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【九】

【九】


 普通は良いものだ。

 世の中には、大金持ちになりたいとか、誰からも羨まれる名声が欲しいと願う者も居るだろう。確かに、大金持ちの会社社長や、日本代表に選ばれる世界的なアスリートは、世間から羨まれる存在だろう。

 しかし、普通でない彼らには、ある一定の批判がつきまとうものだ。普通よりお金を持っているから妬まれ、普通より有名で能力が高いから妬まれる。

 特殊とか、例外とか、特異、特別、そんな普通とは相対する言葉で表現されるもの達には、必ず羨まれたり疎まれたりという負の感情がつきまとうものだ。

 そう考えると、普通ほど誰からも非難されない存在はない。普通が至高であり、普通が平和の根本なのだ。

 そして、俺はその普通を手に入れた。

 ここ最近、女子絡みで酷い評価を受けていた俺だが、この前の更衣室に仕掛けられたカメラの一件で、首謀者が捕まった。

 その処分された男子達が青島、日向、国富達への盗撮行為の詳細を白状したため、俺への嫌疑が全て晴れたのだ。特に、青島の件に関しては俺が青島を庇ったことを分かってもらい、ミキ様による怖い視線も減った。まあ、無くなってないところが、ミキ様の俺に対する印象を表している。

 そして手に入れた普通の日常。何のトラブルもない学校生活。これでやっと、俺のことを好きな人を探すことに集中出来る。しかし、ここ最近は俺に関するメールは全く聞かない。まあ、俺は学校の有名人でもないし、ホイホイとメールに俺の名前が出てきていたら、それは大抵俺にとって良くないことが起こっている時とまず疑った方が良い。

 今のところ、俺の名前を正しく言っている女子は、委員長の国富、文芸部の日向、そしてリア充の青島だ。だが、名前を知っているというだけでは、やっぱり俺のことを好きとは言えない。

 そもそも、国富は真面目な性格だし俺よりもきっちりとして真面目な奴が好きなはずだ。日向は人見知りで大人しい性格だから、ここ最近話すようになったばかりの俺を好きになるとも思えない。そして、青島はリア充だからそもそも住む世界が違すぎる。青島はノリのいい男が好みだろう。

『そういえば、今日のクラス会って何処だっけ、はてな』

『ボウリングとカラオケでしょ、はてなわらう』

 唐突に聞こえた音。どうやらクラス会とやらについてのやり取りらしい。

 クラス会とは懐かしい響きだ。小学六年の頃、クラスのみんなが、クラス会を開いてみんなで遊びに行こう! なんて話で盛り上がっていたのを覚えている。俺はクラス会って何するんだろうなーなんて考えていたのだが、気が付いたら俺は小学校を卒業していた。だから、クラス会というものが何をする会なのか謎のままだったのである。

 あれから四年の歳月が経ち、クラス会はボウリングとカラオケをするものだと分かった。まあ、分かったところで、誘われてもいないのだから、全く持って意味がない。

「ね、ねえ」

「……ん?」

 クラス会のやり取りが途切れた時、俺の前に青島が立って話し掛けてくる。リア充が何の用だ。とも思ったが、ここは無難に聞き返してみる。

「クラス会のグループ、決まった?」

「…………いや、俺、そもそも呼ばれてないし」

「えっ!? なんで?」

「それを俺に聞くとは、何かの嫌がらせか何かなのか?」

 俺が呼ばれていないということは、つまり呼ぶ必要がないということだ。更に言えば、来てほしくないと思われているとも言える。いわゆる、俺はハブられたという状況なのだ。しかし、俺がそんな、いかにもリア充らしいイベントに呼ばれることは異常だ。このハブられているという状況が、俺にとって普通の状況なのである。

「じゃあ丁度良いわ。クラス会……その……一緒に――」

「遠慮しておく」

「ちょっと! 最後まで言ってないじゃん!」

 お呼びでないイベントにノコノコ出て行けるようなメンタルは持ち合わせていないし、そんな明らかに俺に来てほしくないと言外に示されている所に行きたくもない。

 俺はハブられている自分を恥ずかしいとは思わないし、人をハブる奴には勝手にしろと思う。だが、そういう輩と仲良く楽しくなんてしようとは思わない。不干渉が俺にとっても相手にとっても最善だ。

