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【一】

【一】


 朝、学校に来てすぐ、自分の机に突っ伏して寝たふりをする。

『また後で会おうね。はーと』

 頭の中に聞こえるその音に、俺は心の中で大きなため息を吐く。

 高一の終わり、他人には聞こえない音が聞こえるようになった。それは”メールの内容”。

 本来、メールというものは、送信者と受信者の間だけで交わされるものだが、俺はそれを聞くことが出来るようになってしまった。ただ、聞こえるようになったと言っても、誰かを狙って聞いたり、聞こえないように選んで聞いたりすることも出来ない。自分の意思ではコントロール出来ないのだ。だから、朝っぱらからこんな甘ったるいメールを聞く羽目になる。

 メールは音で聞こえるから、メールで使われる絵文字や顔文字、記号といったものも音で聞こえてくる。だから、無駄に絵文字、顔文字、記号が使われているメールなんて聞こえてしまった時には、うるさくて仕方が無い。

 正直、この意味の分からん特殊能力を発揮出来るようになってから、いい思いをしたことは皆無だ。時々、女子同士のメールで胸のサイズがどうのこうのと言う話があるくらい。いや、俺も胸のサイズの話で興奮出来るほどの純粋さはとうの昔に消え去っているから、実質、うま味はゼロと言っていいかもしれない。

 メールは大抵、他愛もない世間話を断片的に聞くことが多い。でも時には悪意のあるメールを聞くこともある。誰がムカつくだとか、誰が最近調子に乗ってるだとか、本当に希だがそういうのも聞こえてしまう。だから、いいことが無くて悪い話を聞くことがある。そう考えると、特殊能力とは一切誇れない。

「みんな、もうすぐ先生が来るから席について!」

 教室内に我がクラスの委員長様が発した号令が響く。グループを作って会話していたクラスメイト達が、散り散りになって自分の席へ着く。その号令後、すぐに担任教室が教室へ入ってきて出席をとり始めた。

打瀬綴喜(うたせつづき

「はい」

 自分の名前を呼ばれ、何時も通りに返事を返すと、俺は外を眺めた。

 地球温暖化のせいか、まだ春先だというのに気温は暖かいを通り越して若干の暑苦しさを感じるようになった。空には白い雲がゆったりと流れ、窓際にある木の上では小鳥達が戯れている。何とも和む光景だ。

 俺がメールが聞こえるようになったきっかけは分からない。それにどういうメカニズムで聞こえているのかも分からない。ただ、不意に頭の中に流れてくる音が聞こえ始め、最初は誰かの独り言か会話が聞こえるのだと気にも止めていなかった。でも、何度も聞こえてくるうちに絶対に他人に聞かれるような会話では言わないことが聞こえた時におかしいと思い始めた。

 それから、語尾に『はーと』とか『はてな』なんて言葉を付ける若干どころか、相当イタい人なんてクラスに何人も居て堪るかと思い始め、決定打は『メールで話すようなことじゃ無いんだけど』と聞こえた音だった。

 …………正直、自分でも音の内容にメールを指し示す言葉があったから分かったというのは大分間抜けだと思う。

 ただ、少し考えてみてほしい。

 普通の高校一年がいきなり“メールが聞こえる能力”を発揮出来るようになった。と、すぐに判断できる訳がない。音が聞こえた瞬間に「俺はメールが聞こえる能力が発揮出来るようになったぞ! やっほーい」なんてすぐに気付いてしまったら、それはそれで明らかに頭が悲しい人だ。

 しかし、俺はこのヘンテコな能力を得ても、世界征服を画策する機関と戦ったり超能力者を集めた秘密結社に勧誘されたりなんてことは一切無い。今日も今日とて、毎日学校に通う、模範的な高校生のままである。

 変な能力を持ち始めて随分時間が経ったが、今日も何事も無く平穏無事に過ぎそうでホッと安心する。日常にスリルやサスペンスは必要ないのだ。トラブルもなくただ過ぎ去るのが、本来の日常というものなのだ。

 変な能力を持ってしまった俺はそれを強く思う。きっと、全世界の人間が俺みたいな考えをしたら世界平和が実現するだろう。

『ラーメンだぜ、びっくりびっくりびっくり、らーめんらーめんらーめん』

 ……神様、今日も日本は平和です。朝っぱらからビックリとラーメンの主張が激しいメールを送る人が居るくらいですから。

 黒板の前では担任教師が出席を取り終えて、なにやら伝達事項を説明している。ただ、どれもこれも俺には関係なさそうなので、担任教師から視線をまた窓の外に外してボーッとする。

