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【七】

【七】


 人生というものは、先に何が起こるかなんて予知出来ないものである。いや、一六の俺が言っても鼻で笑われるのは分かっている。しかし、一六の人生だろうが一〇〇の人生だろうが、結果は同じだ。

 この世の全ての人が、人生でこれから起こることが分かれば、それは良いことかもしれない。失敗しないだろうし、失敗による絶望もないだろう。だが、現実はそうではないのだ。日々人は失敗を繰り返し、そして一歩ずつ前へ進んで成長していく。

 だがしかし! いくら人生が予知出来ないものだとしても、想像を膨らまして予測することは出来るものなのだ。だから、ある程度のトラブルは回避することが出来るのである。それには人生経験というものが必要だが、現在のこの状況はその人生経験不足だと言われても納得いかない。

「ダセ、ふざけんじゃないわよ!」

 胸ぐらを掴み、もの凄い形相で怒鳴り付ける。もちろん怒鳴り付けられているのは俺。そして、俺を怒鳴り付けているのは、こともあろうかあのミキ様である。

 ことの次第は数分前、俺は普通に学校に登校して教室のドアを開けた。そして自分の席に座ろうとした時だった。横から胸ぐらを掻っ攫われて教室の前に引っ張られ、黒板に背中を押し付けられたのだ。その力は女子のものとは思えなかった。もしかしたら、ミキ様ファンクラブの会員だったらこの状況を楽しめていたのかもしれない。そんなファンクラブが存在するかは知らないが。

「えーっと……何でしょうか?」

「何じゃないわよ! 人間のクズ!」

 どうやら俺が知らないうちに、俺は人間のクズにまで評価がダウンしていたらしい。確かちょっと前は女の敵と言われていた気がするが、評価の暴落加減が酷い。

「ミ、ミキ、落ち着いて」

 青島が止めに入って俺からミキ様を引き離す。助かった、俺の襟首を掴み上げたミキ様がグイグイ自分の胸を押し当てるものだから、ファンクラブ会員ではない俺もやばかった。結構おっきいぞミキ様。しかし、何やら怒っているのにそんなことを考えていたと知られたら、更に怒りを買いそうだ。

 それにしても、何について怒られているのか分からないし、俺にも怒られるようなことは身に覚えがない。そもそも、つい昨日、青島の件で怒られたばかりだ。昨日のことを忘れて同じことでミキ様がまた怒っているとしたら、ミキ様はなんてドジっ子なのだろう。もしそうだとしたら、全く笑える話ではないけど。

「玲奈、なんでこいつを庇うのよ! 昨日の帰り、こいつのせいで泣いてたじゃん! 玲奈に酷いことした上に泣かせるとか――」

「はっ? 泣いた?」

 俺はミキ様から視線を青島に移し、そう口にした。青島は俺の顔を見てハッとし、そして視線を逸らした。

「ミ、ミキ、打瀬は関係ないから! アタシが勝手に泣いただけだから」

 今にも俺へ殴り掛かりそうな勢いだったミキ様を青島が宥める。青島に宥められ引き下がる姿勢は見せたものの、ミキ様は去り際に俺へキッと睨みを利かせてきた。冗談抜きに石にされるかのような、恐ろしく憎しみに満ちた視線だった。

 俺は離れて行ったミキ様を見てホッと息を吐き、やっと自分の席に腰を下ろす。

「打瀬くん、少しいいかしら?」

 俺が自分の席に着いた直後、横から委員長が歩いてきて俺の正面に立った。

「委員長か」

「あら? 私より青島さんが良かったかしら?」

 表情を変えること無くそう言う委員長に、俺は頭を掻いて言葉を返す。

「そんな真顔で言われると、からかってるのかそうじゃないのか判断しづらいんだが」

「安心して、からかっていないわ」

 なるほど、委員長は敢えて俺の傷口を抉ったらしい。委員長に他人の傷口を抉る趣味があるとは驚きだ。しかし、なんで委員長は、他人の傷口を抉りながら深刻そうな顔をしているのだろう?

