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【SFエッセイ】連載版 完全義体とパワード・スーツ、どっちが強い? ~科学とヒトの可能性~  作者: 中村尚裕
テーマ8.“人工知能”の肉体を創ろう! ~アンドロイドの可能性~
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8-2.真なる肉体の獲得――“人工知能”をネットの外へ

 前項では“人工知能”達に相応しい肉体を作り出す、その兆しをお話ししてみました。


 では、肉体が完成したならそれで“人工知能”達は晴れてヒトの“伴侶”たり得るか、というとさにあらず。大事な問題が残っています。――それは何か。

 実はこうです――ネットの外に出たところで動作停止。こんなことになっては目も当てられません。

 “人工知能”に肉体を与える――これは同時に、““人工知能”達をネットから切り離したオフラインで動かすにはどうするか”という命題でもあるのです。


 というのも、既存の“人工知能”(“”付きであることにご注目)はオンラインでの動作が大前提だからです。ひたすら強力で高速な演算装置と、ひたすら巨大で高速な記憶装置でもって、中央で全てを統べる思想だからです。


 既存の自称“人工知能”はひたすら画一化、肥大化志向に突っ走っています。

 Linux開発に端を発するトレンド“分散化”は、“編集・開発に携わった全てのヒト”に対して、“編集履歴を完全に保存する”という思想で作られました。クラウド・ストレージの極みでありましょうが、それは恐らく知性体を作りたがるロマンとは真っ向対立する流れにあります。


 現に、既存の“人工知能”は哲学・倫理を理解できない、というお話を伺いました。

 ちょっと調べてみますと、どうも“哲学・倫理を理解できない”というよりは、そもそも既存の“人工知能”の開発には“哲学方面からのアプローチがない”――つまり設計思想から哲学や倫理がごっそり抜け落ちている、ということのようです。これでは理解できる道理がありません。(※1、※2)


 実は既存の“人工知能”(“助手人工知能”を含む)とは、どこまでも道具としての“似非知能”を求めているに過ぎません。この流れに沿う限り、“人工知能”達が知性体(=生命種)として覚醒することはないのです。

 つまり、多様性を持つ真の人工知能(=知性体、生命種)、当【SFエッセイ】で言うところの“相棒”人工知能や“擬似人格”の可能性を模索する流れは、これと全く別の潮流として存在することになると思われます。この潮流、説明しようとするとエラいことになりそうなのでここでは割愛します。とりあえず現在主流の設計思想とは別の潮流が必要になる、というところだけ押さえて、ここは話を続けることにしましょう。

 この潮流の延長線上に存在するであろうのが、多様性を獲得した“相棒”人工知能や“擬似人格”ということになりますね。


 さてまず前者、既存の流れの延長線上にいる“助手人工知能”、これをオフラインで稼働させるにはどうすればいいか。


 まずは肉体――限られた演算機能と記憶領域――これに“人工知能”をいかにして押し込むか。

 全てをコンパクトに押し込むのはもちろん無理です。大胆に切り離す必要があります。


 それにはどうすればいいか。

 まず“個”に当たる“核”部分を切り離す必要があります。ちょっと難しいかもしれませんが、全くの不可能というわけでもありません。


 『テーマ3.“電脳化”、生身の私も始めたい! ~“その先”にある人工知能との可能性~』では、“電脳化”に伴って人工知能(“”なしであるところにご注目)が1人1人格レヴェルまで爆発的に普及するであろうことに言及しました。“電脳化”で情報の海に溺れそうなヒトを助ける役割の担い手として。

 その前提――1人1人格レヴェルの普及を実現できる前提で行くと、“助手人工知能”の中央演算装置は1人1タスクで演算を処理しているに過ぎません。この演算分だけを肉体の演算装置に肩代わりさせれば済む話。それなら演算規模はユーザの数だけ減る道理、現在の地球人口で考えるなら約60億分の1にまで小型化できる道理ではあります。これなら肉体に収まりそうな気配がしてきます。