「今日の昼は、食堂でラーメンかな」

 外では小鳥のさえずりに混じって車の走行音が響く。そして、すぐに静寂が訪れて担任教師の声が教室内に響く。

 騒がしくないいつも通りの朝。いつも通りが心地よく、いつも通りがホッとする。

 俺はフッと息を吐いて窓の外から目を正面に向け、退屈なホームルームの話に耳を傾けた。


 昼休み、それは一日の折り返し地点であり、午前中の授業で消耗した体力を回復させる時間だ。

 俺は食堂の食券販売機でラーメン(大盛り)の食券を購入した。

 この食堂では、ラーメンとラーメン(大盛り)以外のラーメンメニューは存在しない。しかも、そのラーメンはとんこつラーメンなのだ。

 俺は塩ラーメンが大好きだ。とんこつベースの塩ラーメンでもいいが、この食堂は純粋なとんこつラーメンなのだ。だから、本当はバターの入った塩ラーメンが食べたかった。でも、とんこつラーメンしかないので仕方無くラーメン(大盛り)を食べる。ちなみに、朝聞こえたメールは関係ない。

 食堂のおばさんが「はい、大盛りラーメン一つ!」と元気な声と笑顔と共にトレイに載ったラーメンを差し出してくれる。

「ありがとうございます」

 ラーメンを手にして振り返り、俺は周囲を見渡す。窓際の席と出入り口に近い席は既に埋まっていて場所はない。仕方無く中央辺りの適当な場所に腰掛ける。

 この学校には、昼食を食べる時三つの派に分かれる。それは弁当派、購買のパン派、そして食堂派だ。

 弁当派が一番多く、その次に購買のパン派、最も少ないのが食堂派なのだが、食堂の席はどの派の人間でも使用出来る。だから、今この食堂には三つの派が混在したカオスが出来上がっていると言ってもいい。ちなみに弁当派は真面目な人、購買のパン派はリア充、食堂派にはぼっちが多い傾向がある。一応断っておこう、全て俺の主観である。

 俺は何を隠そう食堂派だがぼっちではない。話し掛けられれば人とは話すし、必要とあればこっちから話し掛けたりもする。ただ、特定の仲のいい友達という存在が居ないだけだ。世間ではそれをぼっちと呼ぶらしいが、俺の場合は断じて違う。フリーランサーだ。

「お! ダセ、ここ空いてるか?」

「ああ」

「サンキューダセ。みんなここにしようぜ」

 クラスメイトの野球部員がゾロゾロと仲間を引き連れてやって来て、空いていた席に座りすぐに談笑を始めながら昼食を食べ始める。俺も、薄めのとんこつスープをすすり食事を再開する。

 俺の苗字は打瀬である。しかし、大抵の生徒はウタセではなくダセと読む。いや、ほぼ全ての生徒がダセだと思っているだろう。

 実際、ウタセだろうがダセだろうが俺はどっちでもいい。だから訂正したりしなかったのだが、そのせいでいつの間にかダセで定着したらしい。ここ最近は、本当に俺の苗字がダセなのではないかという錯覚まで覚える始末だ。それは嘘だけど。

「最近、良いこと無いかな〜」

 野球部員の一人が食堂の天井を仰いでそう吐露する。なんか口調がしみじみ過ぎてこっちまで悲しくなってきた。

「そういえばさっき、自販機近くの階段下で神風が吹いてたぜ」

「マジ!? で、見えた?」

「もち! 結構可愛い一年の子だった」

「うわー羨ましい!」

 ここで言う神風とは、校内の至る所で稀に吹くちょっと強めの風のことを指す。この稀に吹く強めの風が、女子生徒のスカートを稀にまくり上げることがあるため、神様の起こしたご褒美の風という意味から神風と呼ばれている。まあ男子の中だけだろうが。

 それにしても、最近あった良いこととして挙げられるのが、神風によるスカート捲りとは悲しい。いや、確かに普通に生活していれば女子生徒のスカートの中を見ることなど不可能なのだし、それに可愛い女の子なら良いこととして挙げても良いのかもしれない。うん、やっぱり今日も日本は平和です。