「なんで行かないのよ」

「俺はクラス会があるなんて知らなかったし、クラス会に呼ばれてもいない。だから行かない。これが理由だ」

「アタシが誘ったし」

「クラス会って言っても、どうせそこそこ仲の良い奴らだけでワイワイやるんだろ?」

「いや、アタシはクラス全員参加するって聞いてた」

 なんと、俺はクラスメイトの数に入ってさえもいなかったらしい。これは、これからこのクラスでの身の置き方を考え直さなきゃいけない。出来るだけ目立たないようにする方が吉のようだ。

「青島が何を思って誘ってくれたかは分からんが、俺はボウリングもカラオケもやったことがない。だから――」

「ミキ、アタシ、打瀬とグループ組むね」

 おい、人の話を最後まで聞けよ。てか、久しぶりにミキ様が俺を睨んでるじゃねえか。俺の人生終わったらどうしてくれるんだ。

「玲奈、ダセは――」

「打瀬を誘い忘れてたみたいだったから、アタシが代わりに声掛けといた。そういえば、日向さんはグループが決まってなかったよね? 日向さん、うちのグループに誘ってみる」

「そう、分かった」

 お互いにニコニコと話しているが、なんだろう、とてつもない軋轢が生じた気がする。

 青島がミキ様に報告して確認をとったということは、今回のクラス会はミキ様が中心として動いていたということになる。ということは、俺の参加を良しとしなかったのはミキ様だということだ。まあ、それに関しては、ミキ様が俺を嫌っていることを考えれば、当然だと納得出来る。しかし、青島がやったことは、ただ単に人を誘ったという単純なものではない。

 青島はミキ様に盾突いたのだ。

 いくら青島がリア充だと言っても、リア充を取り仕切るミキ様の意思に反するということは、かなりまずいことになる。俺のようにハブられるだけでは済まず、悪意を向けられることもだって十分あり得る。

「青島さん、私も青島さんのグループに入れてもらってもいいかしら?」

「委員長、オッケーいいわよ」

「ちょっと待て」

 何やら国富まで加わって、クラスの内情がぐちゃぐちゃになりかけている。頭のネジでも吹っ飛んだのかな? この二人は。

「二人とも、悪いが俺はクラス会に参加する気は――」

「クラス会は全員参加よ」「強制参加だから」

「……わ、分かりました」

 めちゃくちゃ怖い。国富も青島も、俺をギッと睨んで俺の反論を許さない。ミキ様の睨みが可愛く見えるくらいだ。ちなみにミキ様の顔は全く俺の好みじゃない。

 結局、二人の威圧に負けてしまい、俺はクラス会を辞退出来なかった。しかし、クラス会程度のことでなんであんなことをしたのか理解出来ない。

 ミキ様に盾突くということは、今後の学校生活をまるっと棒に振るようなものだ。穏やかで楽しく学校生活を送りたかったら、まずミキ様に反抗する真似はしない。それに、直接的な関わりの薄い国富ならまだしも、リア充かつミキ様グループ所属の青島がやらかすとは思わなかった。

 まあ、そういうのを一番分かっているのは青島だろうから、青島なりに考えがあるのかも知れない。そもそも、俺が心配するようなことでもないし。

 とりあえず青島の身辺問題は置いておいて、今日の放課後にクラス会とやらがあるらしい。いや、今日って急すぎるだろう。大抵は一週間前から言うものだぞ? あっ……俺以外の他の奴らは誘われてたんだから、前々から知っていたのか。

 それにしても、ボウリングもカラオケも、どっちもルールがよく分からん。というか、どっちも俺はやったことがない。ボウリングもカラオケも、ザ・リア充の遊び! というイメージしかなく、リア充ではない普通の人間である俺には縁の無い遊びだ。

『クラス会のグループ、女子三に男子一とか、ダセ狡いな、いらいら』

 耳に聞こえる音に、俺は言い返したくなる。「渦中に巻き込まれる俺の身にもなれってんだよ、このやろう」と。でも、俺は黙ってどうやってクラス会をサボるか考えを巡らせていた。