「少し、ここでは話し難い話なの。付いて来てもらえるかしら」

「ああ、分かった」

 委員長の深刻そうな顔に、理由の分からない危惧を抱きつつ、無言で進む委員長の背中を追って歩く。

 そういえば、ここ数日、青島や日向に降りかかる、男子の策略の未然に防ぐことに追われて、肝心のあのメールの主を探すことが出来ていない。いや、探すどころの状況ではなくなっている。

 最近は、女子に関するトラブルで、俺のイメージは地の底に落ちている。元々あったかどうかも怪しいイメージだが、それでもマイナスへ落ちるのはよく思わない。もしかしたらもう、俺のことを好きでいてくれた人も俺に愛想を尽かしているかも知れない。ああ……もしそうだったらどうしよう。

 気分を落としながら委員長の後を追っていると、例の自動販売機の前に来て、委員長はオレンジジュースを購入し、俺に自動販売機の正面を空ける。

「好きなのをどうぞ」

 俺は委員長の言葉に促され前に出て、釣り銭レバーを下に下ろす。ジャラジャラと小銭が釣り銭口に落ちてきて、その釣り銭を掴み上げて委員長に差し出した。

「流石に女子から奢ってもらうほど落ちぶれちゃいない」

「気を遣わなくても良かったのに」

「気は遣ってない。ただそう言うのが性に合わないだけだ」

 釣り銭を渡して自分の財布から小銭を出して缶コーヒーを購入する。

 オレンジジュースの缶を開けて飲み始める委員長をボケーッと見ていると、缶から口を離した委員長に睨まれた。

「ジロジロ見られると飲みにくいんだけれど?」

「すまん、委員長もオレンジジュースを飲むのかと思って」

「わっ、私だってオレンジジュースくらい飲むわ。一体、打瀬くんは私のことをどういう風に見てたの?」

「いや、洋風だと紅茶だけ、和風だと煎茶だけしか飲まない。みたいなイメージがあったんだ」

「紅茶も煎茶も好きだけれど、オレンジジュースも好きよ」

 若干拗ねた様子で言う委員長は、再びオレンジジュースを一口飲む。そして、オレンジジュースで潤った唇を動かした。

「この紙を見てもらえるかしら」

「ん?」

 委員長はポケットから折りたたまれた一枚の紙を俺に差し出す。紙を受け取って広げると、そこには一言書かれていた。

「男子がエロい。…………えっと、これがどうかしたのか?」

「それ以外にも、男子に対する苦情は沢山あったわ。階段下で女子のスカートの中を覗こうとしたり、体育の時に揺れる胸を指差して歓声を上げたり、そういうものがいくつか委員長会議で話題に上がったの」

「で? これを俺に見せてどうするんだ? あいにくだけど、男子にそう言うのを止めさせる程の権力は、俺に無い」

「分かってるわ」

 自分で言っておいてなんだが、他人から「あなたにそんな影響力ないのは分かってる」なんて言われると、傷付くものがある。

「それとは別に、私の靴箱にこんなものが入っていたの」

 委員長が差し出したのはまた別の紙で、その紙を広げて中身を一読する。

「放課後、ボイラー室の中で待ってます。……これが委員長宛てに?」

「ええ」

「普通に告白したいから来てくれってことじゃないか? ボイラー室ってのが雰囲気ぶち壊してる感はあるが」

 告白と言えば、体育館裏とか屋上とかが定番だが、ボイラー室とは斬新だと言える。

「私はそうは思わないわ」

「なんでそう言い切るんだ? 屋上も体育館裏も人に見られるかもしれないから、ボイラー室なのかもしれないぞ」

「その程度の覚悟で告白されても私は応えないわ」

 委員長は告白にどんな勇気を求めてるんだよ。

 告白というものは、告白するというだけでも相当な覚悟がいるものだ。相手に好きという気持ちを伝えるという、たったそれだけでも心臓が張り裂けそうなくらい緊張するものだ。その告白に輪を掛けて、誰かに見られるかもしれないという別の緊張が加わってしまっては、まともに自分の気持ちなんて伝えられるものではない。だから、出来るだけ人が近寄らない場所ということを考えてのボイラー室なのだろう。

 そもそも、直接呼び出して告白しようというのだから、そこには最低限の勇気を振り絞ったということだ。それは評価出来るのではないだろうか? ちなみに、俺は生まれてこの方、告白なんてしたことがない。

