8-1.“人工知能”達の“身体”――現実化の可能性
感想欄を始めとして、読者の皆様からとても刺激的かつ示唆に富んだヒントの数々をいただきました。読んで下さいました皆様へ、そしてご意見を寄せて下さった皆様へ、感謝を込めて。
“人工知能”達とヒトの関係はより密になっていく、ということに『テーマ6.』で触れました。今回はその先を考察する思考実験。ヒトの“伴侶”と言えるまでに近付いた“人工知能”達は、果たして肉体を得ることはできるのか? アンドロイドの明日はどっちだ!?
『テーマ6.“人工知能”が“萌える”とき ~“人工知能”の特性とヒトとの可能性~』で、“助手人工知能”にしろ“相棒”人工知能にしろ、“人工知能”達がいずれ“身体”を得るのもあながち夢想ではありますまい、ということをお話ししました。――この時は拡張現実と仮想現実を応用した“仮想の肉体”での相互干渉を匂わせていましたが。
ではその“身体”が現実空間にある肉体である可能性は? “人工知能”達に肉体を与えるにはどうするか? ――今回そこにまつわる思考実験。よろしくお付き合いのほどを。
“人工知能”達に肉体を与えるとするなら――まずもって人型を考えるのは日本人のロマンでしょう。欧米的合理主義に走るなら、そりゃ目的に特化した形状であればことは足ります。ですが、ここで求めるのは“人工知能”達――ひいては、そこから知性体(=生命種)として進化した、言うなれば“擬似人格”の器です。タコみたいな火星人型とか、ましてや履帯装備の機械なんてロマンとして論外です。そういうものに萌えるフリークは確かに存在するでしょうが、【SFエッセイ】としては共存共栄する知性体を創造しようとしているのです。
手に手を取り合うその“擬似人格”に与える肉体は、まず人型と考えたい――というのが日本人的ロマンというものでしょう。そこから“擬似人格”達がどんな肉体を望むか、それは彼らに選ばせればいい話。そこまでは人型を理想として話を進めましょう。詰まるところアンドロイド、ヒトの代わりに“疑似人格”や“人工知能”を収めた義体というわけですね。
さて“人工知能”達に人型の肉体を与えるとして。その未来を展望する前に振り返っておくべきは、これまでの技術の進歩でしょう。まずは制御技術――肉体という器が実現できても、その肉体を制御することができなければ話になりません。
その制御技術、これの発達はまさに目まぐるしいものがあります。例えば20世紀にはラジコン・ヘリコプタなんて全制御手動、宙に静止するホヴァリングだけで拍手ものの技倆を必要としていました。それが21世紀の現在ではどうでしょう。姿勢制御の自動化(自律制御)なんて当たり前、操縦はスマートフォンのアプリ上、親指一本で行えるという進歩っぷり。
さてここで、ユーザの敷居が劇的に下がったわけですが。同時にラジコン・ヘリコプタは数十万円から数千円、コストにして2桁もの手軽さを手に入れます。二重の意味で普及要因を手に入れたわけですね。ここにラジコン・ヘリコプタは“爆発的普及”を遂げます。そしてこの“爆発的普及”、言い換えればユーザの知恵の数に応じて、ブレイクスルーが生まれます。
ラジコン・ヘリコプタに“何か役に立つことをさせよう”というアイディアは間違いなく一つのブレイクスルーだと私は考えています――ドローンの誕生です。
登場当初は“そんなもん何の役に立つの?”という目で見られていた――というかまともにその価値を認知されていなかったドローンですが、日本では2015年4月に皇居へ侵入した事件(目的は“遠隔撮影”とされていますね)から一気にその存在を認知され、その後の理解活動で一気に普及が進み、今では普通に安く手に入る“便利な道具”としての地位を確かなものにしています。
制御技術の進化は何もヘリコプタに限りません。人型ロボットの進化もまた目覚ましい物があります。
例えば自立歩行。20世紀の自立歩行といえば玩具『火星大王』に代表される、いわゆる“静歩行”が印象的です。つまり片足づつでも立ち続けられるやり方ですね。(※1)
この概念を引っくり返すべく、自立歩行(特に日本では二足歩行)の研究開発は地道に続けられてきました。
記念碑的存在は1993年、本田技研工業が発表した『P1』ではないでしょうか。現在の『ASIMO』へ繋がる系譜ですね。(※2)
とまあ、ここまでは研究開発の成果として雲の上の存在だった自立歩行技術ではあったのですが。1999年に飛躍的進歩が訪れます。
それがSONY『AIBO』の市販です。(※3)
ネット予約開始からわずか20分で完売という注目度からして尋常ではありませんが(ネット予約販売における、いわゆる“瞬殺完売”の先駆けと称しても過言ではない現象でしょう)、何より目を瞠るべきはそこに詰め込まれた最先端技術の数々。四足とはいえ自立歩行するのみならず(しかも動的にバランスを取って!)、各種センサによる認識と反応(コミュニケーションの成立)、機嫌(擬似感情)の存在、学習機能の実装などなど。
これが20数万円とはいえ市販品に実装されて、あまつさえ“爆発的に普及した”のです。市民の手が届くところへ自立歩行技術(というより、ヒトからしてみれば擬似生命体ともいうべき存在)が降りてきたのです。
私が見る限り、ここで起こったヒト史上の重大事件は3つ。“擬似生命とでも呼ぶべき存在の爆発的普及”と、そして“コミュニケーションの成立”、そして“ヒトの共感(感情移入)の喚起”です。
この瞬間、ヒトは“身近に”、“対等にコミュニケーションを取れて”、“共感(感情移入)できる”存在を手に入れたと言っても過言ではないのです。ヒトが“擬似生命体(多分に自我の投影があるとはいえ)”を“創造”した瞬間です。――必ずしも欲目や幻影が混じっていないとはいえませんが。
以後、ダンスまで踊るSONY『QRIO』の登場であるとか、『ASIMO』の進化であるとか、あるいは自転車を乗りこなしちゃう村田製作所の『ムラタセイサク君』であるとか、自立制御技術の進歩は留まるところを知りません。(※4、※5)
これら技術の応用が進む先は? ――“人工知能”達に相応しい肉体が実現するのは、もはや時間の問題でしかないでしょう。
では肉体が完成したなら、“人工知能”達は晴れてヒトの“伴侶”となれるかというと――実は大事な問題が残っています。次はそのお話を。
【脚注】
※1 http://www.mononokekanko.com/mono/36/01.html
※2 https://ja.wikipedia.org/wiki/ASIMO#P.E3.83.A2.E3.83.87.E3.83.AB
※3 https://ja.wikipedia.org/wiki/AIBO
※4 https://ja.wikipedia.org/wiki/QRIO
※5 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E7%94%B0%E8%A3%BD%E4%BD%9C%E6%89%80#.E3.83.A0.E3.83.A9.E3.82.BF.E3.82.BB.E3.82.A4.E3.82.B5.E3.82.AF.E5.90.9B
著者:中村尚裕
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