 放課後、こっそりサボろうと思っていた俺は、あえなく青島に捕まり無理矢理クラス会とやらに連れてこられた。

 目の前には高く大きな建物。その建物のてっぺんには、巨大なマスコットキャラが鎮座している。この建物は、複合アミューズメント施設と呼ばれる店舗の建物で、俺はこんな施設があることは知っていたが、出来たと聞いてから一度も来たことがない。来る用事もないから、来てなくて当然なんだが。

 複合アミューズメント施設というだけあって、この建物にはボウリングにカラオケ、ゲームセンターからスーパー銭湯まで入っているらしい。スーパー銭湯に期待を膨らませていた男子も居たようだが、つい最近盗撮騒ぎがあったのに、女子が銭湯に入るわけがないだろう。でも、その気持ちは男としては分かるぞ。

「なんだ、この騒がしい空間は……」

 ゾロゾロと店の中に入って行くクラスメイトの最後尾を付いて行き、綺麗に磨かれたガラスの自動ドアを抜けて中に入る。入った瞬間、耳にわんわんとやかましい音楽が響いて思わず顔をしかめた。どうやら店内BGMのつもりらしいが、どこがバックグラウンドだ。音量がデカ過ぎて自己主張強すぎるだろう。

「どうしたの?」

「青島、なんでこんなにここはうるさいんだ」

「うるさい? 普通でしょ?」

 この青島の反応は仕方ない。リア充と普通の人間では感覚の違いがあるのは当然だ。

「確かに、ちょっとうるさいわね」

「はい、ちょっと耳が痛いです」

 近くに居た国富と日向が俺と同じことを口にする。それを見て、俺は青島に「ほれ見たことか」と視線を返す。すると、俺達三人を見た青島は少し眉をひそめる。

「すぐに慣れるわよ。それにボウリングしてたらもっと音鳴ってるし」

「すまん、急用が」

「ダメ」「ダメよ」「ダメです」

 そそくさと退散しようとしたら、青島に腕を掴まれ、国富に進路を潰され、日向にジーッと見詰められる。三人は同じグループのはずだ。同じグループということは、このクラス会の時限定での仲間ということになる。しかしこれでは、仲間というよりも監視者だ。いや、敵と表現してもいいかもしれない。仲間の輪に居るはずなのに四面楚歌。なんか、ドロドロとした女子の友達関係みたいで怖い。

「バカなこと言ってないで行くわよ。この後はカラオケもあるんだから!」

 やけにテンションが高い青島。いわゆる水を得た魚というやつだろうか? まあ、あのミキ様のリア充グループで生きていたのだから、こんな騒がしい環境に来ることも多かったのだろう。

「なあ、青島」

「なに?」

「本当に良かったのか?」

「なにが?」

「ほら、今日のクラス会の主催に盾突いて」

 俺がチラリとミキ様に視線を向けると、青島は意外にもニッコリと笑った。特に心配なんてしていない様子だった。

「今回のミキはちょっとやり過ぎ。いくら打瀬が気にくわないからって、クラスで一人だけハブろうとするのはダメよ」

「……青島って人を思いやれる人間だったんだな」

「はぁ? めっちゃ失礼な奴ね、アンタ」

 心底不機嫌そうに俺を睨む青島。若干背筋に寒気は走ったが、俺は出来るだけ平静を装う。

「まあ取り繕う気は無い。リア充は総じて自分のことしか考えてない、自己中心的な人間だと思ってたからな。でも、青島は俺にも声を掛けたし、日向にも声を掛けてたからそういう奴等とは違うな」

 他人の迷惑を考えず通路のど真ん中で話し込んだり、周りの迷惑も考えず大声で話したり、そういう迷惑行為を迷惑だとも思っていないような輩。それが俺のイメージしていたリア充像だった。まあ、俺が見ている分、ミキ様に関してはそのイメージ通りだが、青島はちょっと違うようだ。

「それは褒めてくれてるってことでいいの?」

「どっちで取ってもらっても構わん」

「じゃあ、褒められてるって取るわ。……ありがと」

 ニコッと笑った青島の顔は、少しだけ嬉しそうに見えた。


 初めてのボウリングということもあり、受付やらなにやらを全て青島に任せる。本来なら男として全てをやるべきなのだろうが、分からないことに対して下手に手を出せば事態を悪化させる未来しか無い。