「彼女ほしいよな〜彼女が出来たら、パンツが見放題だぜ」

「バカか、彼女が出来たらパンツどころか裸も見放題だろうが!」

 どっちもバカで間違いない。彼女が出来たからと言ってパンツとか裸が見放題な訳が無い。

 彼女が出来て出来ることと言えば、毎日一緒に学校に行き、週末は毎週デート。主要な学校行事では彼女が居るというだけで楽しさが五割増しになる。更には一ヶ月毎に記念日を祝わされ、メールの返事が遅かったり電話を受けられなかったりすると機嫌が悪くなる。そして、女の子と話しているだけで浮気を疑われ、彼女の方は男子と楽しそうに話して、いつの間にかそいつに彼女が取られているという現実に震えるのだ。…………彼女ってそんなにいいものではない気もしてきた。

 それに、男は女子に対して幻想を抱きすぎている節がある。そして、その幻想では、彼女という存在は女神か天使のような存在になっている。

 どんなことがあっても自分を好きでいてくれて、優しくおしとやかで、パンツも裸も見せてくれる存在。……男子の要望を兼ね備えた彼女を想像してみたが、そんな女神と天使みたいな清楚ビッチはなんか嫌だ。

「ダセも彼女居ないよな」

「ああ」

 最初に「ダセって彼女居たっけ?」と聞くのではなく、さも俺に彼女が居ないのが当然のように聞かれると、彼からそこはかとない悪意を感じる。いや、実際問題、俺には彼女なんて居ないけど。

「好きな奴とか居んの?」

「いや、特に居ないな」

「そっかそっか、お互い頑張ろうぜ」

 肩をポンポンと優しく叩かれ、ウンウンと頷かれる俺。どうやら、彼に彼女が居ない同士というカテゴリーでの仲間だと認識されたらしい。しかし、彼と俺はそのカテゴリーを無視したら仲間ではなくただの知り合いだ。

 情報社会と言われる現代、ただの知り合いに大してプライベートな情報を開示するアホは居ない。特に誰が好きだとか誰と付き合ってるか、なんて話題は有益だ。その情報で新しい情報を得たり自分に降りかかる火の粉を回避するのにも使えたりする。そんな重要な情報を安易に俺が開示する訳が無い。まあ、彼女も好きな人も居ないがねっ!

 俺は女子に興味がない、という訳ではない。ちゃんと女の子にも興味はあるし、パンツや裸も見たい願望はある。それは普通の男子高校生として当然のことだ。だから何ら恥ずかしいことではない。

 ただ、女子と親密になる気がないのだ。

 俺だってその気になれば彼女くらい出来る……はずだ。女の子と仲良く話すことだって出来る……可能性はある。そう、能ある鷹は爪を隠すのだ。彼女が居ない男子は哀れみの目を向けられることもあるが、そう見えるだけでしかない。大賢は愚なるが如し、だ。

 よって「彼女が居ないからどうしたというのだ」という全国の彼女居ない男子の虚栄は正しいと証明された。

「じゃあ、俺はもう行くから」

「おう」

 野球部員の彼等にそう言って席を立ち、食器を返して食堂を出る。

 楽しげに数人で固まって歩く女子生徒の一団を、廊下の端に寄って回避して歩き出す。

 普通というか、いつも通りの行動パターンならこのまま教室に戻って寝る、というのが俺の素敵な昼休みの過ごし方テンプレ。なのだが、今日は少しだけ気分が違った。

 俺は時々、ふとコーヒーを飲みたくなることがあるのだ。いや、あのブラックコーヒーを飲めないのに飲もうとしちゃう中二的なアレじゃない。そもそも俺はブラックコーヒーが苦手だ。

 家ではインスタントのコーヒーをよく飲む。スティックタイプの一杯分ずつ小分けにされているやつが便利でいい。

 本格的なドリップコーヒーってのは、なんか豆の挽き方とかお湯の注ぎ方とか、いやそもそも一介の高校生にドリップコーヒーで優雅な時間を過ごすための投資に使える資金がない。アルバイトでもすれば稼げるのだろうが、ふと訪れる気まぐれのためだけに勤労をする気にはならない。その点、インスタントコーヒーは簡単だ。マグカップに水を入れて水の量を量り、それを電気ケトルで湧かせば、一分も経たないうちに美味しいコーヒーを飲むことが出来る。これぞ文明の利器、人類の画期的な発明、怠惰の結晶。

 だがしかし、学校にインスタントコーヒーを持ち込んでコーヒータイムを満喫するような挑戦的な高校性ではない俺には、その方法でコーヒーを飲むことは出来ない。そこで登場するのが、インスタントコーヒーとは別の文明の利器である缶コーヒーだ。だが、この学校で缶コーヒーを買うには自販機を使うしかなく、この学校に一台だけある自販機の元まで行かなくてはいけない。その場所は、校舎の玄関を入ってすぐの階段脇だ。

