2「目覚めると魔法学園でした」
「――くん……――ューくん!」
女の子が、誰かの名前を読んでいる声が聞こえ、意識が覚醒していく。
草原の夢から目覚めると、俺は見知らぬ場所――恐らく、どこかの学校にいた。
「……は?」
思わず口から、疑問の声がこぼれ落ちる。
俺は自室で――ちゃんとベッドに入ったかどうかは記憶にないが、少なくとも自宅の、極々普通、六畳半ほどの小さな部屋で眠り始めたはずだ。
間違いなく、こんなだだっ広い部屋ではなかった。
巨大な講堂と呼べるような室内。
隣には何だかこちらを心配そうに薄紫の瞳で見つめる、知らない――見知った、少女。
知っている。彼女は俺の幼馴染、リリーだ。
しかし、初めて見る。初めて見るが、俺は彼女が『俺の幼馴染』だと知っている。
知らないはずなのに頭は『彼女はお前の幼馴染のリリーだ。ほら、よく知っているだろう?』とでも語りかけているような感覚。
ジャメビュ……? 未知感なの、か……?
ジーっと見つめていると「ぁぅ……」と小さく漏らし、リリーは顔を赤くした。
んん……考えるほどに頭がこんがらがる。俺は彼女から目を反らした。
そのまま、周りを見渡してみる。
天井にはいかにも高そうな、キラキラと輝くシャンデリア。下を見れば広い空間にいくつもの机と椅子が置かれ、それぞれ学生が着席している。中には何だか変な格好……猫耳? のようなものをつけているヤツだとか、要は変なコスプレしてるヤツもいるみたいだが。なんにせよ、うちの大学の大講堂だって、ここまで人がいっぱいに座っていることは珍しい。そして壁には大きな黒板、その前に厳かに置かれた教卓の脇にはいかにもヒステリックそうな、漆黒のローブを羽織ったメガネの教員がいた。肩には……フクロウ?
ここまで来て、納得した。
「なぁんだ、まだ夢かぁ~」
夢なら仕方ないよな、知らないヤツでも知ってる気分になったりするよな、と脳内でひとりごち、ほっと安堵の溜息を吐く。
が、自分で思ったよりも大きな独り言になってしまったらしい。周囲の視線を集めてしまった。学生たちが小さく、広くざわつく。
おいおい、やけにリアルな夢だな。
――なんて思っていると、教卓のフクロウ教師と目があった。
「貴様……これから私が話をすると言うに、さては寝ていたなッ!?」
ビッ、と教師が俺を指差すと同時、フクロウが俺目掛けて飛んできた!
「いたっ、いたいっ!」
何度も何度もフクロウにつつかれる!
って……痛い? これ、夢じゃないのか!?
「ふん、まあいい。時間の無駄だ……戻れ、レイヴン」
教師が命じるや否や、俺の頭をつついていたフクロウの動きがピタリと止まり、再び教師の肩へと戻っていく。
ていうかレイヴンってカラスだろ、フクロウにつける名前じゃねぇよ?