 カウンターに居るお姉さんと和やかに会話しながら、受付を済ませるなんて無理だ。しかしそれは俺のコミュニケーション能力が底辺なのではなく、平然と出来る青島のコミュニケーション能力が高いだけだ。

 リア充青島の活躍で面倒くさい手続きが済み、俺はボウリングシューズを借りてベンチに座って履き替える。

『てか、あの子も上手くやったよね~、わらわら』

『だね~、ダセと同じグループだし、今頃猛烈アタックしてるんじゃない、はてな』

 聞こえてきた音に反応して首を周囲に巡らせる。周りには同じクラスの奴らがわらわらと居る。それにスマートフォンを扱っている人が多過ぎて、誰が音の元になったメールの送信者か分からない。だが、そのメールの内容はかなり重要なものだ。

 うちのグループに俺のことを好きな人が混ざっているらしい。しかし、それが誰かは分からない。でも、俺と同じグループというと……あの三人だ。

 あの三人が俺のことを好きだとは思えない。でも、メールではあの三人のうちの誰かだと言っているし……。

「打瀬ってこういう所来ないのよね?」

「ああ、来る理由が無いからな」

 隣に座った青島に話し掛けられ、仕方なく会話をする。得意ではないが、こんな完全アウェイの環境で青島にほっぽり出されてしまっては死んでしまう。ここは青島の機嫌を損ねないようにしなければいけない。

「ほら、友達とか……それから彼女、とか……」

「生まれてこの方、友達とか彼女なんて言葉は都市伝説だと思ってる」

「は? どういうことよ、それ」

「友達とか彼女とか居たこと無いってことだよ」

 せっかく俺が自分に対するダメージを最小限に減らすためにぼかしたのに、青島が容赦なく傷口をえぐる。この野郎、ここが俺のホームだったら絶対に俺が優位なのに! まあ俺のホームは自宅だから青島が来ることは無いが。

 何が楽しくて女子に「友達と彼女は居ません」と宣言しなければならないのか分からない。しかし、どんどん憂鬱に落ちていく俺の気分とは違い、他のレーンに居る連中は実に楽しそうだ。

 ボウリングは重たい玉を転がして、レーンの奥にあるピンを倒すスポーツ。俺はボウリングの経験が全くないから楽しさを感じないが、気の合う仲間と一緒にやると楽しくなるらしい。

「あ、あの、打瀬くんはボウリング初めてなんですよね?」

「ああ、初めてだな。ルールもよく分からないな。ボール転がしてピンを倒すっていうのは知ってるけど」

 レーンの奥にあるピンを眺めながら言うと、日向はクスクスと笑って口を手で隠す。日向のそんな様子を見て、なんとなく安心感がある。

「私も初めてだから、ちょっとホッとします」

「下手くそが居ると目立たないからな」

 ニコッと笑う日向にそう言う。不慣れな、人をからかうということをやってみた。が、やって後悔した。

「えっと、ちっ、違うんです! そういう意味ではなくて!」

 ちょっとした出来心でからかってみたが、日向は思いの外動揺して焦りながら否定する。心なしか涙目になっているようにも見えた。

「ちょっと、女子をいじめるってどういうことよ」

 慌てふためく日向を見て青島がギロッと鋭く怖い視線を向け、女子にしては低く抑えた声で言う。日頃、ガアガアとアヒルみたいにやかましい声で話している青島からは想像出来ない。そのギャップが末恐ろしい。更に、反対側に座っている国富からはスッと視線を向けられる。青島のようにギロッとはしていない視線。だが、その視線が大人しいことが逆に背筋に凍えるような寒気を走らせる。

 元はと言えば、俺が調子に乗ったのが悪い。それは百も承知なのだが、それにしたってただでも居心地が悪いのに、それに輪を掛けて気まずい雰囲気になっている。ああ……早く帰りたい。

 堪え忍ぶ俺の耳に、ボウリング場のゲーム開始のアナウンスが聞こえてくる。ふとそのアナウンスの音の方を見ると、俺の座るベンチの近くに設置されたモニターからそのアナウンスが発せられていた。どうやら、レーン毎に個別の機械があって、それがゲームを管理しているようだ。