 理由は、告白が失敗すれば、それまで築いてきた相手との関係が崩れ去るからだ。

 学生の告白というのはそういうものなのだ。たとえ「恋人にはなれないけど、今まで通り友達で居よう」なんて定番の返しが返ってきても、十中八九、気まずくなって疎遠になるに決まっている。更に、相手が相手を思いやれる人格者なら良いが、そうでない場合は、告白されたことを面白可笑しく話されて、学校中の笑い者にされるリスクまである。

 そんなことをするくらいなら、告白しないほうが断然マシだ。決して、俺は告白する勇気のない根性無しではない。リスクマネージメントが出来る思慮深さを持った人間なのだ。

「それで、俺はこれに関してどうすればいいんだ?」

「一緒に、ついてきてもらえないかしら?」

「…………なんでそうなる?」

「だって、差出人の名前も無いし、パソコンで印刷したものだし、明らかに怪しいわ」

「差出人不明なのか。それを先に言ってくれ」

 確かに、差出人不明という点は怪しさを感じる。それに、言われてみれば、告白の文は書かれていないにしても、想い人に宛てた手紙で印刷物というのはどうなんだろうと思う。字が汚くて見られたくなかったのだろうか?

「正直、委員長会議で男子の話題が上がってから、男子全員がケダモノに見えて仕方がないの」

「ケダモノね」

 まあ、委員長の表現もあながち間違いではない。

 高校生の思春期男子なんて、女子のパンチラに日夜情熱を燃やすような生き物だ。女子から見ればケダモノに見えても仕方ないだろう。

「…………委員長、ひとつ聞いていいか?」

「何かしら?」

「俺も、男子なんだけど?」

「そうね」

「いやいや、そうねって。男子全員がケダモノに見えるんだろ?」

 それとも何か、俺は男子のカテゴリーにさえ入っていないということなのか? 何? 俺は女の敵から人間のクズになって、今度は性別まで取り上げられたの?

「打瀬くんは、他の男子とは違うじゃない」

 視線を露骨に逸らして言う委員長。これは苦し紛れに言ったパターンだな。これはせめて俺の性別くらいは守らないといけない。

「委員長、俺だって男だ。女子には並の男子程度には興味がある!」

 そう言ってから思う。あれ? 何か違わないか、と。いや、俺が男子であるという証明の言葉としては間違ってはいない。だが、絶対に何か違う気がする。

「えっ!?」

 俺の言葉を聞いて、顔を真っ赤にして委員長が一歩後退る。この反応で、俺の懸念が的中したことが分かった。

「引くな! 俺も男だということを言いたかっただけだ。どうやら、委員長の男子カテゴリーに俺が入ってないみたいだったからな。男の尊厳を守らせてもらった。それだけのことだ。だから、頼むから俺をそんな目でことを見ないでくれ」

 赤ら顔でジーッと俺の様子を窺う委員長に、両手を挙げて自分が無抵抗で無害であることを示す。なんで、警察官に追い詰められた犯人みたいな状況になっているんだ……。

「打瀬くんが男子ではない、という意味で言ったのではないわ。打瀬くんは、他の男子みたいにケダモノではないという意味よ。自分の仕事ではないことも手伝えて、ボランティア活動にも嫌な顔をせずに参加出来る打瀬くんは悪い人ではないという意味よ」

「い、委員長……」

 思わず泣きそうになる。ここ最近、女子から冷たい視線や重い罵詈雑言を浴びせられていたせいか、不意に自分のことを認めてもらえると感極まるものがある。まだ一〇代のはずなのに涙腺が弱くなってきたのかもしれない。

