表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【SFエッセイ】連載版 完全義体とパワード・スーツ、どっちが強い? ~科学とヒトの可能性~  作者: 中村尚裕
テーマ13.学校はもっと楽しくなる!? ~“電脳化”が変える教育の可能性~
27/79

13-1.“電脳化”が学校を引っくり返す

 詰め込み教育、右へ倣え、閉鎖社会……そんな学校のマイナス・イメージは“電脳化”で吹っ飛ぶ?

 “電脳化”時代を迎えた学校の明日はどっちだ!?

 まずは学校教育を引っくり返すと思われる“電脳化”、特に“ソフト・ワイアド”の定義から。

 詳しくは『テーマ3.“電脳化”、生身の私も始めたい! ~“その先”にある人工知能との可能性~』をご参照いただくとして、要はこういうことです。

 “電脳化”、これはネット上に存在する情報資源を自在に操ること――ネットを自在に渡り歩くこと、と表現していいかもしれません。詳細は後述させていただくとして、簡潔に述べればそういうことになります。 

 次に“ソフト・ワイアド”。特に肉体改造を施すことなく、拡張現実(AR:Augmented Reality)と仮想現実(Virtual Reality)を駆使して“操縦感覚”で“ネットを自在に渡り歩く”――すなわち“電脳化”を、私は“ソフト・ワイアド(Soft Wired、ソフトワイヤード)”と呼んでおります。

 ちょうどサイバーパンクに登場する概念、脳を含めた中枢神経に改造を施してネットに直接接続する“電脳化”、即ち“ハード・ワイアド(Hard Wired、ハードワイヤード)”とは逆のアプローチですね。

 さらに『テーマ3.』では“相棒”人工知能(現状の自称“人工知能”とは別物です)が一人一人格のレヴェルで普及し、ヒトを補佐するであろうことにも触れております。


 さて今回はこの“ソフト・ワイアド”を軸とした“電脳化”が進んだ世界、ここでの学校教育について思いを巡らす思考実験。よろしくお付き合いのほどを。


 ネットに繋がることの便利さは何かと言って、その豊富な情報にいつでもアクセスできること、これを筆頭とすることは論を待ちません。

 ここで言う“豊富な情報”とは、何も百科事典的な知識に限ったことではありません。街中の監視カメラを利用した立体視や千里眼、あるいは地獄耳とでも呼ぶべき空間把握能力の拡張や、刻々と移り変わる情報データから導かれる近未来予測までもがその中には含まれます。ヒトは“ニュータイプ”のごとく拡張された空間認識能力を手に入れるのです。この辺りの詳細は『テーマ2.”ニュータイプ”か!? ――いえ、ただの凡人です。 ~拡張現実にみるヒトの可能性~』をご覧いただくとして。


 ではその“ニュータイプ”にふさわしい教育とは何か。まずはそこに想像を巡らせてみましょう。


 もちろん、百科事典的な意味でもネットを参照することは、“電脳化”しているからには、いつだって、いくらだって可能になります。よって、従来から揶揄されてきた“詰め込み教育”、これは必然的にその意義を失うでしょう。

 ――テストのときはネット禁止? “電脳化”した社会にあって、それでは現実という“実戦”にそぐわないことはなはだしいと言わざるを得ませんね。“電脳化”した現実から目を逸らすこと、これは学校教育の本意ではないはずです。


 つまりこれまでの学校教育、特に日本で熱心に行われてきた“詰め込み教育”は、“電脳化”を前にして意義を失うのです。


 いわゆる“How to 本”は、ほぼ壊滅するでしょう。

 学習塾も、一部の優れた講師を除いて生き残れはしないでしょう――それにしたって、いわゆる詰め込みではなく、人生訓や生存戦略を実践で教える講師陣に様変わりするはずです。

 習い事、これも“電脳化”で様変わりします。例えば書道やソロバン、それに楽器などは、遠隔地にいながら手取り足取り指導できるのです。

 武道のような運動にしたってまた然り。これは実戦ではありませんから危険は限りなくゼロになります。それこそ本当の実戦(例えば柔道の乱取りであるとか)は実体験するしかありませんが、その手前までは、相当なレヴェルまで仕上げることが可能になります。


 これら拡張現実と仮想現実の提供する可能性を前にして、学校が提示できることは何か。


 例えば『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』(※1)で、主人公インディの父ヘンリー・ジョーンズ博士の科白にこういう趣旨の至言があります。

「なぜ記録を残すかって? 忘れてもいいようにするためだ!」

 ――そう、知識は必ずしも頭に詰め込んでおく必要はないのです。どこをどう調べれば理解できるか――それさえ知っていれば用は足りるのです。

 例えば“図書館の主”とでも称すべきヒトは、図書館の蔵書全てを諳んじているわけではありません。どこを調べれば何が判るか――それを熟知しているだけです。言うなれば“目次”、あるいは“索引インデックス”としての能力に秀でているわけですね。

 この考え方は記憶の外部ストレージ化――あるいは外部記憶化と言い換えてもいいでしょう。


 要は情報の海から、必要なだけの情報を、いかに――それも素早く――拾い上げるか、この方法をこそ学ぶべきなのです。

 簡単なところでは検索能力、もっと発展させると問題解決能力、さらに発展させると目標を設定し克服する能力――そういうことになりますね。


 これについては、次項で考察してみましょう。


【脚注】

※1 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA_%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA





著者:中村尚裕

掲載サイト『小説家になろう』:http://ncode.syosetu.com/n0971dm/

無断転載は固く禁じます。

No reproduction or republication without written permission.

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