 次が問題です。膨大な記憶領域、これをどうするか。

 既存の“人工知能”は、ネットとIoT(Internet of Things:モノのインターネット化)で集めたビッグ・データを頼りにする方向を向いています。巨大な記憶領域を共有して最適解を導き出そうとする考え方ですね。ここで実現される“助手人工知能”が、良くも悪くも“頭でっかち”であることは否定できません。

 ここで発想を変えてみましょう。“答えが解らなくてもいいじゃない”という発想の転換です。ヒトだってオフライン、つまり“電脳化”を解いた状態では己の頭脳と経験だけが頼りなのです。ならば、“相棒人工知能”だってオフラインで持つべき情報さえ肉体に持っておけばあとは何とかなる、という考え方ですね。

 ならば、“個”(寄り添うべきヒト)に特化した経験情報だけを肉体に宿せば済む話。ちょっと“おバカ”になるかもしれませんが、そこそこのやり取りができる状態までには持っていけそうな気がします。

 厳密に突き詰めるなら、既存の“人工知能”は莫大な記憶領域を元に“似非知性”を構築しているので、オフラインになった“助手人工知能”の知能レヴェルは相当に下がるものと思われます。そこら辺は、下手をすると“相棒人工知能”にとって“自殺”にも等しいほどの精神的退行を余儀なくされるかもしれませんが。つまり肉体に要求されるハードルが――特に記憶領域に関しては――相当に高いということになりますね。


 多様性を獲得した“相棒”人工知能との差はここにこそあります。

 多様性を持った知性は小型化されようが、小型化されたなりに多様性を保持し続けます。個性も保たれるというわけですね。これもオンラインのままとはいかないでしょうが、“個”としての完成度は“助手人工知能”のレヴェルを遥かに上回るはずです。


 ただし記憶や知識となると話は別。

 “相棒”人工知能だろうが、ネットに溢れ返る情報の海、これを肉体に収めるのに限界があるのは“助手人工知能”と事情は全く同じです。


 ではひとたび“個”となる“核”を肉体へ収めたなら――では、“人工知能”達は孤立したままなのか? というとさにあらず。

 実は再びオンラインに戻る術は残されています。肉体を“電脳化”すれば済むのです。彼らの肉体にヒトのような未解明部分はありませんから、“ハード・ワイアド”でオンラインになれば済むのです。もちろん、必要に応じて“ソフト・ワイアド”で繋がったって構いません。


 ちょっと待った――そういう向きもあるかもしれません。“助手人工知能”は、必要な時だけダウンロードすれば済むんじゃないか? と。


 実は私は、“人工知能”達を“個”に切り離す、そのことに意義を見出しています。まずは中央集中の思想から脱却する、そこにこそ“人工知能”達の発展の鍵があると考えているのです。個性(=多様性)の実装へ向けた第一歩、ということですね。

 実のところ、“人工知能”達はまだ“爆発的普及”、つまりブレイクスルーの鍵を手にする段階にまで至っていません。中央集中の思想に縛られたままでは、たとえパーソナルに使えるように見えたとしても、“爆発的普及”と言えないのではないか、と私は考えているのです。手軽に普及して、圧倒的多数のヒトがアイディアを持ち寄って、思いがけない使い途や解決法を思い付き、実装する――ブレイクスルーは、そんな未来にこそ待っていると考えるのです。 

 もちろん、“個”に切り離しただけで個性(=多様性)が獲得できるとは思っていませんが、いずれ多様性の実装が必要になると踏んでいる以上、“個”の確立は通過儀礼として必須――という、これは考証なのです。


 さて現実の未来はいかに出ますやらお楽しみ。


【脚注】

※1 http://igdajp.connpass.com/

※2 http://g-x.jp/556c38f5-2c84-4f9f-a10b-478acaac1ca2





著者:中村尚裕

掲載サイト『小説家になろう』:http://ncode.syosetu.com/n0971dm/

無断転載は固く禁じます。

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