「まず、アタシが先ね」

 ボールがゴロゴロと転がっている機械の中から、青島がボールを手に取る。何ポンドかは分からないが、軽々持ち上げているのをみると、そこまで思いボールではないようだ。まあ、青島が怪力かもしれないという可能性もあるにはある。

 ボールを持った青島は、ゆっくりレーンの方まで歩いて行き、スウッと息を吸ってからゆっくり吐き、歩きながらボールを後ろに振り上げ、振り子の要領でボールを持った右手を振ってボールを放つ。そのフォームは、プロボウラーのように綺麗なものでは決してない。しかし、その女の子らしいたどたどしい投げ方には、さっきまでの恐ろしさは微塵も無かった。むしろ可愛げがある

「アーッ! 一本残ったぁ~!」

 青島が転がしたボールがピンを弾くと、端に一本だけ残った白いピンを見て青島がそう不満そうに声を上げる。しかし、一本だけしか残らないというのは上手い方なのでは無いだろうか。

 青島が二回目を投げてスペアにした後、国富がまたボールを手に取ってレーンの前に歩いて行く。そして、ボールを青島とさほど変わらないフォームで投げた。だが、青島とは違いボールが並べたピンの左半分以上を残してしまう。それに、二投目でも全てを倒しきれなかった国富だった。しかし、国富は全く悔しそうな表情もせずにベンチに戻って来た。

「どうして真っ直ぐ投げているのに真っ直ぐ転がらないのかしら?」

 今さっき、自分がボールを転がしたレーンに視線を向けて、国富は涼しい顔のままそう呟く。真っ直ぐ転がらなかったのは、真っ直ぐ転がるように投げなかったからだとしか言いようがない。だが、国富の言葉から察するに、多少なりとも悔しさを持っているらしい。何でもドライに処理しそうな雰囲気からしたら、少しだけ意外な感じがする。

「い、行ってきます!」

 今度はバッと激しく立ち上がった日向がそう言いながら、ボールを取るために足を踏み出す。しかし、その動きはぎこちない上に堅い。

 いくつかあるボールを眺める日向は、視線を巡らせてボールを選ぶ。そして、日向は『一五』と数字が書かれたボールを両手で抱えた瞬間、その場でたたらを踏む。

「危ないっ!」

 とっさに一番近かった俺が飛び出して、後ろから日向の持っているボールを支える。日向は後ろ向きに倒れかけていて、背中を俺の胸に預けるように倒れ込んでくる。両腕にはかなり重いボウリングボールの重量が掛かる。更に追い打ちを掛けるように、右腕の方に日向が倒れてきた。

 俺は女子の体というのは柔らかい。それをひしひしと実感せざるを得ない感触に襲われる。倒れ込んできた日向だったが、ボウリングボールの重さにビックリしたのか、既にボウリングボールから手を放している。そして、体を少し右に捻って倒れてきたせいで、俺の右手に胸を押し付けて倒れ込んでいるのだ。今も尚、二の腕にフニョフニョとした柔らかい感触に襲われている。ラッキーではあるが、早く退いてもらわないと両手に抱えた重たいボウリングボールを野に放ってしまいそうだ。そして、解き放たれたボウリングボールが、俺の足のどちらかへ襲いかかってくるであろうことは簡単に予想出来る。

「ひ、日向ィ! ボールを置かせてくれッ!」

「ご、ごめんなさいッ!」

 真っ赤な顔をした日向が腕から離れてくれて、俺はボウリングボールを足へ落とす前にボールを元に戻すことに成功する。それにしても、こんなに重いボールが何で混ざっているんだ。

「日向さん、この七ポンドのボールは軽くて投げやすいよ」

「あ、ありがとうございます」

 真っ赤な顔でアワアワと取り乱している日向に青島がそう優しく声を掛ける。日向は青島のアドバイスを聞いて『七』と書かれたボールを手に持ってレーンの方に歩いて行った。日向を見送った青島は俺の方に歩いてきて、ニコッと俺に微笑む。

「日向さんの胸にデレデレしないっ!」

 満面の笑みで放たれたとは思えない声。しかも、俺が日向をからかった時に聞いた言葉とは打って変わって、良く通る大きな声だった。だが、怒りの含有量は圧倒的に多い。

『ダセが日向のおっぱい触ったって、いかりまーく』

『ダセが日向のおっぱいを揉んだぞ、びっくり、びっくり』

 何処のグループのやつか知らないが、適当な話をメールで拡散している奴が居る。そのメールが聞こえた直後から、隣のレーンに座る女子から鋭い視線を向けられているのはきのせいだろうか?

