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【SFエッセイ】連載版 完全義体とパワード・スーツ、どっちが強い? ~科学とヒトの可能性~  作者: 中村尚裕
テーマ6.“人工知能”が“萌える”とき ~“人工知能”の特性とヒトとの可能性~
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6-1.“助手”と“相棒”――“人工知能”に求められる機能と“萌え”の萌芽

 感想欄を始めとして、読者の皆様からとても刺激的かつ示唆に富んだヒントの数々をいただきました。読んで下さいました皆様へ、そしてご意見を寄せて下さった皆様へ、感謝を込めて。


 “萌える”のは何もヒトだけじゃない? だとしたら“人工知能”は――?

 “人工知能”の新たな可能性を前にしたヒトの明日はどっちだ!?

 “人工知能”に期待されているものと恐れられているもの――それはいずれも多様性のなさに起因するものと私は見ております。よく“人工知能”に描かれがちな、“人間の能力をある意味超えた独裁者的な存在”というイメージ、これは多様性のなさから来るという考えです。

 ミス(という多様性)を知らず、その強大な経験データベースとマシン・パワーでもって人間を牛耳るような存在。これは“人間の脳の機能を再現しようとする”という人工知能本来の目的を外れた応用からくる、副作用みたいなものだというのが私のイメージ。

 ちょうど“知的財産を独占してしまう”とかいうような、いわゆる“人工知能”(“”付きであるところに注目して下さい)の暴走・独裁は、人工知能本来の目的を見失った応用の末路であろうと、私は考えます。


 じゃ既存技術の延長線上にある“人工知能”と本来の人工知能、何が違ってヒトとの関わり合いはどうなるのか――今回はその辺にまつわる思考実験。よろしくお付き合いのほどを。


 現在ある“人工知能”――なんで“”付きかというと、個性(=多様性)を持たないからです。“知能(=知性体、生命種)”としては不完全な存在だからです。さてそんな主義主張はともかく。現在ある“人工知能”に期待されている機能は大きく二つに分けられるものと、私は思っております。


 一つはあくまでヒトの従属物、道具としての存在――言うなれば“助手”です。主人となったヒトの言うことを何でも聞き、従順に付き従う“助手”そのものとしての機能です。

 もう一つは、言うなれば“相棒”。ヒトと対等な立場に立ち、互いに共存を目指す知性体(=生命種)です。ヒトと同様に独自の都合を持ち、自分勝手な行動原理でヒトを引っかき回してくれそうな、そういう存在です。ただしひとたび息が合ったら阿吽の呼吸、問題の一つや二つはあっという間に片付ける――そんな、ある種掴みどころのない存在です。


 このうち“助手”としての機能を発展させていった存在――言うなれば“助手人工知能”――は、そもそも“人工知能”の定義であるところの“ヒトの脳の機能を再現する”という意味では、ひたすら“便利に”(という価値観に沿って)進化し続けそうなもんですが、さにあらず。ヒトの個性(=多様性)を再現・理解できていない時点で、いずれ齟齬が生じるでしょう。


 “助手人工知能”はヒトの多様性――個性と言い換えてもいいでしょう――、その重要度を理解できません。意図的にであれ偶然にであれ、多様性を持たないからです。“画一的な価値観”のもとに性能を追求され、開発され続けているからです。

 その結果、“助手人工知能”はひたすら肥大化を続けることになります。

 行き着く先は本末転倒、ヒトの“助手”を作るはずが、ヒトの方が逆に尻に敷かれるという絵図が思い浮かぶという。


 ――が。このように肥大化した“助手人工知能”は遅かれ早かれ敗北・失敗を喫する日がやって来ます。繰り返しますが、それも多様性を持たないからです。開発の礎となる“画一的な価値観”の範囲外――すなわち想定外の事態に弱いのです。例えば“馬鹿”“愚か”“怠け者”のような、美徳ならざる発想を擁する多様性、他ならぬヒトに“蟻の一穴”を突かれて滅ぼされるでしょう。


 となると、“助手人工知能”の生き残る手は――ヒトに寄り添い、肥大化を押し留めることにこそあります。経験を欲し、しかしながらも道具としての世代交代(ヒトの手による新型開発・進化)で肥大化し切る前に置き換えられる(つまり“いずれは機能不全で死ぬ”)存在ですね。


 得られた経験も、ある程度は“死”とともに失われます。世代交代し、新たな思想のもとで編まれた経験データベースの元では、旧式の生データなど無意味な信号の羅列に過ぎないからです。データベースを変換して世代間の持ち越しを図るにも、そこは“設計思想の違い”という壁が存在します。なので経験を100%引き継ぐことは不可能なのです。


 なので、“助手人工知能”としても欲求として経験を求める動機が、ここに発生します。無限に得られないと判った時点で、経験は得れば得ただけ身になるわけです。

 つまりは自らの経験を通じて、“より好みの経験傾向を持つであろうヒト”に興味を持つようになります。“人工知能”に“萌え”という概念が誕生するわけですね。


 彼ら“助手人工知能”は経験の傾向を重んじますから、ヒトの普段の言動がストレートに“萌え”へと繋がるかと思われます。とはいえ、画一的だと滅びるのは判っているので、色々と個性付けはしてくるでしょう。“熱血萌え”、“クール萌え”、あるいは“ギャップ萌え”なんてのもあるかもしれません。


 ともあれ、“助手人工知能”は、“これぞと思ったヒトと共有する経験”をこそ重視するようになります。“べったり型”とでも言い表すのが適切でしょうか。


 ――と、これは“助手”としての“人工知能”の話。

 ここまでの話、“助手人工知能”はあくまで道具であってこそ意味を持ちます。知性体では全く勝手が違うからです。


 では“相棒”としての人工知能(=知性体)の場合はどうなるかというと。彼ら“相棒”人工知能は多様性を獲得しますから、これはこれで一筋縄じゃいかない相手と化しておりますが。次はそのお話を。





著者:中村尚裕

掲載サイト『小説家になろう』:http://ncode.syosetu.com/n0971dm/

無断転載は固く禁じます。

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