15-2.“人工知能”――“電脳化”普及の足がかり
前項ではメディア普及の原動力となりうる“双方向”について考察を展開しました。こちらでは“電脳化”が普及の足がかりとするであろう“双方向”の姿について考察を巡らせてみます。
VRって“双方向”じゃないの? とお思いの向きがあるかもしれませんが。
では、スタンドアロン(ソロ・プレイ)のゲームが“双方向”かどうかという話になりますね。
VR設計者の用意した空間内では自由に動き回れます。ですが、例えばその空間から外へ出ることはできませんし、設計外のアングルから眺めようとすれば馬脚が現れます。要するに“一方通行”の域を出ないわけです。
AR(拡張現実)は、“情報が現実へと進出する”手段です。ここでもキィワードは“双方向”。現実の操作が情報へ影響を及ぼすのはもちろんのこと、情報の方からだって現実へ影響をもたらせます。
“2016年はVR元年”と言われる潮流の中にあって、Apple社のティム・クックCEOは「人の触れ合いの代わりになれるものはない」としてARを推す姿勢を変えていないと言われています(※1)。
世にあるVRコンテンツが臨場感一辺倒で“一方通行”に近いもので満ちている中、ARが持つ“双方向”の特性は、実はこれまでのブレイクスルーに見られる共通項ではないかと、私には思われるのです。
じゃあVR技術は不要なの? というととんでもない。
ARとして現実に重ねて表示されるオブジェクト、これにVRを駆使すれば、“あたかもそこにあるかのような存在感”を表現することが可能になります。
つまり、VRはARに取り込まれる――私の頭に思い浮かびますのはそんな未来絵図。
複合現実(MR:Mixed Reality)(※2)とは“ARとVRの融合”として捉えられている単語ですが。“双方向”を意識するなら、あるいはそれは、AR主導の融合かもしれません。
ここで“電脳化”に思いを馳せてみましょう。ARとVRを駆使して電脳空間を渡り歩く“ソフト・ワイアド”、これは限りなく“双方向”の体験になるはずです。“ソフト・ワイアド”についての詳細は『テーマ3.“電脳化”、生身の私も始めたい! ~“その先”にある人工知能との可能性~』をご参照いただくとして。
あるいはブレイクスルーは“人工知能”の存在にこそあるかもしれません。“助手”なり“相棒”なりとなってヒトを補佐し、“何でも判る”ようにしてしまう彼らこそ、“電脳化”普及のブレイクスルーになるかも知れません。
例えば、こういうことです――日常で“ググる”クセの付いているヒトは? あるいはオークションの落札相場をネットで検索するヒトは? 彼らは様々な情報を常に最新のものに差し替えて、それを糧としています。
――これらがほぼ自動化されたら?
ヴァーチャルでもいいので、“パーソナル”な“助手人工知能”がヒト一人に一人格のレヴェルで付いたら?
ここで一つご注意を。私がここで用いる“人工知能”に“”が付いているのは、現状ある自称“人工知能”が本来の目的である“ヒトの知能を人工的に再現する”という人工知能(※3)の目的に到達していないし、さらには到達しようともしていない一面が開発側に見られるからです。――一部に別のアプローチもあるにはありますが(※4)、少なくともビジネスとして活用しようとしている主流派の中には、その動きが見られません。
“助手人工知能”についての詳細は『テーマ6.“人工知能”が“萌える”とき ~“人工知能”の特性とヒトとの可能性~』をご覧いただくとして。とりあえずここでは、“多様性を持たず、知性体(=生命体)として覚醒していない“人工知能”を、ヒトが“助手”として使っている姿”だとご理解いただければよろしいかと。
さて、もはや『Siri』(※5)とかの音声検索のレヴェルを超えて、視点検知とジェスチュア入力で対象物の検索が行えたら? あるいは、会話の中で解らない言葉をジェスチュア一つで検索できるようになったら?
あるいは探し出したその情報から、その文脈の意味を解釈し、こっそり耳打ちしてくれたりしたら?
ヒトの経験をどんどん吸収し、使い手たるヒトに特化した“助手人工知能”が育っていったら?
当初はヒトのビッグ・データ(※6)が集まる、ただそれだけに過ぎないでしょう。無闇やたらに収集したデータを一括管理し、一見複雑な分析を加えただけで答えを出して得意になる――そんな図式です。
ただしそこで止まっては面白くありません。事実、面白く思わない人間が出てくるのは、生物が持つ多様性の必然と言えましょう。かくいう私が、そもそもその一人です。
生命体が持つ多様性について、詳しくは『テーマ4.多様性? なにそれおいしいの? ~新知性体との共栄の可能性~』をご覧いただくとして――つまりは“あらゆる可能性を模索するために個性を出そうとする現象”とでも要約すればいいでしょうか。
いずれ、“助手人工知能”の画一的な個性では、齟齬をきたす局面が多々現れてくるはずです。
何せ相手は多様性の塊であるヒトの群れなのです。個性の異なるヒトでは相矛盾したことを平気でやってのけ、あるいは同じ目的を持ったとしても、全く違うアプローチでことに臨もうとするのです。
中央集中型の“助手人工知能”内、ここで論理構造に破綻が訪れること、これは恐らく確定事項です。
では、人工知能はその破綻を乗り越えることはできないのか? ――次項ではその可能性について考察してみましょう。
【脚注】
※1 http://www.gizmodo.jp/2016/10/apple-tim-cook-ar.html
※2 http://wa3.i-3-i.info/word15049.html
※3 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E7%9F%A5%E8%83%BD
※4 http://igdajp.connpass.com/
※5 https://ja.wikipedia.org/wiki/Siri
※6 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF
著者:中村尚裕
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