「と、ところで、打瀬くんは女子の下着に興味があるの?」

「ああ、多分にあるな。あっ……」

「ふぅーん」

 ホッとした時に投げられた質問に、俺は正直に答えてしまう。そして、委員長はジトーっとした目をこちらに向けてきた。

 しまった、安心したところにあんな質問を投げて来るなんて、委員長は相当な策士だ。

「そう、でもやっぱり他の男子とは違うと思うわ。それに、興味が無いというのも困るし」

 ウンウンと頷く委員長は、どうやらそこまで悪い印象を持たずに納得してくれたらしい。まあ、男子が女子に興味がなくなるのは困るよな、少子化という社会問題的な意味で。

「それで、付いて来てもらえるのかしら?」

「分かった。委員長が不安になる理由にも納得がいったし、普通に相手が告白するんだったら、俺は帰ればいい話だしな」

 もし本当に告白だったら、告白する相手からしたら、かなり気まずい状況にはなるだろう。だが、こんな怪しまれるようなことをしたそいつが悪い。

「良かったわ。放課後、よろしくお願いします」

「ああ」

 丁寧に頭を下げた委員長は頭を上げて、少し俯いてから視線だけをこちらに向ける。

「もう一つあるのだけれど」

「まだ何かトラブルがあるのか? よくトラブルに巻き込まれるな」

「いいえ、トラブルではないのだけれど…………委員長というのを、止めてもらえないかしら?」

「ん? 委員長というの?」

「私のことを委員長と呼ぶのを止めてほしいの」

「なんで?」

 俺がそう聞き返すのも無理はない。何故なら、委員長は委員長だからだ。

 うちのクラスの連中は、女子の一部を除いた全員が委員長を委員長と呼ぶ。委員長を委員長と呼び始めたのはいつからで誰が呼び始めたのかは分からんが、いつの間にか定着していた。だから、委員長というのは、うちのクラスで委員長を指す共通の呼び名なのだ。それをいきなり委員長と呼ぶなと言われても、何と呼べばいいのかよく分からん。クラス委員長の方がいいのだろうか? それともリーダー? まさか委員長様と呼ばれたいのだろうか? それは、今度は俺の方が困る。何かいけないものに目覚めそうだ。

「ほら、打瀬くんは青島さんや日向さんを苗字で呼んでいるじゃない? だから、私も委員長ではなく苗字で呼んでほしいのだけれど」

 両手の人差し指をツンツンと合わせ、視線を逸らしながら言う委員長。なんでそんな言い辛そうに言うのだろう。言い辛かったら言わなければいいのに。

「じゃあ、国富って呼べば良いのか?」

「そう!」

 パッと明るく笑う国富に、俺は一瞬目を奪われた。ニッコリと微笑む笑顔は何度か見たことがある。しかし、こんなに嬉しそうに年相応の女の子らしく笑うのは初めて見た。よっぽど、苗字で呼ばれたのが嬉しかったらしい。これはもしや……ミキ様も苗字で呼べば機嫌が良くなり俺に怒らなくなるかもしれない。しまった……ミキ様の苗字なんて俺は知らなかった……。

「では、また放課後」

「ああ」

 女の子らしい笑顔で手を振って去っていく国富に手を挙げて答える。そして、国富の姿が見えなくなってから、腕を組んで考え込む。

 さて、どうやってミキ様の苗字を入手しよう。


 眠たい授業をなんとか堪え、俺は終了のチャイムを聞いて背筋を伸ばす。今日も俺は勝った。今寝ている奴ら全員に。

「打瀬くん、申し訳ないのだけれど、少し用事を済ませてくるから待っていてもらえるかしら」

 授業が終わり、国富が俺の席に近付いてきて、そう言って頭を下げる。特に、頭を下げられるようなことでもない気がしたが、出来るだけ国富が気に病まないように軽く答えた。

「分かった」

 国富が歩き去るのを見送って、俺は欠伸を噛み殺すために目をギュッと瞑る。そして、再び目を開いたら、目の前に青島が居た。

「うわっ! びっくりしたー!」

 目の前に人が立ってるなんて思ってもいなかったから、心臓が止まるかと思った。俺はフッと息を吐いてびっくりした心を落ち着かせ、目の前に居る青島に視線を向ける。

 ジーッとこちらに視線を向け、口を真一文字に結んでいる。そして、若干眉間にシワが寄っている。これは何やら怒っている顔に見える。しかし、俺は青島に怒られるようなことを……したな、かなり。