「コーヒー、コーヒー」

 自販機前まで来て少しガッカリする。悲しいことにホットが無くなり全てアイスになっているのだ。

 もう気温が暑くなってきているし、やはり需要はアイスドリンクにシフトしているのかもしれない。少し前まではホットココアを購入する人で長蛇の列が出来ていたこの自販機も、今は俺以外の人間は使う様子がない。

 俺個人としては暖かくて甘いコーヒーが飲みたかったが仕方ない。小銭を投入して、よく飲む銘柄のコーヒーを購入。取り出し口から結露の付いた缶コーヒーを拾い上げると、俺の体の脇を風が駆け抜けた。

「キャッ!」

 ほんの一瞬の突風、その突風はたまたまその場を通りがかった女子生徒を襲う。風は壁に当たり横から上向きの吹き上げる風に変わり、その吹き上げる風は女子生徒のプリーツスカートをふわりと捲り上げる。

 女子生徒が、スカートの裾から太もものかなり高い位置までさらけ出す。きめ細かく白い肌の太ももは、ふくらはぎまで掛かっている紺のハイソックスという組み合わせで二割増しに女性らしさを強くしている。いや、この場合は少女らしさという方が正しい。

 ハイソックスは女性らしさを感じるには少し弱い。女性らしさを感じるには、ストッキングがベストだろう。

 そんなことを考えて居ると、スカートの裾がいよいよ太もものその先を露出しようとした。そして、もう少しというところで女子生徒の両手がスカートを押さえ、風はすぐになりを潜めてしまった。

 心の中で舌打ちをして、天に居るであろう風の主を見上げて「この根性無しめ!」と悪態をつく。しかし、視線の先には天井しか見えない。

 若干テンションを下げられて、とぼとぼと教室へ向かうために歩き始めた時、俺の頭の中に直接、音が入っていた。

『ホント、男ってバカばーっか、あきれる』

 俺は立ち止まり、コーヒーを開けて一気に飲み干すと自販機のそばまで戻ってゴミ箱に空き缶を捨て、再び教室へ歩き出した。

 何だか今日は、いつもよりコーヒーが苦いように感じた。あっ、そうそう、男って本当にバカな生き物ですね、ごうきゅう。


 午後の授業はある種の精神修行であると言える。

 昼食を終え腹いっぱいになり、掃除で少し体を動かし、そして授業が始まるまでに少休憩を挟む。この条件下で発生するものがある。それは眠気だ。しかも授業が国語で、抑揚のない声で教科書を読まれるとあれば、その修行の過酷さは倍以上になる。既にクラスメイトの半数は脱落済みである。

 俺は勉強はやらないが授業は真面目に聞くというポリシーにのっとり、断固として目蓋は閉じない。授業内容が理解出来ているかはこの際度外視する。

 ここで寝てしまったら、俺は別に勝つ必要性が皆無の何かに負けてしまう気がする。競争心も乏しい俺だが、そこにだけはなんだか負けたくない。

 自分が勝てなくて他人が勝てない相手に勝つことはしない。自分が勝てなくて他人に勝てる相手は、もちろん張り合うだけ無意味だからそもそも戦わない。でも、自分が勝てそうで他人が負けてる相手には勝とうとする。……おかしい、どう考えても自分がとんでもないクソ人間にしか思えなくなってきた。

 俺が睡魔に耐える教室内の状況は悲惨だ。脱落者の中にはイビキまでかき始める者も現れる事態に陥り、更に時間の経過によって睡魔が能力強化されて、次々と脱落者が増えている。このままではいつ俺も飲み込まれるか分からない、この睡魔の波に。

『少し激しく強くされると痛くて泣きそうになってしまいますが、またその感覚が堪らなくて病み付きなんです、おんぷ。一緒に試してみませんか、はてな、はーと』

 突然その音が聞こえてハッとする。何故か、その音は俺の脳が掻き立てられる音。何故か、男という特定の対象に語りかける魅惑の音が――。

『変なメール送るなし、わらう』

 本当にその通りだ。まったく、授業中に何を考えているんだ。一瞬で眠気が吹っ飛ぶくらい動揺したから感謝するが、マッサージ店の広告メールを装った遊びをするとは暇なことだ。肩もみや腰もみ程度でそんな大仰な文章を使うんじゃない。マッサージなら『一時間一九〇〇円、びっくり』とかそんなシンプルなやつでいいだろう。

 それにしても、この退屈を通り越して苦痛な授業を受けるのはキツいものがある。関係ないことを考えて気を紛らわそうとしてもこの理不尽な退屈さはどうにかならないものだろうか?

