体の明日はどっちだ!?
情報としての奥深さという面では、有料コンテンツが無料コンテンツの数枚上を行っている――これは紙媒体でも映像・音楽媒体でも変わりはありません。ですが現状の媒体に課せられた“縛り”、加えて拡張現実(AR:Augmented Reality)や仮想現実(VR:Virtual Reality)といった新媒体の登場までをも考え合わせるに――未来における表現媒体の姿、これが今のままでいない可能性があるのもまた事実。
今回は表現媒体の未来を探るちょっとした思考実験。よろしくお付き合いのほどを。
かのApple社創業の一翼を担ったスティーヴ・ジョブズ氏の言葉には、こうあります。「ユーザは体験から始めて、そしてテクノロジィへ遡るんだ」(※1)
本当に重んずるべきはユーザ(=未来のヒト)の“体験”こそであって、テクノロジィ(やモノ)はその“体験”を実現するための道具に過ぎない、というわけですね。
スティーヴ・ジョブズ氏がiMac以降のApple製品に持ち込んだのは、実は“体験というエンタテインメント”だったのではないか――という、これは仮説です。
iPod(というよりiTunes)にしてもiPhoneにしても、テクノロジィとしては必ずしも尖ったものではありません。先んじて登場した製品としてウォークマン(※2)があり、i-mode(という名のインターネット接続)(※3)搭載のガラケーがあったにも関わらず、Appleが(というよりスティーヴ・ジョブズ氏という才能が)圧勝したのは、“体験というエンタテインメント”の具体形をユーザに提示したからではないのか、というのが私の思いますところ。
例えばiTunesとiPodで提供したのは“音楽コレクションを丸ごと持ち歩く”という“体験”、iPhoneで提示したのは“インターネット接続を外へ持ち出す(持ち歩く)”という“体験”――という具合に。
ではその“体験”というキィワードを元に現状を考察してみるならば。
既存の媒体、特に“四大メディア”と呼ばれる新聞・雑誌・TV・ラジオが先細りのジリ貧状態なのは『テーマ15.“電脳化”普及の起爆剤 ~“双方向”の未来と可能性~』でお話ししました通り。
これら先細りの既存媒体が提供する“体験”は“一方通行”で、かつ“一対多”であったものと映ります。ここで私が重視していますのは発信側が“一”の存在に過ぎない、というところです。
発信側が既存の媒体、つまり“一”の存在であっても、際立って優れているなら――つまり受け手側の“多”をまとめて同時に満足させられたなら――実は興味深いことが起こります。
ブーム、あるいは現代風に言うなら“社会現象化”というものです。
これの何が興味深いかと言って、受け手がただの受け手で収まっていなくなることです。日常の話題、関連媒体、分析本などなど、“受け手が情報を再発信し始める”という現象が起こるのです。ことここに至り、発信側は擬似的に“一”の存在を超えます。発信側に受け手が加わって“多”の存在になるわけです。また同時に、受け手も発信者の一部となることから、これを擬似的な“双方向”と捉えることもできましょう。“双方向”であることの重要性についての詳細は『テーマ15.』をご覧いただくとして、ここでは“双方向”の定義をお話ししておけば充分でしょう。即ち――“ユーザとその相手(機械でも、その向こうにいるヒトでも構いません)が相互に“予想外”の影響を及ぼし合うこと”。
ここで擬似的に成立する、発信側と受け手の“多対多”“双方向”という構図――これの重要性は後で述べさせていただくとして。ここでは“多対多”という構図を私が非常に重視していること、これをまず強調しておきましょう。
もう一つ、既存の媒体が擬似的に“多対多”“双方向”の構図を演出する方法があります。いわゆる“ユーザ参加型コンテンツ”を提供するのです。難しい話じゃありません。ラジオのリクエスト、あるいは雑誌の読者投稿欄、コンテストもこれに含めていいでしょう。受け手に“参加者の一部になっている”という“体験”を提供するわけです。
受け手に参加意識を持たせる、言うなれば“ライヴ感”は“多対多”かつ“双方向”に近い“体験”です。
音楽業界で、アルバム(CD)よりライヴが重視されつつあることはご存知でしょうか(※4)。その理由は――Brian Eno氏が語るところによれば「音楽が(水より安く手に入り)事実上無料になった今、複製できないもの(つまり観客参加型のライヴという“体験”)の価値こそが認められつつある」(※5)というものです。
ここでライヴに参加した観客たちはその場で感情を共有し、アーティストと一体となって盛り上がり、場の雰囲気を作り上げる――いわば発信者の一部と化すわけです。“多対多”かつ“双方向”の“体験”が成立するわけですね。
“複製できないもの”としての“その場限りの体験”と言えば、チームラボの一連のインタラクティヴ・アート作品群(※6)、一例として『お台場みんなの夢大陸2016』の展示など(※7)であるとか、『リアル脱出ゲーム』(※8)であるとかがその好例でしょうか。これにしてもユーザ参加型のイヴェントであり、ユーザ自身が“体験”を作り上げていく“多対多”で“双方向”のコンテンツということができましょう。
Web小説も、ある意味“ライヴ感”を持った媒体ですね。作者が読者の反応をリアルタイムで知り、場合によっては作品の質が上がっていくさまは、実に“双方向”な“体験”です。もちろん読者の参加意識も相当なものですから“多対多”の構図も当てはまります。
既存の媒体が提供してきたコンテンツは、こうして振り返ってみるに“擬似体験”であったのではないか――というのが私の立てた仮説です。
