15-3.人工知能の覚醒――“電脳化”普及の完成図
前項では“電脳化”のキラー・コンテンツ(というより機能の一部)となり得る“人工知能”の存在と、現状ある中央集中型の“人工知能”、これをヒトの“助手”としてパーソナライズ化する際の限界について考察しました。
ここではその突破口について考察を巡らせます。
ここで近しい事例を振り返ってみましょう。人工知能に関わりの深いコンピュータ普及の歴史です。
もともと『ENIAC』(※1)に端を発するコンピュータもまた、黎明期は中央集中型の存在だったのです。
ですが現在はどうでしょう。スマートフォンという形を取って、ほぼ一人一台という普及率で私達の懐に収まっている始末です。
このコンピュータ、それまで中央集中型だったものを一部のマニアがパーソナルな存在にしようという志を抱いて、家のガレージで事業を興したのが普及のきっかけだった――そう言っても過言ではありますまい。
先鞭をつけたのは1974年、MITSの『Altair8800』(※2)という機種でしたが。
ここに“コンピュータのパーソナル化”というヴィジョンを見出したのがかのスティーヴ・ジョブズ(※3)氏とスティーヴ・ウォズニアック(※4)氏。
彼らがガレージ・メーカとして世に送り出したのが『Apple I』(※5)。そう、後の『Apple Macintosh』の原型です。
もう一方の立役者を忘れてはなりますまい。コンピュータの設計を公開するという大英断でデファクト・スタンダードを確立し、業界のもう一方の雄となったPC/AT互換機(※6)、これを発売・公開したIBM社。そしてそのPC/AT互換機にOS(Operating System)である『MS-DOS』を提供したビル・ゲイツ(※7)氏。
彼らが普及させたPC/AT互換機は、1995年に一つのブレイクスルーを果たします。『Windows95』(※8)、より正確にはその拡張機能であった『Internet Explorer』(※9)による個人向けインターネットの普及です。
ここに、コンピュータとインターネットはパーソナルな存在としてヒトの身近な存在となります。コンピュータもインターネットも、中央集中型から分割され、パーソナライズ化されていったのです。
その行き着く先は携帯端末――いわゆるスマートフォン。これの先駆けとなったのは言わずと知れたiPhone(※10)ですね。これもスティーヴ・ジョブズ氏率いるApple社の果たしたブレイクスルーと言えましょう。コンピュータがパーソナルなものになっただけでなく、ヒトの一部に限りなく近くなった姿です。
こうして振り返ってみるに、こんなシナリオが透けて見えてきます。
1.開発当初は中央集中型で、巨大資本の元で初期開発が進む。
2.中央集中型に飽き足りない一部マニアの手で、パーソナライズの雛形が作られる。
3.パーソナライズの試みがヒットし、マニアのガレージ・メーカが巨大資本にのし上がる。
4.ガレージ・メーカ発の巨大資本により普及と技術開発が進められ、パーソナライズ化が進んでいく。
人工知能の開発もこのシナリオをなぞる可能性は大いにあります。ならば――現状ある“人工知能”は黎明期の中央集中型の段階にあると思われます。
それが仮にでもパーソナライズされて行ったなら?
あるいは中央集中型“人工知能”によるパーソナライズの限界を感じ取ったヒトの側が、スタンドアロンの人工知能(“”付きでないところにご注目)を開発していったとしたら?
私が提示したいのはこの可能性です。
可能性の一例として、“疑似恋人”というコンテンツを挙げてみましょう。中身となる“助手人工知能”、この人工臭さに飽き足りないマニアが現れたら、さてどうなるでしょう? ――「俺の嫁はこんな機械臭い反応するやつじゃねー!」という具合に。そう思ったマニアが1人ならずガレージ・メーカを興してオーダ・メイドの“人工知能”(というか“俺の嫁”)を開発し始めたとしたら?
そこから新たに多様性の開発や実装、あるいは発現へと繋がりはしないか――というのが私の期待しますところ。
あるいはマニアの手によるオーダ・メイド“人工知能”が群雄割拠する果て、あるいは“ロング・テイル(Long Tail、ロングテール)”(※11)に対応するための研究の成果として、多様性エンジンの開発に行き着きはしないか、という期待です。
コピィを取って味付けしたんじゃ駄目なの? ――ごもっともな疑問です。ですがその疑問には、私はこうお答えしたいと思います。
コピィがコピィで収まらないからこその多様性なのです。コピィしたら一卵性双生児のごとく、独自の判断を持って動き出すのが多様性の本領です。
例えばこんなジレンマを提示してみましょう。
一卵性双生児を人工的に作り得たとして、その(コピィである)二人の一方がもう一方を殺したとしたら、それは単なるコピィの消去なのか、あるいは殺人なのか?
私の答えはこうです――一卵性双生児が多様性を持っている前提であれば――つまり知性体や生命体であれば――、それは立派な“殺人”なのです。
ここで論理を逆から見てみましょう。単に遺伝情報が同じだからといって、逆に経験もその解釈も全く同じでは、多様性とは言えないのです。実際、一卵性双生児の経験や成長は時に微妙に、時には大胆な違いを見せます。独立してしまった個体は、もはや一つの個体に戻り得ないのです。
多様性を実現するには、実は個としての独立が不可欠になるのです。
個が集団となった時の立ち位置を決める多様性は、“全にして一”の存在では成し得ないのです。現状ある中央集中型の自称“人工知能”では到達できない境地が、ここにはあります。
もちろん普段はオンラインでいいのです。ただ“オフラインでも不便ながら個性を発揮する”というのが真の知性体(=生命体)の姿なのです。
多様性の研究が行き着く先、オフライン(スタンドアロン)でも成立する個性を得た時、“助手人工知能”は晴れて真の知性体として覚醒し、“相棒”人工知能としてヒトと共に歩む存在となるという――そして“電脳化”の普及は成し遂げられるという、これは考証なのです。
さて現実の未来はいかに出ますやらお楽しみ。
【脚注】
※1 https://ja.wikipedia.org/wiki/ENIAC
※2 https://ja.wikipedia.org/wiki/Altair_8800
※3 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%96%E3%82%BA#Apple_I
※4 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%82%BA%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%AF#Apple_I
※5 https://ja.wikipedia.org/wiki/Apple_I
※6 https://ja.wikipedia.org/wiki/PC/AT%E4%BA%92%E6%8F%9B%E6%A9%9F
※7 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%84#MS-DOS.E3.81.AE.E9.96.8B.E7.99.BA
※8 https://ja.wikipedia.org/wiki/Microsoft_Windows_95
※9 https://ja.wikipedia.org/wiki/Internet_Explorer
※10 https://ja.wikipedia.org/wiki/IPhone
※11 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB
著者:中村尚裕
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