「青島の怒りはごもっともだ。しかし、悪気があったわけではないんだ。あれは不慮の事故と言うやつで」

 つい最近、悪気がないという言い訳を論破した記憶もあるが、俺の方は本当に悪気がなかったのだから、言い訳ではなく弁解に有効な理由だ。

「何のこと言ってんの?」

「この前の蜂の件だ」

 俺がそう言うと、カッと顔を真っ赤にした青島は、左右に激しく首を振った。

「それは全然怒ってないわよ。ちょっと恥ずかしかったけど、打瀬が悪いわけじゃないし」

「そうか。……じゃあ、何に対して怒ってるんだ?」

「別に怒ってないわよ!」

 俺の質問に声を荒らげ反論する。そういうのを世間では怒っていると言う気がするのだが。

「じゃあ、何か用事があるのか?」

「委員長と、放課後何かあるの?」

「ん? 国富にちょっと頼まれ事をされたんだ。それの手伝いだな」

 みだりに個人情報を漏らすわけにはいかない。俺に守秘義務はないが、人として最低限のマナーというやつだ。詳細に話すと、国富も学校で生活しにくくなるだろうし。

「国富、ねぇー。打瀬って委員長と仲良いの?」

「俺と国富か? うーん、仲は……普通のクラスメイトだな。特別、仲が良いわけではない」

「そっか、分かったわ」

 そう言って歩き去っていく青島。いや、分かったって何が? 俺は何も分かんなかったんだけど?

 青島が去ってしばらくしてから国富が戻ってきた。

「では、行きましょうか」

「おう」

 国富に声を掛けられて椅子から立ち上がり、前を歩いていく国富の後を付いていく。

 目的のボイラー室は、学校敷地内の端っこにあり、校舎から少し離れている。更に校門からもグラウンドからも遠いため、ボイラー室に用事のない人はまず近付かない。それこそ、ボイラーを扱う用務員か、ボイラーを修理点検する業者くらいだ。

『今日のカラオケ、友達に女の子をめっちゃ呼んでもらったぜ、ぐっ』

『今日の部活、先生来ないんだってラッキー、ぴーす』

 聞こえるメールにも不穏なメールはない。男子達も日向の一件で危険を感じて大人しくなってくれたのかもしれない。

 校舎を出てしばらく歩いてボイラー室に着くと、とりあえず俺が先に中に入る。国富は不安がっていたし、俺が何も危険がないことを確認するためだ。

 ブロックを組んで作られた建物のボイラー室だが、上にある蛍光灯のおかげで薄暗さはあまり感じない。しかし、その蛍光灯のおかげでボイラー室の小汚さはよく分かった。周囲に置かれている棚には埃が溜まっているし、金属で出来ている部分は何処も錆だらけだ。

「打瀬くん、入ってもいいかしら?」

「ああ、まだ誰も来てないな」

 ドアが開いて国富が入ってくるのを見ながら答える。中に入ってきた国富は、ボイラー室の様子に眉をひそめてから俺を見る。しかし、国富が俺を見た瞬間だった。

 ガタンと言う大きな音が聞こえる。そして、耳にあの音が聞こえた。

『作戦成功、びっくり、びっくり。ターゲットを閉じ込めたぞ、びっくり』

「くそっ!」

「えっ?」

 国富の脇をすり抜けてドアの取っ手を掴む。そしてドアを押し開けようとするがビクともしない。

「打瀬くん?」

「誰かに閉じ込められた!」

「えっ!?」

 何度も押したり引いたりを繰り返すが、やっぱりビクともしない。そして、ボイラー室に唯一ある小窓に視線を向けると、中を覗き込む男子の顔が一瞬見えた。

「おい! 開けろ!」

 すぐに小窓に駆け寄ってそう叫ぶが、既に男子は逃げ出して小窓から見える範囲には居なかった。

『緊急事態発生、びっくり、びっくり。ターゲット以外にボイラー室内にはダセが居る、びっくり、びっくり、びっくり』

『またダセか、びっくり、びっくり』

 またダセかじゃねえよ! あいつら、いたずらがエスカレートし過ぎだ!