これに人気や話題性を盛り込むことで、擬似的に“双方向”で“多対多”の“体験”へと昇華していく――これが従来からあるエンタテインメントの手法なのではないかと。
これについては案外馬鹿にできたものではなく、シナリオやアングル、演技そのものといった“魅せ方”というものは“擬似体験”を“体験”へ近付ける手段として見習うべきところ多々あるものと言えましょう。
さて、ここまでさんざん触れてきた“多対多”かつ“双方向”のエンタテインメントと言うものの潜在能力についてですが。
先駆けは1980年台からのパソコン通信(未だ『インターネット』という概念が一般に知られる遥か以前から)のBBS(掲示板)やチャットなのではないでしょうか(※9)。いやもっと遡るとアマチュア無線に行き着くかもしませんが。ともかくも参加のハードルが高く(ソフト、ハード、スキルともに)、マイナーの域を出はしなかったのですが――嵌まるヒトが続出。その中毒性は深夜までキィボードを叩き続けた当のご本人お話を伺うことができれば一発ですが、連日目の下に隈を作るヒトが続出したことだけはここで申し添えておきましょう。
インターネット普及とともに台頭したのが『2ちゃんねる』(※10)、これで半メジャー化したとも言えるのではないでしょうか。“半メジャー化”などと奥歯に物が挟まったような表現を用いたのは、いかんせん参加者(“住人”)がマニアに偏りすぎ、それほどでもない方を寄せ付けない雰囲気を醸成してしまったからです。これは匿名性の功罪ともにあるところでしょう。
で、匿名性をある程度取り去ったのがSNS(Social Networking Service)(※11)ということになります。互いの個人情報を一定以上晒し合う代わり、これらSNSは“友人関係”に近い関係性を構築することに成功しました。2004年に産声を上げたFacebook(※12)、2006年にサーヴィスを開始したTwitter(※13)、これらの爆発的普及を見るに、その中毒性はもはや説明するほどのことでもないでしょう。
その潜在能力のほどは――2010年から2012年にかけて巻き起こった“アラブの春”がそれを説明するのに最も相応しいのではないでしょうか(※14)。TwitterやFacebookで繋がりあった一般民衆が、内戦でもなく、クーデターでさえなく、時の独裁政権を次々と転覆させて行った、あの現象です。
“アラブの春”を引き合いに出すなら――1989年に中国で起こった天安門事件(※15)、ここで現れた“無名の反逆者”(※16)のことを忘れてはなりますまい。天安門事件でデモ隊を制圧に突入しようとした戦車の行く手を、その身一つで阻み切った男性の存在です。
これはネットというよりマスメディアのカメラで世界に中継されていることを意識しているからこそなし得たことだと、私は今でも信じております。彼を轢き殺してしまったなら、その瞬間にマスメディアの向こうにいる“多”、即ち中国全土、ひいては全世界を敵に回すことが明白であったからだと。“多対多”と“双方向”の関係性をいち早く体現してみせた、そんな事例と取ることもできます。
ともあれ、“多対多”と“双方向”の潜在能力を改めて確認した上で。
次項では、“電脳化”の絡んだ表現媒体の変貌、これに考察を巡らせてみることにしましょう。
【脚注】
※1 http://systemincome.com/tag/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%96%E3%82%BA
※2 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%B3
※3 https://ja.wikipedia.org/wiki/I%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%89
※4 https://www.jtb.or.jp/column-photo/column-music-event-horiki
※5 http://www.indierevolution.jp/live/page76/page76.html
※6 http://www.team-lab.com/
※7 https://www.si-po.jp/post/column/26078.html
※8 http://realdgame.jp/
※9 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%B3%E9%80%9A%E4%BF%A1
※10 https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B
※11 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9
※12 https://ja.wikipedia.org/wiki/Facebook
※13 https://ja.wikipedia.org/wiki/Twitter
※14 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E3%81%AE%E6%98%A5
※15 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6
※16 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%90%8D%E3%81%AE%E5%8F%8D%E9%80%86%E8%80%85
著者:中村尚裕
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