「良いか、諸君ら」
息を深く吸い、おもむろに教師が口を開く。
「諸君らは、我等がアインスに入学した、優秀な生徒である。諸君らに問う。アインスとは如何様な学園か? 名門? チカラを持った者達が集まる? あぁ、その通りだ。我が学園は、自他共に認める名門校である!」
キッ、と露骨に、俺の方を睨む。
「どうやら、アインスの学生と言う自覚が足りない者もいるようだが……まだ新入生、私は寛大な心でそれも許そう! だがこれから諸君らには、我が校の生徒であると言う自覚を強く、強く持ち、誇り高く学園生活を謳歌して欲しい! そしてここで――」
「諸君らの才能――『魔術』を大成させて欲しい! 手短だが、私からは以上だ!」
言い切り、教師は一礼した。
パチパチと疎らに、拍手が広がっていく。
「魔術……?」
その中で俺だけが一人、ぽかんとした表情を浮かべていた。
「これにて、王立アインス魔術学園、入学式を終了する!」
○ ○ ○
「よっ! 入学早々、注目の的だな!」
ぞろぞろと歩いて行く学生たちの群れについて進んでいると、突然、優男そうな青年に声をかけてきた。うん、チャラそう。
この、夢なのか現実なのか分からない世界。ひとまず俺の中では『夢の世界』と言うことにしたが……。その中で分かったことと言えば、どうやらここが『魔法学校』であること、そして、
「オレは今年の新入生で一番の話題になるのはあの美人な総代……メア・ナイトウッドとか言う女の子かと思ってたんだけど……。教頭のピース先生のスピーチ前に居眠り、しまいにはあのセリフ。『夢かぁ~』なんて、キミもなかなかのタマそうだ」
どうやらあの場でフクロウに襲われた俺は、ここでは随分と有名な存在……悪い意味で、浮いた存在になってしまったらしいと言うことだ。
先程からチラチラひそひそ、周囲の反応が鈍く刺さっていた。自分の周りだけぽっかりと、エアポケットが出来ているような気がする。
あ。
てか出来てた。
「ああ、申し遅れたね。オレはギーク。ギーク・レーベンだ。キミは?」
ギーク・レーベンは、周りの反応など全く気にせず、勝手に話していく。
自分も好奇の目に晒される危険性も顧みず、エアポケット内部の俺に話しかけてくるこの男。間違いなく『悪目立ち』しているだろう。
「俺の名前は――」
……俺の名前は――
「俺の名前は、リュート・フェルマーだ」
気がつけば俺は、おおよそ日本人らしさの残らない、聞いたことのないはずの、しかし俺の頭は確かに『知っている』と主張する名前を、口にしていた。
知らないはずの幼馴染を知っていた件に続いて、まただ。
どうやらこの『夢の世界』では、俺はこの『リュート・フェルマー』とか言う人間の役割を与えられているような、むしろ半生まで含めて『リュート・フェルマー』になっているような、そんな気がする。
俺の口にした名を聞くと「ふむ」とギークは頷き、
「リュート・フェルマー……、確かF組の名簿にその名前があったな。ということは、オレとキミとはこれからクラスメイトになるってことだ。じゃあ、よろしく、だな」
そう言って、優男はにこやかに右手を差し出す。
「……ああ。よろしく」
良い人なのかな、と俺はその手を握り返した。
「いやぁ、キミみたいな面白い人とこれからの日々を過ごせると思うと、わくわくするよ!」
「……そりゃどうも」
ああ、どうもただのお人好し、ってわけじゃなさそうだな。と思ったそのとき、
「リューくんっ!」
「がっ……、あ?」
突如、背中に激痛。
「大事な学園生活初日であんな悪目立ちして! 折角わたしが起こしたのに、もう! もう! 反省してよ!!」
首を捻って後ろを確認してみれば、長い赤髪に薄紫に煌めく瞳。
目覚めたとき俺の隣にいた『夢の世界』での幼馴染、リリーがぴったり、くっついていた。
てか、今の痛みはいったい……?
「ひゅー。いきなり膝蹴りとは彼女、やるねぇ」
俺がこの幼馴染に何をされたか、説明してくれるギーク。
「っ、お前なぁ、こんな人混みの中で膝蹴りとか、他の人に当たったら大変だろ」
既に俺の身体は完璧に彼女を『幼馴染』として認識しているらしく、咎めるセリフが自然と口から継いで出た。
「わたしは……別に膝蹴りだとか、そんなことするつもりじゃ」
「じゃあどういうつもりだったんだよ?」
「ぅう……」
途端に顔を真っ赤にするリリー。
「えと、あの、えと……」
もぞもぞと、恥ずかしそうにしている。何だかこっちまで恥ずかしくなってきそうだ。
「だって、リューくんが知らない人と仲良くしてるから、取られちゃうと思って……」
「いやいや、取られないから……」まずお前のもんじゃねぇし。
「まぁ、さすがにオレも取らないねぇ。男だし」
と、ギークも苦笑い。
「ぅう、ごめんなさいぃ……」
「で、取られると思ったから、なんで膝蹴りなんだ?」
訊くとリリーはますます顔を赤くして、
「だからその、えと、抱きついて、わたしのだよー、って。その、主張を」
『しようと……』と続く声は、か細く消えていった。
「はぁ……」
この幼馴染は、どうやら『リュート』に懐いたポンコツ幼馴染らしい。