 頭を掻きむしりながら俺がふと視線を下に向けると、小汚いボイラー室には不釣り合いな、綺麗な紙箱が置かれているのが見えた。その箱には不自然に開けられた穴もある。俺は箱の前にしゃがみ込み、箱の蓋を開けた。

「や、やだ……何これ……」

「ビデオカメラだな」

 小さめのデジタルビデオカメラが箱の中に入っていて、今まさに電源が入って撮影されている状態だった。俺はとりあえず撮影を停止して保存されたデータを消す。そして、バッテリーパックを抜いて箱の中に戻した。

 一度立ち上がり視線を周囲に向けていると、ボイラー室の周囲に作られた棚に、一部分だけで埃が積もっていない場所を見付ける。その棚に近付いて、棚に載せられた工具類を掻き分けると、奥に親指程度の小さな機械が置いてあった。

「小型カメラか」

 その小型カメラの電源も切って、俺はさっきの箱の中に仕舞う。

 どうやら、国富の靴箱にあの手紙を入れたのは例の男子集団だったらしい。奴らのやり取りを聞くことがなかったから分からなかったが、どうやら次のターゲットは国富になったようだ。

「これ……どういうつもりで」

「…………下のカメラは、多分、下からスカートの中を狙うため。上に置いてあった超小型カメラの方は何が狙いかは分からん」

「き、気持ち悪い……」

「俺も同感だ」

 こればっかりは、いくら男の俺でも同意しかねる。明らかに度が過ぎている。女子を閉じ込めて盗撮しようなんて、いたずらでしたでは済まされないレベルの話だ。

「他には無さそうだな」

 他にカメラ類が無いかボイラー室を調べるが、さっき見付けた二台以外は見つからなかった。

 捜索を終えて壁にもたれ掛かって一息吐く。かんぬきがかけられてドアが開かないし、唯一設けられた小窓は鉄格子が外側に付いているし、そもそも人が通れる大きさじゃない。それに、ここは滅多に人が通らないボイラー室。誰かが助けに来てくれるとも限らない。

「せめて、かんぬきくらい開けてから逃げろよ」

 居なくなってから言っても仕方のないことだが、苛立ってついそう口にしてしまう。

「もしかしたら、青島さんが心配して来るかもしれないわ」

「青島が?」

「ええ、用事を済ませた帰りに会って、打瀬くんと何か用事があるのか聞かれて、ちょっとボイラー室に呼び出されて不安だから一緒に来てもらうって伝えたの」

「言っても良かったのか?」

「ええ、青島さんはとても良い人よ。そういえば、青島さんも打瀬くんに用事があったみたいよ?」

「青島が俺に? 全く見当もつかないな」

 まあ、国富の件に関しては、国富が自分で言ったんだったらいいのだろう。青島の用事とやらも気にはなるが、今はこの状況をどうにかする方が先だ。

 青島が俺達がここに居るのを知っているとしたら、なかなか戻って来ない俺達を心配した青島がここに来てくれるのを待つしかない。痺れを切らして帰ってしまう可能性もあるが、今は青島の良心に懸けるしかない。

「キャアッ!」

 突然、大きな音を出して動き始めた機械に驚いて、国富は悲鳴を上げて俺に飛びつく。腕にフワッと柔らかい感触を抱いて落ち着かない。

「く、国富、大丈夫か?」

 この状況で邪な思考に支配されないように、グッと体に力を入れて、それからスッと力を抜いて一緒に頭の中の思考を抜き取る。大丈夫、誰も俺に抱き付いてなんていない。体に柔らかい胸の弾力なんて感じてない。それにしても、女の子って柔らかい……無理だ、この状況で考えるなというのが無理な話し過ぎる。

「不味いな……コンプレッサーが動き出して、その熱で室温が上がってきた」

 このボイラー室は人が二人入るには少し狭い空間だ。その空間に俺と国富が居る上に、熱を放出するエアーコンプレッサーが動き始めた。そのせいでボイラー室の室温が急上昇する。

「とりあえず、上着だけでも脱がないと、熱中症で倒れる」

「そ、そうね」

 俺も国富も額に汗を滲ませる。出来るだけ体温を上げないように、上着を脱いだ時、俺はさっきの超小型カメラについて納得がいった。

 超小型カメラは、このボイラー室を見下ろすように置かれていた。そして、コンプレッサーが動いて室温が上がったボイラー室内に閉じ込められた人は、熱を逃がすために服を脱いで薄着になる。それが、奴らの狙いだったのかもしれない。

