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【五】

【五】


 フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーは言った。「理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる」と。

 ドイツ生まれのユダヤ人天才理論物理学者アルベルト・アインシュタインは言った。「常識とは、一八歳までに身に付けた偏見のコレクションである」と。

 そして日本の男子高校生、打瀬綴喜は思う。「偏見は、とりあえずこの世から滅亡しろ」と。

『ダセが青島さんの下着を見るために、ホースで水を掛けて泣かせたってマジ、びっくり、はてな』

 朝、学校に来てからそんなメールが何度も聞こえてくる。明らかに偏った意見、偏見にとんでもない尾ひれが付いた結果である。

 ルソーが言ったように、僅か一日で群れをなして襲ってきて、アインシュタインが言ったように、いや、意味合いは違うが一八歳未満の高校生が通う学校全体の常識になりつつある。

 ダセ綴喜は変態である。と……。

 もちろん俺は打瀬綴喜であるが、学校全体的にはダセ綴喜なのである。だから、そんな強がりは全く意味をなさない。ただ、幸いなのは……。「掃除の時に水が掛かっただけで、打瀬は濡れたアタシに体操服を貸してくれたの」そう、噂話の中で被害者になっている青島が、噂について聞かれる度に否定してくれていることだ。しかし、しばらくは落ち着くことはないだろう。

 教室の外に出れば変な目で見られるし、酷い時は聞こえるように「変態」と言われることもある。実際、教室に来るまでに変態という言葉を三回は耳にした。

「打瀬、その……昨日借りたタオル」

「あ、ああ、ありがとう」

 俺の机の前に立って両手でタオルを差し出す青島。その青島だが、何だか笑顔がぎこちない。

「その……ごめん。アタシのせいで変なことになっちゃって」

「青島が悪い訳じゃないだろ。それに人の噂も七五日って言うしな」

 あれ? 七五日ってことは、二ヶ月弱も変態扱いされないといけないの? いくら俺が我慢強いとしても、本当にその間に常識化しちゃうんじゃなかろうか?

「あれ?」

「えっ?」

 ふと、俺は違和感を抱いて体を机の上から起こした。その俺を見て青島は首を傾げる。

「青島、とりあえず俺が今から青島に尋ねるが、多少気分を害しても水に流してくれると助かる」

「えっ? う、うん」

「青島、香水変えたのか?」

 俺が抱いた違和感は、青島が近付いてもキツい香水の匂いがしなくなったことだ。ただ、香水の匂いが全くしない訳ではない。だが、それはキツく甘い香りではなく自然で爽やかな香りだ。

「わ、分かる!?」

「ああ、何かキツくない自然な香りだったからな」

「そっか、分かるか~」

 ニコニコと笑って自分の香りを嗅ぐ青島は何だか嬉しそうだ。

 女性は髪型を変えた時に男に気付いてもらえると嬉しい。と、聞いたことがある。それは香水を変えた時にも適応されるのかもしれない。たとえ、気付いた奴が変態と呼ばれている俺でも。

 男からしたら「私の匂いとか嗅いでたの? キモッ!」なんて思われるんじゃないか。と思うが、実際のところはそんなことはなかったらしい。まあ、相手が青島だったからかもしれないが。多分、ミキ様に言ったら問答無用で学校社会から抹殺されるだろう。

「じゃあ、また」

「お、おう?」

 リア充青島と非リア充俺がもう一度関わることがあるとは思えないが、とりあえず相手に合わせて返事を返しておく。

 さて、噂が消えるまで二ヶ月弱待たないといけないようだから気にしても仕方がない。俺は俺で他に考えないといけないことがある。

 国富朱里、日向閑琉、青島玲奈。この三人が現時点で分かっている、俺の名前を正しく覚えている女子。俺のことをメールで好きと言った可能性のある女子だ。しかし、俺の名前を正しく覚えているというだけでは根拠にはならないし、絞り込むどころか増えていく一方である。

 それに三人とも美人であったり美少女であったりするから、その点を考えると、三人が俺のことを好きだという可能性は大分薄い。いや、ほとんど無いんじゃなかろうか。

 人に好かれるということは早々あるものじゃない。ましてや美人美少女からなんてもっと有り得ない話である。俺が物凄くイケメンでスポーツも勉強も出来るような完璧超人ならその限りではないが、現実は、変態扱いされる人間である。

