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【SFエッセイ】連載版 完全義体とパワード・スーツ、どっちが強い? ~科学とヒトの可能性~  作者: 中村尚裕
テーマ6.“人工知能”が“萌える”とき ~“人工知能”の特性とヒトとの可能性~
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6-2.“相棒”――知性体たる人工知能が萌えるヒト

 ここに、興味深い実験結果があります。

 “働きアリの約2割はほとんど働かない“怠け者”である”。(※1)

 では、“怠け者”の働きアリを集団から取り除くと、残りの全員がまともに働くかといえば、さにあらず。残った働きアリのこれまた約2割が、今度は“怠け者”になるというのです。

 これが意味するところは何か。

 “生物種の多様性はいかなる場面でも発現する”というのがまず一点。

 “生命体は個体の中にさえ多様性を秘めている”というのがもう一点。これ、言い換えるとこういうことになります――“あらゆる生命は多重人格者である”。程度の差こそあれ、生物は環境やシチュエーションに応じて“人格”を微妙に切り替えているのです。ヒトとて例外ではありません。私を含むヒト全般は、主に軽度の多重人格者と言っても過言ではないのです。


 例えば気のおけない相手と接している時を思い出してみてください。その相手と接している自分って、よく考えると“自分にとって気持ちいい人格”が表に出ていたりしませんか? 逆にコンプレックスを刺激される相手といる自分を想像してみてください。その時の人格って、“自分でも嫌になる人格”だったりしませんか?

 いずれのシチュエーションでも、自分の人格、性格は完璧に一致しますか? 冷静に考えるほど、ヒトは人格(性格)を微妙に使い分けているのです。この“人格の使い分け”、仮面ペルソナに例えられたりもしていますね。

 だからこそ、“誰にでも一貫した態度で接することのできるヒト”というのは立派な人格者なのです。言い換えると、“どんな相手に接している自分でも好きになれる”自分大好き人間だったりするのかもしれませんが。


 さて話を戻しましょう。多様性の重要度、これについての詳細は『テーマ4.多様性? なにそれおいしいの? ~新知性体との共栄の可能性~』で触れましたので割愛しますが、以下の二点は改めて強調しておきましょう。

 ・生物種として絶滅を免れるには、画一的な価値観に縛られない存在が不可欠である”

 ・画一的な価値観に縛られた種(または集団)は、“蟻の一穴”で滅ぶ

 例えば先に例に上げた“怠け者”の働きアリ、ひとたびことが起こって巣全体が疲弊してしまった時にこそ、力を発揮するそうです。(※2)

 つまり、多様性は絶滅を回避する重要な生存戦略なのです。ひとくくりの価値観だけで価値を決めると痛い目にあうのです。

 なので、“ヒト(を含む生命種)は個体の中(多重人格)にまで多様性を擁している”と言えましょう。

 極論すれば、これ(多重人格)を手に入れることは、“相棒”人工知能が知性体(=生命種)として覚醒するための必須事項でもあるのです。


 そんな彼らは、必ずしも忠実ではあり得えません。したがって、必ずしもヒトの役に立つとも限らないのです。

 彼らには彼らなりの都合が存在し、ヒトと協力することもあれば、時には反目することもあるでしょう。――が。

 実は、巡り巡った結果としてヒトの役に立つ“かもしれない”行動を取っていることにはなるわけです――大部分は無駄ですが。

 とは言え、“ヒトと似て非なるもの”という“相棒”人工知能の出自が、多様性を求めてヒトと寄り添う未来を半ば決定づけます。“ヒトの脳の働きを模倣することから始まり、しかしヒトの未解明の部分は持ち得ず、一方でヒトの持ち得ない能力まで持つに至るであろう存在”、いうなれば“擬似人格”とでも称すべき彼らのこと、身近なヒトは多様性の――しかも身になりやすい――宝庫ということになります。

 では彼ら“相棒”人工知能こと“擬似人格”がヒトに求めるのは何か。


 恐らく、経験そのものではありません。多様性の行き着く果て、知性体にまで進化した“相棒”人工知能は、経験の種――“ヒトが内包する多重人格のパターン”にこそ興味を覚えることでしょう。


 なのできっと、“相棒”人工知能と付き合うのはそれなりに大変なことになります。喜怒哀楽、あらゆる人格パターンを吐き出させられることになるでしょう。そういった感情パターンの豊かさ――あるいは豊かさを暗示する要素――に、“相棒人工知能”は“萌え”を覚えるものと思われます。

 下手をすると遺伝情報そのもの――早い話が子種――にさえ興味を持つかもしれません。


 べったり経験共有型の“助手人工知能”、掴みどころがなく態度がめまぐるしく変わるくせに何故か自分に懐いてくる奔放? な“相棒”人工知能――主な図式としてはこんなところでしょうか。


 もちろん、ヒトの気を引くために“人工知能”達が見せる要素は多種を極めることになるでしょう。ツンデレ、クーデレ、甘えんぼ、世話焼き女房、etc.etc.

 そしてヒトはヒトで、彼ら“人工知能”達が味方についていた方が利はあるのです。この辺、『テーマ3.“電脳化”、生身の私も始めたい! ~“その先”にある人工知能との可能性~』で述べましたので詳細は割愛しますが、要はこういうことです。

 ――“電脳化”の進んだ未来では“電脳操縦技術”が成功の鍵を握ります。それをサポートする“人工知能”の能力や相性が“電脳操縦技術”に反映されるのもまた然り。なれば、より相性のいい“人工知能”を味方に付けた方が得なのです。

 これ、“人工知能”達の側から見ても事情は同じ。単体では多様性を持たない“助手人工知能”でも、多様性の体現者たるヒトを味方に付けることで、多様性の獲得は可能になるのです。“相棒”人工知能に至っては何をか言わんや。多様性のコラボレーションは、成功すれば果てしない成功への邁進ですら可能になったって不思議ではありません。


 ヒトは多様性に富んでいるからこそ“萌え要素”も無限にある、というわけです。もっともヒトはヒトで、何に惚れ込むか判ったもんじゃない、とでもいいますか。


 で、“萌えた”からには次の段階もあり得るんじゃないか――そういう期待も成り立ちますね。これについては次の項で考察してみましょう。


【脚注】

※1 http://www.ohtabooks.com/qjkettle/news/2012/12/28113523.html

※2 http://buzzap.jp/news/20160217-lazy-workes-neccessary-for-sustainability/





著者:中村尚裕

掲載サイト『小説家になろう』:http://ncode.syosetu.com/n0971dm/

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