「打瀬くん、ごめんなさい」

「なんで国富が謝るんだよ。悪いのは、こんなことを考えたバカだろ」

「でも、私が打瀬くんに相談しなかったら、打瀬くんは巻き込まれずに済んだわ」

「いや、相談してもらって良かった。こんな状況、一人じゃめちゃくちゃ怖過ぎる」

 いつになったら出られるか分からない、この状況。男の俺でもかなり不安だ。そんな状況にたった一人で立たされなかったのだから幸運だったのだ。それは、俺にも、国富にも言える。

「やっぱり……打瀬くんは他の男子とは違うわね」

「まあ、少なくともこんなことを考える奴とは違うな」

 ニッコリと笑ってみるが、頬には汗が伝うのが分かる。これはちょっとどころか相当まずい。

 閉じ込められてからしばらく待っていても、人が来る気配はない。前に座り込んでいる国富も、髪が頬に汗で張り付いていて表情も暗い。

「大丈夫か?」

「え、ええ……」

 コンプレッサーからの放熱は凄まじく、俺はワイシャツを脱いで下に着ていた半袖のTシャツ一枚になっている。しかし、国富はブラウスを脱ぐわけにもいかず、見るからに暑そうだ。

「国富、脱げよ」

「えっ!?」

「変な意味でじゃない! その格好じゃ暑いだろ。Tシャツ一枚の俺でも暑いのに」

「でも、流石に下着姿には……」

「俺は壁の方を向いてるから、人が来たらすぐに着れば問題ないだろ? 心配なら俺は頭にワイシャツを巻いておく」

「それはダメよ! そんなものを頭に巻いたら暑さで倒れてしまうわ!」

「倒れそうなのは国富の方だろ」

「それは……」

 俺は背中を国富に向ける。そして、ブロックで出来た壁に向かって話し掛ける。

「俺にはブロックしか見えてない」

「……じゃあ、人が来るまでの間だけ」

 国富がそう口にすると、パチンというスナップボタンを外す音がして、スルリと言う布擦れ音が聞こえる。おそらく、襟首に付けたリボンを外したのだろう。なんだろう、見えてない分、音で想像が膨らみ、これはこれで良くない気がする。

 プツリプツリと掛けボタンを外す音が聞こえ、そしてシュルリと布擦れ音が聞こえた。

「フゥー……」

 国富が息を吐く音が聞こえた。その直後、気のせいか室温が二、三度上がった気がした。そのせいで体が熱くなり、俺もTシャツを脱いで上半身裸になる。どうせ国富も背を向けているだろうし、問題ないだろう。

「どうして、私だったのかしら」

「いきなりどうしたんだ?」

「だって、他にも女子は居るじゃない。それなのになんで私なんかを撮ろうとしたのかしらって思って」

「そりゃ、国富が可愛いからだろ」

「えっ?」

「えって、まあそういうのを自覚してるタイプではないしな」

 相変わらず灰色のブロックしか見えないが、俺はそのブロックに話を続ける。

「国富は、いっつも真面目だろ? 真面目なことは全く悪くはない。けど、周りからしたらちょこっと堅く見えるんだよ。だから、取っ付きにくいって感じてる奴らは多いと思う。実際、俺もそうだったしな」

「そ、そうだったの……私は、怖かったかしら?」

「あー、まあ怖かったか怖くなかったかと言われると、ちょっと怖かったな。でも、それは真面目さからくるものだし、今は全く怖くないしな」

 正直、キッと睨まれたら今でも怖いと確信出来るが、そこは嘘も方便というやつだ。

「その堅さを抜きにしたら、国富は美人で可愛い女子だからな。男が興味を持つのは当然だ」

「でも、あまり良い男子には持たれなかったようね。あまり喜べないわ」

「確かに今回は変な奴に目を付けられたかもしれないけど、きっと良い奴も国富に興味を持ってるはずだ」

「打瀬くんは、どう?」

「俺? ああ、国富は可愛いから興味あるある。女子としての魅力以外にも、国富は良い奴だからな。仲良くなりたいと思うよ」

 なんせ、圧倒的な女子勢力から嫌われてる俺にも普通に接してくれているのだ。そんな人格者、嫌いなわけがない。

「打瀬くん、そっちは暑くない?」

「いや、大丈夫だ」

「こっち、ドアの隙間から風が入ってくるの。だからもう少しこっちに来た方が良いわ」

「じゃあ、少しだけ」

 お言葉に甘えて、少しだけドア側に近付く。小窓は開けているが、体で感じられる程の風は抜けていない。ブロックの壁に近付いていると、自分の熱気が跳ね返って更に暑かった。