 しかし、あの三人であろうがなかろうが、自分を好きな人が居ると知った以上、気にするなという方が無理な話だ。無理な話であるからして、探したいと思うのは当然の流れなのだ。

『てか、ダセずるいよな~。俺、結構、青島のこと可愛いと思ってたからさ、けっ』

『だよなー、アイツだけいい思いするのはズルイ、いかり』

 今日はどうやら繋がりのあるメールが聞こえる日のようだ。まあ、聞こえるメールは俺に対する意味の分からない文句だが。

 確かに女子のブラジャーを、透けたブラウス越しだとしても見たという事実は、神風を日夜追い求めている思春期男子からしたら羨ましいことだろう。何故なら、ブラジャーにはパンツよりも希少価値があるからだ。

 スカートは風で捲れ上がる可能性もあるし、もう過去の遺産となったスカート捲りでも見ることは出来る。しかし、ブラジャーに関してはよっぽどのことがない限り、学校内で見ることは出来ないだろう。実際、俺も青島の件以外では見たことないし。だから、思春期男子がブラジャーに思いを馳せることを否定はしないが、それで怒りの矛先が俺に向くのは肯定出来ない。

『そうだ、こうなったら俺達も見ようぜ、びっくりびっくり』

『見るって、女子のパンツとかブラジャーをか、わらい、はてな』

 おいおい、わらい、はてな……じゃねえよ。それって犯罪じゃないか!

『いや、ただ見るだけじゃない。女子の恥ずかしい場面を画像と動画に残すんだ、びっくり』

『そうだな、ダセは記憶のフィルムだが、俺達はマジ物のフィルムに残しちゃうか、わらい』

 いやいや、残しちゃうか、わらい……でもねえよ! 何か変なスイッチ入ってるんじゃないか!?

『とにかく人手が必要だ。拡散して人を集めよう』

 メールが聞こえる能力のせいでとんでもないことを聞いてしまった。このメールのやり取りをした二人に加え、何人かの男子が、女子の恥ずかしい場面を画像と動画に撮る気らしい。しかし、いつ誰にどんな手段を使ってやるのかは分からない。だが、知ってしまった以上、見て見ぬ振りをするわけにもいかない。

 本当は早く俺のことを好きな人を探したいのだが、それは一旦置いておくしかないようだ。

 どうにかして、男子のアホな行動を止めないと。

『おし、こっちは六人確保出来た、きりっ』

『こっちは四人だ。だが、使えそうな精鋭ばかりだぜ、にやり』

 決意してから人を集めるのが早いし、集まった人数も意外と多い。それに精鋭って、この学校にはそんなレベルの高そうな変態が四人も居たのか……。日本の学校、大丈夫?

『よし、これより作戦説明を始める。以降、この作戦はゲリラシチュエーション作戦と命名する、けいれい』

『イエッサー、けいれい』

 何でこうなったかは分からないが、女子の恥ずかしい場面を巡って、変態達と戦うことになってしまった。

 ああ、これだと俺まで変態みたいでなんかヤダ、なみだ。


 ゲリラシチュエーション作戦の概要はこうだ。

 ”とりあえず、女子を徹底マークして恥ずかしい場面が起きたら撮る。”

 何ともアホ臭い作戦である。いや、もはや作戦と呼べるかさえ怪しい。しかし、作戦がシンプルであるからこそ、男子達がどこで行動に出るか分からないという弊害がある。だが、マークの対象となる女子が判明した。というか、メールで名前が出てきたのだ。

 男子達のターゲットは青島玲奈。どうやら話のきっかけになった人物である上に、彼女が常に派手な女子達と行動していることで、その他の女子も一緒に狙えるからということらしい。

 いつ狙うのかは分からないが、狙う相手が分かっていれば幾分対処のしようもある。しかし問題なのは、青島よりもあのミキ様だ。

 青島ずぶ濡れ事件以来、何故か分からないが、ミキ様は俺と目が合うと威圧してくる。そして近くを通っただけでも睨み付けるという念の入れようである。

 まあ、確かにミキ様からすれば、俺が居なければ青島ずぶ濡れ事件も起きなかったし、そのせいで担任から説教されることもなかったのだ。全面的に悪いのは、ふてくされてホースを放り投げたミキ様だが、いつだって大勢は正義で小勢は悪なのだから仕方ない。