 高校は義務教育ではないから受けなくてもいい。だが、みんなが「授業がつまんないし、高校なんて行かない」なんてなったら、高校教師は廃業するしかない。そう考えれば、生徒が授業中に居眠りをしているのも問題だが、居眠りしてしまう授業を行っている国語教師にも問題があるように思える。

 一般企業でも消費者に買ってもらえなければ企業の経営は破綻して倒産するしかない。だから、授業をまともに聞かない生徒が居ても、自身に問題があるのではと考えるのではなく、眠る側の生徒ばかり悪いと決めつける。自分達の仕事を履き違えているのだ。

 なんだが国語の授業中に社会的なことを考えてしまった。だが、それもこれもこんなに退屈な授業を午後の授業で行っている国語教師にも非がある。だから、あまり授業を聞いていない俺と国語教師の非は多めに見積もって三対七が妥当だ。よって今の俺はそこまで悪くない。

 しかし、幸いなのはこの国語の授業が本日最後の授業であること。そしてその授業の残り時間も既に五分を切っていることだ。この魔の時間ももうすぐ終わりを告げ、やっと開放される。その時は近い。

「外には、ただ、黒洞々(こくとうとう)たる夜があるばかりである。下人の行方ゆくえは――」

 亀が歩くような速度で、教科書に書かれた題材である芥川龍之介の羅生門を読んでいた国語教師は、鳴り響くチャイムの音に言葉を止める。響くチャイムの音に数名の生徒が目を覚まし、寝ぼけた目を正面に向けていた。

「……では、今日の授業はこここまで」

「起立。礼。ありがとうございました」

 委員長の眠気が吹き飛ぶ号令を聞きながら、何故国語教師があと数文字で読み終えるはずだった教科書を読み終えず、授業を終わらせたのか考えてみた。だが、もう国語教師は教室を出た後で、その答えも行方も、誰も知らない。まあ、めんどくさくなったのが理由で、行き先は職員室だろうが。

 やっと授業が終わり、ゾロゾロと帰り支度を始める。これから部活をやっている人は、更に部活に参加しなければならないのだから大変だ。ちなみに俺は安全且つ迅速に帰宅することを日々鍛錬している帰宅部に所属している。雨の日も風の日も活動しなければならない大変な部活だ。

「やっと終わった〜」

「マジ疲れたー」

 爆睡していた男子生徒達がそれぞれ伸びをして口々に言う。やっと終わったとか疲れたなんて言葉は、最後まで耐え抜いた者のみが使っていい言葉だ。例えば俺とか。あーやっと終わったマジツカレター。

 授業終わり、特にその日の最後である六時間目の授業終わりは皆明るい。そりゃあ退屈な授業は終わりなのだから、明るくなるのは分かる。何を隠そう、部活動に積極的な模範的生徒である俺も、今すぐに部活動したくてウズウズしているところだ。

『帰り寄ってこー、はんばーがー』

『やべースパイク忘れた、あせる』

『委員会あるから部活遅れるって言っといてー、おねがい』

 授業が終わった途端にメールが聞こえてくる。なんとも授業終わりらしい内容だ。

 放課後は良い。なんて言ったってあとは自宅に帰るだけだからだ。自宅に帰ればゲームはあるしテレビもある。いや、ベッドで夕食までひと眠りするのもいいかもしれない。人によっては寄り道する人も居るようだが、俺は断然真っ直ぐ自宅へ帰る派だ。外なんて人が多いだけで大して楽しいことはない。俺の娯楽は、全て自宅に集約されている。

『そういえば、昼休みの続きなんだけどさ、にやにや』

『えっ、もうその話はいいんじゃない、あせる』

『そうはさせないよ、きりっ』

 とりあえず帰ったらパソコンの電源を入れる所からはじめようと考えて居ると、珍しく断片的ではない繋がりのあるメールが聞こえてきた。しかし、こうやって聞こえてしまうと、自分で意図して聞いていないのだが、何だか悪いことをしているような気がする。