「もう少し、こっちに来ても良いわ。もう少し……もう少し……」

 国富の声に従って移動していると、背中にペタリと何かが触れる感触がした。少し湿っているが滑らかな感触。しかし、その中に違う感触がある。

 細長い帯状の何かで、ちょうど背骨の辺りに固い出っ張りがある。

 …………まさか。

「ご、ごめん!」

「あっ……」

 俺が背中で感じていた滑らかなな感触は国富の背中で、しっとりしていたのは、互いに汗を掻いていたからだ。そして、細長い帯状の何かは、あの、女子の胸を保護するための胸部下着。いわゆるブラジャーのサイドベルトとホックの感触。まずい、想像を膨らませたら熱が上がって頭がクラクラしてきた。

「ケダモノのような男子からそういう目で見られていたのはショックだったわ。でも、あなたに、打瀬くんに可愛いと言われたのは、とても嬉しかった」

「ヒッ、ヒィィィッ!」

 ピトッと背中に触れる柔らかい二つの膨らみ。俺の両肩に添えられる細く綺麗な国富の両手。国富がブラジャーに包まれた胸を俺の背中に付けている。イッ、イカン! 暑さで国富の頭がおかしくなって来てる。

「国富、大丈夫か!? しっかり気を持て!」

「ちゃんと持っているわ。私は冷静よ」

 冷静な女子が、男子に胸を当てるわけがないだろう! 暑さのせいで意識がもうろうとしているに決まっている。それ以外に、あの真面目な国富がこんな痴女みたいな行動を取る理由が思い付かない。

「落ち着け! もうすぐ助けが来るから!」

「打瀬くん、私は――」

「打瀬! 委員長! 大丈……夫?」

 状況は見えない。だが、ある程度予想がつく。唯一の頼みだった青島が来てくれて、かんぬきのかかったドアを開けてくれたのだ。……本当に、助かった。

「青島、助かった!」

 俺は振り向かずに青島へ感謝の言葉を口にする。

「打瀬、聞いてもいい?」

「お、おう」

 しかし、聞こえた青島の声は冷ややかだ。……何故?

「なんで、委員長と二人っきりなわけ?」

「いや、国富に付き添ってたら、誰かのいたずらで閉じ込められて」

「なんで、二人とも上半身裸なわけ?」

「コンプレッサーが動き出して、中が暑かったんだ。服を着たままだったら、熱中症になるかもしれないだろ?」

「じゃあ、なんで委員長が打瀬に抱き付いてるわけ」

「…………暑さでおかしくなったから?」

「そんなわけないでしょうが! この変態!」

「イテッ!」

 後ろから小突かれて、両手で頭を押さえる。痛い、めっちゃ痛い。青島の奴、思いっ切りゲンコツで殴りやがった。ただでもクラクラしてた頭が余計にクラクラする。

「委員長も打瀬もとにかく上を着なさい!」

「あ、ありがとう、青島さん」

 青島に促され、俺もTシャツとワイシャツを着る。

 着替えを終えてボイラー室から出ると、国富が俺が見付けたカメラを青島に見せて事情を説明してくれる。その事情説明が終わった後に、青島は物凄く怖い顔をしてカメラを睨み付けた。

「ホント、サイテー。こんなことして女の子の下着を撮ろうなんてッ!」

「打瀬くんが居なかったら、私は一人で心細かったし、このカメラにも気付かなかったと思う。だから、打瀬くんは悪くないわ」

 ありがとう国富。国富が庇ってくれたらきっと青島も――。

「それはそれ、これはこれよ。どんな理由があろうと、暑さで冷静な判断が出来なくなってた委員長にあんなことさせるなんて打瀬も最低よ」

 女の敵からに人間のクズになり、危うく性別を失い欠け、そして最低になった。

 最低というのは、最も悪いということだ。それ以上の罵倒はあるのだろうか……。

「ごめんなさい、打瀬くん。必ず、青島さんの誤解は解くわ」

 青島は俺を無視して歩き出し、隣に居る国富はそう言ってくれる。その心強い国富の言葉だけが頼りだった。

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