 なんか、そんな覇者のようなミキ様が居れば、俺が動かなくても男子達は怖じ気付くのではないかと思う。しかし、やっぱり動かないわけにはいかない。

 それはさて置き、狙われている青島はやっぱり楽しそうにリア充同士で話している。教室内なら人も多いし早々狙われることはないだろう。

『配置についた。机の前に立ってる女子が邪魔でターゲットのスカートの奥は確認出来ず』

『了解。ターゲット補足まで、その女子のふくらはぎから膝裏にかけて、可能であれば太腿も撮影せよ』

 青島と、青島の正面に居る女子から目を離して視線を移動させると、若干ニヤついた表情でスマホを持っている男子を見付けた。

「あいつか……」

 まさか教室の中で狙ってくるとは思わなかった。しかし、メールでやり取りしているお陰で位置がバレバレだ。

「よう、何してるんだ?」

「うお、ダセか。ちょ、ちょっとな」

「へえー、ゲームか何か?」

「いや、これはゲームというか男のロマンというか」

「男のロマンか~俺も男だし気になるな~」

 スマホを持った男子の真正面に立ち、しゃがみ込んで話し掛ける。目の前の男子は苦笑いを浮かべながらスマホをさり気なく移動させる。だが、俺もさり気なく体を動かして、スマホのカメラを遮るようにする。

 青島の正面に別の女子が立っているから青島が撮られることはない。しかし、別の女子は撮られているわけで、それを見て見ぬ振りすることも出来ない。

「ダセ、男として頼む、とりあえず俺を一人にしてくれ」

「そうか、じゃあ仕方ないな」

 男子の申し出を受け入れて立ち上がると、次の授業の担当である数学教師が黒板の前に立った。

「おーし、お前ら席に付け。授業始めるぞ~」

「クソッ、なんてタイミングの悪い!」

「タイミングがどうした?」

「いえ! 何でもありません!」

 スマホを持っていた男子はそそくさと自分の席へ走っていき、俺も自分の席に戻って行く。

『作戦失敗、びっくりびっくり。繰り返す、びっくり。作戦失敗、びっくりびっくりびっくり』

 聞こえてきたメールを聞いてホッとため息を吐く。上手く男子達の企みを阻止出来たようだ。だが、このまま諦めるとも限らない。

 まだ男子達の企みを完全に阻止出来たわけじゃないが、授業中は一先ず安心だろう。

 席について教科書やらノートやらを取り出しながら、ふと青島の方を見るとこちらを見ていた青島と目が合う。何か用でもあるのかと思って首を傾げると、驚いた表情をしたかと思ったらプイッと顔を逸らした。


 不思議と昼休みになれば腹は空く。そして、俺はいつも通り食堂に行って、食券販売機の前で今日の昼飯を何にするか考える。

「あっ、う、打瀬じゃん! 何してんの?」

 ハンバーグ定食のボタンを押そうとした俺の後ろから、そう声を掛けられて指がずれて唐揚げ定食を押してしまう。一瞬、ああっ……なんて思ったが、まあよくよく考えれば肉は肉だし、豚と牛のコラボ肉から鶏のぼっち肉になっただけだ。しかし、食堂に居て今まさに食券を買おうとしていた俺を見て「何してんの?」と言われても「食券買ってんの」としか言いようがない。

「ああ、昼飯を食べようかと」

「だ、だよね! 食堂だしっ!」

 両手を合わせて照れ笑いをする青島から視線を外し、俺は買った食券を持って引き替えに行く。

「う、打瀬ってお昼誰かと約束してる?」

「いや、いつも一人だけど」

 唐揚げ定食の載ったトレイを受け取りながら、何故か後ろに居る青島に話しかけられる。食券を買った様子もないし、食券を引き替えないならカウンターの方には用事がないはずだ。

「じゃ、じゃあさ、一緒に食べない? アタシ、食堂でお昼食べるの初めてでよく分かんないし!」

「あ、ああ、別にいいけど。でも、別に席決まってるわけじゃないから適当に座ればいいと思うけど」

「そうなんだ! じゃあ、窓際行こうよ! あの端っことか落ち着きそうじゃない?」

 そう言ってツカツカと、人混みでごった返す食堂を難なく進んでいく。対人スルースキルが高めな俺でも苦労するのに、青島にそんなスキルは全く必要ないようだ。リア充である青島に周りが自然と道を空けているようにも見える。