『好きな人が居るって白状してから誰か聞いてなかったし、にこっ』

『だって、やっぱり恥ずかしいし、はずかしい』

 顔文字や絵文字が音として変換されると、メールって意外にシュールである。

 それにしても、好きな人の話題となると聞きたくはない。まあ送信者が誰だか分からないし、そもそも聞きたくて聞いてるわけじゃないが、普通の会話に比べると気まずさは半端ない。

 俺自身、もし好きな人が居て、それが自分の意図しない形で誰かに知られたら、それは嫌だ。単に恥ずかしいという思いもあるが、やっぱりからかわれるネタにされる恐れの方も大きい。

『メールだから誰にも分かんないしいいじゃん。協力するよ、ぐっ』

 そりゃあそうだ、この世にメールを音として聞ける人間が居るなんて、誰も思わないだろう。しかし、不本意だがここにはそんな人間が居るのだ。なんだかすみませんごめんなさい。

『好きって言うか、気になる人なんだけど、あせあせ』

 うんうん、やっぱり恥ずかしのだ、好きな人の話というものは。だから好きな人から気になる人へと変えて、自分の中で打ち明けることへの恥ずかしさを軽減する。まあ、自分以外には全く意味のない言い訳だが。

『それでそれで、はてな、にやにや』

 これ以上聞くのはよくないとは思うものの、頭に直接入ってくる音だから耳を塞いでも意味がない。出来るだけ別のことを考えて気を紛らわすことにしよう。

 そう、好きな人と言えば、俺は小四の頃に好きだった女の子が居た。人伝に聞いて、その子に好きな男の子が居ると俺は知った。そして、その好きな男の子は”よく話す背の高い人”らしいという情報だったのだ。

 当時、その子と俺は普通に、いや普通のクラスメイトに比べれば親しかった方だと言えた関係だった。席も近かったしよく話もしていた。それになにより俺は、その子より身長が高かった。

 その好きな女の子は、近々その好きな男の子に誕生日プレゼントを渡すのだと嬉しそうに、そしてどことなく恥ずかしそうに話していたらしい。……ちなみに、その話を聞いた時、俺の誕生日はとうの昔に過ぎていた。

 後日知った話だが、好きな女の子が言っていた好きな男の子とは、同じ登校班で班長をしていた六年生の男の子だったらしい。

『えっと、打瀬綴喜』

 まったく、甘酸っぱい初恋の思い出を思い出してしまった。今でこそ恋というものに勝利するのは難しく、初戦である初恋ともなれば勝率は皆無であると分かっているが、当時は相当凹ん――……あれ?

 ……さて、気を取り直して好きな子にしてしまった大失敗ベストスリーの発表を……いやいや、待て待て。今、とても聞き覚えのある名前を聞かなかったか?

 それは物心付いた頃から知っていて、周りがよくその名前を口にして、そして尚且つ俺が名前として人生で最初に覚えたそれを聞かなかっただろうか?

『え、びっくり、はてな。ダセってあのダセ、びっくり、びっくり、はてな、はてな、はてな』

 ビックリマークとハテナマークの多さでメール送信者の困惑が伝わってくる。が、一番困惑しているのはメールに参加していない俺自身だ。いや、でも……そんなにびっくりしなくても、がくがくぶるぶる。

『うん、そう』

 俺は冷静に辺りを見渡す。そして、今聞いたメールの流れを頭で繰り返し、そして状況を理解した。

 どうやら、メールをやりとりしていた二人は、昼休み好きな人が居るのか居ないのか的な話で盛り上がったようだ。そして、その雰囲気に飲まれた片方が「好きな人が居る」みたいなことを言ってしまったから、友達の遊び心をくすぐってしまい詮索され始めてしまった。その友達の詮索をどうにかかわしていたものの、ついに友達のしつこさに負けて好きな人の名前を言ってしまった。それが打瀬綴喜という人物らしい。

 さて、この世にはモテ期という言葉がある。

 モテ期とはその名の通り、異性からモテる、ある一定の期間を指す言葉だ。そして、巷では人生に三回は訪れるものだという。しかし、俺はその存在を信じていなかった。だって何もしてないのに女の子から好かれる時期なんていう、都合のいいモノがあるはずないだろう。だから、俺はモテ期という存在はモテない人間の執念と怨念と憎悪と、あと他になにか数種類の負の感情が生み出した奇跡産物、正の幻想だと思っている。

 モテ期とは、絵に描いた餅だ、妄想だ、架空だ。想像、空想、夢想、夢物語のファンタジーだ。俺はずっとそう思っていた。でも、もしかしたら、いや、多分……。

 どうやら、俺にもモテ期とやらが来たらしい。

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