 日向を助けたはずの俺が、日向の胸を揉んだ変態扱いされている。その現実に晒されながら、俺はレーンの前で立つ日向に視線を向けた。日向は両足を揃えて立ち、胸の下でボウリングボールを両手で抱えている。ジッと並んでいるピンを見ていた日向は、一度コクリと深く頷く。

 ゆっくり歩き出した日向は、両手で抱えたボールを「えいっ」という女の子らしいかけ声と共に、大分不格好に転がす。ゴロゴロと音を立てながら転がっていくボウリングボールは、かなりゆったりとしたスピードで並んだピンの集団に突っ込んだ。ピンの弾かれる軽い音が聞こえたと思ったら、弱々しく弾かれたピン達がバタバタと倒れていく。そして、ボールがレーンの置くに吸い込まれて行った後には一本もピンが立っていなかった。

「日向さん凄い! ストライク!」

「や、やりましたっ!」

 右手を挙げて日向を褒める青島に、日向はその場でピョンピョン飛び跳ねて喜びを表現する。向かいのベンチに座る国富は柔らかい笑みを日向に向けて拍手をしていた。そんな周りの反応を見て、俺はとりあえず右手の親指をグッと立てて日向に向けた。こんな時、俺は青島みたいに黄色い声を上げて体いっぱい喜びを表現するキャラではない。ましてや、国富みたいにニッコリと笑みを浮かべるようなキャラかと言われてもそうでもない。だから、こうやって静かにしてるのがきっと正解だ。

 日向の番も終わると、隣に座る青島に背中を勢いよく叩かれる。

「ほらほら、次は打瀬の番よ!」

 背中にバシンッと走った衝撃に顔をしかめながら、俺は立ち上がってボールを適当に手に取る。こんなものはさっさと投げて転がしてを終わらせるに限る。

 レーンの前まで歩きながら、俺はなんでこんなことをしているのだろうと考える。

 俺と同じグループの中に、俺のことを好きな人が居る。つまり、青島、国富、日向の誰かが俺のことを好きだということだ。それに関しては、正直本当なのかと疑いたくなる。

 それは三人ともそれぞれ可愛い女子だからだ。

 可愛い女子が果たして俺なんかを好きになるだろうか? その大きな疑問が拭えない。しかし、メール等を聞いた情報だけでの判断にはなるが、確かに俺のことを好きな人がこの三人の中に居るらしい。

 好きな人が誰だか分かったからと言って、すぐに「あなたが俺を好きな人ですね。付き合いましょう」なんて話にはならない。だが、今まで人に好かれた経験のない男からしたら気になってしまうのだ。それに、自分を好きな人が誰だか分かれば、それなりに嫌われないようにするくらいの気は遣えるようになる。

 俺は考え事をしながらも、レーンの前に立って視線の先に並んでいるピンを見据える。

「打瀬! 頑張れ!」

「打瀬くん! 頑張って!」

「打瀬くん! 頑張って下さいっ!」

 後ろから聞こえる青島、国富、日向の言葉を聞いて、俺はハッとした。

 最初に、俺が俺のことを好きな人が居ると知ったきっかけのメールで、俺のことを好きな人は俺を『打瀬綴喜』と呼んでいた。

 俺の名前は打瀬綴喜だ。だから、俺の名前を打瀬綴喜と呼んでいることに何の引っ掛かりもない。ただ、その呼び方に引っ掛かりを覚えた。俺のことを好きだという人は、俺のことを『呼び捨て』で呼ぶのだ。そう考えて俺は後ろを振り返る。

 俺にそれぞれ笑顔を向けてくる三人。その三人のうち、国富と日向は俺の名前に敬称を付けて呼ぶ。だが、三人のうち一人だけ俺を“呼び捨て”で呼ぶ人物が居る。

「もしかして、青島?」

 俺はボウリングボールを持ったままそう呟く。その呟きの直後、確かにボールがズシリと重くなった。

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