 しかし、青島の言った窓際の端と言ったら、小さなテーブルに二脚の椅子が置かれた二人で向かい合って座るタイプの席だ。あそこは食堂民の間では通称カップル席だと言われ、いわゆる恋人同士の二人が使う席だ。まあ、時には仲の良い女子同士が使っている場合もあるが、クラスメイトの男女で使う席ではない。

「青島、あそこはやめた方がいい。あそこは恋人同士が使う席だと、食堂を使う人間の中で言われてる」

「そ、そうなんだ! そそそ、それはちょっと困るよねっ!」

「そうだな。……そういえば、そもそも何で食堂に来てるんだ? いつも仲の良い奴らで食べてるんじゃないのか?」

 リア充という存在は、仲間意識、集団意識の高い存在だ。だから昼飯はもちろん休み時間も固まっているし、クラス内でのグループ分けがあったらいつも一緒のグループになる。いや、それは悪いことではないが、俺から見ればものすごく窮屈そうに見える。

 それは置いといて、あのミキ様が気まぐれで「ちょっと食堂行ってみたくね? マジで」みたいなことを言いだし、グループ全体で食堂に来るのはまだ分かる。だが、リア充グループの一員である青島が一人で食堂に来るのは不自然だ。

「もしかして、あの噂のせいで……」

「違う違う、アタシだって一人でゆっくり食べたい時もあるし!」

「なるほど、そうか。じゃあ、俺はあっちの席に行くから――」

「なんで別の所に行こうとするのよ」

「いや、だって、一人で食べたいって」

 俺も当然一人で食べる方が気楽だし、青島も一人で食べたいというのなら、お互い一人になった方が良いかと思っての提案だった。しかし、何故か腕を捕まれて引き留められる。

「ひ、一人はちょっと不安だし!」

「どっちなんだよ……。まあ、この雰囲気だから、その気持ちは分からなくもないけど」

 リア充という存在は、常に集団で生きている。だから、急に一人になったときにどうすればいいか分からなくなるのだ。リア充グルーブの意思決定をしているミキ様ならそうではないのかもしれないが、青島はリア充だとしてもグループの意思決定をしているリーダーではない。

「と、とりあえず、窓際に行こう! 他の席ならいいんでしょ?」

「ま、まあ、悪くはないが……」

 窓際は人気の席で席の数もそこまで多くない。しかし、リア充の中のリア充青島の登場で、食堂の窓際を支配している準リア充の人達が空気を読んで席を埋めていない。このまま譲らせておくのも悪そうだから、さっさと座ってあげた方が良さそうだ。

 適当な席に座ると、それを見届けた準リア充が席を埋めて周りが賑やかになる。

 この食堂を使い始めてから、窓際の席に座るのは初めてだ。だが、必要以上に日の光が入ってきて眩しい。準リア充達はこんなところで毎日昼飯を食べていたのかと思うと、俺は準リア充をほんの少しだけ尊敬した。

「たまには食堂で食べるのもいいかも!」

 なんだか妙にテンションを上げる青島は、持参していた弁当を広げてそう話す。

 青島の弁当はなんだかカラフルだった。ちゃんと野菜やフルーツ、肉とバランス良くしかも見た目にも気を遣っているのか綺麗に盛り付けられている。一度俺も弁当を作ってみたことがあるが、とりあえずご飯を詰めて、その上に焼いた肉を載せるという男の中の男が作る弁当になった。流石に俺も毎日そんな高カロリーで高脂肪の弁当を食べる訳にはいかないから、作らず洗わず持って来ずという楽々要素を兼ね備えた食堂に落ち着いた。

「毎日そんな弁当作ってるのか。青島の母親は真面目だな」

「これ、アタシが作ったんだけど……」

「へ~……えっ!?」

「えっ!? って、そんなに驚くことないじゃない!」

「いや、すまん」

 まさか青島が作っていたとは思ってもみなかった。だが、選択授業で作ったというクッキーは美味しかった。ということは、青島はある程度の料理が出来る人らしい。

「そういえば、打瀬ってなんでいつも一人なの?」

「そうだな~、積極的に一人になってる訳ではないんだが、まあ一人の方が楽だし」

「え~、みんなとおしゃべりしてた方が楽しくない?」

「まあ、楽しい人は楽しいだろうな」

「それ、打瀬は楽しくないみたいじゃん」

 会話を投げてくる青島はやはりリア充であることが分かる。これがもし俺が二人居たら、スッとお互いに席を立って別の席に座っている所だ。もはや会話も始まらない。その点、青島は俺相手にも自然に話題を振ってくる。俺ならこんなことは出来ない。

 人と会話する時には二つのきっかけがある。それはもちろん、話し掛けた時と話し掛けられた時だ。話し掛けられた時は相手が振る話題に合わせていればいい。しかし、話し掛ける場合は自分から話題を振らなければならない。それはかなり難易度が高いことだ。

 例えば、プロ野球の知識がない人にプロ野球の話をするのは難しい。ここで、きっぱり出来ないと否定しないのは、高いトークスキルがあればプロ野球を知らない相手にプロ野球の話をしてもなんの問題も無いのだ。でも、そんな高いトークスキルを持っている人間がこの世にゴロゴロ居るわけがない。だから、普通は話題を相手に合わせるものだ。

 俺と青島は普段ほとんど話さない。いや、あの青島ずぶ濡れ事件まで会話した記憶もない。だから、互いに互いの好きなものなんて分からず、相手に合わせて話題を選ぶということが出来ないのだ。だが、青島はそれでも無難な話題を使って会話をしている。

 俺も全く会話が出来ない人間ではない。もちろん話題を振られたら全く知らない話題でも笑って相づちを打つことも出来る。でも、青島のように話題を振るなんて高度なことは出来ない。

「そういえば、その……あのミキって人はなんで俺を睨んでるんだ?」

「あ、ミキ? あ~あれは、ちょっと拗ねてるだけかな」

「拗ねているのか」

 拗ねると他人を射殺すような視線をぶつけるようになる。俺の想像する女王様像と完璧にマッチしてるぞミキ様……。しかし、機嫌が悪くなったということは、強制奉仕活動の時に俺が水の撒き方を注意したからだろうか? いや、そんなことで怒るような器の小さい人間が居るのだろうか?

「なんか、先生に怒られたの打瀬のせいだって思い込んじゃったらしくて……」

 青島が困り笑いを浮かべる。ミキ様はリア充グループのリーダーだから悪くは言えないし、コミュニケーション能力の高い青島が面と向かって俺に「あんたが悪い」なんて言えないだろう。しかし、担任に怒られた責任が、どうやったら俺が悪いになるんだ。それにしても……ミキ様、器が小さいでございます。

「ミキは悪い人じゃないんだよ。ちょっとわがままな所はあるけど、みんなでいつも仲良くしようとしてくれるし」

「まあ、人には良いところも悪いところもあるだろうからな。ただ、すれ違うだけで睨み付けられるのは心臓に悪い」

「じゃあ、それとなくミキに言ってみる。それに、まだ日が浅いから気になるだけだろうし」

 そうだ、あのリア充のトップに君臨しているミキ様が、一々俺のことなんて覚えているわけがない。他に楽しいことがあればそれで忘れ、他にムカつくことがあればそっちに気を取られる。そして、俺という存在はリア充の頭の中から消え去るのだ。

「さて、そろそろ俺は行くぞ」

「はやっ! いつの間に食べたのよ!」

 トレイを持って立ち上がる俺を見て驚き、青島は何故か急いで弁当を食べ始める。

 会話はほとんど青島が話していたし、その間に俺は唐揚げ定食を食べているのだから、俺の方が早くて当たり前だ。それに、やっぱりこの窓際の席は落ち着かないこともあって食べる速度が速くなった。

 いつも光を浴びて明るい生活を送っている人間である青島は感じないのだろう。多分、それはいつも日陰でのんびり過ごしている俺にしか分からない。ここは、俺が飯を食うには明る過ぎる。日光も、雰囲気も、何もかも。

「ちょ、ちょっと、この後時間ある?」

「え?」

 トレイを返して食堂を出て直ぐ、後から追い掛けてきた青島が俺の腕を掴んで呼び止める。

「は、話があるの!」


 校舎の裏には狭い舗装路がある。この舗装路は、随分昔に学校で焼却炉が現役だった頃の名残らしい。この舗装路をリアカーに燃やせる廃材を積んで奥にある焼却炉で燃やしていたそうだ。

 その歴史ある舗装路だが、焼却炉が環境問題への配慮から全面的に使用禁止になってから使用する人はほとんど居ない。校舎の間にある中庭と違って日光が入りづらいというのもその理由かもしれない。昼間なのに、薄暗い。しかし、涼しくて俺は案外この場所が好きだ。

 そんな舗装路の上で突っ立つ俺は、真正面に立つ青島に視線を向けた。

 ここに来てからもう一〇分は経過しただろうか? しかし青島は体の前で両手を組んだままチラッチラッとこちらの様子を窺うばかりだ。

 話がある、そう言ったのは青島なのだが、未だにその話とやらは始まらない。

「打瀬、昨日はありがと」

「あ? ああ、そう何度も感謝されるようなことじゃないぞ」

「ううん、凄く助かったし嬉しかったから」

 どうやら話とやらは、昨日の青島ずぶ濡れ事件についての礼ということらしい。何度も礼は言われている。だから、わざわざ改まってまた言われることでも無い。

「それでね、やっぱり打瀬――キャッ!」

『青島玲奈発見、びっくり。上から胸チラを狙え、びっくり、びっくり』

 それを聞いてから見上げると、廊下に面した窓からキラリと煌めく光が見えた。とっさに、校舎の下にある死角に隠れたが、上手く回避出来たかどうか分からない。

 俺は青島が男子に狙われていることをすっかり失念していた。もしかしたら写真や動画を撮られたかもしれない。メールは常に聞こえるわけじゃないから、もう少し周囲を警戒しておくべきだった。

「ちょ、ちょっと……」

「えっ? あっ……」

 目の前から聞こえる青島のか細い声に視線を下ろすと、目の前で、体を強ばらせて縮こまる青島の姿があった。俺の顔の数センチ先には真っ赤に染まった青島の顔があり、あまりにも近いその距離のせいか、青島の香水の香りが強く感じる。

 俺が校舎の外壁に青島を追い詰めているような今の状況は、明らかに端から見られれば勘違いされる光景だった。

「す、すまんっ」

 慌てて離れた俺は両手を挙げ、自分が変なことをしようとしたわけではないとアピールする。しかし、青島の恥ずかしい写真を撮ろうとしてるメールが聞こえて、それを防ごうとしたらこうなってしまった。なんて説明が出来るわけが無い。青島は俺がメールを聞くことが出来るなんて知らないし、そもそもそんな話を信じてくれるわけがない。

「えっと……」

 青島も動揺してそれ以上言葉が繋がらない。そりゃあ、いきなり男子に校舎の壁際に追い詰められたら驚きもする。いや、しない方が無理な話だ。

「いや、あの、ハチが飛んでたんだ! スズメバチ! スズメバチの毒は強力だって言うし、過去に刺された経験があったらアナフィラキシーショックって言って、命の危険があるし!」

「そ、そっか! あ、ありがと」

 青島が精一杯の笑みを浮かべて言う。しかし、俺なんかでも分かった。その笑みが明らかに作り笑顔だということが。

「じゃ、じゃあ」

 精一杯の作り笑いを浮かべていた青島は、それだけ言って駆けだした。青島の後ろ姿が見えなくなってから、俺はさっきまで青島がもたれ掛かっていた校舎の外壁に背を付ける。

 俺はあまり人から笑われることはない。それが嘲笑だったら経験が全く無いわけではない。だが、楽しいとか嬉しいとか、そういう風に笑ってもらえることなんて、バカにされて笑われるよりもっと、もっと少ない。

 青島がありがとうと笑ったとき、俺はなんとなくむず痒かった。でも、それは嫌な思いではなく純粋に嬉しかった。いや、少しだけ照れくささは混ざっていたかもしれない。

 でも、さっきの笑みは笑っているようで笑っていなかった。

 作り笑顔はリア充、いや、社会に生きている全ての人間が必須とされるスキルだ。しかし、作り笑顔は作り笑顔と分かった瞬間に温かさを失い、むしろ背筋が凍り付きそうなくらい冷たくなる。相手を、冷たくする。

 背中から感じる校舎は冷たい。体の脇を流れる風も冷たい。聞こえてくる学校の喧騒も冷たい。

『ダセが青島さんを壁ドンして作戦失敗……繰り替えす、ダセが青島さんを壁ドンして作戦失敗』

 メールを聞きながら息を吐いて、俺は校舎から背中を離す。元より、人から感謝されるために、青島から感謝されるためにやっていたわけじゃない。だから、青島から嫌な奴だと思われたとしても、大した問題ではない。そもそも、俺は青島を含めクラスメイトからは男子生徒Aくらいにしか思われていないのだ。今更その評価が嫌いな男子生徒になったからと言っても、あまり変化はない。

 そう思って心を温かくしようとしても、スッと落ち着くだけで酷く冷たく感じた。

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